東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

皆さまよいお年を

2012-12-31 20:54:43 | 日々

P1011040慌てて夕方に仕事場から運んできて窯詰めしたものがようやく500°になりつつある画像です。このあと蓋を完全に閉めました。

どたばたしていてしっとりと年の流れを味わうという感じがしません。いろいろあったけれど振り返るとあっという間のようです。いろいろりましたが、ひとつよかったことというと鉄砲狐のことでしょうか。実際に並ぶまでにはまだ時間がかかるかもしれませんが、実質的に被官様での授与奉納物としての実用に扱っていただけること。これは自己満足ではありますが、大きな進歩のような気がします。

その鉄砲狐ですが、2月の初午前に3度目の納めをすることになっているのでそれに間に合うよう、それと何度も書いておりますが干支のほうは今年は引越しのため大幅に遅れていました。年明けにお渡しできるよう努力していますが、どうかお時間お許しください。

毎度のことですが、元旦は私の誕生日で、今回は五十路という大きな段差を感じます。なってしまえばどんなものかわかりませんが、、でも年をとるのはうれしくないですね。特に自分の場合年齢と中身のギャップというものを大きく感じています。

明けて自分を含めて、父や母家族の体調がどうなるか一番目先の心配ですが、まずはこれから志茂2丁目の「天富士」さん(赤羽の名店です。)から買ってきたかき揚げでお蕎麦を食べてから夜更ししないで寝ようと思います。

ブログにお越しいただいた皆様、暖かいコメントをいただいた皆様お世話になりました。来る新年もどうか引き続きお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。皆様よいお年をお迎えくださいますよう、、、。

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大晦日の救急受付

2012-12-31 20:28:48 | 日々

P101104429日に王子向けの招き狐をお納めに行ってやっと一段落でもないですが、その夜は何もしないで寝ました。晦日の昨夜は一日中雨足の強い天気だったため、仕事場で乾燥させたままだった干支や丸〆猫などを自宅の窯まで運んで素焼きすることができず、十五夜さんとのんびりとしていたのでした。

そして今朝、、、、。父に朝食を運んでいったところ何やら吐き出した形跡、、、話を聞けばお腹を下している様子。これはやばい、、、。急いで区役所に隣接する休日の医療相談に電話して、赤羽北にある病院が救急扱いでのみ診療を受け付けているのを聞いて、問いあわせ、タクシーで病院へ向かいました。受付には既に大勢の患者さん待ちになっていて赤ちゃんからお年寄り、海外の方まで順番を待っているのでした。やっと父の番となり問診の後血液検査と点滴とを受けることに、、。点滴は心臓に負担の少ないようにということでゆっくりペースで3時間かけて、そばで付きそうようにという指示。3時間というのは正直びっくりしました。院内にロビーの空きスペースのソファーに座って点滴を受けるのもしんどそうなら見ているだけというのもしんどかったです。午後になって点滴も済み、血液検査の結果で腎臓の機能が健康な成人レベルに比べてかなり低くなっているので、今日は整腸剤と下痢止めをもらって水分補給をしっかりと、おしっこができないと心配なことになるので2~3日様子をみてまた来院するようにということで帰宅しました。無理にでも食べ物を食べてもらい薬をのんでもらって床に入ってから時々トイレは?と聞くと、おしっこは出た、と言うのでそれを信じて様子を見ながら、古いしめ縄を氏神様に納めてきたり、薬局でピューレックス?(消毒液)を買ってきてトイレや吐瀉のあった辺りを拭いたりするうち既に夕日に。しつこくトイレの様子を尋ねて、合間に仕事場から乾燥した干支等を自宅の窯へ運び込み窯入れ、素焼きをはじめています。 仕事場の空のコンテナボックス(鉄砲狐用)を棚や冷蔵庫に積み上げてスペースを空け、掃除機と雑巾をかけて一年ぶりにストーブを点火できるようにはなりました。仕事場でやるべきことはまだまだありますが、今日はへとへとなので家に戻って父に夕食と薬を撮ってもらい確認して十五夜さんとひと息というところです。

