西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-5地中海カップ・マルタン小屋

2012-01-11 | 住まい・建築と庭
コルが最後にすごしたのは、南仏、地中海に面したカップ・マルタンだった。ここには、戦後1949年に訪れているが、恐らくマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」の設計・施工監理に訪れた合間に訪れたのではなかろうか。スイスの山に囲まれた所で生まれ育ったので明るい広々とした地中海に惹かれたに違いない。

後にコルに惹かれて建築家となるロベール・ルビュタト少年は12歳でヒトデ食堂の息子であったが、たまたまその開店の一番客がコルなのであった。そこでロベール少年とその親父さんとコルが出会ったのである。

コルは食堂の主人と懇意になり、近くにあるその主人の土地に1952年に小さな木造の休暇小屋を造りコルは妻イヴォンヌに捧げたのであった

8畳間ほどの広さで、カップ・マルタンでのコルの仕事部屋的意味合いも持ち、「ロンシャンの礼拝堂」は、ここで設計されたようだ。

小屋の窓からは、地中海が見下ろされ、対岸の丘の緑の間に住宅が点在している。また、この小屋は太陽の向きに合わせて平面的に回転できるように工夫もしたようだ。

海や山や森の中に住まいが見えているこのカップ・マルタンの小屋で「晩年」を過ごそうとしたのは、既にふれてきたように、一つにはスイスの山の中で生まれ育ったことから海に憧れを持っていたこと、もう一つには、建築に積極的に自然(の形態)を取り入れようとしていたことなどが作用していると私は思う。

若いころコルは「住宅は住むための機械である」と喝破したのであるが、現代(21世紀)の建築家は何と言うのであろうか。

この番組に登場し、「せんだいメディアテーク」を設計し、いわゆる柱を「なくした」形を生み出しコルの「ドミノ・システム」の新バージョンとも言われた伊東豊雄さんは、「住宅は精神に安らぎを与える装置」または「精神の浄化装置」と言う。「住むに(心が)澄む”」も含ませたということであろうか

また最近、茶室に「凝っている」藤森照信さんは、「21世紀の建築は、否応なしに人間の無意識領域に踏み込むのでは・・・」と言う。(ジクムント・フロイトの「無意識領域の発見」を思い起こさせるが、具体的にまだイメージ出来にくい・・・)

→1965年8月27日
コルは、カップ・マルタンの海岸で心臓麻痺で溺れ死んだのである。木造小屋の近くのコル自身が生前に設計し造っていた墓に妻イヴォンヌと共に眠っている。

私の過去ブログより:カップ・マルタン:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%A5%AB%A5%C3%A5%D7%A1%A6%A5%DE%A5%EB%A5%BF%A5%F3
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写真は、カップ・マルタン休暇小屋からの風景


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