西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

思い出す先生方ー小学校編(2)宮林明次先生

2005-08-01 | 金沢の思い出
大分前に(1)で書いた吉村不二子先生は、NIEを実行された私の金沢市立十一屋町小学校(現在は「町」が入っていないが当時はあった)3,4年の時の担任だったが、最後の5,6年生の担任が大きな体の宮林明次(みやばやし・あけじ)先生で、既にお亡くなりになった。宮林先生は、体の大きさから「かば」というニックネームで呼ばれていた。6年2組で、今はなき木造校舎正面2階の左の端の教室だった。
私は、学級委員に選ばれた所為もあるが、昼休みなどに宮林先生の使い走りをすることもあった。銀行に行ってお金をおろした記憶もある。買い物もあったが、一番記憶に残っているのは、卵を八百屋で買ってくることだった。今は卵は安い値段の部類だが、当時も1個20円ほどで、当時としては高い部類だったのだ。入院見舞いというと卵かバナナであった。この卵を、授業の合間の休み時間に、生で飲まれていた。先生が皆に話すことで印象に残っているのは「健康第一、結核にならないためには栄養を取ること、生卵は大変良い」というもので自ら実行しておられたのだ。ところで10年ほど前に、クラスで先生を招いて久しぶりのクラス会を金沢でした。先生は80歳位だったと記憶する。その時の先生の話、又もや健康の話だった。「健康第一。癌にならないためには禁煙し酒も控えめに、食品も色々混ぜて・・」と。結核と癌というように時代と共に主な病気は変わるが、先生は何年経っても我々の健康のことを気遣っておられるのだな、と感謝した次第である。が、その「かば」先生も既に「のっしのっし」と三途の河原を渡られてしまった。

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