西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

体験学校空間の位置づけ

2013-09-10 | 金沢の思い出
僕が生まれて行った「学校」は金沢時代の18年間に幼稚園1年、小学校6年、中学校3年、高校3年だが、校舎は、言ってみれば皆、木造、古いものであれ新しものであれそうだった。中学校の金沢市立野田中学校は、1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)の3年間通ったが1年のみ野田平和町の旧校舎(騎兵第九連隊兵舎)、2年生3年生は現在敷地に当時新築した木造モルタル塗りだった。現在のは、その次の鉄筋コンクリート造と思う。十一屋町小学校は元々小学校の古い木造だった。現在は建て替わっている。

高校のみ3年間古い騎兵第九連隊兵舎ー野田中の1年次と同じーだった。現在のは、これも建て替わっている。

で、まあ小中学は義務教育で私学などに行かなければ、公立ならば、どんな校舎だって文句が言えない。ところが高校は「義務」ではないので行こうと思えば、色々比較検討して受験校を選ぶ、となるであろうが、実際には、どんな校舎で、どんな教育空間で学習するのか、殆ど問題視していなかったと、振り返って思うのである。むしろ校舎より先輩、同輩、先生の人間的要素が選択の上位に来ていたと思う。最近、自分史を書きつつ思う。どうでしょうか。

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