年末年始に救急の外来を受ける機会というものが今までなかったので、今朝は舞い上がってしまったのですが、同じ赤羽に救急受付の病院があり、診てもらえたということだけでもありがたいこと。この時期シフトで動いていらっしゃるスタッフの方々も大変ですが、これがなかったら、と想像するだけでも恐ろしいです。それとたくさんの急患の方、、おそらく仕事納めまで無理して我慢せざるを得ないような状況のケースもあるんだろうなと思いました。病気は当然のことながらいつくるかわかりませんね。父の様子を見守りつつ、母も調子がよくないので場合によっては明日でもあさってでも一緒に救急でお願いしなければ、、?と考えています。私自身も心配の種、、今年はまだ忙しくてインフルエンザの予防接種を受けていなかったので、もしかすると病院でお年玉をもらってしまったのかも??気のせいか夕方からかすかな寒気を感じるのですがどうなることやら、、。

猫さんには影響はないようにどこかで読みました。一日中出たり入ったりしていたので2階から悲しそう声で呼んでいる十五夜さんでした。

みなさんもお体気をつけてくださいね。

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提灯飾り

2012-12-29 21:43:18 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011032一週間ちょっとぶりの更新になりますが、大げさな表現かもしれませんが、この一週間ちょっとこそは「死にものぐるい」の日々と言うくらいしんどい日々でした。

来年の干支の巳のものについては、羽子板市向けと浅草のお店向けの納めが済んだところで芝居に行ったりしましたが、そのあと年内に納めるべきお稲荷様のもの2件。浅草三社様境内に鎮座まします「被官稲荷様」の「鉄砲狐」と大晦日の狐の行列に向けての「王子装束稲荷様」の「招き狐」とを仕上げなければならなかったので、干支はひとまず置いて、狐のお姿に専念していました。どちらも成形や素焼きはとっくに済ませてあったもので、やすりがけと絵付けだけではあったのですが目標数が干支の比較にはならないほどなので、数をこなすしんどさを身にしみて感じました。生憎、疲れのためか風邪で熱をだしてしまい立っているどころか椅子に座っていることさえ息苦しい状況で、伏せているだけでも辛かったのですが、残り時間の砂時計が頭をよぎり、数時間布団で過ごしたあとで作業を再開するなどしていました。あと仕事場にストーブがつけれない状況なのも、厳しかったです。三社様へは昨日お納めに向かい、今日はは王子の狐を仕上げて届けてきました。体はとうに参っていましたが、とにかくお納めできてほーっとしました。

届け終わって王子の街を歩くと大晦日の「狐の行列」の提灯が点っていました。

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今年も残すところ2日。巷では昨日が仕事納めだったでしょうから、多くの人々は家の掃除や飾り付けなどで忙しくしていらっしゃることでしょう。母が「一夜飾りはよくない」というので、へとへとの体で神棚や門松の飾り付けは済ませましたが、よくよくご近所を見渡してみるとまだ門松を立てていない家が多いです。ちょっと早いのか?「一夜飾り」というのは大晦日にことでしょうか?年内の狐の納めがとりあえず済んだので、再び干支の残りの製作を再開します。

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干支をお待ちくださる皆様、大変恐縮ですが、種類によっては成形して数を足す必要のあるものも出てきそうですが、ご迷惑ながらお時間お許しください。まいどながらすみません。


