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2013/08/06 【北海道】「新千歳空港に降りたら『先住民族の土地だ』と思ってほしい」

2013-10-01 | アイヌ民族関連
〜岩上安身によるアイヌ民族博物館 野本正博館長インタビュー
岩上安身責任編集 - IWJ Independent Web Journal 2013年10月1日
【秋の夜長に~特別蔵出し】会員以外の方へも10月3日まで公開します!
 「観光アイヌと言われながらも、経済的自立が、私たちの伝統文化の継承と保存を可能にした」──。
 2013年8月6日、北海道白老町のアイヌ民族博物館で、岩上安身による野本正博館長へのインタビューが行われた。白老ポロトコタンと呼ばれる公園内にある同博物館は、北海道の先住民族であるアイヌの歴史、有形・無形の文化などを紹介している。野本氏は「アイヌ民族である自分が考える『文化』と、従来の政策的に用いられてきた『文化』とは異なる」と述べて、歴史を振り返りながら、アイヌ文化の継承について語った。
※掲載期間終了後は、会員限定記事となります。
◆異文化が観光の対象に
 1976年、アイヌ文化の伝承・保存、調査・研究などを目的に白老民族文化伝承保存財団が設立され、1984年にはアイヌ民族博物館が開館している。これらが白老町に設立された経緯について、野本氏は「明治以降の同化政策により、アイヌの自由や権利は失われた。一方、北海道は資源の宝庫で、開拓を進めるために早くから鉄道が敷かれた。アイヌの大きな集落があった白老町にも鉄道が通り、日本人の行き来が多くなると、異民族のアイヌは興味の対象になり、それをビジネスにする人が出てきた」と説明を始めた。
 「明治の終わりから大正にかけて、アイヌはすでに近代的な住居に住んでいたが、伝統的な住居であるポロチセ(通常の住居であるチセよりひと回り大きく、集会所としても使用される)を利用し、囲炉裏に座って観光客を出迎え、伝統舞踊などを見せて現金収入を稼いだ。ただ、すべてのアイヌがそれを快く思っていたわけではなく、ここでは浜で漁をして暮らす人たちも多かった」。
 岩上が「本州の人間にとっては、木彫りの熊の民芸品を作っているイメージがあるが」と率直に述べると、野本氏は「戦前には、お盆や杖など、伝統からあまり離れない実用品を作って販売していた。戦後、旅行代理店のタイアップなどで、観光ビジネスに人が群がるようになり、木彫りの熊はお土産品の主流になった」とし、「観光で自分たちの文化を見せたのがアイヌ。その周囲で商売をしたのが日本人、という構図があった」と指摘した。
◆経済的自立と民族の誇りと
 さらに、野本氏は「昭和30年代の終わりには、小さな町に年間60万人の観光客が訪れていたが、対応が追いつかず、粗悪品を出す業者もいてクレームが増えた。イメージ悪化を懸念した北海道は、白老町に行政指導を行い、湖(ポロト湖)がある場所にアイヌの人たちを集中的に移転させ、アイヌ観光の拠点にして、白老町の第三セクター、白老観光コンサルタントに運営を任せた」と、観光施設としてのポロトコタンの成り立ちを語った。
 「アイヌが観光の目玉として注目される一方で、大きな騒動もあった。1970年代に、『北海道開拓100年』を謳った各種イベントが開かれたが、それは開拓者にとっての話で、アイヌにとっては屈辱だった。『白老町はアイヌを商品化、食いものにしている』との批判も強く、ついに1974年、白老町長が刃物で襲撃される事件が起きた。この時、刺した方も、刺された方も日本人だった」。
