西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

金沢の今はない空間(1960年頃まではあった)

2005-07-12 | 金沢の思い出
兼六園球場や兼六園下の金大附属小・中学校(旧制第二高女)は、今はないことを言ったが、他に当時(1960年頃まで)あって、今はない生活空間を一寸上げて後々ぼちぼち思い出を語りたい。

・金沢市電、・金石(かないわ)に行っていた電車、・北陸本線準急「ゆのくに」、
・十一屋町小学校の木造校舎、金大附属高校の兵舎転用校舎、泉野にあった金沢市立工業高校、
・寺町二丁目(一丁目か)にあった金沢市民病院、古い石造りの金沢市役所、
・丸越百貨店(中に民放MROあり)、大和百貨店(片町)、寺町、片町、竪町、新竪町の店も大きく変わった、
・北国第一劇場(浅野川沿い)、シネマパレス(寺町一丁目)、
・南端国道(コンクリートの道)、犀川大橋横の火の見やぐら、
・犀川の土手・蛇かご、法島の「朝鮮」(と当時呼ばれていた集落)、
・本多町の「アメリカ文化センター」、昔の銭湯(私の家から利用可能は、6軒あった、犀川向こうに2軒である)
・私の桜畠の家、

他にも色々あると思うが、金沢におられた人達の助けを借りたい。

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