近頃での贅沢

2012-12-22 15:47:31 | 日々

P1011030何年ぶりの国立劇場でしょうか。歌舞伎だの大好きなんですが、数年来足が遠のいていました。一番最後に劇場に足を運んだのが歌舞伎座で三津五郎さんの「六歌仙」の通しが出た時だったか、同じ三津五郎さんの「道成寺」が出た時、または吉右衛門さんの「河内山」が出た時だったかのいずれかです。公演の宣伝がでればチェックをしいきたいなあ、と思っていても目の前の雑事だの体の不調の理由でなかなか動くことができなかった自分に言い訳していましたが、今回の吉右衛門さんの鬼一と大蔵卿の二役は配役を聞いた時から後悔しないよう絶対にいかなければ、、と思っていたのでした。一昨日、人形玩具学会での芝居好きで懇意にしていただいている方お二人とご一緒させていただきました。本当に久しぶりのことでもあり、吉右衛門さんのお役であるということだけでも折紙つきであることは確かなので奮発して一階の七三脇をとりました。(ドブ側ではなくて正面側!)やっぱり行ってよかったのひとことに尽きます。決して悲しいあらすじではないのですが、吉右衛門さんのセリフと動きの滋味に嬉し涙がでてしまって、、いい年したおじさんが恥ずかしいですが、、本当によかった。梅玉さん、魁春さんも失礼ながら厚ぼったくなっていてよかった、十二単を着る役って位取りが大変だと思いますが、ちっとも衣装負けしないでしかも大きくて。梅玉さんの虎蔵も年輪がニンに染み付いて柔らかくてよかったです。生意気ですが、梅玉さんには世話物の路線でも独特の役柄(例えば忠七とか)見せてもらいたいなと思いました。

先日の勘三郎さんの訃報を聞いて、これからの歌舞伎の楽しみが大きく崩れ落ちてしまったような気分になりましたが、今月の国立は(個人的にも)昔ながらの劇場で昔ながらの役者さんたちでこれだけ楽しかったのだからまだまだ先は楽しみだ、、と感じました。

ここで書いたところでひとりの我儘に過ぎませんが、今後の興行の演物と配役など、「またまたかの関」ばかりでなく早く演さないと本当に演なくなってしまうようなものもきちんとしてやって欲しいです。

観たいもの、、、、「競伊勢物語」(吉右衛門さん)、「宇都谷峠」、「朝顔日記」、「法界坊」(吉右衛門さんでもう一度。最近の変な演出ではなく)、「新版歌祭文」(母もだして)、「妹背山」(お三輪の通し)、「長町女腹切」、「寿門松」、「桂川」、「天の網島」、「日蓮上人」(大昔歌右衛門さんがやっとというもの)、「志度寺」、「三十三間堂」「乳貰い」「とんとんの三吉」「宿無団七」、「佃夜嵐」、「五大力」「三五大切」「本町糸屋の娘」「双蝶々」の通し(昔国立で上演したというかたちで)、、。初演から100年以上上演されていない台本の復元というのも意味はあるかもしれませんが、むしろそれよりは明治大正戦前までは時々上演されていたのに最近全くでないもののほうが観たいですね。古すぎる台本の復元上演で現代の感覚の楽屋落ちとかギャグがはいるのは俳優祭のような場での「そそり」ならいいでしょうが、本公演では見ていてちょっと痒くなってくるような気がします。

芝居がはねてから新宿まで出て、西口の飲み屋さんでおいしいものをつまみながら芝居の話三昧の夕べでした。楽しかったなあ、、。

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羽子板市 2012

2012-12-19 22:07:15 | 日々

P1011028羽子板市も今日19日で終わりなんですね。

画像は初日の17日、お墓のお参りの帰り、お昼過ぎに寄ったところで撮影したものですから、2日目最終日の様子はどうだったか気になるところです。

お世話になっている吉徳さんのご出店。昨年よりも大きな小屋掛け?になっていました。

拙作の人形も飾ってくださっているのを撮ってきました。初日も2日目も雨が降る時間帯があったようですがどうだったでしょう。

今年は吉徳さんだけではなくご出店のお店すべて覗かせてもらいました。羽子板に関しての専門ではないので、どうこういう資格などありませんが、歌舞伎を題材にした押絵の羽子板でもすっきりとして「いいなあ」と思うものとそうでもないものとがあります。同じ狂言の同じ役で同じような動作の一瞬を捉えたものが複数あっても「いいなあ」とそうでないもの、面相や布の善し悪しだけでなく、羽子板の形に収まる構図でかなり印象が変わって見えるということですね。