 これをきっかけに、白老町は白老観光コンサルタントを解散し、アイヌの人たちによる白老民族文化伝承保存財団を設立。以後37年間、アイヌ自身がポロトコタンを運営してきたことで、批判はなくなったという。野本氏は「アイヌにとって、観光化に抵抗があることも事実。一方で、『食えないとしょうがない』とも考える。また、経済的に自立することが、伝統文化の継承と保存を可能にしている面もある」と、複雑な事情を打ち明けた。そして、「その後、アイヌ民族博物館ができたことで、学術的な研究も進み、アイヌ文化の価値が上がった。今、ここで働く人たちにも民族の誇りが芽生えた」と話した。
◆先住民族の権利と尊厳とは
 白老町は日本で一番アイヌが多く、人口2万人のうちの1割はアイヌだという。野本氏は地元育ちであり、アイヌの両親の下に生まれた。岩上が「子どもの頃、アイヌ語を聞かされたりしたか」と尋ねると、「家庭内では日本語だったが、祖父母や親戚たちの間では明らかに違う言葉が出ていた。また、生活習慣などにアイヌの伝統が残っていた。たとえば、川での鮭漁は禁止されたが、鮭にまつわる儀礼があったりする。先祖供養の仕方は明らかに日本と違い、供え物の西瓜は砕く、ビールは栓を開ける。『その形のままではなく、砕くことによって、先祖に供え物の魂を届ける』という考え方が根本にある」と答えた。
 「先住民族の権利を認める動きは、外国から起こり、日本がそれに続いた。この点をどう思うか」という岩上の質問に、野本氏は「2008年、先住民族としての権利を認める決議案が、初めて国会で通った。しかし、それで幸せになったのかというと、自分たちの生活は変わっていない。国連基準の先住民族の権利と、日本のそれとは違うのではないかと思う」と述べ、「民族的な文化とは、選択し、習得していくものだが、自由が保証されていなければ、選択が難しい。自分のアイデンティティーを自由に表現できることが大事だ」と主張した。
 また、「制定された法律は文化だけに特化しているが、文化とは土地に根ざしたもので、それだけが浮遊してはならない」とした。そして、「当事者としては、工芸や踊りより、アイヌの言語を復活させたい。明治政府はアイヌ語を使わせなかったし、アイヌも生きる上で日本語を選択した。政府は『アイヌの尊厳を尊重する』というが、それが、どれだけ重いものかを理解した上で、アイヌ政策を決定してほしい」と要望した。
◆新しい哲学を持ち、アイヌ文化の発信を
 さらに、白老に国立博物館やアイヌ文化を継承する象徴空間を作るという政府のプロジェクトについて、「これは北海道だけの問題ではなく、日本中に広く知ってほしいことだ。新しい世代が、飛行機で新千歳空港に降りた時、『先住民族の土地に来た』と思ってもらいたい。日本の近代化の陰に、アイヌの人たちの犠牲があったことを忘れないでほしい」と続けた。
 最後に、野本氏は「個人的には、縄文時代まで遡れば、アイヌと日本人がそれほど違っていたとは思わない。しかし、歴史上、アイヌが異民族と見なされてきたことも事実。今のアジア近隣諸国との問題のように、政治や経済で解決されないのなら、文化で解決を。新しくできる国立博物館は、従来とはまったく違う方法で先住民族の文化を伝える、新しい哲学を持った博物館であってほしい」と、力強く語った。【IWJテキストスタッフ・阿部玲/奥松】
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/103373

