NNA 2016/01/29(金曜日)
オーストラリア
オーストラリアの建国記念日に当たる1月26日のオーストラリア・デーに、グーグル(オーストラリア版)がホームページに載せた自社ロゴの絵を見た人は多いことだろう。イベントなど国内各地で祝賀ムード一色となっていたオーストラリアの記念日に、世界で最もよく使われる検索エンジンが、アボリジニの悲しみを表現するデザインを掲載したからである。こちらも検索を忘れ、思わず見入ってしまった。
グーグルのロゴは、その日の記念日などに合わせたデザインに変更されていることがある。これを「いたずら書き」を意味する「グーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)」と呼ぶらしい。
グーグルは昨年末、「もしもその時代に戻れたら……」をテーマに、オーストラリア・デーのロゴを公募した。今回2万4,000点の中から選ばれたのは、キャンベラに住む16歳の女子高生、イネカ・ヴォイトさんが描いた「奪われた夢の時(Stolen Dreamtime)」だった。
ヴォイトさんの絵は、黄土色の砂漠で子どもと生き別れ、幸福な生活を奪われて、嘆き悲しむアボリジニの母親を描いたものだ。ヴォイトさんは「もしもその時代に戻れたら、生き別れた母親と子どもを再会させるでしょう」と説明した。白人系のヴォイトさんは「私なりの先住民族の人たちへの謝罪と、和解へのメッセージ」だという。
■「先住民族との条約がない国」
オーストラリア・デーを記念し、各州ではさまざまなイベントやパレードが催された。この日だけで約154カ国・地域出身の外国人約1万6,000人以上がオーストラリア国籍を得たという。
そうした祝賀的雰囲気の記念日だけあって、過去のグーグル・ドゥードゥルのデザインは、政治的要素が薄く、他愛なく明るいデザインばかりだった。
それなのにグーグルが今年、オーストラリア・デーのシンボルとして、多分に政治的議論を巻き起こしかねないデザインを使用したことには驚いたが、同時にインターネット上に賞賛の声が多かったことにも驚いた。インターネット上では、「国の統一ではなく、分裂をあおるようなことをするな」という非難もあったが、概して「オーストラリア・デーが“侵略の日”だという本当の意味を呼び起こしてくれた」といったものから、「グーグルの自由なセンスを評価する」といったものまで、さまざまな賛同が上がっていた。
あまり大きく報道されていないが、国内各地でオーストラリア・デーに反対するデモが起きたのも確かだ。シドニーでは、ニューサウスウェールズ州ジェニー・リョン議員などが扇動したデモに約1,000人が参加したほか、メルボルンでも約150人が「大量殺りくは誇ることができない」などと叫び、街を行進した。ある活動家は「オーストラリアはコモンウェルスで唯一、先住民族との条約がない国だ」と批判していた。
■オーストラリア・デーを別の日に?
オーストラリア・デーは、1788年1月26日にイギリス艦隊が植民地化を目的に、シドニー湾一帯に到着したことにちなんで定められたものだ。
実は、これを別の日に変えようという動きが本格化したことがあるという。
野党の地位にあった労働党のケビン・ラッド党首は2007年、アボリジニのコミュニティーに、もし労働党が政権を握ったらアボリジニにとって屈辱の日であるオーストラリア・デーを別の日にする、と約束した。ラッド労働党は同年の総選挙で勝ち、政権を握った。だが、約束は実行されなかった。当時のラッド首相は「オーストラリア・デーを変えようという要望に対しては、丁重かつシンプルに言えば、ノーだ」と言い放った。
■オーストラリアの十字架
デイリー・ライフ紙は問題を投げかけている。「グーグルのような外資企業ができるのに、どうしてオーストラリア政府や大半の国民ができないのか?」
インサイダー紙は「アボリジニにとって、先祖が殺されたり土地が奪われたりした日を祝うことがばかげているように、白人が『過去を忘れて前に向けて進もう』と言うのもばかげている。同じ理屈なら、アンザックデーを祝うのも止めなければならない」としている。
鉱物資源が豊富で、美しいビーチに囲まれた豊かな大地に、白人が作った「ラッキーカントリー」にとって、建国の意味を掘り下げることは、この国が今後も背負わねばならない十字架といえる。【NNA豪州編集長・西原哲也】
http://news.nna.jp.edgesuite.net/free/news/20160129aud020A.html