弁慶とか見得で目を寄せているものでも加減次第で大げさな感じになってしまうものですね。

あと題材ですが、最近ほとんど舞台に出ないような狂言のものもあるのが不思議に思いました。例えば「河庄」(心中天網島)の頬かむりした治兵衛なんか今どき珍しいなと思いました。

観音様の裏手のイチョウの木が見事。「田圃から拝む観音様後ろ向きとは曲がない」とは助六に出てくる白酒売のセリフですが、お堂裏からの眺めも十分見事です。

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江戸東京博物館 資料の私物化はいけません!

2012-12-19 20:07:10 | How strange 江戸東京博物館

 

P1010737_2今から20数年前、今戸焼の土人形の伝統的な最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年から昭和19年)のご遺族である金澤家より江戸東京博物館に翁のお作りになった今戸人形と当時の様子を偲ぶ写真資料が寄贈されたのは皆さん周知のことだと思います。後年画像のような報告書が発行されました。(今戸人形に関しての記述は誤りが多い→) また、寄贈者の名前が間違っていたということを金澤家の方から先日お聞きして、確かに間違っています。

さて当時の寄贈の際以来、困ったことがありました。春吉翁の娘さんである花さんがご健在でいらっしゃた折、昔の今戸人形つくりの周辺に関するお話、金澤家にかかわりのある人々の思い出などを語った内容をカセットテープに録音したものが存在しているのですが、そのテープが江戸東京博物館から20数年来金澤家に戻って来ていないそうなのです。

人形や写真等の寄贈の際、どうなってしまったのか、、?当然私は部外者ですから知るよしもありませんが、金澤家のお話によれば、当時、もし江戸博がテープの内容を研究に必要であればダビングしてあげたかったが、生憎家の機械の調子が悪かったので、館へ持って行ってダビングしてもよいですよ、、。というつもりで担当者(小金井市にある江戸東京博物館○○園の現管理職である「Kとんかつ氏」に預けたのだそうです。実際その時点でどのような手続きがとられどうなっていたかは調べてもらわなければなりません。(江戸博側は寄贈されたと都合よく解釈、判断しているのでしょうか???)

問題はここからです。寄贈時以来、そのテープについて江戸博から何の連絡もなかったそうで20数年テープは金澤家にありません。家族の思い出の品として家の宝であるはずです。

さて話は変わって、私が自分の耳で「とんかつ氏」の身内の人から聞いた話。

「金澤花さんの語っているテープは江戸博では資料として使用する意思はないので、そのテープを私(とんかつ氏の身内の人)が文字に起こして発表するつもり、、、。」

この話を聞いた直後は私もぼんやりとしていましたが、あとあと考えてみると、これってかなりおかしな非常識な話ではないかと、、、。

金澤家がダビングできるように学芸員の(Kとんかつ氏)に手渡して以来20数年、結局闇の中に葬られていたような状態。(20数年はいったい何だったのか?)金澤家は江戸東京博物館に対して資料としての活用に協力してあげたのであって、Kとんかつ氏個人にあげたわけではない、、。江戸博でそのテープの内容について必要ないと判断した時点で、金澤家にその由お伝えして白紙に戻すのが常識。それがどうして個人の判断でその身内に横流しとなってしまうのでしょうか!!!これこそ立場を勘違いした資料の私物化ではありませんか???

おかしいと感じるのは自分だけなのか?と頭をかしげつつ、金澤家の方とその件についてお話していたところ、返してくれないので困っている。また江戸博以外のためにテープを貸したのではない、と心外なお気持ちでいらっしゃるので、代わりに東京都の担当部署へ問い合わせし、調査してもらうようお願いしてあります。早くテープそのものなり中の音声なりが金澤家のご家族のもとに戻ることを祈りつつ、心配しているのは、如何に江戸東京博物館の職員とはいえ、個人的は判断で預かった資料を身内に横流ししようという感覚です。要するに江戸博では必要ないから身内の研究成果として発表させようという感覚。

