先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ文化に触れて あすまで伝統工芸作品展 苫小牧

2024-02-11 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024/2/10配信

 アイヌ文化の伝承活動に取り組む苫小牧うぽぽ(佐々木義春会長)主催のアイヌ伝統工芸作品展が10日、苫小牧市民活動センターで始まった。会員手作りのアイヌ民族の生活用具を中心に約250点を展示する。入場無料。11日まで。  アイヌ民族文化…

この続き:297文字

https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/130355/


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北斗星(2月10日付)

2024-02-11 | アイヌ民族関連

秋田魁新報2024年2月10日 掲載

 動物の肉や骨をたたき、ペースト状にして食べる「チタタプ」。肉や魚でだしを取り、野菜などの具をたっぷり入れて煮込んだ汁物「オハウ」。いずれもアイヌの伝統食である
▼明治時代の北海道を舞台にした人気漫画「ゴールデンカムイ」は、登場人物がそれらを調理し、おいしそうに食べるシーンを丁寧に描いている。作品の魅力の一つだろう
▼主人公たちが樺太(現ロシア極東サハリン)のアイヌ集落を訪れる場面では、団子が登場する。老婆が水に浸したコメをかみくだいて吐き出し、さらにすりつぶして焼いて作る
▼この団子を実際に食べたという人がいた。樺太アイヌの集落に生まれ15歳まで暮らし、現在は関東に住む安部洋子さん(90)だ。樺太での体験をつづった著書「オホーツクの灯(あか)り」には、祖母が口からコメを吐き出すのを見て嫌がっていた孫たちが、団子がこんがり焼き上がると喜んで食べた様子がほほ笑ましく描かれている
▼北海道、樺太、千島のアイヌはそれぞれ独自文化を持つ。北海道に比べ樺太や千島のアイヌに関する文献資料は極めて少ない。安部さんの著書は戦前から戦後にかけて変わりゆく樺太アイヌの生活を伝える貴重な資料だ
▼ゴールデンカムイは実写版の映画が全国公開中。漫画全31巻のうち映画化されたのは最初の3巻分ほどで、樺太の場面は出てこない。本筋である金塊探しのストーリーも未完だ。続編が製作され、樺太アイヌの文化が生き生きと描かれるのが楽しみだ。

https://www.sakigake.jp/news/article/20240210AK0007/


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【国立大学法人室蘭工業大学】 アシル-トイタによる心と体に響く新しい食の価値共創拠点 第2回ワークショップ・第3回CCCワークショップ

2024-02-11 | アイヌ民族関連

共同通信PRワイヤー2024/2/10 21:07

https://www.j-cast.com/other/a05_prwire/2024/02/10477829.html

室蘭工業大学にて2024年3月4日(月)に開催

アシル-トイタによる心と体に響く新しい食の価値共創拠点 第2回ワークショップ&第3回CCCワークショップのご案内

 室蘭工業大学(学長:空閑 良壽)では、令和6年3月4日(月)に室蘭工業大学教育・研究3号館(N棟)N401講義室において「アシル-トイタによる心と体に響く新しい食の価値共創拠点(以下「アシル-トイタ拠点」)」第2回ワークショップを開催します。

 第2回ワークショップ終了後、クリエイティブコラボレーションセンター(以下「CCC」)主催の第3回CCCワークショップを開催します。

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202402096410-O3-7P5k0BkZ

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202402096410-O4-rwAl4L39

アシル-トイタによる心と体に響く新しい食の価値共創拠点 第2回ワークショップ

 国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)の代表機関として、令和4年10月25日よりプロジェクトを開始した「アシル-トイタ拠点」による普及事業の一環として、アイヌ文化に焦点を当てたワークショップを開催します。

〇開催日時:2024年3月4日(月)9:00~11:55

〇開催場所:室蘭工業大学教育・研究3号館(N棟)N401(会場定員200名)+オンライン(Zoomウェビナー)

〇参加費:無料

〇申込方法:オンラインフォーム 令和6年2月26日(月)〆切

 室蘭工業大学は、北海道の先住民であるアイヌの知恵と人文学・社会科学・科学技術の異分野連携による《総合知》の要となり、技術革新と新たな価値を社会に生み出すことを目指しており、本ワークショップではその第一歩として、北海道の先住民であるアイヌの歴史・現状の理解促進を趣旨としています。

