先日、アート玄羅さんで開催されていた写真家 六田知弘さんのオフィシャルウェブサイトを見てみると、Topics「月星夜」(2021.10.29)に非常に興味深い写真が載っておりました。
それは、まるでゴッホの絵のように見えるラピスラズリの原石を撮った写真です。
その写真は、
https://www.muda-photo.com/topics/index.html
で見れます。
私は、正直、驚きました。そのラピスラズリの原石は、先日の個展の際に、「石の華」に立ち寄って下さった六田知弘さんが、「石の華」で購入されたものだったのです。私は、その石を店内で何度も見ておりましたが、まさか!六田さんの写真のように見えた事はありませんでした。一流の写真家には同じ石でも全く違って見えていたのだ、という事を知ってしまいました。
これまでにも、店主の私にも気付いていなかった石の魅力を見いだして下さるお客様は、何人か、いらっしゃいましたが、今回のようにゴッホの絵画作品のような写真作品を撮る方はいませんでした。参りました。
(そう言えば、先日の個展の際に、ある教会の写真作品があり、それを見て、私は「アンドレイ・タルコフスキーの映画で見た廃墟の教会を思い出す」という話をしてしまったのですが、その話がきっかけで、六田知弘さんもタルコスキー好きだった事がわかり、そこから話が思わぬ方向に流れてしまいました。世の中せまかったかもしれません。)
写真家の目は、どうも、普通の人々の目とは、異なっているようです。
六田知弘さんのオフィシャルウェブサイトのTopics「ウミユリの化石」(2021.03.05)には、写真家と被写体との相互作用について、興味深い事が書いてありました。
私はこれまで、写真芸術とは被写体の一瞬を切り撮る技のようなもの、と思っていましたが、それだけではなく、被写体の本質に迫り、自己と一体化したある種の芸術的な時空とも言うべき場のようなものを表現したものであった、という事を悟りました。
今日のブログの写真はありません。私の写真は単なる記録に過ぎないからで、今日の話題には相応しくないからです。