コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第34回
エイガドットコム-2016年1月27日更新
マーロン・ブランドの肉声が盛り込まれたドキュメンタリー(C)MB FILMS LTD 2015. All Rights Reserved.
マーロン・ブランドという俳優の名前を聞いて、すぐに顔を思い出す人はもはやだいぶ減ってしまったかもしれない。そもそも出演作はたくさんあるが、駄作が非常に多い。晩年は体重が120kgにもなって激太りし、言うのもなんだがとても醜かった。
性格が悪かったことでも有名だ。若いころは共演の女優を漁りまくり、有名になってからはひたすら尊大になり、びっくりするぐらい高い出演料を吹っかけた。脚本を覚えられないのでも有名だった。だからだんだん映画業界で干されていった。
そういうひどい人だったのだが、しかし彼の名前は燦然と映画史に輝いている。20代のころの「欲望という名の電車」(1951年)「波止場」(1954年)も素晴らしかったが、いったん干されてほとんど消息不明になった後、1970年代になって突如復活してからの3作が圧倒的だ。
1972年の「ゴッドファーザー」と「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、それに1979年の「地獄の黙示録」である。
そのころ業界から半分消えていたブランドは、監督のフランシス・フォード・コッポラから「ゴッドファーザー」のオファーを受けた。しかし制作スタジオが反対し、屈辱的なスクリーンテストを受けさせられることになる。
「スクリーンテストなど屈辱的だったが、私には仕事が必要だった。演じる自信はなかった。私は口の中にコットンを詰め込んだ。するとこんな話し方になる。のどを撃たれたような声で……ぼそぼそと話す。役者が最も恐れるのは恐怖心だ。評価を恐れ、努力する姿は隠したいし、自分の虚勢やウソが信じてもらえなかったらと、怯えているところも見られたくない。その恐怖心が演技をだいなしにする。だから奥に隠れてるカメラマンやプロデューサーに、『お前らなど構うか』と言ってやるんだ」(本作より)
マフィアの老ボスを演じるため口にコットンを詰め、背中を丸めてボソボソと喋る演技に、コッポラは圧倒され、その場でブランドの起用を決めたとかいう神話が残っている。
このゴッドファーザーのドン・コルレオーネ役で、ブランドはアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。ところが授賞式に現れたのはブランドではなく、アメリカ先住民族の女性。彼女はブランドの言葉をこう読み上げた。「このような権威ある賞をいただきましたが、残念ながら辞退させていただきます。現在の映画業界の先住民に対する扱いへの抗議のためです。愛と寛大な心でご理解ください」
なにからなにまで伝説的な俳優は、晩年にはまた駄作にたくさん出るようになり、そのうちふたたび不幸のどん底に落ちた。長男が長女のボーイフレンドを射殺して逮捕され、長女もその後自殺した。肥りすぎた挙げ句に心臓病を病み、そして80歳で亡くなった。
しかしマーロン・ブロンドという俳優の存在は映画史のなかで傑出している。彼が出現して以降、俳優の演技は大きく変わったと言われる。それまでの映画俳優は、みんな「スター」だった。クラーク・ゲーブルもジョン・ウェインもみんなそうだが、何を演じてもハンサムで、何を演じてもゲーブルやウェインにしか見えない。彼らは役を演じているのではなく、スターを演じていたのだ。
ブランドは違った。彼の演技はあまりにリアルで迫真的で、役の中の人物にしか見えなかった。マーロン・ブランドという生身の人間の存在感は意外に薄かった。ドン・コルレオーネを演じるとマフィアのボスにしか見えず、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」では性愛に溺れていく中年男にしか見えず、「地獄の黙示録」のカーツ大佐はまったく異なるキャラクターで、ジャングルの奥に潜む狂った軍人そのものだった。スターではなく、アクターであること。このあり方は、多くの映画俳優に大きな影響を与えた。
だから衝突もあった。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」では、監督のベルナルド・ベルトリッチがブランドに「ありのままの自分」をさらけ出すことを求めた。
「そんなことはごめんだ。『私を何だと思っている』と言いたい」(本作より)
マーロン・ブランドは他人からの干渉を嫌がり、誰にも心の奥底を見せなかった。人嫌いで、誰にも心を明かさず、不幸をかかえこんだまま、孤独に死んでいった。ところが、だ。なんと孤独で自分を語らなかったブランドは、生前に約300時間もの長さの音声を録音していたのだという。その録音テープが遺産管理団体によって発見され、すべてを赤裸々にかたるブランドの姿がそこにはあり、そして本作の映画となった。
ブランドは自身の心の奥底を存分に語っている。それは苦しいほどに孤独だけれども、同時にすばらしく深く洞察され、ユーモアも悲しみも喜びもある。静かに語るブランドの声はしゃがれているけれども美しく、何度も何度も聞きたくなる魅力にあふれている。
http://eiga.com/extra/sasaki/34/
エイガドットコム-2016年1月27日更新
マーロン・ブランドの肉声が盛り込まれたドキュメンタリー(C)MB FILMS LTD 2015. All Rights Reserved.
