今日は「泡3」です。過去に「泡1」(2013.05.16)、「泡2」(2013.05.17)で、「泡」のタイトルを使っておりました。
その昔、透明な水晶の丸玉に似せた溶錬水晶という名前のガラスの丸玉がありました。それは結晶した透明な水晶を丸玉に加工したものではなく、単にガラスを固めたものであって、廉価で、粗悪なものには必ず内部に泡があって、肉眼的にもすぐに人工物とわかりました。その場合の泡とは天然石か人工ガラスかを簡単に見極める際の重要な要素だったと思います。もっとも、最近では、泡の無いガラスの丸玉もあって、それらは熱伝導率の違いや偏光板を使って区別できます。
そうそう、話がそれてしまいますが、つい最近になって、気づいた事のひとつに、有名なM.C.エッシャーの「Hand with Reflecting Sphere(1935年)」のだまし絵があります。その版画は水晶球を持ったエッシャーの自画像だと思っておりましたが、実際に水晶球を持って見ても、透けた向こう側の対象物が上下反転して映るだけで、その版画のように鏡面像を映す事はありません。どうも、私は、長年にわたり、騙され続けていたようです。
さて、水晶球を模したガラス球の中の泡は、どちらかというと、ネガティブなものだと思いますが、現代のガラス工芸作家の中にはそのようなガラスに入ってしまう泡をポジティブにコントロールして入れ、その泡を作品作りの表現に取り入れてご自身の作家性を出している人がいます。
上の写真はそのような作家のおひとりである所志帆さんの作品です。意図的に入れてある小さな気泡の並びは見事なものです。円錐状の頂点から下部の半球状の部分へと視点を動かしていくと泡が規則正しく並んでおり、さらに透明なガラスのレンズ効果もあり、その不思議な視覚の変遷が非常に印象的な作品だと思います。
次は小坂未央さんの一輪挿しです。こちらはさらに微細な泡が揺らいでいるように織り重ねられており、内部の球状の空間にも反射して映り込むという複層された面白さがあります。ほのかに青く染まっているのは微妙に呉須を使っているそうで、色彩的にも進化しております。今後の作風の進化にも期待できるような作品だと思います。
このブログは石のブログなので、最後は水晶のポイントです。
この水晶の面白い所は、水晶内部のインクルージョンです。この白い靄のような部分は何なのでしょうか?上の小坂未央さんのガラス作品のように揺らいでいるようにも見えます。もしかすると、さらにさらに微細な顕微鏡サイズの泡?なのかと錯覚してしまいそうです。普通のファントム水晶とは違った何となく和風な感じのするこの正体はいったい何なのでしょうか?