東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

懐かしい家並み

2013-06-29 17:19:45 | 散歩

P1011203 昔に比べて建て替えが進んだ、、、という景色はところどころ見られますが、ここ川口にはまだまだ昭和を感じさせる素敵な家や店が残っています。

 銅葺きの洋品店に懐かしい感じのパン屋さん。

 まだまだあります。今度坦々麺を食べに行くときもまたカメラを持って出かけようと思います。

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もったいない

2013-06-29 17:06:43 | 散歩

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 川口の街中にある交番です。そばに植えてある枇杷の木には実がたわわで、下にもたくさん落ちています。「もったいない」「何で誰も食べないのかなあ、、?」と思って眺めていた矢先、窓をガラリと開て顔を出したお巡りさんが「(実)を採らないで」と言うのです。わけを聞けば「ひとりに許せば際限なく欲しがる人が来てしまう。」という理屈。

 まあ公務員として、全てに平等に接するという姿勢のようですが、わからないでもありませんが、もったいない。せめて近所の小学校なり幼稚園に声かけして子供に持たせてもよさそうなものを、、、。と思うのは、私であって、公務員として実直な姿勢の現れと思えば仕方ないですね。カラスや小鳥だけは咎められることなく実をついばんでいます。

 しかしまあこのガチンガチンのお堅い姿勢というのは悪いことではないですね。どこかの都立のET博物館T園の管理職をしている学芸員夫婦(T&T、、、、孝夫&玉三郎ではなくて、、とんかつ&てるこ???)が博物館に託された資料を勝手に家に持ち帰って私物化しようとしてしまったいう窃盗的行為を思い出すにつれ、ここのお巡りさんの堅さは生真面目で律儀な公務上の態度として立派とも言えるかもしれません。

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荒川の畔

2013-06-29 16:51:36 | 散歩

P1011202 この一週間は天気が悪い日を除いて、毎日のように自転車で遠出をしていました。

 言い方を変えれば、通常電車やバスを利用して出かける距離も自転車を漕いで用を済ましていました。交通費を倹約する。自転車を漕ぐことで体の血の巡りがよくなるのではないか、、、など効果が実際あるのかどうかわかりませんが、、。

 この風景は国道122号線新荒川大橋から上流を撮ったところです。いつの間にか遊歩道のようになっています。こういうところは大好きです。

 この日は仕事場で午前中ひと仕事済ませてから、お昼は荒川を越えて川口で気になっていた坦々麺のお店に行ってみようと出かけたのでした。緑が爽やかであまり暑くもなくちょっとしたチャリのお出かけ日和でした。その他にも今週は定期的な通院も、八重洲までの用事もすべてチャリで出かけました。

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うたた寝

2013-06-22 20:19:09 | おともだち

P1011192 平日も土曜も日曜も仕事のめりはりのない生活をしていますが、このところまたしても足腰の痛みがきつくなってきています。近所で評判のよい接骨院に治療にも出かけていますが、それでもすっきりよくなりません。特にふくらはぎの裏側を屈伸させるたびに激痛が走り走ったりすることもできません。

 長時間手仕事に夢中になったまま座る姿勢をしているのがよくないのでは、、と思いますがこればかりは辞めるというわけにはいきません。

仰向けに寝て、足首から指先にかけて伸ばしたり反対向きに反らせたりする動きをすればいくらかふくらはぎのストレスに効果がある、と聞いたのでやっています。仰向けに寝ると、十五夜さんが胸の上に乗ってきてきばった表情の私の顔を眺めては手を載っけてきます。(引っ掻くとか何かを捕獲するような手つきではなくふうわりと手を載せるという感じ。)何を思ってのことでしょうか。

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 いつの間にかうとうとと寝入ってしまいます。

今日は天気がよかったので、池袋の画材屋さんに取り寄せ注文しておいたものを引取りに出かけてきました。距離的に大した距離でもないのですが、痛い足をひいて電車で押されたりするのも面倒なので、自転車でひとっ走りしてきました。毎日走る距離に比べれば長距離ですが、何とか行って帰ってきましたが、不思議と血行がよくなったのか、足腰の痛みも微妙に和らいだような感じがします。帰ってからまた十五夜さんに顔を眺められながらうとうとしてしまいました。