 「アシル-トイタ拠点」第2回ワークショップの詳細については、「アシル-トイタ拠点」公式noteを参照ください。

 また、第2回ワークショップの申込については、オンラインフォームからお願いします。

クリエイティブコラボレーションセンター 第3回ワークショップ

 「アシル-トイタ拠点」第2回ワークショップ終了後、クリエイティブコラボレーションセンター主催の第3回ワークショップを開催します。今回は、大学の役割としても求められている「社会的インパクト(短期、長期の変化を含め、当該事業や活動の結果として生じた社会的、環境的なアウトカム)」が大きなテーマとなっております。

〇開催日時:2024年3月4日(月)13:00~17:50

〇開催場所:室蘭工業大学教育・研究3号館(N棟)N401(会場定員200名)+ オンライン(Zoomウェビナー)

〇参加費: 無料

〇申込方法:オンラインフォーム 令和6年2月26日(月)〆切

国立大学法人室蘭工業大学

プレスリリース詳細へ


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実写『ゴールデンカムイ』山崎賢人&山田杏奈 原作者・野田サトルの言葉は「とても心強かった」

2024-02-11 | アイヌ民族関連

クランクイン2024/2/10 07:00

https://www.crank-in.net/interview/140802/1

(左から)山崎賢人、山田杏奈 クランクイン! 写真:上野留加

実写『ゴールデンカムイ』山崎賢人&山田杏奈 原作者・野田サトルの言葉は「とても心強かった」 の

フォトギャラリーを見る(12枚)

 野田サトルの大人気漫画が、豪華キャスト×本気の熱量×圧巻のスケールで実写映画化された。全国公開中の映画『ゴールデンカムイ』は、日露戦争直後の北海道を舞台にしたアクション大作。戦争帰りの陸軍兵・杉元佐一(山崎賢人)とアイヌの少女・アシリパ(山田杏奈)がバディを組み、大日本帝国陸軍第七師団や元新撰組の土方歳三と莫大な金塊の争奪戦を繰り広げる。『HiGH&LOW』シリーズの久保茂昭監督、山崎・山田・眞栄田郷敦・矢本悠馬・玉木宏・舘ひろしといった顔ぶれが集結した本作。山崎と山田が、作品愛にあふれた現場を原作者の野田との交流も含めて振り返る。

【写真】黒のスーツ姿がよく似合う、スタイル抜群の山崎賢人全身ショット

■スタッフの愛が詰まった撮影現場に

――漫画『ゴールデンカムイ』は設定の面白さから熱量に至るまで、一言では言い表せられない魅力が詰まった作品です。おふたりはどういった部分に、すごさを感じますか?
山田:それぞれのキャラクターの濃さや食事など、さまざまな要素が複雑に組み合わさっていながら、「金塊を見つける」という軸でそれらをまとめ上げ、一つのお話として成立させているところです。そして、野田サトル先生の圧倒的な取材と知識量。この世界観を創り上げるのにどれだけの年月を費やして考え抜いたんだろう?と思ってしまうほど多くのことを調べて描かれていて、のめり込んで読んでしまいました。
山崎:僕も全く一緒です。シンプルに「面白い」の一言に尽きますが、何が面白いのかと考えてみると、アイヌ文化や日露戦争、土方歳三といった史実に基づくノンフィクションの要素に「脱獄囚に金塊の在処を記した刺青を入れた」というフィクションの設定を混ぜ合っているところかなと感じます。事実が入っていることで「こういう世界が本当にあるんじゃないか」と思ってしまうところも魅力的です。
――正直、いち原作ファンとしては「あの『ゴールデンカムイ』を実写化できるのか?」と思った瞬間はあったのですが、本作を拝見して熱量と本気度にうならされました。おふたりが現場で“ゴールデンカムイ愛”を感じた瞬間はありましたか?
山崎:スタッフさんのカメラや、休憩場所に置いてある箱など、至るところに『ゴールデンカムイ』のシールが貼ってあって、シンプルに作品が好きな人たちが集まっているんだなと感じました。さまざまな準備をしてクオリティーを上げていくというのはもちろん、そうした小さな部分にも“ゴールデンカムイ愛”があふれている現場でした。キャストもみんな原作を読み込んできて、自分が演じるキャラクターをめちゃくちゃ好きになって演じていましたし、衣装や小道具の一つひとつにもこだわっています。アイヌのコタン(集落)などは、撮影の半年以上前から美術スタッフによって一から作られました。
山田:村を一つ作っているようなものなんですよね。例えばアクションシーンにしても、アシリパをはじめ「そのキャラクターらしいアクション」を考えてくださいました。その結果、画(え)として見たときに、いかにも「これはアクションシーンです」というものではなく、日常と地続きになっていてすごくステキだなと感じました。あとはもう、久保茂昭監督がとにかく原作の大ファンなんです。現場では原作漫画がいつでも読める状態にされていましたし、私は監督お手製の「アシリパのここがいい!」が詰まった大容量の重たい資料をもらいました(笑)。
山崎:あれは(役作りの上で)助けられたよね。
山田:はい。久保監督が「すごく良かった…ありがとう」と泣きそうになりながら撮っていて、完全に“ファンの人”でした(笑)。
――山田さんは、弓矢を持ち帰って自主練習もされたそうですね。アシリパらしいアクションというのは、言語化するとどのようなものでしょう?
山田:アクション部の方と話していたのは、カッコよく決めすぎないということです。野田先生からも「バチバチに動ける感じじゃないほうがいい」というリクエストがあってその形になったそうなのですが、キレイに着地したりせずにちょっと転がったりするのがアシリパっぽいよね、と相談しながら作っていきました。山で暮らす中で身に付いた動きが一番自然かな、というのは私も思っていたことでした。
――野田先生からのリクエストもあったのですね!
山田:私たちが知らないようなところでも、野田先生と相談しながら決めていった部分がいろいろあるんじゃないかと思います。
――山崎さんは、野田先生にお会いした際に「味方ですから」と言ってもらえた、と話されていましたね。