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洞爺湖でアイヌ先住民族慰霊祭、古式舞踊を披露

2013-10-01 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2013年9月30日(月)朝刊】
 2013年度(平成25年度)洞爺湖町アイヌ先住民族慰霊祭が29日、町内入江の歴史公園にある先住民族慰霊碑前で行われ、古式にのっとりカムイノミ(神への祈り)とイチャルパ(先祖供養)で祈りをささげた。
 北海道アイヌ協会洞爺湖支部(妻木征男支部長)が主催し、町、町教委などが協力。参加者はアイヌの民族
衣装を身に着けて祭壇の前に座り、祭司の進行でアペフチカムイ(火の神)、ヌサコロカムイ(幣場を司る神)、チセコロカムイ(家の守り神)などへの感謝の祈りをささげるカムイノミを行い、続いて先祖の霊を供養するイチャルパを行った。
 祭儀終了後、妻木支部長は「お忙しいなか、多くのご出席ありがとうございます。天気も良く、爽やかな気持ちです」と参加者に感謝した。
 この後の懇親会では、アイヌの料理や古式舞踊が披露され、厳粛な空気に包まれた。
(中野貴智)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/09/30/20130930m_07.html

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サケ遡上祈るアイヌ儀式

2013-10-01 | アイヌ民族関連
(2013年9月30日 読売新聞)
 石狩川上流へのサケの遡上(そじょう)を祈るアイヌ民族の伝統儀式「カムイチェップノミ」が29日、上流にあたる旭川市の石狩川支流、忠別川河川敷で行われた。
 参加したのは、旭川アイヌ協議会や市民団体「あさひかわサケの会」のメンバーら。民族衣装を身にまとい、木を削って作った祭具「イナウ」にお神酒をささげると、川岸に並んでイナウを忠別川に投げ入れた。
 イナウにはサケの口の部分が結びつけられており、「川を下ったサケの口が下流のサケに『旭川に遡上すれば、川がきれいでお供え物もたくさんある』と伝えてくれる」という意味があるという。同協議会の川村兼一会長(62)は「今年もたくさんの遡上を期待したい」と話した。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20130930-OYT8T00023.htm

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室蘭市の「名勝ピリカノカ」巡りで室蘭の魅力を再認識

2013-10-01 | アイヌ民族関連
【2013年9月29日(日)朝刊】
 国の史跡名勝天然記念物「名勝ピリカノカ」に指定される室蘭市の絵鞆半島外海岸を巡るバスツアーが28日、同市内で行われた。参加者はマスイチ浜やハルカラモイから、美しい海岸線を観賞しながらアイヌ文化への理解も深めていた。
 室蘭八景として親しまれる絵鞆半島外海岸は昨年1月、アイヌ文化に由来がある景勝地に指定された。バスツアーは室蘭市教育委員会が主催(室蘭民報社など後援)し、市民24人が参加した。
 一行はマスイチ浜から風光明媚(めいび)な海岸線を見学。市教委の松田宏介学芸員が海猫の家という意味のアイヌ語「マシュイ・チセ」がマスイチ浜の由来―などと解説。続いてアイヌ語で「食料・とる・入江」のハルカラモイや、「親である・断崖」の地球岬、「アザラシ・岩」のトッカリショ浜を見学した。
 絵鞆岬展望台では、絵鞆先住民慰霊碑やアイヌ協会室蘭支部による伝統儀式の継承活動を見学。参加者はアイヌ民族の文化的背景とも結び付き、学術的価値も高い“室蘭の名所”の魅力を再認識していた。
(松岡秀宜)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/09/29/20130929m_02.html

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シベリアの自然と民族(4)先住民は45民族153万人

2013-10-01 | 先住民族関連
河北新報 2013年09月27日金曜日
 広大なシベリアの人口はわずか3910万人。このうち85%はロシア人で、16世紀の植民地化以降に移住してきた子孫である。
 彼らとは別にシベリア先住民と呼ばれる人々がいる。合計で153万人、4%の比率に過ぎないが、民族集団数は45である。人口は数百から数十万とさまざまで、相互に移動と文化接触を繰り返し、古くからこの地に暮らしてきた。
 その多くはアジア系の顔立ちをしている。だが、言語系統からみると、古アジア系・アルタイ系・ウラル系と大きく異なっている。アルタイ系にはモンゴル語やトルコ語が、ウラル系にはハンガリー語やフィン語が含まれる。これをみても多様な歴史的出自をもつ集団が先史時代にシベリアに移住した事がわかるだろう。
 広大な空間に異なる言語集団が相互に交渉しながらもまばらに暮らす。共通点はトナカイの利用である。「異なる言語・歴史的背景をもつ人間集団が環境に即してどのような文化を創るか」という人類学的問いに対してシベリアはさまざまなヒントをくれる場所なのである。(東北大東北アジア研究センター教授 高倉浩樹)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1124/20130927_01.htm

