西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

西行の「花」の和歌に対する後世の俳句について(3)

2007-03-21 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
以上(1)(2)と西行の「花」の歌に触発されて後世色々な俳句が生まれてきたことを述べた。(勿論、もっと調べるべし!)それらを見ていて、松尾芭蕉の「西行の庵もあらん花の庭」と現代俳人・角川春樹の「西行の庵の闇に花女郎」という句が共鳴しているのに気付いた。「西行、庵、花」と上五、中七、下五の頭を同じにしたのは、勿論、後世の春樹の意図である。ところが、この二句の風景は、全く別というか、いわば逆なのである。これも意図的に春樹がそうしたのである。芭蕉の風景は「桜の植わった見事な庭があるが、その奥にはきっと(死を待つ)西行の庵があるに違いない」といった春の風景であるが、春樹の風景は「西行の庵の闇(薄暗い床の間か)にひっそりと女郎花(おみなえし)が置かれているなあ」というもので、女郎花は秋の七草だから秋の風景である。女郎花は仏花でもあり秋の彼岸に置かれているとするならば、西行は先立つ春に亡くなって初彼岸を迎えた風景とも言える。もちろん、春樹の句の前提として、庵の外には庭があり春に咲くべき桜も植わっているのである。
このように春樹の趣向は、芭蕉の取り上げた西行の庵を真ん中に置いて、空間的には外の風景と内の風景、時間的には春の風景と秋の風景を連続的に捉え桜と女郎花(花女郎と記していることにも注意)の対比によって哀感を出そうとしたと言える。このように先人を受けながら、更に展開しうるのは、我々現代人の特権とも言える。ところで、「春樹」とは、即ち「桜」と思われるが、敢えて自分の名前でもある桜を避けて女郎花をもってきたのも角川春樹の趣向であろう。
このように関連二句を二重風景、展開風景とみる見方は前に「蕪村と芭蕉」で述べた問題意識と通底している。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ea0aa902bd26fd9a1ed8514fd24c2582

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