■野田サトルが山崎賢人にかけた言葉

山崎:野田先生は何回か現場にいらっしゃっていたのですが、初めてお会いした際に「いろいろな意見があるかと思いますが、自分は味方ですから」と言ってくださり、とても心強かったです。そのほか、日露戦争中の日本人の闘志のお話もしていただきました。野田先生の曽祖父の方が、“杉本佐一”というお名前で、実際に日露戦争に行かれたそうなのですが、僕自身が杉元の衣装を着てお会いした際に「ひいおじいちゃんに会えた気分です」と言っていただき、うれしかったです。
――ステキなお話ですね。アクションなどにおいて、「不死身の杉元」感はどうやって作り出していったのでしょう。
山崎:アクション監督の下村勇二さんと話し込んで、二○三高地の戦い(日露戦争における最大の激戦)で杉元の人格が変わってしまったという点に着目し、「狂気」をキーワードに構築していきました。「やられる前に絶対にやる」という状況の中で生き残った狂気と生命力が「不死身の杉元」に説得力を持たせるため、二○三高地の戦いはワンカットで撮影しよう、という話になりました。どれだけダメージを負っても敵を殺し続けて、「俺は不死身の杉元だ!」と叫ぶ冒頭シーンで、そのすごみを感じていただけたらと思います。日露戦争終結後、金塊探しに出てからは一見穏やかな日常に戻っているようにも映りますが、何かあったらすぐにスイッチが入ってしまう狂気は常に出せるようにしたい、と思いながら臨んでいました。
――本作の撮影は長期間にわたるかと思いますが、その間もアクショントレーニングはされていたのでしょうか。
山崎:そうですね。
山田:撮影の合間にアクションの型の練習をされていましたよね。「山崎さん、すごいな」と思いながら見ていましたが、型はすぐ覚えられるものなんですか?
山崎:いや…何とか乗り切った感じだった(笑)。今回は銃剣もあれば素手でのアクションもあったから、難しかったです。特に苦労したのが、間合いです。『キングダム』ではずっと剣を持っているので剣の間合いが多かったのですが、今回は銃剣を持った際の間合いと、素手の間合いをつかまないといけませんでした。素手での戦闘においては、柔道や柔術といった日本の武道を練習させていただいて、それを基礎とする動きを作っていきました。
――杉元とアシリパのバディ感が出来上がっていくのも、本作の見どころの一つです。
山田:「こうしていこう」みたいに細かく話したりはせず、一緒のシーンが多い中で自然とバディ感が出来上がっていきました。夜にヒグマとの対決シーンを撮ってから杉元とアシリパの出会いのシーンを撮るなどの前後はありましたが、序盤のシーンから入れたことも大きかったと思います。
山崎:物語自体がふたりが出会うところから始まりますしね。これが仲良いところから始まる話だったら「どうする?」と相談したかと思いますが、お互いの演技を見て対応していく中でスムーズに関係性が出来上がっていきました。
(取材・文:SYO 写真:上野留加)
 映画『ゴールデンカムイ』は全国公開中。
※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記
※アシリパの「リ」は小文字が正式表記


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「グリセルダ」とは何者だったのか、70年代のコカイン帝国の女王

