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鑑賞と観賞

2014-07-07 15:07:57 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「鑑賞と観賞」です。

「鑑賞」という言葉は映画鑑賞や音楽鑑賞といった使い方をし、「観賞」という言葉は菊花観賞や観賞魚という場合に使われます。もちろん石の場合には観賞石といいます。

ただ、この「鑑賞と観賞」という言葉は厳密に使い分けられていません。インターネットの世界では誤用が当たり前のように横行しておりますし、水石の専門書を発行している出版社でも間違って使われているケースもあります。

そもそも「鑑賞」という言葉は芸術に対して使い、「観賞」という言葉は「自然」に対して使います。音楽や絵画や映画などは人間が創る芸術作品です。石はもちろんの事、菊の花や金魚や錦鯉なども自然のものです。「鑑賞」か「観賞」かは、はその対象が何であるのかによって決まるのです。

そのように理解すると「鑑賞と観賞」の使い分けは分かり易い、と言えます。

「鑑賞と観賞」という言葉の使い分けは本来分かり易い事だと思いますが、実際のところは誤用も含めて、かなり混乱しているようです。

それにはもしかすると、パソコンの文字入力が関係しているのかもしれません。文字入力で「かんしょう」を入力すると様々な漢字が出てきます。同音異義語の多い日本語では、単純な選択ミスにより、誤用が頻発してしまう、という事があるのかもしれません。以前、マンションの規約に使われていた「準ずる」という言葉の誤記・誤変換で「順ずる」という文字が使われており、不愉快な思いをした事があります。日本語の微妙な意味の違いは正しく使う必要性があると思います。特に利害関係が生じるような規律の文章には自己都合解釈が可能な曖昧な言葉は使ってはいけません。また、その誤用が定着してしまう事も問題だと思います。

さて、「鑑賞と観賞」ですが、「鑑」という字にはかんがみる、照し合せてみる、見わける、という意味があり、「観」という字には、みる、詳しくみる、ながめる、という意味があります。芸術に対してはその表現者と鑑賞者という関係性があり、石や花や魚などに対しては自然と観賞する人間という関係性があります。「鑑賞と観賞」は芸術作品という人間が何かを表現して創ったものと表現されたものではない自然が自然に造ったものとに対する見方の違い、といっても良さそうです。

そのように考えると「鑑賞」と「観賞」との違いは明確です。

ただただ、「鑑賞」と「観賞」との違いは明確だとしても、そう単純でもない事があります。

例えば、観賞石に関してですが、石そのものは自然のものだとしても、それに台座を付けたり、水盤に置いたり、さらに石を磨いたり、石そのものに手を入れたりして観賞石に仕上げる行為は人間の表現行為が介在しています。そのような行為は創作活動であり、広義の芸術の範疇に入ると解釈できます。それと同じような解釈はその対象が石だけではなく、花や魚に対してもあるかも知れません。そのような人間の表現行為が介在するものに対しては「観賞」という言葉よりも「鑑賞」という言葉を使った方が適切だとも考えられます。

「鑑賞と観賞」は単純そうで、その厳密な意味は、そう簡単な事ではなさそうです。

コメント
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