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台湾・牡丹小児童らアイヌ民族博物館で交流-白老

2016-01-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2016年 1/28)

アイヌの遊び踊りで交流する子どもたちと担い手研修生
 台湾屏東県の牡丹国民小学校(楊瑞麟校長)の児童ら22人が26日、白老町のアイヌ民族博物館を訪れ、担い手育成事業の生徒や同館職員と歌や踊りなどを通じて交流した。昨年11月に台湾国立原住民博物館「文化園区」との博物館協定を踏まえた国際交流事業の第1弾。子どもたちは夕方まで館内に滞在し、相互交流を楽しみながらアイヌ文化への理解を深めた。
 来館したのは牡丹小に在籍する排湾(パイワン)族の児童13人と楊校長ら教職員、台北大学の楊孟哲教授など。
 児童らは赤を基調とした鮮やかな民族衣装で到着。伝統家屋チセで行われた歓迎セレモニーでは、野本正博館長が「きょうは1日ゆっくりとアイヌ文化に触れ、交流を楽しんでください」とあいさつ。楊校長も「北海道は本当に寒いが、温かく迎えてくれて感謝している。皆さんもいつか牡丹に来てください」などと感謝の言葉を述べ、お互いに記念品を交換した。
 交流プログラムでは、担い手研修生によるアイヌの遊び踊り「ネズミの踊り」を一緒に踊った後、牡丹小の子どもたちが見事なハーモニーで祝いの地元歌を披露。排湾族の童謡や日本のアニメソングの楽器演奏など5曲が紹介されたほか、参加者全員で台湾式による交流の踊りも楽しんだ。
 牡丹小5年の盧亮語(ルー・リャンユ)さん(11)は「珍しいものにいっぱい触れることができ、とてもよかった。小学校でアイヌ民族のことを紹介したい」と笑顔で語り、担い手研修生の新谷裕也さん(25)も「担い手として台湾の人たちと交流するのは今回が初めて。とても楽しく、子どもたちの歌もかわいらしかった」と感想を話した。
 野本館長は今回の国際交流を振り返り、「これからの先住民交流には次世代を担う人たちが取り組めるプログラムが必要。民族共生の象徴空間開設に向けてその部分を積み上げていきたい」と話した。
 交流では、アイヌ伝統料理での昼食や伝統楽器ムックリ製作なども行われ、日本の先住民であるアイヌの文化をさまざまな形で体験した。
http://www.tomamin.co.jp/20160134685

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新天地に希望、高まる移住熱 交流フェアに過去最高1万人超