2024-02-11 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック2024.02.11

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/020600075/

元ネタにしたNetflixのドラマが人気、コロンビアの“ゴッドマザー”の真相

グリセルダ・ブランコは、自身の夫3人を含め、全米で40人の殺害に関与した疑いがもたれている。彼女は最盛期には月8000万ドルものコカインを売りさばいた。(PHOTOGRAPH BY GDA/EL TIEMPO/COLOMBIA/AP)

 ゴッドマザー。ブラック・ウィドウ。クイーンピン(組織のかなめとなる女性)。グリセルダ・ブランコに与えられた数々の異名や通称は、コロンビアから米国までを席巻した、10億ドル規模の血塗られた麻薬帝国を率いる中で、彼女が手にした悪名を物語っている。

 最近ではネットフリックスでドラマ「グリセルダ」の題材としてもとり上げられた、暴力的な世界でのし上がっていく彼女の生涯の物語は、真実と虚偽とがないまぜになっている。神話の裏に隠されたほんとうのグリセルダとは、どんな女性だったのだろうか。(参考記事:「映画にも、オセージ族連続怪死事件とは、米先住民60人超が犠牲に」

身代金の受け取りに失敗して少年を殺害

 ブランコは1943年2月15日、コロンビアで生まれた。それからまもなく、彼女の祖国は「ラ・ビオレンシア」によって徹底的な破壊に見舞われた。ラ・ビオレンシアとは、1948年4月9日、人気政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタンがボゴタの街で暗殺されたことをきっかけに始まった暴力と社会不安の時代のことであり、10年後に終結するまでに殺害された人の数は20万人にのぼった。

 こうした暴力を背景として、ブランコは大人になった。歴史家のエレイン・キャリー氏が著書『Women Drug Traffickers(女性麻薬密売人)』で指摘している通り、ブランコと同世代の女性たちは、「権力は多くの場合、暴力行為によってもたらされる」ことを身をもって学んでいた。

 コロンビアの都市メデジンの貧困層として成長したブランコは当初、さほどの力はもっていなかった。11歳で犯罪の世界に足を踏み入れたきっかけは、地元の少年を誘拐した後、身代金の受け取りに失敗して彼を殺害したことだったとされる。その後、彼女の経歴には、スリや偽札づくりが加えられていった。

 ブランコは、書類の偽造と人身売買で暮らしていたカルロス・トルヒーヨと出会い、やがて結婚する。この結婚は3人の子どもをもたらしたが、結局は離婚に終わった。そして1970年代半ばには、トルヒーヨはすでにこの世を去っていた。死因は健康問題だったとされる一方で、そこにはブランコがかかわっていたという主張もある。

「白い黄金」を商売に、最盛期の売上は毎月8000万ドル

 1970年代のディスコブームが、コカインなどの違法薬物の市場拡大に火をつけた。70年代半ばには、コロンビアはコカイン取引の中心地として台頭し、とてつもない富と危険をもたらした。

 2番目の夫となった麻薬密輸業者のアルベルト・ブラボーとともに、ブランコは米ニューヨークを拠点とするコカイン帝国を築いた。彼らのビジネスを支えていたのは、麻薬を隠せるよう特別にデザインされた下着を着て国境を越える密輸人たちだった。

 帝国が成長するにつれ、ブランコとブラボーの関係は悪化した。具体的にどんなことが起こったのかについては議論の余地が残っているものの、ブラボーは1975年に殺害された。ブランコは後に、自分が彼の口に銃弾を撃ち込んだと主張している。

ギャラリー:「グリセルダ」とは何者だったのか、70年代のコカイン帝国の女王 写真6点(写真クリックでギャラリーページへ)

 ブラボーの死により、グリセルダ・ブランコには「ブラック・ウィドウ(黒い寡婦)」、すなわち、夫を殺して消し去った女性というイメージが定着した。

 最盛期には、ブランコの麻薬ネットワークは毎月8000万ドル相当のコカインを売りさばいていた。彼女の最大の市場はニューヨーク、マイアミ、ロサンゼルスだった。

 コカイン帝国の繁栄により、ブランコは「ゴッドマザー」と呼ばれるようになった。映画『ゴッドファーザー』に登場するヴィトー・コルレオーネにちなんだニックネームだ。ブランコ自身もこれを気に入っていたようで、1978年に出産した4人目にして最後の子どもに、マイケル・コルレオーネという名前をつけている。

