東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

すっきりしない年越し

2013-12-31 22:41:29 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010052  今年も残すところ2時間。どうもすっきりとしません。というのも仕事をやり残しての年越しになりそうだから。

 一昨日狐をお納めしてほーっとしたところで、一気に腰や足の痛みが出てきて、痛み止めをしていますが、すっきりと痛みが消えるわけでもなく、布団の中でも痛みで目が覚めるといった具合ですが、といって家の掃除や飾り付け、買い物など自分以外に手がないので痛いといってじっとしていられません。昨日のうちに大体済ませて、今日は、仕事場のやり残しや年明けに向けての準備など済ましておこうと少しだけ仕事をしました。

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「だるまのぴいぴい」を頼まれて抜いておきました。「馬乗り狐」(狐馬)の素焼きもやすりがけしたかったのですが、手がまわらず、「小姓馬」も同様。「鬼平」もまだ、、、。過去には、仕事しながら年越しというパターンだったのですが、今回は無理をしないで、、。いつも楽しみにしている天ぷら屋さんはなぜか売り切れ。7時のニュースの時間に母が何を考えてかそばを茹でてしまい、のびるのが嫌なのですぐに食べてしまいました。

 

P1010054正直いって、しみじみとした年越しというのは苦手で、「紅白」も「行く年くる年」も観たくないので仕事場で過ごしていた近年でしたが、それも今回はやめて「第九」の放送だけ観て、十五夜さんとゆっくりとしたあとで、これからもう床に入ろうと思います。年越しというのは年々自分には一年中のどん底という気分なのでいつものようにお気に入りの地方の懐かしローカルCMの動画を子守唄にして早く寝ます。

今年もお付き合いくださった皆さんありがとうございました。皆さんには来年もよい年でありますようお祈りいたします。おやすみなさい。


やっと終わった、、、。

2013-12-30 00:44:59 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010047 既に日付が変わって12月30日ですが、ゆうべ28日の夜に鉄砲狐の色塗りがやっと済んで、乾かせて「ヒゲあり」「ヒゲなし」とをひと組ずつ「うす用紙」で包んで、ダンボールに荷造りを済ませ、明けて29日の午前中に何とか浅草の三社様までお納めすることができました。

 今回は年間の2回目で次は初午までにお納めすることになっています。ちなみに来年の初午は2月の4日だそうです。

 年内の大口の納めはこれでひとまずおしまいです。これから5種類目の馬の干支に取り掛かるのですが、今日ばかりは仕事場はお休みしました。作業中お約束を忘れてご迷惑おかけした方々にはお詫び申し上げます。

 被官様と三社様にお参りして帰ってきました。

 拙作の鉄砲狐も京都製のものに混じって並んでいました。帰省や出国のラッシュが既に始まっているとは聞いていましたが、案外と浅草の目貫通りや観音様界隈は人出で賑わっていました。

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やすりがけと下地塗り

2013-12-22 22:14:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

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 今年最後の大口の納めは浅草三社様裏手にある「被官様」への鉄砲狐の2回目のお納めです。昨年は30日つまり晦日ぎりぎりのお納めでした。

夏の暑い時期に年間にお納めする総数分は型抜きして素焼きは済ませてあるので、今は床下にしまっておいた分から2回目の分だけ取り出してやすりがけをして地肌を整え、胡粉で地塗りをして彩色にかかり、乾いたらヒゲのあるのと無いのと2体ひと組にして包んで三社様までお運びするという段取りです。今日やっとやすりがけを済ませ、4分の一だけ地塗りを済ませました。

明日あさってに残り4ぶんの3の地塗りを済ませ彩色に入れればと思います。

鉄砲狐は今戸の土人形の中でも彩色の手が洗練されて簡略化されているものなので、塗りつぶすよう手間はありませんが、数が数ですから油断できません。

P1010045まずは下地塗りを全部済ませ、乾いたら目をかき入れます。

干支向けの第五の馬「鬼平」も素焼きは済んでいるので早く塗りたいのですが、まずは狐のお納めのメドがつかないと、落ち着いて始められません。「鬼平」は都内の遺跡からの出土品を手本に起こしたものなので、彩色は残っておらず、四谷の「消防博物館」や「国立劇場資料室」で調べたり、お人形の吉徳の林さんに相談したりして大まかな配色は頭の中で考えつつあるので、早く塗ってみたいくてうずうずしています。

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お参りと羽子板市

2013-12-19 01:51:01 | 日々

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 今日は羽子板市の二日目。その前に秋のお彼岸以来ご無沙汰していた尾張屋さんをお参りさせていただくべく今戸に廻ってから、羽子板市に行きました。天気が崩れるという予報だったので、家から自転車で出かけようと思っていたのをやめ、電車、バスで行きました。