2016-01-30 | アイヌ民族関連
産経ニュース 2016.1.30 07:00更新
 移住を希望する人たちに、地域の魅力を発信する「移住・交流&地域おこしフェア」が16、17の両日、東京都江東区の東京ビッグサイトで開かれた。400を超す自治体や国の機関が出展し、過去最高の1万人超が来場。新天地へ希望を抱き、熱心に耳を傾けた。(牛田久美)
                   ◇
 タレントの辻希美さん、高橋愛さんのトークで開幕。高市早苗総務相は「長い通勤時間がなくなり地方で自由を楽しむ人もいる。まず観光するもよし、名物の味を楽しむもよし。健康で幸せな生活を営めますように」と挨拶した。
 会場には全47都道府県のブースが並び、「お試し滞在はいかが」「農業での自立、支援します」と各地の方言が響いた。井戸端会議コーナーは来場者が気軽に着席。「地方の企業就職と公の地域おこし協力隊、それぞれの長所と短所は?」「失敗例こそ参考になる。情報はどこ?」と相談員らに質問が相次いだ。
 東京都港区の会社員(41)は「雪山が好きで、東京を拠点にしつつ、週3日働ける地方の2地域居住地を探しに来た。退職後の充実につなげたい」と期待を語った。
 2日目は、全国464の自治体などが集結。担当者に直接相談できるとあって、来場者は8372人を数えた。主催の一般社団法人移住・交流推進機構(JOIN)によると、初回の26年(217自治体・団体、約3600人)から大きく増えた。移住への熱は年々高まりつつある。
 北海道一のトマト産地、平取町はトマト農家になりたい夫婦を地域おこし協力隊として募集。農協が全面支援する。同町アイヌ施策推進課、阿部孝之さん(39)は「町内産のアオトラ石が青森の縄文集落、三内丸山遺跡で見つかるなど大昔から人が来る町。一緒にトマトを育てませんか」。温泉地の魅力もアピールした。
 徳島県地方創生推進課の福永史織さん(33)は「熱帯魚が泳ぐ沿岸地域から、雪が降り積もる山間地まで、徳島の四季は豊か。どんな暮らしをしたいのか、希望を聞き取って移住先を一緒に探します」。
 内閣府の調査で、地方移住に肯定的な人は全体の4割。若い世代が前向きだ。JOINは「移住に興味・関心を持つ方に適切な情報をお届けし、自分らしいライフスタイルを実現できる社会にしていきたい」と話している。
                   ◇
 ■「生きる力」 協力隊で学ぶ
 群馬県高山村の地域おこし協力隊員、林沙晶さん(25)は3月に任期満了となる。近隣に定住する予定だ。
 東京都練馬区出身。東京農大在学中に東日本大震災を経験し「生きる力って何だろうという思いが募った。物作りや火おこしなど、身になることを学びたかった」。
 平成24年、NPO法人「地球緑化センター」から同村に派遣され「緑のふるさと協力隊」として活動を開始。25年、地域おこし協力隊員に。農作業体験プログラム「むらの学校」やガイドボランティア事務局で交流業務に従事。最近は、生芋こんにゃくなどの郷土料理教室を開いた。
 林さんは「みんな親切で土を触ったこともなかった私を家族のように迎えてくれた。三並山(みなみやま)を望む田園風景も豊かで大好き」と定住を決めた理由を語った。
http://www.sankei.com/life/news/160130/lif1601300007-n1.html


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釧路市、外国人誘客モデル市に

2016-01-30 | アイヌ民族関連
読売新聞 2016年01月30日
 ◆自然、アイヌ文化活用へ
観光庁は29日、来日した外国人観光客を地方に呼び込むためにモデルケースをつくる「観光立国ショーケース」に、釧路市など3都市を選定した。来年度から5年間、国の支援を得ながら、釧路市では阿寒湖や釧路湿原といった自然環境、アイヌ文化を生かしたツアーの企画・提供など受け入れ態勢の充実を図る。
 釧路市から観光庁への提案では、カヌーや釣り、サイクリングをはじめとしたアウトドアスポーツツーリズムを推進する。無料の公衆無線LANの設置を拡大させる一方で、食事では、地場産品の使用を増やすとともに、イスラム教の戒律に沿ったハラル食の提供も進める。また、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じ、外国人観光客の好みを把握し、旅行プランの充実を図ることを強化する。
 こうした取り組みの結果として、市内の外国人延べ宿泊客数を2015年の約10万3000人から、20年には約27万3000人まで大幅に増やすとしている。蝦名大也市長は「地方都市のモデルとなるよう、多くの外国人観光客に選ばれる観光地づくりを目指す」とのコメントを出した。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20160130-OYTNT50030.html

