東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

描いてもらってうれしい!!!

2016-04-13 09:40:15 | アート・文化

 

 

イラストレーターであり、カリグラファーとして制作活動にいそしんでいらっしゃる Madame Soleil d’Orさんのサイトをお邪魔したら何と拙作の丸〆猫(嘉永安政風)をモチーフとして描いてくださった作品が紹介されていました。めちゃ嬉しいです。自分の作った猫を描いてくださったというのと同時に、江戸明治の今戸焼の招き猫の本来の表情をしっかりとらえて描いてくださっているんです。江戸明治から最後の生粋の今戸焼の土人形の作者であった尾張屋・」金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までの伝承の中で作られてきた猫物の人形にみられる特徴(もちろん古い今戸の中にはそれらとちょっと違った作例というのも存在するのですが)最大公約数ともいえる猫の特徴、、、、

①白目の部分は黄色か金色を置き、墨でぽちっと丸い点状に瞳を入れる。

②鼻のあたまは墨で置く。鼻孔は朱か赤で点状または斜めスラッシュ状に置く。(見る人によっては鼻血のようだという人もいた。)

③ヒゲと眉は墨またはうす墨で入れる。下から上へ跳ね上がるようにえ描くか鼻の横からやや上向きか水平に描く。

もちろんうちのブログのアイコンにしている丸〆猫(昭和戦前型・朱)のような上瞼と下瞼を描くという例外もあるのですが、これはこいうものが戦前実際に作られていたからお手本にしているので、これは例外中の例外のように思ってます。

①から③の今戸の猫の表情ですが、今戸人形の発展の歴史とリンクしているんだと思います。

 今戸人形は今戸焼本流である瓦とか火鉢、焙烙を中心とする生活雑器の製造の発展の途中からはじまったと思われ、京都の伏見人形が下りものとして江戸に流れ、それを模倣して作りはじめたことから展開していって次第に江戸っ子の消費を意識して今戸独特の特徴を持つようになったわけで、伏見人形との型の相似したものがあることは言うまでもなく、彩色についても伏見人形に似て、本家伏見の名残を残す部分があるのだと思います。伏見人形の彩色の中にも例外的なものがあるわけですが、伏見と今戸の公約数にみえるものは存在し、それこそ今戸人形が伏見人形から影響を受けて生まれ発展したという歴史と符合する遺伝子みたいなもののだと思います。

 そのひとつの例として上記の①~③の猫の特徴があるわけです。

 話は戻ってMadame Soleil d’Orの描かれたイラスト。これらは新年向けに和風なイメージで描かれたものだそうです。子供の頃身のまわりにあふれていた絵本だのお菓子の包装紙だとかおもちゃなどにも通じるノスタルジックなムードのあふれているような、、。自分の時代よりももっと遡ったうちの親の子供時代の少女雑誌とかぬりえなんかの世界のようにも、、。懐かしい、、といった感じです。

 Madame Soleil d’Orさんのサイトを拝見すると違ったスタイルのイラスト作品やカリグラフィーの作品、ご制作の様子も紹介されています。

 カリグラフィーというとドイツの亀甲文字みたいな古式な文字ですよね。古いヨーロッパの印刷物だとか木版画とかに記されているような縦長で横には張り出さないようなスタイルの文字を思い出します。ドイツのビールのラベルとかグラス敷き(製造元の宣伝)とか、昔風のお菓子のパッケージにもよく見るような、、古い居酒屋の看板とか。日本でいうと勘亭流とか寄せ文字とか相撲文字みたいなものでしょうか。

 亀甲文字で昔のおかしな話を思い出しました。大宮の氷川神社の参道沿いに山小屋風の喫茶店だったかパン屋だったかがあって、亀甲文字風に"ARUMU"って大きな看板が出ていたんです。これってアルプスのハイジのアルムの山のことなんだろうと思いました。でもそれだったら”ALM"なんです。通り過ぎるたびに面白いなと思っていたんですが、ドイツの友達が我が家に来た時に、看板を見せたら何のことだかわからない。ハイジとアルムの山のことを説明したらひどく受けて大笑いで何枚も写真を撮ってました。この人TVで「マイアミバイス」の日本語吹き替え放送を観てよろこんじゃってダビングして持って帰りました。余計な話ですみません。

作家さんに拙作の猫をモチーフにしていただくなんて身に余る光栄です。

Madame Soleil d’Orさんのサイトはこちらです。

 