まず学芸員という立場。東京都の職員です。ちょっと違うかもしれませんが東京都内の公立学校の教職員とも職務の上でのモラルとか使命は共通するのでは、、、?例えば学校の先生は生徒さんたちの成績関係のものから個人情報に関するものを学校外に持ち出すことは当然禁じられています。ましてや、自分の受け持つそうした重要書類だのを自分の身内に見せたり預けたりするなんて言語道断です。学芸員の人たちにとって博物館宛の資料を個人的に自分の身内に見せたり触らせたりということ自体職務上問題あることになるんじゃないでしょうか?

思えば20数年前、寄贈の橋渡しに尽力された故・浦野慶吉さんこそ、テープの内容を整理するのに最もふさわしい人だったと思うし、そうでなくとも江戸博以外でもいいから誰かによって金澤家への礼儀や常識的な手続きを踏んだ上でもっと早い時期に内容の書き起こしがなされ、今戸焼き、今戸人形に関心を寄せる人々の研究の手がかりになっていたならばどんなによかったことか、、、。20年の空白の間には今戸焼今戸人形に関心を寄せていたのに亡くなられた人も少なくないと思います。無駄な20数年という時間が亡くなられた人々から知る機会を奪ってしまったともいえるでしょう。

部外者ではあるけれど、悔しくてしようがない話です。(実をいうと、この話のあと、とんかつご妻女K子さまと某東京大学M蔵文化財調査室のH准教授という人のタッグによりひどい目に遭いました。ご恩を感じている尾張屋さんがお困りのことについて代わって事実をお伝えしただけなのに、「うちの旦那を陥れた」という理由をつけて、、、。教育とか文化とかいう関係の社会の中でもこうした自分たちの都合で「臭いものに蓋」的なことをして平気で罷り通るという現実には唖然としてしまいます。)

 

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追憶

2012-12-17 19:33:41 | 日々

P1011026今日から3日間浅草の羽子板市。いつものように江戸伝来の今戸焼の土人形(今戸人形)の最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のご墓所をお参りさせていただいてから、観音様境内へ、というコースではあったけれど近頃になく悲しく寂しいお知らせ。春吉翁のお孫さんにあたる武佑さんがつい先ごろご他界されたとのこと。 春吉翁には当然のことながらお会いできる年齢ではない私ですが、数少ない機会でありながら武佑さんから尾張屋さんのこと、昔の今戸のことなどリアルにお話をお聞かせいただけたことは何よりありがたく、幸せだったと思う反面、欲をいえば際限ないけれど、もっともっとお話を伺えたらよかったのに、、と悔やまれてなりません。最後にお目にかかった折、春吉翁の実父である作根弁次郎さんのお話をしながら「猫屋」さんという屋号だったんですよね、とお話したら「そうだそうだ」ととても懐かしそうなお顔をされていました。「猫屋」の話は30年近く前に今戸で燃料屋さんを営んでいらしたおじいさんや葛飾に移転された白井和夫さんたちの口からもお聞きしていて、そういうところから昔のリアルな今戸の様子の断片が聞ける楽しみがあったのですが、、昔の今戸はまたひとつ遠くなってしまうのだと思うと悲しいです。余計なお世話かもしれませんが、電話でお墓へのお参りのお許しをいただいてお線香をあげさせていただきました。ご冥福をお祈りいたします。

追伸:お電話で奥様とお話していて、今更ながらお聞きした話。江戸東京博物館の「今戸焼」の報告書で武佑さんの名前が間違っているという話。うっかり私も見落としていたけれど言われて見ると「金澤武祐」となっている。15年前に発行されたもので、私も何度も手にしていたのに誤りを見落としていたなんて。執筆者の責任(小金井の〇〇園の管理職であるとんかつ氏)ではあるけれど、読者として見落としていた私も申し訳ない気分になりました。


