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アイヌ舞踊、バッタの動きも 保存会、帯広競馬場で披露

2024-02-25 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年2月24日 21:44(2月24日 22:21更新)

バッタの動きをまねた舞を披露する保存会のメンバー(加藤哲朗撮影)

 帯広市内のアイヌ民族らでつくる「帯広カムイトウウポポ保存会」が24日、帯広競馬場でアイヌ民族の古式舞踊を披露した。

 古式舞踊は先祖や神々への敬意や感謝を示す踊りで、国の重要無形民俗文化財に指定されている。アイヌ文化の理解促進のため、保存会は2020年から競馬場での披露を続けている。

 保存会のメンバー8人が伝統衣装に身を包み、手拍子やかけ声に合わせて、弓矢を手に狩猟の様子を表現する踊り「クリムセ」や豊年祈願の踊り「エリリムセ」などを踊った。

 明治時代に大量のバッタが十勝地方で異常発生した時の様子を残そうとつくられた舞「バッタキウポポ」も上演した。・・・・・

(鈴木宇星)

※クリムセとエリリムセのムは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/979279/

 


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吉田美月喜、映画『カムイのうた』でアイヌ役に挑戦「地元の方に認めてもらえるのか不安だった」

2024-02-25 | アイヌ民族関連

エンタメ2024/02/24

映画やドラマなど話題作に出演し注目を集めている女優・吉田美月喜。現在公開中の映画『カムイのうた』ではアイヌ民族が詠い継ぐ“ユーカㇻ”を日本語に訳し、19歳でこの世を去る主人公を演じている。今回、映画を通じて学んだアイヌ文化と役への想いを語ってくれた。

【写真】『カムイのうた』でテルを演じた吉田美月喜 撮り下ろし写真【6点】

──映画『カムイのうた』で主人公・テルを演じてみて、いかがでしたか?

吉田 まずお話をいただいた時、私はアイヌ文化について詳しくなかったので、まずそこから勉強を始めました。そしてテルのモデルである知里幸惠さんのことも勉強して、役作りを進めていきました。撮影当時私は19歳で、知里さんが亡くなられたのも19歳。知里さんはいろんなものを抱えそれを命をかけて残していった方なので、知れば知るほど彼女の強さに惹かれましたし、同時に「自分よりもずっと大人だな」という印象も受けました。

ただ、実際に北海道へ行き「知里幸惠 銀のしずく記念館」で勉強させていただくと、そこには家族との可愛らしい手紙のやりとりだったり、19歳らしい一面も見えてきて。最初は遠い存在に思えたけれど、次第に自分に近い部分も見つけられて、親近感を持って演じることができました。

──演じる上で、菅原浩志監督からはどのような指示がありましたか?

吉田 菅原監督はリアルさを追求される方でした。作品内で私はムックリというアイヌ民族の楽器を演奏しているんですけど、一般的に映像作品では音は別に録って差し替えることが多いと思うんです。でも監督は「絶対に吉田さんの音で、現場で録ったものしか使わない」とおっしゃって。なので私はムックリの音を鳴らすところから練習を始めて撮影に臨みました。

あと、着物を着るシーンや袴をたたむシーンなど、日常的な動作は練習してほしいと言われたので、私も毎日家で動画を撮って練習しました。アイヌ文化を知らない私にとってはとても苦労しましたが、だからこそリアリティのある作品になったと思っています。

──撮影も北海道で行なったんですよね。

吉田 はい、夏と冬に北海道へ行って撮影しました。夏は1カ月間滞在して、とても過ごしやすかったです。私は時代物の作品に挑戦するのが今作が初めてだったので、どのように気持ちを切り替えればいいんだろうと最初は悩みました。でも実際に北海道に行ってみて、その景色に助けられました。普段自分が見ている景色ではないからこそ、作品の世界観に入り込みやすかったなと思います。

──冬場の撮影はいかがでしたか? 夏と比べて、きっと厳しい環境だったと思うのですが。

吉田 そうですね、とにかく寒かったです。私は袴の下に現代の温かいインナーを着て撮影をしましたが、当時の方はどのようにこの寒さをしのいでいたんだろう? と思いました。また、当時使われていたものと同じ藁のブーツを履くシーンもあって。藁なのに水や雪が中にまったく入ってこなくて、アイヌの方の生活の知恵というか技術の高さに驚きました。