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先生はアイヌでしょ 私の心の師

2013-10-01 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2013年09月27日
BOOKほっかいどう
■先生はアイヌでしょ 私の心の師
 荒井和子《著》
■教壇で差別と向き合って
 アイヌ民族の女性であり、小学校教師を長年務めた著者が、その半生をつづった自伝だ。
 著者は1947年、旭川で小学校の先生になった。臨時免許の助教ながら、胸躍らせ立った教壇で迎えられたのは、「アイヌに教えてほしくない」という一児童の言葉。著者は心の動揺を抑え、アイヌ民族の本当の姿や差別の問題を子供たちにこんこんと説いた。
 そんな試練で始まった教師生活で、著者は、児童の親や教師にもある無理解や差別意識、一部のアイヌの子どもの不安定な家庭環境など様々な困難に直面する。そして、自分自身の中の劣等感に悩んでいた時、同僚の「先生はアイヌでしょう。否定しないで胸を張って」の言葉に涙を流す。
 事実を「知ること、知らせることの大切さ」を痛感した著者は、アイヌの人々の生活や差別の実態を調査して、教育研究集会などで発表するようになる。
 一方で、忙しくも充実した教師の仕事や、子供たちと深いきずなで結ばれる喜び、同僚たちとの熱い友情が生き生きと描かれる。
 著者は、先住民族の差別の歴史を理解してほしいとの願いを込めた、とつづる。等身大の一人の人間の真摯(しんし)な生き様が伝わる。
 (北海道出版企画センター・1890円)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20130927010860001.html

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樺太アイヌ 同胞を恋う サハリン山下さん

2013-10-01 | 先住民族関連
朝日新聞 2013年9月27日
■サハリン在住 山下秋子さん
 【林美子】第2次世界大戦の敗戦後、樺太(現ロシア・サハリン州)にいた樺太アイヌの人たちはほぼ全員が北海道以南に移住し、サハリンに住む人はほとんどいないとされている。「樺太アイヌの人が今も住んでいる」。そんな話を聞き、サハリン南部のホルムスク(真岡)を訪れた。
 「あんたたち日本人かい? 稚咲内(わかさかない)から来たんじゃないのかい」
 開口一番、山下秋子さん(79)は記者にそう言った。日本人(和人)だと答えると、がっかりした顔をした。豊富町稚咲内は、道内で樺太アイヌの人たちが多く住んでいる場所だ。
■朝鮮族の父と
 真岡の南の多蘭泊(たらんどまり)(現カリーニノ)に生まれた山下さんは、父が朝鮮族、母が樺太アイヌだった。小学5年生だった1945年8月20日にソ連軍が真岡に上陸。妹の手を引き、留多加(アニワ)まで2日間、山道を逃げた。…
(続き会員登録が必要)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW1309270100003.html

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永瀬正敏主演の台湾映画『KANO』、看板やポスター作り公開準備