マーロン・ブランドという俳優の名前を聞いて、すぐに顔を思い出す人はもはやだいぶ減ってしまったかもしれない。そもそも出演作はたくさんあるが、駄作が非常に多い。晩年は体重が120kgにもなって激太りし、言うのもなんだがとても醜かった。
性格が悪かったことでも有名だ。若いころは共演の女優を漁りまくり、有名になってからはひたすら尊大になり、びっくりするぐらい高い出演料を吹っかけた。脚本を覚えられないのでも有名だった。だからだんだん映画業界で干されていった。
そういうひどい人だったのだが、しかし彼の名前は燦然と映画史に輝いている。20代のころの「欲望という名の電車」(1951年)「波止場」(1954年)も素晴らしかったが、いったん干されてほとんど消息不明になった後、1970年代になって突如復活してからの3作が圧倒的だ。
1972年の「ゴッドファーザー」と「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、それに1979年の「地獄の黙示録」である。
そのころ業界から半分消えていたブランドは、監督のフランシス・フォード・コッポラから「ゴッドファーザー」のオファーを受けた。しかし制作スタジオが反対し、屈辱的なスクリーンテストを受けさせられることになる。
「スクリーンテストなど屈辱的だったが、私には仕事が必要だった。演じる自信はなかった。私は口の中にコットンを詰め込んだ。するとこんな話し方になる。のどを撃たれたような声で……ぼそぼそと話す。役者が最も恐れるのは恐怖心だ。評価を恐れ、努力する姿は隠したいし、自分の虚勢やウソが信じてもらえなかったらと、怯えているところも見られたくない。その恐怖心が演技をだいなしにする。だから奥に隠れてるカメラマンやプロデューサーに、『お前らなど構うか』と言ってやるんだ」(本作より)
マフィアの老ボスを演じるため口にコットンを詰め、背中を丸めてボソボソと喋る演技に、コッポラは圧倒され、その場でブランドの起用を決めたとかいう神話が残っている。
このゴッドファーザーのドン・コルレオーネ役で、ブランドはアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。ところが授賞式に現れたのはブランドではなく、アメリカ先住民族の女性。彼女はブランドの言葉をこう読み上げた。「このような権威ある賞をいただきましたが、残念ながら辞退させていただきます。現在の映画業界の先住民に対する扱いへの抗議のためです。愛と寛大な心でご理解ください」
なにからなにまで伝説的な俳優は、晩年にはまた駄作にたくさん出るようになり、そのうちふたたび不幸のどん底に落ちた。長男が長女のボーイフレンドを射殺して逮捕され、長女もその後自殺した。肥りすぎた挙げ句に心臓病を病み、そして80歳で亡くなった。
しかしマーロン・ブロンドという俳優の存在は映画史のなかで傑出している。彼が出現して以降、俳優の演技は大きく変わったと言われる。それまでの映画俳優は、みんな「スター」だった。クラーク・ゲーブルもジョン・ウェインもみんなそうだが、何を演じてもハンサムで、何を演じてもゲーブルやウェインにしか見えない。彼らは役を演じているのではなく、スターを演じていたのだ。
ブランドは違った。彼の演技はあまりにリアルで迫真的で、役の中の人物にしか見えなかった。マーロン・ブランドという生身の人間の存在感は意外に薄かった。ドン・コルレオーネを演じるとマフィアのボスにしか見えず、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」では性愛に溺れていく中年男にしか見えず、「地獄の黙示録」のカーツ大佐はまったく異なるキャラクターで、ジャングルの奥に潜む狂った軍人そのものだった。スターではなく、アクターであること。このあり方は、多くの映画俳優に大きな影響を与えた。
だから衝突もあった。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」では、監督のベルナルド・ベルトリッチがブランドに「ありのままの自分」をさらけ出すことを求めた。
「そんなことはごめんだ。『私を何だと思っている』と言いたい」(本作より)
マーロン・ブランドは他人からの干渉を嫌がり、誰にも心の奥底を見せなかった。人嫌いで、誰にも心を明かさず、不幸をかかえこんだまま、孤独に死んでいった。ところが、だ。なんと孤独で自分を語らなかったブランドは、生前に約300時間もの長さの音声を録音していたのだという。その録音テープが遺産管理団体によって発見され、すべてを赤裸々にかたるブランドの姿がそこにはあり、そして本作の映画となった。
ブランドは自身の心の奥底を存分に語っている。それは苦しいほどに孤独だけれども、同時にすばらしく深く洞察され、ユーモアも悲しみも喜びもある。静かに語るブランドの声はしゃがれているけれども美しく、何度も何度も聞きたくなる魅力にあふれている。
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