 お参りのあと羽子板市の吉徳さんのご出店を覗かせていただいて、お腹が空いたので「来集軒」のラーメンを食べ、そのままバスで三ノ輪まで、三ノ輪から都電で王子へ進み、王子でたこ焼きを食べて帰宅しました。

 途中、吉徳さんのお店の画像を撮るのを忘れたので木馬亭側からの境内の眺めを撮りました。

 家に戻ってから降り出したようです。今夜も明日も天気はよくないようなので、羽子板市へのお出かけの方の数にも影響してしまうのでしょうか。

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最後の生粋の今戸焼人形師であった尾張屋春吉翁については以下をご参照ください。

最後の今戸人形師尾張屋春吉翁→

山田徳兵衛著「人形百話」より→

尾張屋春吉翁 今戸焼土人形作り風景→

尾張屋春吉翁 今戸焼土人形作り風景②→

春吉翁による江戸明治の伝承をひく本来の今戸焼の土人形は「今戸人形」のカテゴリーで何点か紹介しています。→


久しぶりの芝居見物

2013-12-19 01:38:04 | 日々

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 この夏、歌舞伎座での「四谷怪談」以来のおしばやです。国立劇場大劇場の今月は吉右衛門丈の「弥作の鎌腹」を中心に忠臣蔵をテーマとした3本立。 当然お目当ては吉右衛門丈です。この狂言、東京で上演されるのは記憶違いでなければ私が高校に上がった昭和53年の4月、歌舞伎座で故・歌右衛門丈の一世一代と銘打った「娘道成寺」や吉右衛門丈の「矢の根」、吉右衛門丈と猿之助丈の「宇都谷峠」、先代鴈治郎さんの「曽根崎心中」とともに、故・実川延若丈によって上演されていたので滅多に出ない狂言です。

 吉右衛門家の当たり役ながら当代吉右衛門丈には初役なんだそうです。奮発して一等席で観たのですが、これを観ただけの値打ちはあったと思います。吉右衛門丈のたっぷりとした芝居の旨み、女房役の芝雀丈も野趣があり情もありよかったです。

 欲をいうと残り2本の出し物、ひとつはスケッチ風、もうひとつは大掛かりな割に旨みの少ない所作事。七段目に吉右衛門丈も芝雀丈を登場させながら何だか役者さんたちが勿体無いような感じがしました。ただ」若い役者さんたちにはよい機会でもあり時分の花として若くてきれいな役者さんの姿を観るという値打ちはあったかもしれません。近くの席のおばさんが「最初のふたつは地味できたなくてつまらなかったけれど、最後の踊りでやっと歌舞伎になった」と言っておられました。そういう好みの人もいるんですね。それと客席の雰囲気が何となく私の10代の頃とは変わってきているのかな?と思いました。幕が開くと兎に角拍手をするのいうのは昔なかったような感じがします。「8時だよ!全員集合」の中継のコントを思い出してしまいました。

「弥作」以外は他の狂言でもよかったのでは、、例えば忠臣蔵の古典の外伝ものの狂言なら最近まず見れないものありますよね。

「鳩の平右衛門」とか「蜂の平右衛門」とか「宅兵衛上使」とか「石切勘平」とか上方狂言の「植木屋」とか浪花節入りの「千崎東下り」だとか昔観た人はくだらない内容だとかつまらないとかいうのを聞きますが、一度見てみたいです。でも中幕の「弥作」でお腹いっぱいになったので満足でした。

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ボロ市

2013-12-19 01:13:15 | 日々

P1010035 年内に仕上げ、お納めすべきものが全て済んだわけではないのですが、とりあえず羽子板市向けのお納めは済んだので、ボロ市に行ってきました。ボロ市といえば、武蔵関のボロ市もありますが、私にとっては何といっても世田谷のほうに馴染みがあります。通っていた高校の最寄駅が明大前だったのでその当時から学校帰りに寄り道していたのですが、当時は小遣いもなかったので見るだけでした。

 当時の世田谷線の車両は緑色で車内は木造、エンジンの音も素敵なレトロな電車だったのが、今ではヨーロッパのトラムのようなモダンな車両になりました。個人的には昔が懐かしいです。