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振動少なく快適 道新幹線報道向け試乗会ルポ

2016-01-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2016年 1/29)
 JR北海道は28日、3月26日に開業する北海道新幹線の報道関係者向け試乗会を開いた。新函館北斗駅(北斗市)―木古内駅(渡島管内木古内町)間=約35・5キロ=を往復し、新幹線車両H5系の乗り心地を体感。片道約13分と短い時間だったが、そのスピード感も確かめることができた。(報道部・澁谷賢利)
 試乗会には道内外から、テレビ、新聞、雑誌など報道関係者約200人が参加。午前9時すぎにホームに到着した車両に早速、乗り込む。取材が許可された普通車は、通路を挟んで横に普通席が2列と3列に並んでいる。多くの人を収容できる効率的なレイアウトだ。シートは、テーブルやドリンクホルダーを備えた機能的なもの。各席に電源のコンセントがあり、パソコンの利用や携帯電話の充電などができる。
 普通車の通路部の床には雪の結晶が描かれており、座席横の窓には縄文土器やアイヌ文様にヒントを得たデザインのブラインドが使用されていた。車両の共用設備として電動車いす対応の大型トイレや女性専用の化粧台なども備える。
 新幹線は、地元の北斗市商工会の関係者に見送られて新函館北斗駅を発車。滑らかな動きで、徐々にスピードを増していった。シートに座っていると、伝わる振動は少なく快適だ。車窓からは遠くに函館山が見えてきた。景色は流れるように動いていき、スピードが出ていることが分かる。同新幹線は開業区間(新青森駅―新函館北斗駅)を最高260キロで運行。この日は雪の影響で210キロが最高時速だった。
 木古内駅に滑るように到着し、駅舎に降りると、赤い和牛の姿をした木古内町のキャラクター「キーコ」がお出迎え。地元名産のあんパンや豆パン、キーホルダー、ストラップを売るお土産コーナー、観光案内のパンフレットコーナーが設置されており、地域の同新幹線に対する大きな期待がうかがえた。北海道経済活性化の起爆剤として、全国区の注目を集める同新幹線開業まで2カ月を切った。
http://www.tomamin.co.jp/20160134716