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視線

2016-04-11 21:21:42 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 このところたくさんの嘉永安政風型の丸〆猫(まるしめのねこ)の色塗りをしています。とりあえずきら(雲母)塗りまで進めているのですが、それに先がけ、試し塗りをしている分を棚の上に干しながら、改めて思い出しました。

 HPの「飾り棚」のページにずいぶん前から記してあるのですが、この嘉永安政風型が近世遺跡出土の遺物を参考にモデリングしたもので、誤差はあるかもしれませんが、なるべく忠実に起こしたつもりのものです。出土の現物のモデリングから受けた印象というのは、顔が下向きな感じであること。そしてそこから想像できることは、神棚とか縁起棚の上にお祀りすることを前提として造形されたのではないか、ということでした。

 そんな考えから瞳を置く位置を意識的に下向きに入れてきました。嘉永安政風型と構図的にほぼ同じといえそうな本丸〆猫(これも近世遺跡から出土の遺物を参考にモデリングしたもの)にも同じ考えで瞳を下向きに入れています。

 HPの画像も意識的に下から仰ぎ見るような気分に撮影したのですが。将に今、椅子に座って作業机から見上げた猫たちとの角度というものが、神棚を仰ぐ角度に近そうだと思いました。微妙ですが下向きに入れた猫たちの目線と自分の視線とが向かい合っているような気がします。

 仏像鑑賞などでそれぞれの作品について「正面鑑賞性」だとか「側面鑑賞性」だとかという言葉を耳にしますね。仏師の人たちは仏さまと参拝者との位置関係によって変わって来る仏さまの荘厳さというものを計算して造形しているわけで、参拝者の位置からの視線と仏様のまなざしとの関係というのはかなり重要であったであろうことは想像できると思います。

 仏さまと招き猫とを同じレベルで比べるなんてばちが当たりそうですが、丸〆猫についての嘉永5年の「武江年表」と「藤岡屋日記」との記述には病の治癒だとか生活の豊かさへの庶民の願いによって流行が支えられたようで、猫といえども神様仏さまのように心願する対象だったので神棚にお祀りして見上げて祈るという点を意識して造形されたと考えることはひとつの行き方としておかしくはないと思います。

 はからずも「武江年表」の記載の中に「布団を造り供物を備へ神仏の如く崇拝して、、、」とあり、「藤岡屋日記」には「猫二布団三枚敷、、、」とあります。

 かつて今戸焼の土人形の数あるレパートリーの中、最も生産されたであろうベストスリーは「稲荷の狐」と「恵比寿大黒」と「裃雛」ではないかと思っています。「裃雛」はお節句飾りですが、今戸人形がたくさん流通していた千葉県内で以前神社の境内の祠に雨で色の流れてしまった何体もの裃雛が並んでいたのをこの眼で見たことがあるので、購入する側に信仰的な意識がなくはなかったのだろうと思います。

 「恵比寿大黒」と「稲荷の狐」はいうまでもなく、「恵比寿大黒」は神棚の上で蠟燭の煙だの家中の煙を被って真っ黒になったものをいくつも見ました。

 今戸人形に限ったことではありませんが、信仰的背景で登場した土人形は少なくありません。丸〆猫もそのひとつと言っていいかと思っています。

 

 

 

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地塗り・きら塗り

2016-04-08 09:33:26 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 かねてからご依頼により抜き貯め焼き貯めしておいた「丸〆猫・嘉永安政風型」の地塗りの作業をしています。

今更言うまでもなく。土人形でも張子でも伝統的な作りでは土や紙の木地の上に膠液で溶いた胡粉で地塗りをして肌合いを丸く温かみのある地をつくることから彩色が始まります。それ以前に胡粉の厚みによってモデリングを行うということもあり、「盛り上げ」といって、部分的に凸凹をつくる装飾もありますね。また白い地をつくることで顔料や染料の発色を美しくさせるという意味合いもあります。

 素焼きの表面に疵があったりすれば、昔の人だと反故紙をちぎって貼り上から胡粉で塗って疵をなくすということをしていました。自分でもそのやり方はやっていますが、反故紙の代わりに「薄美濃紙」をちぎって使っています。この紙とても薄いですが丈夫です。(結構安くないですが、、。)人によってはパテみたいなペースト状の素材を擦り付けて埋めるというやり方をしているみたいです。