──『カムイのうた』は昨年11月より北海道で先行上映され、今年1月から全国上映が開始。吉田さんのもとにも感想や反響が届いているかと思います。

吉田 北海道先行上映の初日に、舞台挨拶に回らせていただきました。北海道はこの作品の舞台ですし、アイヌの血筋の方も多く観に来てくださったので、私は「果たして認めてもらえるのだろうか」と不安でした。でもいざ上映後に登壇すると、皆さん涙を流してくださったり、挨拶の言葉にも真剣に耳を傾けてくださって。地元の方に認めていただけたのはとてもうれしかったです。東京での上映が始まってからは、私の友達も映画を観てくれました。

最近はアニメなどでアイヌ文化が広まりつつありますけど、実際にアイヌの方々が受けていたことについて、私の世代は知らない子が多いんです。その友達が「こんな歴史があったなんてびっくりした。映画を通して知れてよかった」と言ってくれたのもうれしかったですね。

──吉田さん自身もこの作品を通してアイヌ文化や歴史に触れ、考えたことも多いと思います。

吉田 今作で共演した加藤雅也さんが、舞台挨拶で「この映画は当時の和人を悪く言っているわけでもないし、もちろんアイヌの方々を悪く言っているわけでもない。どちらにも正論があり、それがぶつかってしまっているだけなんだ」とおっしゃっていて、その通りだなと私も思いました。

当時の和人がアイヌの方々にしたことは許されることではないけれど、どちらも同じ人間なんだから、お互いに知ろうと努力したり歩み寄る気持ちを持っていればまた歴史は違っていたのかな、って。怖がらず、知ろうとすることが大切なんだとこの映画を通して私は感じました。

──改めて、『カムイのうた』はどんな作品になってほしいですか?

吉田 まず私は、日本でこういうことがあったと知ってショックであり驚きました。きっと知らない方も多いと思うので、知っていただきたいという思いが大きいです。またこの作品がアイヌ民族の方にとって意味のあるものになればうれしいです。大ヒットしてほしいというよりは、長く広く、じっくり知っていただき愛してもらえる映画になったらいいなと思います。

https://entamenext.com/articles/detail/30497


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注目集めるアイヌ料理:「魚のチタタプ」 調理法はアニサキス対策にも?

2024-02-25 | アイヌ民族関連

tsurinews2024年2月24日

漫画や映画の影響で注目を集める「アイヌ料理」。ジビエを使ったワイルドな料理のイメージが強いですが、我々にもとっつきやすそうな「魚料理」もたくさんあります。

(アイキャッチ画像提供:PhotoAC)

いま注目されるアイヌの魚料理

先日より、北海道を舞台とした漫画作品やそのアニメ、映画の影響を受けて注目が高まっている「アイヌ料理」。北海道の先住民族であるアイヌは狩猟採集を生業とし、非常に濃厚な食文化を現代まで伝えてきているのですが、それを再現してみたい、あるいは食べてみたいという需要が高まっているのです。

アイヌ料理といえば、ヒグマやエゾジカなどの哺乳類を狩りその肉を食べる「ジビエ料理」のイメージが強いようです。しかし実際は、海の近くに住んでいたアイヌたちは海の幸である魚を盛んに食べてきたため、様々な魚料理が存在します。

なかでももっとも有名なものは「ルイベ」でしょう。アイヌたちは「ルイペ」と呼んでいたこの料理を簡単に説明すると「凍った刺身」。凍らせた魚を薄くスライスして食べるこの料理は、北海道では今でも様々な魚で作られています。

なめろうのような「チタタプ」とは

さて、このルイベほどには一般的に知られていないものの、アイヌ料理に興味がある人ならほぼ全員が知っている調理法があります。それはチタタプ。

チタタプとは「我々が叩くもの」という意味で、食材を刃物で細かく切り刻み、ミンチ状にしたものです。アイヌはこれを肉から魚まで幅広い食材で作り、時には骨も内臓もまるごと叩き込みます。

彼らは一般的に、叩いたものをそのまま食べると言いますが、時にはそれを煮込んでスープにすることもあったそうです。ミンチにすることで組織が破壊され、旨味が溶け出しやすくなるので、非常に美味しいスープになったと思われます。

チタタプにされる魚とは

魚でチタタプを作る場合、よく使われたと言われているのが「ニシン」と「サケ」です。いずれも時期になると浜に大量に押し寄せるため、様々な料理で食べられていましたが、チタタプもそのひとつだったのでしょう。