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控えめな印象の奥に不屈の意志 台湾初の女性総統

2016-01-30 | 先住民族関連
BBCニュース、台北2016年01月29日
シンディ・スイ

元法学教授は台湾の歴史に名を刻んだ。写真は、選挙中に支援者に手を振る蔡英文氏(1月14日)
かすかに背を丸めた姿勢と、控えめな物腰。59歳の蔡英文氏は一見、中国に脅威をもたらす人物とは思えない。
しかし台湾の次期総統に選ばれたこの女性は、「台湾の将来は台湾人が決めるべき」との強い信念を持つ。これは中国に真っ向から逆らう主張だ。中国は今でも台湾を統一すべき対象とみなし、必要とあらば武力行使も辞さない構えを示している。
蔡氏が台湾の主権問題で厳密にはどのような立場を取り、次の一手をどう打つのか。中国はそこを読み取る必要がある。蔡氏自身はこれまでのところ、明言を巧みに避けてきた。
蔡氏は中国にとって謎めいた存在だが、多くの台湾人にとっても得体の知れない力を秘めた、予測しにくい人物だ。
自分はスポットライトを避けて壁際を歩いていたいタイプだと語り、政界の階段を駆け上ってきた来歴を「偶然の人生」と振り返る。
蔡氏は台湾で初の女性元首となるが、ほかのアジア諸国でトップに上り詰めた女性たちと違って政治家一族の出身ではない。
父親は4回結婚。4人目の妻が蔡氏の母親だ。11人きょうだいの末っ子で、両親と多くの兄姉に囲まれた裕福な家庭に育った。
父は自動車修理業と不動産投資で成功していたが、蔡氏には広く社会に触れるため、公立学校へ通わせた。
蔡氏は30歳になるまで、学問の道を追及していた。
国立台湾大学の法学部を卒業した後、米コーネル大学で法学の修士号、英ロンドン大学経済政治学院(LSE)で博士号を取得し、後に法学の教授になった。
専門分野と英語力を見込まれて、1990年代には台湾の世界貿易機関(WTO)加盟交渉で法律顧問を務めることになる。
蔡氏はこうして、公職の世界へと一歩を踏み出したのだった。
中国本土との「小三通」
李登輝政権で国家安全保障担当の顧問役に就いた蔡氏は、李氏が提唱した中台「二国論」の策定に尽力した。中国との関係を「国と国の関係」と位置付けたこの表現は、中国側の強い反発を招いた。
次に就任した陳水扁総統の下、中台関係は最悪の状態に陥ったが、蔡氏は行政院大陸委員会のトップとして中国との協力関係を模索。そして2001年、中国本土と台湾の離島の間で直接の通商など「小三通」を解禁するという画期的な成果を上げた。後には、中台間初の直行チャーター便開通に向けて尽力した。
対中開放路線の行き過ぎも懸念されるなか、2003年にはさらに陳総統や立法委員(議員)らを説得し、台湾企業による中国への投資を合法化する法改正を実現させた。
当時、蔡氏と緊密に協力した元経済部長(経済相)の何美玥氏はこう語る。「人々が必要としていることであり、もともと非合法的には行われていることなのだから、政府は法律を作ってそれを合法的にできるようにするべきだ、というのが蔡氏の考え方だった」
「濃い緑」ではない党主席
蔡氏を知る人々は、同氏を実際的で臨機応変、そして合意形成のこつを心得た人物だと評価する。
「先頭に立って舞台に上がるタイプではないが、いったん会議の席に着けば主導権を握るのは彼女だ」と何氏はいう。
ただ台湾独立をめぐる蔡氏の立場は、周囲の人々にもはっきりとは分からない。
蔡氏のこれまでの歩みについて本にした専門家、チャンジンウェン氏は「反中派ではないし、緑色(独立を志向する民進党のシンボルカラー)が濃い人でもない。台湾の独立を支持すると発言したことは一度もない」と指摘する。
しかし一方で、台湾の民主主義を大事に思っているのははっきりしている。2008年に深刻な危機に陥っていた民進党のトップを引き受けたのも、民主主義には強い野党が不可欠との信念からだった。
当初はしぶしぶ政治に足を踏み入れた同氏が、その運命を進んで受け入れるまでに至った理由はなにか。答えを示唆するエピソードとして、蔡氏は最近の著書でとある出来事を紹介している。年配の飲食店員が自分の1カ月分の給与2万台湾ドル(約7万円)を全額、民進党に寄付したことについて、蔡氏はこう書いている。
「決して忘れません。彼女はお返しに何もいらない、ただ台湾の主権を守れるよう民進党に助けてもらいたいと言いました。自分はずっと台湾人でいたいと」
何より大事な中国
蔡氏が今後、台湾の独立を強く求めていくと予想する人はほとんどない。ただし同氏はこれまで、中国や与党・国民党からの強い圧力にもかかわらず、中国側が主張する「一つの中国」の原則を受け入れてこなかった。中国は、将来的な中台関係の基盤はこの原則しかありえないという態度だが、1992年時点の中台はこの原則を認めつつ解釈は相手に委ねることで合意した。中国側は、台湾と本土を合わせて一つの中国だと解釈している。しかし民進党は92年合意の存在自体を否定してきた。
一方で蔡氏は、民進党のそうした立場だけでなく、かつての自身の主張からも距離を置くようになっている。中国が今後も台湾にとって何より大事な国であり続けること、そして不安定な輸出状況で台湾が中国との経済協定を切実に必要としていることを、蔡氏は誰より承知しているはずだ。
国立政治大学の政治学教授、寇健文氏は蔡氏の柔軟性について、「彼女はイデオロギーの強い人物ではないと思う。とても頭の良い人だ」と話す。
それを裏付けるように、選挙期間中に中国のネット利用者が蔡氏の「フェイスブック」ページに何万件もの批判を書き込んだのに対し、蔡氏はただこう返した。「今回の貴重な機会を通じて私たちの『新しい友人』が、民主主義と自由、そして台湾の多様性について、全体像を把握できるように願っています。フェイスブックの世界へようこそ!」
深いルーツ
皮肉なことに、蔡氏は中国側にとって、現職の馬英九総統よりも好都合な相手になるかもしれない。馬氏は両親が中国本土出身で、親中路線の国民党を率いているため、台湾では不信感を抱く人もいる。だが蔡氏が署名する協定なら、反発を招く可能性は低い。
蔡氏の親族には台湾のさまざまな民族が交じっていて、先祖は代々台湾人だ。そのおかげもあって有権者の信頼を獲得できた。父は客家(ハッカ)系、母はホーロー系、父方の祖母は先住民族のひとつ、パイワン族の出身だった。
しかし中国の信頼を得られなければ、在任中は中台関係がこう着状態に陥ってしまう可能性もある。中国側が政府間交流を縮小したり断ち切ったりする可能性もある。再び緊張が高まって近隣諸国の懸念を招き、台湾防衛支援の法的義務がある米国と中国との関係に影響が及ぶことも考えられる。
蔡氏の著書には、同氏の信条の手掛かりとなる一節がある。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの言葉を引用し、政治を堅い板に力強く、ゆっくりと穴を開ける作業に例えてこう書いている。
「理想を実現するためにはさらに忍耐強く、着実に、実践的に、そして正確にやらなければならない。これが私の流儀です」
(英語記事 Taiwan's first female leader, shy but steely Tsai Ing-wen)
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35436296