「コカイン戦争」の戦場と化したマイアミ

 暴力こそが、ブランコが帝国を築き、維持するための基盤だった。そしてその暴力によって、マイアミは麻薬戦争の戦場と化した。(参考記事:「フィリピン麻薬戦争、貧民街を狙う姿なき殺人者」

 特に多くの衆目を集めた事件は、1979年7月11日に起こった射殺事件だ。2人の男が、おそらくはブランコの命令によって、マイアミのデイドランド・モールにある酒販店でコカインの売人とそのボディガードを抹殺した。

 マイアミで起こった別の事件は、ブランコの子どもを蹴ったとされるヘスス・カストロの殺害命令に端を発していた。しかし、1982年、彼女が雇った殺し屋は誤ってカストロの2歳の息子ジョニーを殺してしまった。

 殺し屋のひとりであるホルヘ・アヤラによると、ブランコはこの手違いのニュースを聞いて喜んだという。「最初は、父親の殺害に失敗したことでひどく腹を立てていました。しかし、誤って息子を殺してしまったと告げたところ、それはいい、これでおあいこだと言ったんです」

 ブランコの子どもたちは、暴力を直に目撃していた。1983年、ブランコは3番目の夫ダリオ・セプルベダの殺害を命じたと考えられている。セプルベダはコロンビアで、5歳の息子マイケル・コルレオーネの目の前で殺された。

 当局は、ブランコがかかわった殺人は、米国全土で少なくとも計40件にのぼると考えていた。

ブランコの転落

 少なくともしばらくの間、ブランコは先手を打つことで法の手を逃れ続けた。

 米国麻薬取締局は情報提供者と協力してブランコの行方を追い、彼女に対する立件準備を進めた。

 当局は1985年2月17日、米カリフォルニア州アーバインでブランコを逮捕し、その後行われた裁判で、彼女は懲役15年の刑を言い渡された。その9年後には、ジョニー・カストロおよび麻薬の売人アルフレード・ロレンツォ、グリゼル・ロレンツォ夫妻殺害の容疑により、追加の告訴がなされた。

 ブランコは2004年にコロンビアに強制送還され、メデジンの富裕層が暮らすエルポブラド地区で、8年にわたって静かな生活を送った。

 2012年9月3日、69歳のグリセルダ・ブランコが、メデジンの肉屋から通りに出た。突然、2発の銃声が響いた。バイクに乗った暗殺者たちの銃から発せられたもので、彼らはすぐに現場から逃走した。ブランコは倒れた。メデジンの貧しい通りから血まみれの道を切り開いてきた女性はついに、同じ街の通りでその命を終えた。(参考記事:「麻薬王がのこした「コカイン・カバ」 自然環境に貢献?」


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ゴールデンカムイ展、仙台できょう開幕…谷垣ニシパの「アットゥシ」展示も

2024-02-11 | アイヌ民族関連

読売新聞2024/02/10 10:24

 明治末期の北海道・樺太を舞台に、金塊争奪戦を巡る元兵士とアイヌ少女らの活躍を描いた人気漫画の展覧会「連載完結記念 ゴールデンカムイ展」が10日、仙台市宮城野区のTFUギャラリーミニモリで開幕する。

カラーイラストなどが多数展示され、作品の世界にひたれる(いずれも(c)野田サトル/集英社)(9日、仙台市宮城野区で)

 「ゴールデンカムイ」は週刊ヤングジャンプ(集英社)で2014~22年に連載され、全31巻の累計発行部数は2700万部(1月時点)。元兵士で「不死身」の異名を持つ杉元、アイヌの少女アシㇼパらが繰り広げる金塊争奪戦を軸に、歴史や狩猟グルメ、ギャグなど様々な要素が絡み合う物語だ。丹念な取材に基づくアイヌ文化の描写への評価も高い。アニメ化もされ、実写映画も公開されている。

 会場では、120点以上のイラストのほか、作者の野田サトルさんが作画の参考に集めたアイヌの民具や衣服などの実物資料が展示されている。網走監獄をイメージした空間などもあり、物語を追体験できる。

 また、全国6か所目となる今回の仙台会場では新たな展示も。野田さんのお気に入りのキャラクターで、秋田出身のマタギ・谷垣源次郎が作中でもらったアイヌの着物「アットゥシ(樹皮衣)」だ。野田さんの私物で、愛にあふれるコメントも添えられている。

 3月24日まで。新作グッズの販売もあり、コラボカフェ(別会場)も初めて開催される。チケットは、10、11日は日時指定制でローソンチケット、12日以降の分はセブンチケットでも購入できる。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20240210-OYT1T50008/


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