ききょうとみそはぎ

2013-06-22 20:01:10 | 日々

P1011191 梅雨らしくじめじめした日が続いています。今日は久しぶりにお天道さまに恵まれて素焼き前の天日干しなどをしているところでした。

 物干しに植えてあるききょうやみそはぎがいつの間にか花をつけています。日光の当たり具合で花の色がはっきりと写っていませんが、たくさん花がついています。

 

 わが家は路地の谷間に建っているので一階には冬場にはほとんど陽が当たりません。夏場は日光が縦方向に射すので時間帯によっては花や草にも当たってくれます。壁ひとつ隔てたとなりの部屋から草花を撮ったつもりが、ご近所の洗濯物までバッチリ写っているのでぼかしました。

 

 ネットが写っていますが、これは下のブロック塀に取り付けた鉢に朝顔を蒔いたので2階まで延びてきてくれるのを期待して張りました。

 

 できることなら、どこか遠くに出かけて山里とか田圃の近くでカエルの大合唱を聞きながら寝入ってみたいですが、現実的には厳しいのでせめてのどかな田園風景を思い起こすような花を身近に眺めて日々過ごしているという感じです。


ぴいぴい作り

2013-06-14 10:45:58 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011175 ぴいぴい(鞴のり人形笛)を作っているところです。昔の今戸焼の土人形の中には土人形単体のものもあれば、紙や木片による細工と土人形の組み合わさったものもありました。

 例えば、この「ぴいぴい」以外にも「魚釣り」だとか経木箱入りの人形、枡入りの恵比寿大黒などです。

こうした際物的な玩具は縁日の露店や歳の市の縁起物

として売られたものだろうと考えられ、その製造は今戸の窯元だけで作ったのではなく、パーツである素焼きの木地を今戸で、木片や紙の細工、笛の仕掛け、ガラス片などはそれぞれ異なった職分の人の手を経て、手内職のおばあさんなどによって組み立てられていたのではないかと思うのです。

 私の場合、ひとりで何役も兼ねて作っていますので「お染の7役」のようなものだと思います。

何といって手間なのは鞴の部分作りです。あらかじめ切断しておいた木片のサイズにあわせて紙の蛇腹を折りますが、昔の伝世品は反故紙を染めて貼り合わせて作ってあるので、それに準じて、本物の反故紙だとかびていたり虫食いがあって使いづらいので「反故代用紙」という和紙を買ってきて、染料とアラビアゴムを混ぜて色を染めると同時に紙の目地から空気が漏れにくいようにします。明治出来の「ぴいぴい」には紫色に染めた反故紙が多いですが。緑や赤なんかもあります。江戸時代天保年間のぴいぴいの配色見本が残っており(吉徳これくしょん)その中では紙はねずみ色と指定されているので、染料ではなく、胡粉と墨とを混ぜ合わせたねずみ色で紙を塗ります。画像の中に見えるねずみ色のこより状の紙が蛇腹になるところで、ねずみ色の蛇腹は現在のところ画像左端に見える「たぬきのぴいぴい」用になります。画面奥に見える「犬のぴいぴい」や「招き猫のぴいぴい」は明治調に作って居るので蛇腹は紫色に染めた「反故代用紙」です。「招き猫のぴいぴい」には当時の作り手によって何種類かのよく似てはいても微妙に異なる型や配色のパターンがありますが、今作っているのはそのひとつで比較的愛嬌のない無愛想な表情の猫です。この猫のよだれかけには顔料ではなく赤のスカーレット染料で着色してその上に胡粉の白でドーナッツ状の模様を描き込んでいます。スカーレット染料単独で塗るとドス黒い感じの色になってしまうので、お手本の伝世品にも地に黄色の顔料を塗ってからその上からスカーレット染料を重ねて発色をよくしてあります。

 土台の鞴を伸縮させて空気を動かすことで人形内部の笛が鳴くという他愛のないものですが、昔あったものを今に再生させたいという気持ちで作っています。

 現在入手できる「反故代用紙」の印刷柄は「古事記」「高砂(謡本)」「朝顔日記(浄瑠璃床本)」と「大福帳」の4種類くらいで、浄瑠璃床本だとちょっとわざとらしくなってしまう気がするので一番よく使うのは「古事記」、気分によって「高砂」や「大福帳」も用意はしてあります。時々町の中華料理屋さんで「十八番」なんて屋号のお店があって中華料理屋なのに看板の文字は勘亭流だったりするようなちょっと妙な感じ不自然さが「朝顔日記」をあまり使わない理由です。


