1 司法改革によって,司法は国民にとって,かなり身近なものになったと思われるし,その実感もあるが,しかしなお距離は遠いと感じてため息をつくことも少なくない。
2 この半年近くの間にも,何度も嘆息した。事態が錯綜する前に,どうしてもっと気軽に弁護士に相談してくれないのだろうという思いである。相談を受けても常に上手く行くというわけでもないが,上手く行くことも案外多いのである。弁護士が関与せず,かなり錯綜してしまってから相談を受けると,もう打つ手がないこともあるし,打つ手があっても,とても多くの労力を要することになる。
3 一審の訴訟を弁護士に依頼せず,本人訴訟として遂行して敗訴し,二審段階で相談を受けることもよくある。それでも格別困らないという事件もあるが,一審段階であれば,打つ手も多く,多彩な内容の和解でうまく解決できた可能性があったのに,一審判決が出ると,勝訴した側が強気な態度を取るために,解決が困難となることがよくある。遺産分割事件などでは,一審の調停段階であれば,親の預貯金や借金なども含めて,柔軟な解決が可能であっても,調停が不成立となり,審判がなされた後の高裁(即時抗告審)では,それらが裁判所による解決の対象から除外されてしまうので,甚だ硬直した解決しかできないことが多い。どうせ弁護士を頼むことになるなら,一審段階から相談をする方が,弁護士を頼む意義は大きいということになる。
4 また隣人間の紛争などのように,早期に弁護士に相談しておれば,案外簡単に適切な解決が可能であったと思われる事件でも,長年ささいな紛争が繰り返され,積年の恨みや怒りが怨念となってしまうと,それから相談を受けても解決は甚だ困難である。
5 紛争が発生しそうな恐れが生じた場合の紛争の予防や,紛争が発生した後でもできるだけ早期に,弁護士に相談することは有益であることが多い。契約書に署名押印した後ではなく,署名押印する前など,ある具体的な行為をする前に,そのような行為をしても大丈夫かどうかの段階で,気軽に弁護士に相談するのである。こうすることは現代社会において案外自分を守るための賢明な知恵であるような気がする。法律専門家の法律知識や長年の紛争で鍛えられた判断力や解決能力は案外捨てたものではないと思う。
6 おそらく,まだ今の時代は弁護士の門を気軽に叩くには,様々な障害があるのであろうが,その障害の多くは金銭(報酬)に関する誤解であろう。弁護士に事件として依頼すればある程度の費用が必要になるが,依頼する前に法律相談をすると,1時間で1万円程度の費用で済むことが多い。法律相談をしたうえで,事件として依頼(委任)する必要があるかどうかを自分で判断したり,弁護士に尋ねたりして,もし依頼するとどの位費用が必要であるかを遠慮せずに聞けばよいのである。高いと思えば依頼するのを止めて,別の弁護士を捜せばよいが,事件として依頼する場合の費用も心配するほど高くないように思われる。その点に関する国民の理解はまだ不十分なのであろう。
7 最近,以上のような思いでため息を何度もついた。病気になれば気軽に医師の門を叩くのと同じように,気軽に弁護士の門を叩く時代が来るにはもう少し時間が必要なのであろう。早く弁護士がもっと気軽に活用されるホームロイヤー時代になってほしいものである。もっとも,最近早期の相談を受けて,紛争の発生を防止できたり,上手く解決できて感謝されたケースも案外多くなってきているのも事実である。(ムサシ)