 胡粉と膠の使い勝手というのは本当に難しくてこれまでずっと使っていますが、未だこれでいい感じというのがありませんね。

胡粉をひととおり塗って乾いたところで、これらは「嘉永安政風」ということでさらに「きら」(雲母粉)を上から塗って肌をパール状にします。同じ丸〆猫でも昭和戦前風とか尾張屋さん風だと胡粉の白い地を残しているんですが、今戸でも古い時代の人形では白地部分にきらを塗ってあるというケースが多いので区別して塗っています。画像の中で塗ったものとまだ塗っていないものと混ざっているんですが、画像から区別つきますでしょうか。

最後の画像は江戸時代の今戸の座り猫なのですが、地肌に「きら」(雲母粉)を塗っているという一例です。

 

 

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中野ひな市2016 完売御礼

2016-04-08 07:40:43 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

去る3月31日と4月1日の二日間開催された「中野ひな市」。今年も出品させていただいた「即売会」の結果について昨日中野商工会議所の方から通知をいただき、「完売した」とのことでした。うれしいです。お求めくださったみなさま、中野市のみなさま、ご担当のみなさまありがとうございました。


花より天丼

2016-04-04 18:59:33 | 日々

この2週間くらいから各地で「桜が、、、」という話題で持ちきりでしたね。意図的意識的というのでもなくチャリでの移動経路に桜の名所といわれる場所を通り過ぎることが少なくないです。

 最近浅草の千束町経由で秋葉原迄往復したり、千束町経由で谷中駒込を廻って帰るということが少なくありません。当然経路に脇には案外桜の名所がありおなじところを4~5回通過しているような感じです。

 金美館通りにある千束町の「いせや」さんの天丼にハマッているというのが実態です。土手(吉原大門)の「いせや」さんと蔵前の「いせや」さんと3軒あるんだそうで、土手の「いせや」さんはいつも並んでいて、何度か食べましたが、おなか空いているときに並ぶのって辛いですし、浅草の観音様界隈のてんぷら屋さんも行列しているのを見るだけてアウトな気分になります。観音さまの近くは値段もいいですよね。その点千束の「いせや」さんはおなかが空いていてもすぐ食べられるのがうれしいし落ち着いた感じで好きです。平日土日に限らず、午後3時まではランチとして天丼とてんぷら定食が¥1000しないで食べられます。

ランチにはちゃんとお味噌汁とお香粉もついてます。観音様の近くだとお汁は別料金が多くないですか。それと今ハマッているのが「白魚と青柳のかき揚げ」(単品で)。ここでお腹満足してまたチャリで移動します。

谷中の墓地の桜並木。正面に巨大な高層マンションができてしまったのですが、桜の枝で隠れて見えないのが救い。墓地なので飲食は禁止されているのでどんちゃんしていないし案外満員という感じではない。

駒込のお富士さん境内。桜と若い柳のコントラスト、そして剛直な大木とのとり合わせが妙。

染井の墓地の桜並木。「ソメイヨシノ」ゆかりの染井です。ここも人影まばら、、。

桜に埋もれたサンシャイン。

六義園の前も何度も通過しているんですが、歩道に溢れる人ごみだけでアウト。根性なくて、、。上野の不忍池の畔も何度も通過しているんですがカメラを向けるという気持ちにならなかったので、、。飛鳥山も同様、、。このあと八重咲きの見ごろになるんでしょうが、案外足もとに咲いている雑草も可愛いですね。

「ぎんぽ」や「はぜ」のてんぷらも食べたいな、と思うこのごろです。

 


久しぶりの水簸と素焼き

2016-04-04 18:32:17 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 「春が来た」という比喩に「水ぬるむ」とか言いますが、まさに「ぬるく」はないけれどそんなに痺れない水温になっています。正月明け以来の水簸をしています。正確には先週からはじめて今日で3度目です。正月に沈殿させておいた泥しょうはきれいに空けて、今から新しい分にしていきます。最初の画像、左バケツは篩にかけて精製した分が沈殿しているのを上澄みだけ取り除こうとしているところ。右バケツにはつい先日の工事現場の土も入っています。

左のバケツをいっぱいにした状態。時間を置けば再び沈殿して上澄みが現れます。そしてまた同じ繰り返し、、。

同時進行で素焼きをしていました。炉内が100℃以下に冷めてきたので蓋をあけて取り出すところ、、。

今は大急ぎでお約束の嘉永安政風の丸〆猫を仕上げます。

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