自己満足、、、、、

2012-12-16 01:00:04 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011010新年の干支とともに今回初登場の「おかめの火入れ」を乾燥させているところです。今戸の再現をめざしはじめてから20年くらいになりますが、この「おかめの火入れ」も今戸焼としては昔から代表的なもののひとつで、何度か挑戦してみたのですが、忙しくていつの間にかわすれていたりして、今回の挑戦でやっと原型ができあがり、素焼き彩色ともにできました。写真ではちょっと見えにくいかもしれませんが、これらのおかめの火入れは全体に膠溶き胡粉で地塗りをして乾いてから顔を描いて、そのあと顔以外をすべてきら(雲母粉)で塗り、顔の周りに手ぬぐい部分はただの白ではなくてきらです。べんがら(酸化鉄)で茶色に塗っている部分の下地もきらが塗ってあるのでかすかにメタリックな光沢がします。被っている手ぬぐいには豆しぼりの模様でもよいのですが、今回は蛸足しぼりを描きました。ひょうたんの柄もあったようです。おかめの目の描き方も昔のものを幾通りかみているので描き分けてみましたが、個人的には一筆目が一番似つかわしいように思います。

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2枚目の画像のがそれでして、恥ずかしながら自己満足しています。他のおかめたちは既に羽子板市向けに納めに行ってきましたが、この子だけは当分部屋に残して自分で楽しみたいと思います。


羽子板市

2012-12-15 00:58:01 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011022例年のとおり浅草の羽子板市は12月17日(月)18日(火)19日(水)の3日間催されます。

私事で申し訳ありませんが、今年も商業305年を迎えられたお人形の「吉徳」さんのご出店のブースで拙作の人形を置いてくださることになっています。お近くの方、遠くの方にかかわらずお出かけの際には「吉徳」さんのご出店もどうぞご覧ください。観音様のお堂に一番近いあたりだろうと思っています。

※なお、拙作のものについてご贔屓くださっている皆様へお知らせ申し上げます。この2つ前で紹介させていただいた拙作の巳のうち、2種類目の「巳抱き弁天」と3種類目「成巳金小判乗り巳」と4種類目「虫拳」は「吉徳」さんで置いてくださることになっておりますが、一種類目の「三寶乗り」については仲見世のお店に並びます。

遠方でお出かけになれない方、お時間お待たせしても結構であれば直接私までご連絡ください。

P1011025上の画像は観音通りに掲示してあった昔ながらの絵びらですが、上野駅の列車到着ホールにもこんなに大きな垂れ幕がありました。


ほーっとして

2012-12-15 00:37:21 | 日々

P1011014昨日12月13日が浅草の羽子板市を前に今年で創業301年を迎えられるお人形の「吉徳」さんへ作ったものをお納めする期限としてお約束していたので朝から荷造りして午後タクシーでお納めにお邪魔してきました。ここ浅草橋の現在の本店の建物に建て替える工事の際、地中から木箱が発見され、中から大量の今戸人形が出てきたというお話は先々代の山田徳兵衛さんやその娘さんである現吉徳資料室長でいらっしゃる小林すみ江先生の著作の数々にも記されています。つまり吉徳さんでもその昔には今戸焼の土人形を取り扱っていらっしゃった時代があった。そうした歴史を含め拙作の土人形を羽子板市でのご出店で置いてくださるという御温情を賜っているわけなのです。

さて品物をお納めしてこれまで数ヶ月溜まっていた体中の緊張がいくらか溶けたような心持ちで浅草まで隅田川に沿って歩いて行こうと思い立ちました。まずは「首尾の松」をめざして、、、。

P1011015若い頃、上野に努めていた頃、隅田川の渡し舟とか川沿いの名所などのジオラマを作ったことがあるので首尾の松のある位置というものは知っているつもりで川沿いの遊歩道をうろうろ、、、しかしおかしいな何でないのだろうを行ったり来たりしているうちに蔵前橋に。

橋の袂に3本の松が見えるのでもしや、、と近づいてみると「首尾の松」とあるじゃないですか。しかしよく説明を読むと、本来の位置はもっと川下で私がうろうろしていた辺りでよかったみたいです。それにしても夕暮れに光るスカイツリーって不気味です。クラゲのようで怖い。                                                     

