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日米開戦の日にスパイ容疑で逮捕された北大生、ノーベル賞候補に名前が挙がる作家が思い出語る

2024-06-10 | アイヌ民族関連

読売新聞06月09日

 1941年に北海道帝国大の学生宮沢弘幸さんらがスパイ容疑で逮捕された「宮沢・レーン事件」。生前の宮沢さんを知るイタリアの世界的な作家ダーチャ・マライーニさん(87)が11日に来日し、16日には北海道大で講演する。83年前に札幌を離れてから、初めての訪問となる。(土田浩平)

ローマの自宅で父フォスコさんの遺影を手にするダーチャ・マライーニさん。今月、83年ぶりに札幌を訪れる(2007年11月撮影)

© 読売新聞

父の留学で北大に

 工学部生だった宮沢さんは日米開戦の41年12月8日、軍機保護法違反容疑で逮捕された。根室海軍飛行場の存在を米国人教師ハロルド・レーンさん夫妻に教えた容疑だったが、飛行場の存在は新聞報道で一般に知られていた。宮沢さんは網走刑務所に収監された。

 マライーニさんは、文化人類学者フォスコ・マライーニさんの長女。父がアイヌ民族研究のため北大に留学した38年12月、一家で札幌に来た。当時2歳。41年春に京都に移るまで、一家は北大構内の外国人官舎に住み、宮沢さんやレーンさん夫妻とも家族ぐるみの付き合いがあった。

 フォスコさんがイタリアのファシスト政権への忠誠を拒否したため、一家は敵国人として43年に名古屋市の外国人収容所へ移送。十分な食事も与えられず、死と隣り合わせの日々だった。戦後、一家も宮沢さんも自由の身となり、46年1月に再会を果たした。しかし、一家がイタリアに帰国した後、宮沢さんは獄中で患った肺炎が元で47年に亡くなった。27歳だった。

日本時代 本に記す

 マライーニさんはノーベル文学賞候補に名が挙がる一人だ。自伝小説「帰郷 シチーリアへ」では札幌について「いつまでも終わらない冬の雪に囲まれて暮らした。一月には、玄関の戸が雪に埋まって凍りつき、窓から出入りしなければならない日もあった」と記した。昨年刊行した「わが人生」(未邦訳)でも日本時代の体験を書いている。

 マライーニさんは数回来日しているが、札幌の地を踏むのは83年ぶり。市民団体「宮沢・レーン事件を考える会」がイタリア文学者望月紀子さんを通じて講演を打診し、実現した。東京にある宮沢さんの墓や名古屋市の収容所跡も訪れる。16日午後2時には北大農学部講堂で講演を行う。

 同会事務局の奥井登代さんは「ダーチャさんは札幌時代の宮沢さんを知る現存で唯一の人。宮沢さんの思い出や戦争の悲惨さについて語ってもらえればと思う」と話す。問い合わせは奥井さん(090・1527・9009、メールmaradacia2024@gmail.com)へ。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/日米開戦の日にスパイ容疑で逮捕された北大生-ノーベル賞候補に名前が挙がる作家が思い出語る/ar-BB1nU6uq?ocid=weather-verthp-feeds

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