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【有為転変】第96回 オーストラリア・デーの背後[社会]

2016-01-30 | 先住民族関連
NNA 2016/01/29(金曜日)
オーストラリア
オーストラリアの建国記念日に当たる1月26日のオーストラリア・デーに、グーグル(オーストラリア版)がホームページに載せた自社ロゴの絵を見た人は多いことだろう。イベントなど国内各地で祝賀ムード一色となっていたオーストラリアの記念日に、世界で最もよく使われる検索エンジンが、アボリジニの悲しみを表現するデザインを掲載したからである。こちらも検索を忘れ、思わず見入ってしまった。
グーグルのロゴは、その日の記念日などに合わせたデザインに変更されていることがある。これを「いたずら書き」を意味する「グーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)」と呼ぶらしい。
グーグルは昨年末、「もしもその時代に戻れたら……」をテーマに、オーストラリア・デーのロゴを公募した。今回2万4,000点の中から選ばれたのは、キャンベラに住む16歳の女子高生、イネカ・ヴォイトさんが描いた「奪われた夢の時(Stolen Dreamtime)」だった。
ヴォイトさんの絵は、黄土色の砂漠で子どもと生き別れ、幸福な生活を奪われて、嘆き悲しむアボリジニの母親を描いたものだ。ヴォイトさんは「もしもその時代に戻れたら、生き別れた母親と子どもを再会させるでしょう」と説明した。白人系のヴォイトさんは「私なりの先住民族の人たちへの謝罪と、和解へのメッセージ」だという。
■「先住民族との条約がない国」
オーストラリア・デーを記念し、各州ではさまざまなイベントやパレードが催された。この日だけで約154カ国・地域出身の外国人約1万6,000人以上がオーストラリア国籍を得たという。
そうした祝賀的雰囲気の記念日だけあって、過去のグーグル・ドゥードゥルのデザインは、政治的要素が薄く、他愛なく明るいデザインばかりだった。
それなのにグーグルが今年、オーストラリア・デーのシンボルとして、多分に政治的議論を巻き起こしかねないデザインを使用したことには驚いたが、同時にインターネット上に賞賛の声が多かったことにも驚いた。インターネット上では、「国の統一ではなく、分裂をあおるようなことをするな」という非難もあったが、概して「オーストラリア・デーが“侵略の日”だという本当の意味を呼び起こしてくれた」といったものから、「グーグルの自由なセンスを評価する」といったものまで、さまざまな賛同が上がっていた。
あまり大きく報道されていないが、国内各地でオーストラリア・デーに反対するデモが起きたのも確かだ。シドニーでは、ニューサウスウェールズ州ジェニー・リョン議員などが扇動したデモに約1,000人が参加したほか、メルボルンでも約150人が「大量殺りくは誇ることができない」などと叫び、街を行進した。ある活動家は「オーストラリアはコモンウェルスで唯一、先住民族との条約がない国だ」と批判していた。
■オーストラリア・デーを別の日に?
オーストラリア・デーは、1788年1月26日にイギリス艦隊が植民地化を目的に、シドニー湾一帯に到着したことにちなんで定められたものだ。
実は、これを別の日に変えようという動きが本格化したことがあるという。
野党の地位にあった労働党のケビン・ラッド党首は2007年、アボリジニのコミュニティーに、もし労働党が政権を握ったらアボリジニにとって屈辱の日であるオーストラリア・デーを別の日にする、と約束した。ラッド労働党は同年の総選挙で勝ち、政権を握った。だが、約束は実行されなかった。当時のラッド首相は「オーストラリア・デーを変えようという要望に対しては、丁重かつシンプルに言えば、ノーだ」と言い放った。
■オーストラリアの十字架
デイリー・ライフ紙は問題を投げかけている。「グーグルのような外資企業ができるのに、どうしてオーストラリア政府や大半の国民ができないのか?」
インサイダー紙は「アボリジニにとって、先祖が殺されたり土地が奪われたりした日を祝うことがばかげているように、白人が『過去を忘れて前に向けて進もう』と言うのもばかげている。同じ理屈なら、アンザックデーを祝うのも止めなければならない」としている。
鉱物資源が豊富で、美しいビーチに囲まれた豊かな大地に、白人が作った「ラッキーカントリー」にとって、建国の意味を掘り下げることは、この国が今後も背負わねばならない十字架といえる。【NNA豪州編集長・西原哲也】
http://news.nna.jp.edgesuite.net/free/news/20160129aud020A.html