P1011018P1011017_2蔵前橋から江戸通りまで戻って、江戸通り沿いから一本川寄りの裏道を選んで北上していくと案外落ち着いた店や住まいなどあっていいですね。厩橋を過ぎて駒方橋際でまたシャッターを、、。

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このあたりまで来ると灯りも溢れていて賑やかになってきますね。駒方堂の裏道をさらに北上すれば吾妻橋。この「うんこビル」もできて久しいものですが、それより前の赤い電飾のアサヒビールの工場(倉庫?)の見えた対岸の本所の景色が懐かしいです。せっかく浅草まできたのだから何かおいしいものを、、、。

P1011021とはいってもいつもの「青森のラーメン」以外でということで月並みかもしれませんが、久しぶりに大黒屋の天丼を食べに行きました。ひところここでしょっちゅう食べていた頃はマンネリになっていたせいかそんなに感じなくなっていたのが、今回は数年ぶりともいえるのではじめて食べた時(正月の浅草公会堂の歌舞伎が始まった頃、、玉三郎の絶間姫に吉右衛門の鳴神上人だった)ほどでもないにしろとてもおいしかったです。そのあとちょっと恥ずかしいのですが実は尾張屋の車海老の天ぷらそばも食べてしまいました。今夜は特別。一人ではお酒は飲みませんが、だれか先達になってくれる人がいたらちょっと浅草でも飲んでみたいです。

今夜は家ではなにもしないでよく寝ようとおもいました。

干支の続きもあるけれど、今度は被官様の鉄砲狐と王子の装束稲荷の招き狐を完成してお納めしなければなりません。

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遅ればせながら干支の巳

2012-12-14 23:34:11 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P101101312月ももう半分きてしまいました。塗上がった状態の拙作の来年向けの干支ものを紹介させていただきます。今年の場合は一種類を除き伝世の古い今戸焼の巳の土人形が確認できないためおおかた創作になります。

①「三寶乗り巳」

三寶の上に小判の山。その上に宝珠を抱いた白蛇が乗っているという構図です。小判の下の紙には向かって左の側面から正面、右側面にかけて「成・巳・金」という文字を入れました。これは昔からの東京の年中行事のひとつ弁天様の「成巳金大祭」(なるみかねたいさい)をイメージしたものです。上野不忍池の弁天様のお祭り(例年9月)が有名ですが浅草の弁天山でもあったのではないかとおもうのですがどうでしょう。成巳金=成身金にも通じる縁起のよい言葉です。実はこの人形の成形には手間がかかりました。前後2枚の型では抜けないので、三寶の胴の部分、上の受けと小判の山の部分、蛇の部分の3つの部分を別々の型で抜き出し、合体させ、少しおいてから胴の孔を切り出すのです。まあ作る本人としては手間ではあっても出来上がりがよいかどうかは別ですね。でも今回の巳4種類の中では一番まとまりはよいのではないかと思っています。

P1011005②「巳抱き弁財天」

この弁天様の姿形については古い今戸焼きの色のとれてしまった人形に忠実に原型を起こしてみました。お手本よりも拡大してあります。右袖の上に白蛇を抱いていますが、ここだけ私の創作で加えたもので、原作の形では蛇はいません。但し、構図はかわらないので、蛇がいないだけの姿を想像していただければ原作に近いと考えてもらえればよいと思います。配色については全くの想定で、今戸人形でよく使われる朱色と群青、白緑、黄色でアレンジしてみました。袖から手を出していない姿なのでどう塗ったらよいか迷ったのですが、苦肉の策で繧繝風に塗ってみました。

