西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

思い出す先生方ー小学校編(1)吉村不二子先生

2005-07-14 | 金沢の思い出
昨日、地域居住学Ⅰの講義で、千里ニュータウンの小学校計画の話で、当初、東大の吉武研究室(吉武泰水先生の研究室、吉武先生は西山先生と共に日本の建築計画学の確立に尽力された。故人)で考えられた「低学年校と高学年校のセット」の話をした時、「君達、小学校の先生で思い出す影響を一番受けた先生は、何年生の時の先生か?」という挙手アンケートをとった。すると予想はしていたが、5・6年生、3・4年生、1・2年生の順で多かった。私は、どうかと言うと、先ず金沢市立十一屋町小学校3・4年生の時の担任・吉村不二子先生だった。先生の思い出を少し話そう。もう55年程前のことで、先生は、まだ大学を出たばかりで溌剌として髪を短く揃えボーイッシュな感じだった。「六とう林」の先生のお宅にも遊びに行った。先生の教え方で印象に残っているのは、毎日、朝、新聞を読んできて「どういうことがあり、それについてどう思うか?」ということを短時間やられたことだ。恐らく今で言う(昔も言ったのかもしれないが・・)NIE(Newspaper In Education)を実践しておられたのだ。未だ漢字もそう多く読めない年代だったが、何とか先生の期待に応えようと毎朝早く起きて玄関で一番で新聞を読んだ。朝鮮戦争が起こったり、スターリンが死んだりした時代で、それらのニュースも、この教育で頭に残っているのではないか。先生は、数年勤められて結婚され、京都の綾部(ご主人はグンゼ勤務)に行かれることになり、我々は6年生頃に金沢駅に見送りに行った。私はホームの柱の陰で涙が止まらなかった。その後、年賀状のやりとりはずっと続き今も続いている。私が学位論文をまとめた時、ネクタイピンをお祝いに頂いた。先生はご主人の定年の後、一家は金沢に戻られ、田上(現在の金沢大学がある所近く)に住んでおられる。

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