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小豆島、移動中にセンバツ吉報待つ!2年生8人修学旅行中

2016-01-30 | アイヌ民族関連
スポーツ報知 2016年1月29日6時0分
 第88回センバツ高校野球大会(3月20日から12日間・甲子園)の出場校を決める選考委員会が29日、大阪市内で開かれ、一般選考29校と21世紀枠3校の計32校が選出される。離島のハンデを乗り越え、部員17人で秋季県大会を初制覇した21世紀枠候補・小豆島(香川)は、現在2年生部員8人が北海道に修学旅行中。最終日となる発表当日は、乗り継ぎ先の羽田空港で吉報を待つ。
 各校が「センバツ決定」の一報を待ちわびる中、小豆島ナインは異例の状況で当日を迎えることになった。
 8人の2年生部員は、26日から北海道へ3泊4日の修学旅行中。最終日となる29日は、午前中に白老町の「アイヌ民族博物館」などを訪れた後、午後1時に新千歳空港発の飛行機に乗り込み、同3時前に羽田空港に到着する。大会本部から学校に連絡が届く運命の瞬間を、1年生は校内で、2年生は空港と、それぞれ離れた場所で待つ予定だ。
 そんな中、1年生部員9人はこの日も通常通り練習した。杉吉勇輝監督(32)も「緊張しているような感じはなかったです。いつも通りでした」と落ち着いた様子を見せた。
 小豆島町役場によると、出場が決まった場合、町内全域に町内放送を流して祝福。高松港からフェリーに乗った2年生部員が小豆島に到着する午後8時半からは、港でセレモニーが実施される。「今はセンバツの話題で持ちきり。みんな楽しみにしてますよ」と、同校OB会会長の藤井久幸さん。春夏通じて初の甲子園切符を、島全体が待ち望んでいる。(種村 亮)
http://www.hochi.co.jp/baseball/hs/20160128-OHT1T50136.html

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白老・萩の里自然公園とウヨロ川周辺 「重要な里地里山」に 環境省が選定

2016-01-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/28 07:00

生物多様性保全上重要な里地里山に選ばれた萩の里自然公園。北側にはウヨロ川が流れる
 【白老】町萩野の「萩の里自然公園とウヨロ川周辺」が胆振管内で唯一、環境省の「生物多様性保全上重要な里地里山(重要里地里山)」に選定された。里地里山の保全活用の取り組みを後押しするもので、関係者は知名度アップによる地域の活性化に期待を寄せている。
 重要里地里山は、人口減少により生物の多様性を育む里地里山の保全が難しさを増す中、豊かな生態系を保全活用する取り組みを促進する狙いで、環境省が全国500カ所の地域を選んだ。
 「萩の里自然公園とウヨロ川周辺」ではかつて、炭焼きや薪(まき)取り、牛馬放牧などが行われ、現在も千種類以上の動植物が生息している。
 薪炭林を復元するため、2013年度から町民有志が雑木林の伐採を行っていることや、町内のNPO法人が中心となり、町営萩の里自然公園とウヨロ川などを結ぶ小道を「ウヨロ川フットパス」として整備し、自然観察や散策の場として活用されているなどが評価された。
 町は「今回の指定で、白老の知名度向上につながることを期待している。2020年にはアイヌ文化復興の拠点『民族共生の象徴となる空間』(象徴空間)も開設されることと合わせて、観光誘客につなげていければ」(農林水産課)と話している。
 道内ではこのほか、平取町の沙流川流域や、帯広市・十勝管内芽室町の「帯広の森」など5カ所が選ばれた。(土屋航)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0228059.html


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