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先住民族関連ニュース

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空港で半奴隷労働を強制 検察庁が111人を保護

2013-10-02 | 先住民族関連
サンパウロ新聞  13/10/01 (11:32)
 グアルーリョス国際空港の新ターミナルの建設工事で労働者を劣悪な環境下で働かせていた容疑で、OAS建設会社と空港の管理責任者のGRUエアポート社が労働検察庁に起訴された。9月25日付エスタード紙(ウェブ版)が報じた。
 同庁はOAS社に対して25件の労働違反を告知しており、同庁のブラックリストに加えられる可能性が高いという。さらに同社は、労働者からの収賄容疑で刑事的な捜査も進められている。
 労働検察庁グアルーリョス局とサンパウロ地域労働雇用局(SRTE)が実施した共同捜査によって、劣悪な環境の宿泊施設11カ所で生活していた労働者111人を保護した。そのうち6人はパンカラル部族の先住民(インジオ)だったことも分かっている。
 労働者らはOAS社の工事現場で働くという条件でブラジル北東部の各州から呼び寄せられていた。しかし、グアルーリョス市に到着後も契約上の仕事は何も無く、会社側から「予備登録者」としての扱いを受けていた。その後も雇用契約による労働開始を待機する間、テントのような宿泊施設での生活を強いられた。
 ブラジルの労働法では、企業は地方からの出稼ぎ労働者に対して移転契約を結ぶことが義務付けられている。労働検察庁では、違法採用と住宅状況の欠如は奴隷労働に近い過酷な状況に労働者を置いていることになると警告している。また、GRUエアポート社も空港工事の管理者として連帯責任を問われている。
 さらに労働者らの一部は就労枠を得るためにOAS社の社員から100~300レアルの贈賄を要求されており、サンパウロ州で働くために借金をして賄賂(わいろ)を支払ったとみられている。
 検察庁は9月19日、OAS社とGRUエアポート社に対し、労働者の保護と賠償金の支払いを求めて雇用契約の差し止めを裁判所に請求した。その結果、両社に対してそれぞれ1500万レアルの支払いが命じられた。OAS社は、全労働者に対して約6000レアルの退職金と帰省のための航空チケットを支払ったと発表している。
http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/15004/cat/1

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2013/08/05 【北海道】「アイヌ差別は、北海道開拓移民の存在意義の裏返し」