魚をチタタプにする際は、中骨も一緒に入れ、丁寧に叩いてミンチというよりペーストに近いレベルまで潰したそうです。サケに関しては内臓も入れ、頭部の先端の軟骨部や鰭までも丁寧に叩いてまるごと食べたと言います。カルシウムやミネラル、ビタミン類を効率的に摂取できる素晴らしい料理だったでしょう。

チタタプにすると「アニサキス中毒を防げる」という利点もありそうです。アニサキスは北の魚に多い寄生虫で、ニシンやサケにも多く生息しています。しかし彼らは少しでも傷がつくと死んでしまうため、包丁で細かく叩いていくことはアニサキスの殺虫にもつながるのです。

<脇本 哲朗/サカナ研究所>

https://tsurinews.jp/289366/


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「性的暴行の被害は他の人種の2倍」アメリカ先住民女性の変わらぬ現実

2024-02-25 | 先住民族関連

Rolling Stone 2024/02/24 21:30MAGGIE FRELENG 

刑務所から釈放され、審理無効請求の結果を待つオデリア・キュイザンスさんとネリッサ・キュイザンスさん(COURTESY OF ODELIA QUEWEZANCE AND CASSI BLACK ELK)

脆弱な立場の女性が人種差別的な起訴の標的にされるのを防ぐために対策を講じるべき、とピューリッツァー賞受賞者でジャーナリストのマギー・フレラングが本誌に寄稿記事を寄せた。

【動画を見る】ほぼ全裸の女性が一方的に殴られる姿を捉えた映像

2022年2月19日、ノースダコタで暮らす先住民女性カサンドラ・ブラックエルクさん(当時29歳)が目を覚ますと、隣で寝ていた3歳の娘のスターライトちゃんが身動きしていなかった。母親なら誰もが恐れる悪夢だ。だがブラックエルクさんにとっては、ほんの序章に過ぎなかった。

警察は10分もしないうちにブラックエルクさん宅に駆けつけると、彼女を尋問し始め、我が子に危害を加えたいきさつを話せと迫った。誰も娘に危害など加えていません、と彼女は答えた。上の子2人を寝かしつけ、末っ子にミルクを与えてから自分の隣に寝かせました。翌朝6時ごろに目を覚ましたら、娘は冷たくなって身動きしていなかったんです、と。

納得しない警察官はブラックエルクさんをビスマルク警察署に連行した。1回目の事情聴取は苦痛の3時間だった。ブラックエルクさんの話では、警察は彼女を威圧して、誰かがスターライトちゃんに危害を加えたはずだと主張した。現場に駆けつけた警官は医療訓練を受けておらず、遺体の検視結果もまだ行われていなかったにもかかわらず、警察は赤子の身体にあざやキズがあったと告げた。

警察のいうことが信じられなかったブラックエルクさんが検視報告書を見たいと要求したところ、警察からの圧力は余計に増した。スターライトちゃんに危害を加えたことを自白しないと、残る2人の子どもを取り上げるぞと警察は脅した。最終的には弁護士からも、2人の子どもを手元に残しておきたいなら育児放棄の重罪で有罪を認めたほうがいいと勧められた。ブラックエルクさんは司法取引に応じ、懲役5年が言い渡された。

ブラックエルクさんが再三請求したにもかかわらず、スターライトちゃんの検視報告書は見せてもらずにいた。弁護士にも死因報告書を入手するよう何度も頼んだが、無視された。その後の裁判資料によると、弁護士は「後で何とかする」と彼女に伝えていた。

悲しみに沈んだブラックエルクさんは、当局や弁護士から不当な扱いを受けたことで、自分の苦しみを気にする人は誰もいないのだと感じたという。「スターライトがなぜ死んだのか、誰も気にしていなかったと思います」。

ブラックエルクさんの有罪が確定し、刑務所に収監された後、ようやく最終検視報告書が公開された。そこには彼女がさんざん訴えてきたことが結論づけられていた。スターライトちゃんの死因は虐待や育児放棄ではなく、乳児突然死症候群(SIDS)だったのだ。