③「成巳金小判乗り巳」

「成巳金」については昔からの東京の年中行事であること記しましたが9月の成巳金大祭のときには昔から弁天様から縁起物の小判と財P1011007_5布が授与されてきました。現在でも小判や財布は大祭当日に授与されるようですが。小判のデザインは昔のものとは変化しているので、明治時代のデザインを応用してみようと「東京風俗誌」(平出鏗二郎 著・明治30年頃?)という本の挿絵に描かれている当時の成身金小判を手本の台座の小判を作り、上に乗る白蛇には手びねりの小判を咥えさせてみました。この白蛇も宝珠を抱いていて台座と加えている小判と金だらけで短調な感じがするので宝珠だけは群青に塗ってみました。画像でおわかりになりづらいと思いますが、台座の小判に刻まれている丸のなかの漢字で読めないものがあり、辞書にも出ていないので、わざわざ不忍池の弁天様までお邪魔して聞いてみたところ「拾」という字の繁体文字なのではないかとのご意見をいただきました。

P1011006_6④「虫拳」

今戸焼周辺でも子供のおもちゃとして昔作られてもいたし、「狐拳」が流行するかなり以前より行われていた拳あそびを巳つながりで作ってみようと思ったもの。なめくじは蛙に食べられてしまうが蛙は蛇に飲み込まれてしまう。しかし蛇はなめくじを飲み込むことができない。(飲み込むと蛇の体が溶けてしまう」と信じられていました。画像の形はこれも創作ですが、がまの単体については昔今戸で作られていた施釉の浮人形の蛙を参考にしました。

以上4種類ですが、焼いた全ての色塗りが完成したわけではないので、お送りすべきものの中にはまだこれから塗らなければならないものもありますことご了承ください。


十五夜さんのために

2012-12-02 20:16:47 | おともだち

P1010986_2狭い部屋に加えて、寒くなってきたので窓は閉めて、飛び乗れる窓だけは自分で開けたい時に開けて登れるようにして暖房を入れています。お天道さまのときは物干し側の窓を全開にして日向ぼっこできるよう心がけていますが、退屈でストレス溜まってしまうだろうな、、と気の毒です。

できるだけ一緒にいたいと思っても仕事のときには仕事場へいかなければならず、、。ごはんが残り少なくなってきたのでちょっと値段のよいものを買ってきたのに余り好きそうでもなく、安いごはんのほうが好みのようです。仕方なしに値段のいいものは仕事場へ行く途中に夜中お腹を空かせているお母さんと子猫ちゃんたちにあげました。

ストレス解消にため、新しいおもちゃを買ってきました。ピンク色のねずみ釣りみたいなものと黄緑色のブンブン虫のようなもの。

どっちにも関心を持って追いかけっこや狩りのような感じになって飛び跳ねたり伏せたり動いてくれます。遊びが終わっておもちゃを片付けると、咥えてきて催促することもあります。少しでもストレス解消になってくれたらよいのですが、、、。

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焼きまわし

2012-12-02 19:55:46 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010979_4師走になってしまいました。正直焦っています。

干支つくりの出だしが今年は特に遅かったので土を型から外して素焼きするまでに乾かすということ自体が遅れています。加えて、仕事場が雑然としすぎて(先日の引越しの物が山となっているのもあり)ストーブをつけると火事になってしまわないか心配なので寒いまま作業しています。同時に室温が低いので室内干しも案外進まないわけです。

このところ雨降りが多いのもあって、降っていない時を見計らってまだ乾燥途中のものを実家へ運び、暖房のついている台所や十五夜さんの部屋で干させてもらっていました。これなら天日干しも大丈夫?という感じになれば外に出せるのですが、とにかく突然雨が降ったりで落ち着いて外に出せない日が続いていました。

画像は一昨日、2回目の素焼きを済ませて窯をあけたところです。1回目の素焼きで干支の一種類目の先発隊は済んで急いで色を塗って名古屋へ送りました。2回目の素焼きには前回同様の干支の一種類目と今回初登場のおかめの火入れしか入れていません。

そして今日午前中はとても天気がよかったので干支の2種類目、3種類目。4種類目を天日干しにして午後窯入れして現在焼成中です。どうか無事に焼きあがりますように、、。

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