2013-10-01 | 先住民族関連
サーチナ【エンタメニュース】 2013/09/27(金) 14:26
  日本統治時代の台湾の高校野球部が夏の甲子園で準優勝、という実話を描く台湾映画『KANO』。主演に永瀬正敏、特別出演に大沢たかおを迎え、魅力的なキャストが並び公開が待たれているが、台湾での上映が2014年2月27日に決定。9月15日、公開決定の記念イベントが台北市内で行われた。(写真は「果子電影(台湾)」提供)
  映画『KANO』は『海角七号 君想う国境の南』、『セデック・バレ』に続く、魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督&黄志明(ホアン・ジーミン)プロデューサーのタッグによる映画会社:果子電影製作の3作目。日本に統治されていた1931年、日本人・先住民・台湾人の三民族で構成された台湾の嘉義農林学校野球部が、夏の甲子園で準優勝を果たした史実をもとに描いた作品である。主役の永瀬正敏は野球部監督の近藤兵太郎、その妻を演じるのは坂井真紀。ダム建設で台湾の水利事業に大きく貢献した八田與一を、大沢たかおが演じる。
  台湾公開決定の記念イベントでは、絵師による看板が手描きで制作され、プリポスターが初お披露目された。白球を投げる直前の投手の姿があるポスターは、「KANO」というユニフォームと「勝ちたいと思うな、負けられないと思え」というキャッチコピーが描かれている。一勝の経験もなかった嘉義農林が甲子園大会出場まで上り詰めたチーム魂が表されているとのことだ。馬志翔(マー・ジーシアン)監督が「以前野球をやっていた時に監督がこの言葉を使っていて、ずっと心に残っていたものです。勝負は勝ち負けを超えたもの、この言葉は、決して諦めない気持ち、甲子園決戦へ向けた意気込み、まさに嘉義農林の気概。この映画にこめた真のスポーツ魂です」と力強く語った。
  魏プロデューサーによると、本作の完成は年明けの1月とのこと。現在は順調にポストプロダクションが進行しており、「今年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を通して、台湾野球が盛り上がりを見せています。プロ野球は3月に開幕するので、国民の気持ちの盛り上がりを一年間継続させ、プロ野球を最高潮まで引き上げたい。この映画は台湾野球の原点ともいえる物語なので、嘉義農林の不屈の精神を伝え、台湾野球ブームに再び火を付けたい」と、意気込んでいる。台湾の連休でもある2月末というベストタイミングを、公開日に決めたと明かした。
  また絵師による手描き看板も注目を集めたが、魏プロデューサーのリクエストで引退した80歳のベテラン絵師が、特別に筆を握ったそうだ。4日間かけて完成した看板は、『KANO』の世界観を描き出している、と好評だ。魏プロデューサーと馬監督はきめ細やかに描かれた看板を間近で観て感嘆。この唯一無二の手書き看板は、台北市西門町の映画館に掲げられることになった。今後手描きポスターも完成する予定で、台湾全土の映画館での巡回展示が始まるそうだ。映画『KANO』は様々な話題を振りまき、公開前から大きな注目を浴びている。(編集担当:饒波貴子)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0927&f=entertainment_0927_013.shtml

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ニュージーランドの中学生19人が中野区でホームステイ-16日間の体験入学

2013-10-01 | 先住民族関連
中野経済新聞 2013年09月27日
 中野区国際交流協会(中野区中野2、TEL 03-5342-9169)は9月28日から、16日間の「中野・ウェリントン友好子ども交流」を実施する。
 同交流会は、元在ニュージーランド日本大使夫人からの申し入れを中野区が受け入れた1985(昭和60)年に始まり、ニュージーランドの首都であるウェリントン市の中学生の受け入れと、中野区の中学生の同市への派遣を1年おき、交互に実施していて、今年は中野区が学生を受け入れる。
 来日する同国の中学生は、中野区内の一般家庭でそれぞれホームステイし、中野区の第二・第三・第十・南中野の各中学校に体験入学するほか、都内見学や田中大輔中野区長への表敬訪問も行う予定。
 10月9日18時には明治大学中野キャンパス1階学生食堂で「お別れ会」、同12日の「中野にぎわいフェスタ」ではニュージーランドの先住民族「マオリ」をルーツとして最近では同国のラグビーチームが試合前に行うことでも知られている民族舞踊「ハカ」と歌も披露する。
http://nakano.keizai.biz/headline/308/

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お国言葉残そう…八丈島で「危機言語サミット」

2013-10-01 | アイヌ民族関連
(2013年9月26日16時43分 読売新聞)
 継承が危ぶまれるお国言葉を残していこうと、東京都八丈町では来年、沖縄県などの自治体にも呼びかけて「危機言語サミット」を開く計画を進めている。
 文化庁も方言継承の取り組みを支援しており、東日本大震災の被災地で保存活動に取り組む団体などを対象に、補助事業をスタートさせた。
 「おじゃりやれ(いらっしゃい)」「でえじけ(きれい)」――。伊豆諸島・八丈島に伝わる「島ことば」には、1000年以上前の語法が残るとされる。2009年には「消滅の危機にある」として、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「危機言語」に指定された。
 八丈町教委では今年度、町立小3校で年3回程度方言を教える授業をスタートさせ、今夏には初めて、クイズやかるたで方言に親しむ「親子教室」も開いた。
 国内では八丈島や沖縄県の八重山諸島、鹿児島県の奄美諸島など7地域の方言と、北海道のアイヌ語が、ユネスコの危機言語に指定されている。大半が離島で、少子高齢化やメディアの普及などで、話せる人が激減したという。
 来年12月に予定しているサミットには、危機言語の継承者や自治体の担当者、研究者らが参加する見通し。それぞれの活動を報告し、交流を深める。東日本大震災で被害を受けた東北地方の自治体や、方言の保存に熱心な地域にオブザーバー参加を呼びかけることも検討している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130925-OYT1T00643.htm?from=ylist