社会制度や法体系に刷り込まれた組織的人種差別や性差別に直面する先住民女性には、しばしば悲惨な結果が待ち受けている。私もジャーナリストの活動を通じて、またLava for Good配信のpodcast「Wrongful Conviction」の司会者として、こうした危機を何度となく見聞きしてきた。ブラックエルクさんの事件を知ったのもpodcastがきっかけだった。アメリカでは、先住民の女性や少女の殺人事件は他の人種の10倍も多い。連邦司法省研究所の報告書によると、先住民女性は5人に4人、あるいはそれ以上の割合で暴力の被害に遭っている。アメリカインディアン国民会議(NCAI)によると、先住民女性がレイプや性的暴行の被害に遭う確率は他の人種の2倍だ。

人口全体に占める割合はごく少数であるにもかかわらず、カナダやアメリカの女性受刑囚は圧倒的に先住民女性が多く、受刑囚のほぼ半分を占めている。さらに言えば、過去30年間に冤罪が認められた女性のうち約71%は、犯してもいない罪で収監されていた――ブラックエルクさんもその1人だ。

これは制度全体が何世代にもわたって先住民を不当に扱い、苦しめてきたひとつの例に過ぎない。アメリカやカナダでは、今でも「先住民居留地」という形で人種隔離政策が行われている。

居留地が設立された当時、植民地政策を進める国々は力づくで原住民を所有地から追い出し、制限された狭い土地の中だけで暮らすよう強制した。だが先住民は、自分たちが暮らす土地――収入源や自立性の源となる資産――の所有権を認められなかった。こうして財政的権利を奪われた先住民は、他のどの人種よりも貧困率が高くなった(全米平均のほぼ2倍)。

だが、こうした先住民に対する「よそ者扱い」は居留地に限った話ではない。ネイティブアメリカンの若者を家族から引き離し、「寄宿学校」に入れるということが1世紀以上も行われた。こうした学校の目的は強制同化で、子どもたち――最年少はわずか4歳――は生まれた時の名前、長髪、母語や文化を奪われた。

このような寄宿学校で身体的・性的虐待を経験した子どもも多い。1990年代末に最後の寄宿学校が閉鎖されたが、その後アメリカやカナダの寄宿学校周辺では、先住民の子どもの集団墓地が発見されている。

オデリアさんとネリッサさんのキュイザンス姉妹は、カナダのサスカチュワン州にあるソルトー族キースクース・ファーストネーションの出身で、子どもだった70年代と80年代にむりやり寄宿学校に入れられた。幼少期の心理的トラウマで、2人は麻薬や酒に安らぎを求めるようになった。ネリッサさんの場合は身体的な傷も伴った――寄宿学校でひどく殴られたため、脊柱側弯症になってしまったのだ。

キュイザンス姉妹もブラックエルクさんと同じように、自分たちが犯してもいない罪で不当に起訴され、有罪判決を受けたのだ。1993年2月、姉妹は76歳のアンソニー・ドルフさんを殺害した罪で終身刑を言い渡された。

警察は真犯人の正体を知っていたにもかかわらず、オデリアさんとネリッサさんは有罪判決を受けた。警察は姉妹の従兄弟にあたるジェイソン・キーシェイン(当時14歳)の自供を録音していた。キーシェインは証言台でも同じ内容を繰り返した。自供によると、彼は姉妹と外出していたが、ドルフさんが姉妹に言い寄り、ドルフさん宅で一緒に酒を飲んでいたという。

なくなった金が原因でドルフさんと口論になったため、殺害したとキーシェインは自白した。姉妹は殺害に関与していないとも供述した。

この時の供述を録音していたにもかかわらず、警察はキーシェインが姉妹の関与を吐いたと嘘をつき、詰問した。裁判資料によると、拘束時間は司法省の命令で法律上24時間までと決められているが、これに反して姉妹は5日間も留置所に勾留された。尋問に当たった警察官はみな白人男性で、弁護士の同席はなかった。録音機材も準備されたが、警察は事情聴取をうっかり――あるいはあえて――録音していなかった。姉妹は圧力に屈し、アンソニー・ドルフさん殺しの自供調書に署名したという。殺人事件の冤罪の原因で一番多いのが、こうした虚偽の自供だ。

「体格のいい毛むくじゃらの白人男性が姉妹をひっきりなしに留置所から連れ出し、尋問しては勾留し、また尋問するということを何日も繰り返しました」と語るのは、冤罪被害者を救済する団体「イノセント・カナダ」の創設ディレクター、ジェイムズ・ロックイヤー氏だ。有罪判決以降、姉妹の弁護人も務めている。「警察は自分たちの望みをよく分かっていた。自分たちのしていることも承知していた。ドルフ氏殺害につながるようなことを、2人の若い女性に言わせなくてはならなかった……威嚇戦術が行われていたことは疑いようもありません」。