オーストラリア
オーストラリアの建国記念日に当たる1月26日のオーストラリア・デーに、グーグル(オーストラリア版)がホームページに載せた自社ロゴの絵を見た人は多いことだろう。イベントなど国内各地で祝賀ムード一色となっていたオーストラリアの記念日に、世界で最もよく使われる検索エンジンが、アボリジニの悲しみを表現するデザインを掲載したからである。こちらも検索を忘れ、思わず見入ってしまった。
グーグルのロゴは、その日の記念日などに合わせたデザインに変更されていることがある。これを「いたずら書き」を意味する「グーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)」と呼ぶらしい。
グーグルは昨年末、「もしもその時代に戻れたら……」をテーマに、オーストラリア・デーのロゴを公募した。今回2万4,000点の中から選ばれたのは、キャンベラに住む16歳の女子高生、イネカ・ヴォイトさんが描いた「奪われた夢の時(Stolen Dreamtime)」だった。
ヴォイトさんの絵は、黄土色の砂漠で子どもと生き別れ、幸福な生活を奪われて、嘆き悲しむアボリジニの母親を描いたものだ。ヴォイトさんは「もしもその時代に戻れたら、生き別れた母親と子どもを再会させるでしょう」と説明した。白人系のヴォイトさんは「私なりの先住民族の人たちへの謝罪と、和解へのメッセージ」だという。
■「先住民族との条約がない国」
オーストラリア・デーを記念し、各州ではさまざまなイベントやパレードが催された。この日だけで約154カ国・地域出身の外国人約1万6,000人以上がオーストラリア国籍を得たという。
そうした祝賀的雰囲気の記念日だけあって、過去のグーグル・ドゥードゥルのデザインは、政治的要素が薄く、他愛なく明るいデザインばかりだった。
それなのにグーグルが今年、オーストラリア・デーのシンボルとして、多分に政治的議論を巻き起こしかねないデザインを使用したことには驚いたが、同時にインターネット上に賞賛の声が多かったことにも驚いた。インターネット上では、「国の統一ではなく、分裂をあおるようなことをするな」という非難もあったが、概して「オーストラリア・デーが“侵略の日”だという本当の意味を呼び起こしてくれた」といったものから、「グーグルの自由なセンスを評価する」といったものまで、さまざまな賛同が上がっていた。
あまり大きく報道されていないが、国内各地でオーストラリア・デーに反対するデモが起きたのも確かだ。シドニーでは、ニューサウスウェールズ州ジェニー・リョン議員などが扇動したデモに約1,000人が参加したほか、メルボルンでも約150人が「大量殺りくは誇ることができない」などと叫び、街を行進した。ある活動家は「オーストラリアはコモンウェルスで唯一、先住民族との条約がない国だ」と批判していた。
■オーストラリア・デーを別の日に?
オーストラリア・デーは、1788年1月26日にイギリス艦隊が植民地化を目的に、シドニー湾一帯に到着したことにちなんで定められたものだ。
実は、これを別の日に変えようという動きが本格化したことがあるという。
野党の地位にあった労働党のケビン・ラッド党首は2007年、アボリジニのコミュニティーに、もし労働党が政権を握ったらアボリジニにとって屈辱の日であるオーストラリア・デーを別の日にする、と約束した。ラッド労働党は同年の総選挙で勝ち、政権を握った。だが、約束は実行されなかった。当時のラッド首相は「オーストラリア・デーを変えようという要望に対しては、丁重かつシンプルに言えば、ノーだ」と言い放った。
■オーストラリアの十字架
デイリー・ライフ紙は問題を投げかけている。「グーグルのような外資企業ができるのに、どうしてオーストラリア政府や大半の国民ができないのか?」
インサイダー紙は「アボリジニにとって、先祖が殺されたり土地が奪われたりした日を祝うことがばかげているように、白人が『過去を忘れて前に向けて進もう』と言うのもばかげている。同じ理屈なら、アンザックデーを祝うのも止めなければならない」としている。
鉱物資源が豊富で、美しいビーチに囲まれた豊かな大地に、白人が作った「ラッキーカントリー」にとって、建国の意味を掘り下げることは、この国が今後も背負わねばならない十字架といえる。【NNA豪州編集長・西原哲也】
http://news.nna.jp.edgesuite.net/free/news/20160129aud020A.html