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アイヌ文化と技術を丸ごと紹介 新千歳空港で工芸品展

2013-10-01 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2013年 9/26)
 アイヌ民族の伝統工芸品を展示・販売するアイヌ工芸品展「アイヌモシリ」が、新千歳空港国内線ターミナルビル4階で開かれている。伝統の文様が施された伝統衣装や小物などが並び、来場者がアイヌの伝統文化に触れている。
 不動産賃貸事業や福祉事業を手掛けるプライム(本社新ひだか町、木原広社長)が開催。道内外をはじめ海外からの旅客が行き交う空港で、アイヌ文化への理解を深めてもらおうと企画した。白老町、新ひだか町などから、伝統工芸を手掛ける10の工房・事業者が出展した。
 会場にはアイヌ文様を施した伝統衣装やタペストリー、バッグなどを展示。また木彫りのクマなどのグッズも並ぶ。アイヌ文化への理解を深めてもらおうと、チセ(家屋)や食文化、祭祀の様子、ムックリ(口琴)、弦楽器トンコリなども、パネルで紹介している。
 開催時間は午前10時~午後6時半。11月30日まで。
http://www.tomamin.co.jp/2013095218

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アイヌ文化奨励賞、千歳支部の野本さんに 子どもたちに伝承20年「活動は種まき」

2013-10-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (09/26 16:00)
 【千歳】本年度のアイヌ文化奨励賞に、北海道アイヌ協会千歳支部の野本久栄(ひさえ)さん(62)が選ばれた。市内の末広小で20年にわたり、子どもたちにアイヌ文化を伝えている。「活動はアイヌ文化が理解されるための種まきだと思っている」と野本さん。これからも末永く活動を続けていくつもりだ。
 同賞は、アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)が、アイヌ文化の伝承や発展に寄与し、今後の活動が期待される個人・団体に贈っている。本年度は野本さんのほかに、道内外で4人が受賞した。
 野本さんは胆振管内白老町出身。40年ほど前に千歳へ移り住み、現在は、ちとせ環境と緑の財団に勤務している。1976年に道ウタリ協会(現・道アイヌ協会)に入り活動を始めたが、アイヌ民族に向けられる目は、白老と比べて冷たかったという。
 転機は30代後半。当時の千歳にはアイヌ民族の儀式を執り行える人がおらず、自らが担っていくことを決意。かつて千歳の人から儀式について学んだ北海学園大の藤村久和教授(当時)に弟子入りし、月1回、教授の自宅がある石狩市厚田区に通った。さらに、儀式に使う道具の制作も練習し、毎晩イナウ(木幣)を削った。「手抜きはしたくない」。習得するまで9年の歳月が流れた。
 1993年からは、長女が通う末広小でアイヌ文化を教えるようになった。毎年秋には、サケをマレク(もり)で捕まえ、イサパキクニ(サケの頭をたたく棒)で素早くしめるところを見せる。「言葉だけでは変に想像しちゃう。本物を見てもらうと、子どもたちは命の大切さを分かってくれる」と話す。
 末広小以外にも道内外の学校へ足を運ぶ。道内外20カ所ほどで儀式の手伝いもし、アイヌ文化伝承には欠かせない存在になっている。
 そんな活動を野本さんは「種まき」と表現する。「子どもたちが社会人になって、アイヌ文化を見聞きしたとき、子どもの時に見たものを思い出してほしい」。これからも種をまいていく。(鈴木誠)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/494168.html