警察が供述内容だと言う書面にもとづき、1年後オデリアさんとネリッサさんは全員白人の陪審員から有罪判決を言い渡された。当局に逆らってはいけないと叩きこまれたキュイザンス姉妹は、裁判でも証言台で警察に反論するのを恐れた。有罪が確定した当時、2人はそれぞれ21歳と18歳だった。その後30年間近く、姉妹は無実を訴え続けた。

ブラックエルクさんも自由への戦いをあきらめなかった。不十分な弁護と検視報告書の結果をふまえ、新たに任命した2人の弁護人と「グレートノース・イノセント・プロジェクト」の手を借りて有罪確定後の救済請求を申し立てた。判事は再審開始までブラックエルクさんを釈放するよう命じた。

2023年1月30日、ボーゲン判事はブラックエルクさんの司法取引取り下げ請求を認めた。そして10カ月後の10月9日、州は公訴無効の手続きを行い、彼女の有罪記録を抹消。翌日ブラックエルクさんは釈放された(ビスマルク警察署はローリングストーン誌に宛てたメールの中で、自分たちの仕事は容疑者を事情聴取するだけで、事情聴取での情報がどう扱われたかを判断するのは刑事司法の役割だと指摘した。「最終的には刑事司法の判断次第です。今回の場合、結果的として公訴無効となりました」(ブラックエルクさんの元弁護人にもコメントを求めたが、返答はなかった)。

キュイザンス姉妹は晴れて釈放されたが、裁判はまだ終わっていない。拘束から30年近く経過した2023年3月、姉妹は条件付きで釈放された。判事は判決文の中で、寄宿学校で2人が過ごした時間やグラデュー公判[訳注:カナダ刑法で、先住民に対する刑事訴訟のこと]の要因(人種差別、身体的虐待、文化および家族との隔絶、麻薬およびアルコール依存症など、先住民が直面する問題)を釈放判決の理由に挙げた。

姉妹は今も裁判無効の審理の結果待ちだ。

こうした事件により、制度的人種差別で先住民が被った損失や悲劇が明るみになる中、変化を求める動きも見られている。アメリカのデブ・ハーランド内務長官は2021年にネイティブアメリカン初の入閣を果たし、歴史に新たな1ページを刻んだ。同じ年、長官はただちに行動を起こし、すべての連邦政府の所有地から先住民女性に対する蔑称「squaw」という名称を削除した。また「インディアン寄宿舎学校連邦対策部」を設置し、旧ネイティブアメリカン寄宿舎学校で行われていた虐待の捜査を開始した。

先住民女性初の連邦下院選挙で当選した議員の1人、シャリース・デイヴィッズ議員も法改正を強く呼びかけた。2020年にはデイヴィッズ議員、ハーランド長官、トム・コール議員、マークウェイン・ムーリン議員が(いずれも連邦政府公認の先住民族)「Not Invisible Act」を提出。未解決のまま放置されがちな先住民女性の失踪・殺害事件への注意喚起を促すこの法案は、4人の尽力で可決された。

ハーランド長官はメリック・ガーランド司法長官の協力のもと専門委員会を立ち上げ、事件被害者や被害者家族向けのリソースの拡大や、ネイティブアメリカンやアラスカ先住民の間に蔓延する失踪、殺人、人身売買の撲滅に当たっている。

支援者や政治家により少しずつ前進が見られたことで、カサンドラ・ブラックエルクさんやキュイザンス姉妹のような事件に希望の光が差し込んでいる。彼女たちをはじめ無数の女性たちの経験は、痛みや不正義まみれだとしても、決して無駄には終わらないだろう。彼女たちの経験により、制度改革が喫緊の課題であることが明るみになった。

政策転換であれ、法改正であれ、冤罪証明であれ、ひとつひとつの前進が未来への1歩となる。将来的には、こうした悲劇も目の前の現実ではなく、歴史的注釈となるだろう。我々に課された義務はこうした事件に関心を払い、先住民に不正義をもたらす制度上の障壁や文化的偏見の排除に奔走する政治家や活動家を支援すること。そうすることで、社会全体が力を合わせ、同じ悲劇を繰り返さないだけでなく、全ての人々、とりわけもっとも虐げられた人々の正義と平等を維持する社会を構築することができるのだ。

関連記事:米ポルノ業界、人種差別の赤裸々な実態

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/40589


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