今戸焼(51)紅鉢型雲華土風炉(作根弁次郎 作)

2013-06-14 10:13:07 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010224 この土風炉の作者「作根弁次郎」という人は陶磁関係の文献で「嘉永年間の今戸焼の上工、、」という表記がされています。旧・今戸八幡の狛犬の基台に刻まれている今戸焼の陶工の名前には含まれておらず、狛犬が再建された時よりも後の時代に出てきた人なのでしょうか。

  私自身が直接お話を聞くことのできた今戸焼の関係者、古くからの今戸町の古老のお話の中で、「猫屋」という屋号が必ずといってよいほど出てきたものです。例えば葛飾お花茶屋にいらした白井本家・善次郎家の白井和夫さんのお話、今から20数年前に今戸町内で燃料屋を営んでいらしたお爺さんの話、そしてたびたびこのブログにご登場いただいている最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお孫さんである武佑さん(昨年末にご他界されました。謹んでお悔やみ申し上げます。)のお話にも「猫屋」のことを聞きました。

 この「猫屋」という屋号は作根弁次郎さんが作ったという猫脚のついた炉台が大変な評判となったからであるようなことが有坂与太郎の著作に記されています。その話を知るまでは、招き猫などの猫の土人形を手がけた人がいたからなのだろうかと思っていました。

 またこの「作根弁次郎」さんこそは、尾張屋・金澤春吉翁の実父なのだそうです。そのため金沢家と作根家とは親戚関係にあり、春吉翁がご生前ただひとりの弟子を仕込んだ、というのは作根家の通称「清さん」と呼ばれていた作根清二郎という人で、残念ながら夭折されたそうです。

 画像の土風炉作者「作根弁次郎」さんの話に戻ると、この人は例えば忠臣蔵で有名な播州赤穂の焼き物に大きな影響を与えたとかで、赤穂焼という焼き物には雲華焼風な仕上げの技術が伝わっているのだそうです。

 かねてから気になっていること、、、。春吉翁は作根家に生まれ、尾張屋・金澤家の養子に入り、家業の土人形で有名な人ですが、いくつ頃に金澤家に入られたのか、、?翁の語った話が記録されていますが、年少の頃より煙草が好きで、「吸いたければ働け」と養父兼吉翁に言われて仕事に励んだということです。十代の頃の話でしょうか。土人形製作が中心であったにせよ、春吉翁には実父の弁次郎さんからろくろや焼成などの「猫屋」さんの技術が伝わっていたのかどうか、、?春吉翁の仕事風景の画像が残っていますが、中には手回しろくろの上に人形を乗せて仕事しているものや、窯詰めのところで、小さな人形を入れる「サヤ」や重しとして伏せて乗せてある「焙烙」のようなものが見えます。これらは春吉翁が自分でこしらえたものなのかどうか気になるところです。

 春吉翁の娘さんである花さんの懐古談によれば、バーナードリーチは本所に窯を築いた折には、リーチの師匠である「浦野繁吉」(浦野乾哉)と春吉翁が親戚であった関係からリーチのために焼き物のひととおりを手伝ったということなので、技術としては人形や箱庭細工以外の今戸の焼き物ができる人であったのでしょう。

 さて「猫屋」作根家のその後の消息についてどうなったのかということも知りたいところですが、昭和はじめの「今戸焼共同組合」による刷物には「猫屋」の名前がありますが、昭和8年の「郷土風景」という雑誌の記事に記されている当時の今戸町内にある窯の列記には含まれてはいません。春吉翁のお孫さんの武佑さんからお聞きした話では第二次大戦の末期、武佑さんは作根家に疎開していたそうで、そこは群馬県の太田市であったといいます。その後についてはご存知ないそうですが、どこかで、関西の方に移ったとかいう話を読んだかしたように憶えているのですが実際のところはわかりません。