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民族共生空間 「先住権」の議論足りぬ(社説)

2013-10-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (9月26日)
 胆振管内白老町に計画されている国のアイヌ文化継承施設が、2020年度に開設されることが正式に決まった。
 新施設は、08年に国会が行った先住民族決議に基づいて構想が進められてきた。
 国会決議はアイヌ民族にとって、過去の誤った政策で奪われた文化を取り戻し、諸権利を主張できるようになるなど、「先住権」につながる点で画期的な意味を持つ。
 だが、基本構想の具体化の中では、言語の普及に関する言及はあるものの、アイヌ民族の復権に向けた議論はほとんどない。新施設はあくまで、こうした理念を具現化するための一歩にすぎないと認識すべきだ。
 どのような権利をどう守っていくか。復権の中身をしっかり固め、議論を活性化していく必要がある。
 施設は「民族共生の象徴空間」と位置づけられた。
 アイヌ民族の歴史・文化に特化した「国立博物館」と、全国の大学が研究目的で集めた遺骨の「納骨・慰霊施設」、伝統家屋や工房が並ぶ「公園」の大きく三つで構成される。
 明治以降、政府は狩猟漁労に基礎を置いたアイヌ民族の生業を奪い、言葉を失わせる同化政策を進めた。
 政府の有識者懇談会が、国の政策によって深刻な打撃を与えたとの歴史認識を明確にし、政府に文化復興の責任を求めたのは当然である。
 国立博物館や工房は、先住民族としての権利回復を考え、人材の育成や海外の先住民族との情報交換を図る場にしていくことが不可欠だ。
 受難の歴史を国民に広く知ってもらう役割も忘れてはならない。
 生存のためのサケ漁や自然資源の利用権、アイヌ語の学習権・使用権、文様・工芸・意匠の知的財産権など今後の検討課題はいくつもある。
 開設前に解決すべき一番の問題は、大学研究者が過去に墓から掘り起こすなどした遺骨の返還だ。11大学に1635体も保管されている。
 このような現状を放置していては、国会の先住民族決議でうたわれた「名誉と尊厳を保持する」との理念は空文と化す。各大学は迅速かつ丁寧に返還作業を進めるべきだ。
 とりわけ、遺骨や台帳の管理が徹底されてこなかった北大の現状は深刻だ。返還作業は困難を極めるだろう。だからといって、中途半端に終わらせるわけにはいかない。
 その観点から、今月、来道した菅義偉官房長官が記者会見で、先住権の確立や遺骨返還の徹底を確約しなかったのは極めて残念だ。
 理念を欠いては多民族共生社会の実現は望むべくもない。その認識を国をはじめ、関係者全体で共有していく姿勢が何よりも欠かせない。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/494067.html

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オバマ大統領、マレーシア訪問中のTPP署名はない マレーシア通産相

2013-10-01 | 先住民族関連
レスポンス 2013年9月26日(木) 10時00分
マレーシアのムスタパ・モハメド通産相は、10月に予定されている米国のバラク・オバマ大統領のマレーシア訪問と環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)は直接関係がないと述べ、オバマ大統領の訪問中に署名することはないと言明した。ザ・スターなどが報じた。
下院議会の質疑に応じたムスタパ氏は、9月21日に終了した米国ワシントンでの直近の交渉ラウンドではあまり多くの進展がなく、TPP交渉にはまだ未解決の問題が山積していると指摘。TPPへの合意は強要されるものではなく、マレーシア政府が自主的に判断するものであると強調した。
その上で、マレーシア政府が中小企業やブミプトラ(マレー人および先住民族の総称)の権益を犠牲にすることはなく、一部で囁かれているようにオバマ大統領の訪馬の際に署名することはあり得ないと強調。訪馬とTPP交渉が関係ないとすれば、オバマ大統領の訪問にあわせてTPP反対のデモを行なう理由もないと指摘し、オバマ大統領訪馬の際に懸念されるデモの動きを牽制した。
《伊藤 祐介》
http://response.jp/article/2013/09/26/207168.html

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