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 ボロ市通りを挟んだ町並みはいくらか変化しているような気がしますが代官屋敷前は昔ながらという感じ?歳の市らしく臼や神棚などの生活道具もあれば魚や漬物などの食品、縁日らしくつまんで食べる露天や古道具類の店も出ています。いつもはここで必ず寒菊の鉢植えを求めて持ち帰ったものですが、自宅のスペースのことを考えるとせっかく菊を持ち帰っても十分お天道様を浴びせてあげられないので今回はやめました。世田谷というと自分の日常生活のテリトリーから離れた土地で、緑も豊か、ゆったりとした町並みで束の間のんびりできました。

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羽子板市

2013-12-12 23:25:29 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

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 昨日の名古屋宛の人形に引き続いて、今日は浅草橋の「顔が命の」吉徳さんへ羽子板市向けの人形を納めに行ってきました。その帰り、浅草によって遅い昼食として大黒屋の天丼を久しぶりに食べて、いつも立ち寄っている観音通りのジェラート屋さんにも行きました。

 毎年のこと、羽子板市の絵ビラ風のポスターを定点観察のように撮ってきました。

 

 いよいよ来週17日(火)18日(水)19日(木)の3日間、恒例の浅草の羽子板市が開催されます。

 そこでご出店される「吉徳」さんの露店で今年も拙作の土人形を並べてくださるわけです。私の人形に限って言いますと、今年は昨年までと異なり干支ものと猫ものだけに絞ってお納めしてきました。来年の干支である馬ものに限って言うと、今回は当たり年とも言えるほど、昔の古い今戸焼の土人形の作例は豊かにあり、その中からこれまで仕事場の様子でご紹介したとおり5種類手がけていますが、残念ながら5番目の「馬乗り鬼平」は羽子板市には間に合わすのが厳しです。できている4種類のうち「馬」と「小姓馬」「瓢箪から駒」の3種類は本日お納めしてきました。「馬乗り狐」(狐馬)も吉徳さんで並べていただくつもりでいましたが、事情あって羽子板市には並びません。(これは吉徳さんのご意向によるものではなく、浅草の他のお店によるものです。) もしこのブログをご覧くださっている方で「馬乗り狐」を妥当な価格で、、とお考えくださる方は、メールで当方へお問い合わせいただけますと幸いです。

 猫ものに関しては丸〆猫をはじめ今戸焼型のいくつかの種類のものがあります。(全種類とは言えませんが、、。)

 

 来週の3日間のうち一度は今戸へのお墓参りを兼ねて羽子板市を覗きに行ってみようと思っています。

 今回は会期が週末にかかりませんが、お近くへお出かけの方、是非冷やかしに行かれては如何でしょうか。雷門の大提灯もついこのあいだ張り替えられて新しくなっています。

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干支の馬作り またまたまたその後

2013-12-12 00:13:47 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010018 あっという間に納めのタイムリミットの時期がすぐそこまで来てしまいました。名古屋へと羽子板市向けのタイムリミットです。ここ数日は朝な夕なとノンストップ状態で仕事場に篭りっきりです。

 今日とりあえす名古屋向けの分は発送できました。明日には羽子板市向けにお納めしなければならないので、無我夢中で仕上げて乾燥まで進みました。明日荷造りしてお納めに行く予定です。

 画像の4番目の干支の馬「瓢箪から駒」ですが、何とかして塗り上げました。色彩的にこんなものかなあと思いますが、馬に鞍だとか手綱などないので全くの白馬でどうだろうか考えているところです。形は都内の遺跡から出土した東京の土でできた馬をお手本にしているのでこんなものだと考えていますが、色についてはわかりません。戦前の名古屋で作られたとても小さな「瓢箪から駒」の人形を持っていますが、画像の馬とは構図も違う上、馬は茶色で塗られています。今戸でも茶色く塗られた馬があったのかどうか。

お正月に向けて塗るのだから茶色よりも白のP1010019
ほうが幾分華やかだと思うのですが、ぶちなどあったほうがいいのかどうか、、。しかし今戸だったらぶちはどういう風に入れていたのか、、。

 下手に即興的に入れておかしなものにしてしまうのも心配なので、とりあえずこのまま白馬で出そうと思います。

明日お納めが済むと、まだまだ年内にお納めするべきものがあるので、ほーっとできるのはもっと先になりそうです。


干支の馬づくり またまたその後

2013-12-03 12:25:55 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

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 5種類目の馬の割型がゆうべ出来上がりました。まだ自分自身が型慣れしていないのと、割型自体が熟成していないなどから、まだぼちぼち抜いている状況です。抜き出したばかりなので画像の人形もちょっとふやけたような感じですが、これから乾いていけばフォルムももっと締まって見えてくると思います。