 画像の土風炉の底には「作根弁次郎」という陶印が押されています。


2013-06-07 22:32:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011173 しばらく作っていなかったのですが、久しぶりに犬を作ってみました。前回の戌年の干支用に作ったのがはじめてで、最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった人形をお手本にモデリングしたのですが、当時年の瀬ぎりぎりだったため大きさがお手本よりも大きめに仕上がっていたのでした。今回やっと縮小してひとまわり小さくなりました。都内の近世遺跡から、こうした姿の犬はよく出土しているので、安産への呪いとの関係での需要が少なくなかったのだと思います。尾張屋さんのものと同じサイズの明治出来の犬は首輪が群青色になっているのも観たことがあります。

頭から尻尾までのちょうど背骨に沿ったラインに型の割目が延びているのですが、案外シンメトリーになりにくい型です。そういう意味では尾張屋さん作の犬も左右いくらかいびつだったりします。難しいモデリングだと思います。


煉瓦積みの稲荷祠

2013-06-07 22:21:44 | 散歩

P1011137 この画像昨日今日ではなくて、GW中西新井大師まで自転車で出かけた折、帰り道で撮影したものです。

 昔足立区内に勤めで毎日通っていた頃に見つけて以来気になっていたのを思い出して今回も立ち寄ってみたのでした。

 ここは江北橋と鹿浜橋の中間にある堀之内という町内で、荒川土手のすぐ下、上には首都高が走っていますが、ここだけタイムスリップしたかのような牧歌的な雰囲気が残っています。

 屋敷のお稲荷さんなのだろうと思います。東京での煉瓦歴史が今戸焼との関係があるみたいですね。その煉瓦で積んだ祠です。もっと川下には小菅があり、かつて小菅の刑務所の中で煉瓦が焼かれていたとか、亀有あたりにも煉瓦工場があったとか聞いた憶えがあります。

 浅草奥山の十二階(凌雲閣)も煉瓦積だったはず。

 今から20数年前に葛飾お花茶屋にいらした今戸焼白井家の本家善次郎家の白井和夫さんにお邪魔してお話を伺った折に、和夫さんの祖父の善次郎という人が名人であったという話、この方は煉瓦つくりにも携わっていて、浅草の吾妻橋の土台になっている煉瓦を焼いたとか、丹那トンネル建設の際、出向いて指導したとかいう話を聞いたように思います。

 東京駅の煉瓦は埼玉県深谷市のホフマン窯で焼かれたという関係で現在の深谷駅舎は東京駅を小さく縮めたサイズで煉瓦の外観でできています。旧今戸八幡の狛犬の台座に刻まれている「深谷」姓の名前がありますが、もしかしたら、深谷出身なのでそういう姓なのか勝手に空想してみたりするのですがどうなのでしょう。深谷辺りでも火鉢とか蚕用のボウズのようなものも作られていたようです。

 ここ堀之内の川上の鹿浜にも神社の境内に煉瓦に祠があったように思います。こんど確かめに行ってみたいと思います。ちなみにこの祠の内部は画像はありませんが、千住の吉田絵馬屋さんの経木の絵馬が納められていました。これもいかにも地元ローカルな感じでうれしくなってしまいました。(でも鉄砲狐はありませんでした。)

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苞(つと)

2013-06-02 07:29:47 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011172 ひねり鳩にまた挑戦しているところです。

こういう小さなものはひとつひとつ指でつまんで作業するのは大変なので竹串に刺してそれを苞(つと)に挿して乾燥させます。昔ならば当然藁苞だとか弁慶とかだったのですが、すぐに調達できないので発泡スチロールだとかで間に合わせます。

 今回西洋風のフラワーアレンジメントなどに使う素材(名前はわからないのですが)が近所のスーパーにあったので使っていますが、発泡スチロールよりも挿し心地がいいですね。ブスっと挿せるというのかブスっとというよりサクッとという感じですか、吸い込まれるように気持ちよく挿せるんです。その代わりこの素材は案外と脆いんですね。ちょっと押すだけでシナっとしてしまうくらい脆いです。 ひねり鳩は2回目なので、前回よりは見通しもってできるような気がします。

 ありがたいことに、このところ頼まれたものがたくさんあってうれしいくらいに忙しいです。早く鳩に色を塗ってみたいですが、それより優先させなければならないものもあるので、快速急行通過待ちの各駅停車みたいな感じです。