2013-10-02 | アイヌ民族関連
岩上安身責任編集 - IWJ Independent Web Journal-2013/10/2
〜岩上安身による北海道アイヌ協会 竹内渉氏インタビュー
【秋の夜長に~特別蔵出し】会員以外の方へも10月4日まで公開します!
 「狩猟民族のアイヌに『農業をやれ』。歴史の中で抑圧されて、アイヌは刃向かう力を奪われた」──。
 2013年8月5日(月)、北海道札幌市内で、岩上安身による竹内渉氏インタビューが行われた。竹内氏は2009年に『北の風 南の風 、アイヌ、沖縄。そして反差別』(解放出版社)を出版、非アイヌでありながら北海道アイヌ協会の事務局長も務めている。今年7月の参議院選挙で、17万票を獲得した三宅洋平氏が用いて有名になったアイヌの言葉「チャランケ」の意味など、アイヌの文化、抱えている問題、そして将来について、掘り下げた内容が語られた。
※掲載期間終了後は、会員限定記事となります。
◆「チャランケ」は紛争解決の知恵
 竹内氏は関東で生まれ育ち、大学に進学し、北海道に居住してから、アイヌ問題に関わるようになった。アイヌ差別、社会的差別への反対運動を30年以上も続けている。アイヌの人々との関わりの日々を描いた自伝的著作『北の風 南の風 、アイヌ、沖縄。そして反差別』は、当初、沖縄の雑誌に連載されていた。その経緯について、竹内氏は「沖縄大学の学長を務めた新崎盛暉(あらさきもりてる)名誉教授と懇意な人が札幌にいて、仲介してくれた。アイヌの、というより、もともとは各地の社会的差別に関する情報のひとつであった」と説明した。
 岩上の「三宅洋平氏が選挙活動で用いて注目された『チャランケ』という言葉は、アイヌの人々の間では、実際にどのような意味で使われているのか」という質問に、竹内氏は「集落同士で狩猟のトラブルがあった時などに用いられる紛争解決の手段で、裁判のような徹底討論。ただ、ひとつルールがあって、相手が話を始めた時、かぶせて腰を折ってはいけない。最後まで聞く。チャランケチャシコスと言って、討論し過ぎて岩になってしまった、などという伝説もある」と答えた。
◆現在も続くアイヌへの差別
 竹内氏とアイヌ世界との接触が始まったきっかけは、大学4年の時に遡るという。「当時の大学教授が、学生たちに冗談で、『アイヌも、混血してわからなくなっている。きれいな女性だと近寄ったらアイヌかもしれないぞ』などと、差別的な発言をしていた」。
 岩上が「アイヌだったからといって、具体的にどのような問題があるのか」と問うと、「劣った民族、と言いたいのだろう。普段はそれほどでもないが、就職や結婚などの際、差別が顕著に現れてくる。たとえば、喫茶店で働こうとすると、雇用主が『私はいいけど、お客さんが嫌がるから』などと断る事例がある。学校内でのいじめもある」と実情を伝えた。
◆先住民族と開拓者
 「日本人の北海道への入植から、たかだか100年程度。歴史のあるものではない。いじめている側の心理や、その背景にあるものは何か」と、岩上が疑問を投げかけると、竹内氏は「日本人は、アイヌを最初から蔑んだ目で見ていた。劣っているから滅びていく、と言いたいのだろう」とし、「北海道開拓移民の、存在意義の裏返しもあるだろう。『開拓者がアイヌの土地を奪って侵略した』となると居心地が良くない。『空いてる土地に来て、祖先が苦労したから、今の豊かな農業生活がある』ということにしたい。そこに、アイヌがいた。開拓者たちは『アイヌは劣っているから現代に適応できず、貧しい。怠け者。働きもしない』などと、レッテルを貼ってきた」と、開拓者の心理に絡む複雑な背景を語った。
 「狩猟方法が禁止されるなど、結果として困窮したアイヌに対し、日本人は今度は『救おう』と言って、もともと狩猟をしていた民族に『農業をやれ』と命じた。諸々の手続きも日本語。このような歴史の中で、アイヌは抑圧され、刃向かう力を奪われた。開拓が始まった明治時代には、アイヌの人数の方が多かったが、現在は550万人の道民のうちアイヌはわずか2%、10万人程度しかいない」。
◆潜在化するアイデンティティ
 岩上の「アイヌは、どの時点で日本編入を受け入れたのか」との質問には、竹内氏は次のようなエピソードを紹介した。「明治の中頃から、大人同士がアイヌ語で会話していても、子どもが入ってくるとピタっとやめる、ということがあったと聞く。『これからは、日本語を話せないと生きていけない。生き延びるために、子どもには日本語を』と考える大人が、その頃から増えたようだ」。
 その一方、「新しい文化を取り入れながら、アイヌの伝統文化を残すという考えを持つ、優れたリーダーもいた」と述べ、「政治的な独立運動は、思想としてはあっただろうが、明治以降に具体的な行動はない」と語った。
 また、近年は沖縄との交流が盛んだといい、「アイヌは、沖縄の人とウマがあう。アイヌが沖縄に行くと『兄弟が来たみたい』と歓迎されるので、ますます好きになる。毛深いのを気にして、夏でも半袖を着ないアイヌの人もいるが、沖縄へ行くと解放されるという」と話した。
◆差別と貧困の連鎖を断ち切るために
 今後のアイヌをめぐる諸問題について、竹内氏は「法の改正などには希望を持っているが、もう少し早くなんとかならないかと、皆が思っている。親の低所得により子どもが差別され、進学の機会が阻まれ、就職も困難になるなど、差別と貧困の負の連鎖は止まっていない」と訴えた。
 さらに、「『文化、文化と言うけれど、文化じゃ食えないぞ』とも、よく言われる。アイヌ文化の伝承よりも、まず、日本社会の中で地位を向上し、ゆとりができてから、文化継承も同時進行で行うべきだと思う」と持論を述べた。
 竹内氏は「アイヌの大学進学率は道民の3分の1だ。だが、救済策として、アファーマティブ・アクション(社会的弱者への格差是正措置)で、たとえば、北海道大学にアイヌ学生の入学枠を作ったら、今度は一般の人から『不平等だ』と文句が来るだろう。そういう問題をクリアしていかないと、アイヌの地位向上は難しいものがある」と語った。【IWJテキストスタッフ・阿部玲/奥松】
■リンク 社団法人 北海道アイヌ協会HP http://www.ainu-assn.or.jp/
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/102452

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萱野茂さんの書斎再現 二風谷のアイヌ資料館改装

2013-10-02 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (10/01 16:00)
 【平取】町内の萱野茂二風谷アイヌ資料館(萱野志朗館長)が、展示の一部をリニューアルした。アイヌ民族の権利回復に尽力し、多数の著書を残した故萱野茂氏の書斎を再現し、顕彰コーナーを新設した。
 1992年に開館した同館には、アイヌ民族の伝統的な生活道具などのほか、世界の先住民族に関する資料が展示されている。
 リニューアルは、アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)の助成事業を活用し、8月下旬に完成した。
 1階の顕彰コーナーには、萱野茂氏が94年に、アイヌ民族として初めて参議院議員になった際の写真や解説文、表彰状などを展示している。
 2階に再現した書斎は、6畳ほどの広さ。本の執筆の際に使った松材の机や、木彫り作品を作った作業台の複製品などを置いている。
 萱野館長は「萱野茂が取り組んだ仕事と、当時の空気を感じてほしい」と話していた。開館は午前9時~午後5時。(田鍋里奈)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/495263.html

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