 この人形は都内の近世遺跡から出土した色のとれた人形(土質も江戸在地系と呼ばれているもの)を写真に撮らせていただいて、それを頼りにモデリングしたものです。「馬乗り鬼平」(鬼平犯科帳の鬼平)と勝手に呼んでいますが、つまりは火事装束姿のお侍が馬に乗っているという構図なのです。鬼平とちょっと違うかな?と思われるのは被り物。鬼平だと陣笠みたいのを被っていますが、この人形には兜のようです。兜から腰のあたりまで火伏せのマントのようなものを被っていて頭から腰にかけてのラインが独特です。左手には采配を持っています。馬の耳は別に作って貼り付けるあったのでそれに倣ってます。今戸焼の土人形としては割と大きなほうだと思います。お手本に色が残っていませんから、想定して塗ることになりますが、まずはこうのようなお侍の火事装束のことを調べて有職的な配色をつかんでから、それを江戸時代の今戸焼の人形調の配色の染料や顔料で塗っていこうと思います。今戸焼の古い人形には割と地味なリアルぽい彩色のものもあることはありますが、当時の感覚として手元のある色で(それも安い色)で効果的に余計なものは省略して塗る、という姿勢だったと思うので、有職に絶対的にこだわる必用はないのですが、乾燥させて焼き上げるまでにちょっと調べてみようと思います。


最近のお馴染み

2013-12-02 10:27:21 | おともだち

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 今の仕事場へ引っ越してもう何年になるのか、、?自分でもはっきりわからなくなりました。人間の往来に関しては袋小路のどん詰りなところですが、猫さんたちにとっては銀座通りのようなところ、夏秋にはガマまで出現することがあります。

 仕事場へやってきておもてなしするお客さんの顔ぶれも時間の経過とともに変化?しているのを感じます。もちろん古株の黒ぶちさんや茶ぶちのお母さん、白ちゃんたちは今でもやってきますが、白ちゃんの兄弟子供、茶ぶちさんの娘さんの顔は久しく見ていません。

 今年にはいってからのお知り合いにはみけさんと画像の餡こさんがいます。この餡こさん色、不思議な色です。体中均等な色ではなくて微妙な色の変化ですが茶色と紫と灰色の混ざったような、ちょうどこし餡みたいな色なのです。他の猫さんの例に漏れず、怖がりなようですが、扉を開けていると中に入ってきます。「にゃー」とか「みゃー」とは鳴かず、「ホンホン」と鳴きます。体つきは肉付きがよさそうなので男の子でしょうか?

ずっと今戸焼の招き猫を作っていますが、江戸時代以来の今戸の猫の法則としては鼻の頭を墨で黒くポチっと置くのですが、実際身の回りで出会う猫さんは桃色の鼻の子が多いですね。でもこの餡こさんの鼻は黒なんです。


干支の馬づくり またその後

2013-12-01 09:41:32 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

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 4種類目の馬の割型が先週やっとできたので急いで型抜きをし、陰干しを経て天日干しをしているところです。この馬はかれこれ20年越しにやってみたいと思っていたものですが、やっと重い腰を上げたという感じです。お手本となった遺跡から出土した人形に対面できたのが20年前でした。現物を目の前にしてモデリングした訳ではないので誤差はあるかもしれませんが、構想、構図としてはこんな感じ「瓢箪から駒」です。現物は中実(中に空間がなくびっしり粘土が詰まっている)でできています。中実にしないと跳ね上がった馬の体のラインが土の重さでへたってしまうからだと思います。でもやっぱりガラが入っていたほうが楽しいので瓢箪の半分だけは中空にしてガラを入れました。と同時に耐久性を考えて馬の腰から垂直真下の部分には隙間なく土が詰まっているので従来のガラ入りの人形よりは手取りは重くなっています。早く乾いて素焼きしたいですが、土の厚い部分の乾燥を念入りにしないと心配なので兎に角早く乾いて欲しいと念じています。


十五夜さんのベッド

2013-12-01 09:23:34 | おともだち

P1010002 12月に入りました。人形作りで一番慌ただしい時期になりました。十五夜さんは今まで携帯型のボックスの家で寝ていたのですが、寒い季節になると日向ぼっこが大切な日課となり、ボックスの中よりは日の当たるところで寝るほうが気持ちよさそうです。そこでは窓際に特設のベッドをつくりました。大きめのダンボールの上にふかふかのマットを2枚重ねてあります。まだ陽のあたる時間ではありませんが、夜もこの上で寝ていることがほとんどです。陽が差し込めばもっと気持ちよさそうにしています。もっとしっかりおひさまに当たりたいときは、物干しの台に座っています。