東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

ありがたいこと

2012-04-18 01:12:40 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010609とてもありがたいこと、、、。4月16日付発行の雑誌「ブルータス」5月1日号の「みやげもん」という連載で、拙作の土神輿をとりあげてくださいました。昔、今戸焼の土人形のレパートリーのひとつとしてあったもので、最後の生粋の今戸焼の土人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)がご生前お作りになられたものをお手本に作ったものです。お手本と異なる点は、担ぎ棒を天保3年の人形玩具の彩色見本である「玩具聚図」(吉徳これくしょん蔵)に描かれている配色の指定を頼りに挿しこんでみたことです。

自分で作ったものとは言え、こうして印刷物として見るとちょっと違った印象。でも本当にありがたいことです。おとりあげくださってありがとうございました。

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ご近所の桜

2012-04-08 19:58:50 | ご近所

P1010547テレビなどでは、都内で屈指の桜の名所の賑わいを報じていましたね。昨年は自粛ムードだったのが今年は大賑わいとかで上野の山など映っていました。

地元北区赤羽でもあちらこちらで桜の見頃。公園の日当たりのよい場所ででお弁当を拡げているおじさんの姿も見られました。花冷えとでもいうのでしょうか、案外薄ら寒いですが、真冬に比べれば戸外での水いじりもそろそろかと思い、寝かせておいた粘土の泥しょうをバケツから吸水鉢に移すなどしている合い間に近所の桜をまわってきました。

最初はカトリック赤羽教会前の桜。ここは向こう側の舗道から真横から見たほうが枝ぶりはきれいだと思いますがやっぱり聖堂と一緒のほうがそれらしい景色かな、、と思います。ここ、終点の路線バスがお客さんを降ろしたあと暫らく停車していることが多くて、ぎりぎりの眺めなんです。バスがいなければもう少し右に寄ればベストなんですが、、、。

P1010549駅西口に移って、太田道灌ゆかりの旧稲付城跡でもある静勝寺の石段下へ。赤羽にはたくさんの桜の見どころがありますが、個人的にはここが一番しっとりとした風情で落ち着きます。ちょっと逆光ぎみです。この石段を上って山門を潜れば、道灌堂に向かっての石畳みも桜に彩られて趣があります。近所においしい和菓子屋さんがあるので、そこで買って境内でつまむのも一興なのですが、現在食べるのを控えているので、、。

P1010551静勝寺下から日光御成街道(岩槻街道)沿いに十条方面に向かったところにある法真寺や香取神社へ向かう坂道から御成街道を振り返ったところ。写真の左端に写っている白っぽい家はかつては(数年前まで)街道に面して古めかしい店構えの酒場「大久保」さんがあったところ。知る人ぞ知るという有名なお店でわざわざ出かけてくる人も少なくなかった店ですが、道路拡張計画によりなくなってしまいました。その右隣の角の家はまだ健在です。子供の頃は何屋さんだったか思い出せないのですが、商店として現役だった雰囲気は憶えています。

赤羽台団地の桜、旧保健所通りの桜、岩淵水門辺り、新荒川大橋からJR荒川鉄橋に並ぶ桜並木、西ヶ丘の御屋敷に続く桜並木、自然観察園など、赤羽にはたくさんの桜のみどころがありますが、泥いじりの続きをするために家へもどりました。人々が集う屈指の名所というのもいいですが、ちょっと近所でサンダル履きで向かえる桜に恵まれているということは、赤羽も案外捨てたものではないな、、と思います。


今戸焼(48)「隅田川の灰器」(白井善次郎 作)

2012-04-02 01:44:49 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010526桜は開花したのでしょうか?

今年は例年に比べて遅いようですね。卒業式向けには遅くて残念だったかと思いますが、入学式向けにはラッキーかもしれません。

桜ということで思い出しとりあげます。茶道については皆目わからないので、猫に小判かもしれません。箱に「隅田川灰器」と書いてあります。

白井家の本家「白井善次郎家」で作られたものです。底に「白井善入」という陶印があります。何代目の善次郎さんの作でしょうか?

器の側面に桜の花びらが陰刻され散りばめてあります。「桜=隅田川」ということなのでしょうか?そういえば、これまでこの「今戸焼」のカテゴリーでとりあげた器物のいくつかにも桜の陰刻のあるものがありました。特に橋本三治郎作の炉台には桜の蕾に「隅田川」という文字も陰刻されていたので、やっぱり「桜=隅田川」という趣向なのか?もちろん今戸の川向かいの墨堤の桜は昔から有名ですし、「長命寺の桜餅」という名物まであります。浅草側の岸辺も今では隅田公園の桜で有名ですし、言問橋の袂には瀧連太郎の「花」(春のうららの隅田川♪)の碑もありますね。

今から20年くらい前に葛飾区の宝町にいらした「善次郎家」の白井和夫さんを訪ねて、焼成窯や仕事場を見学させていただいたことがありました。同じく葛飾区内青砥の内山英良さんのお宅にもお邪魔したのですが、どちらをお訪ねした時も感動しました。趣味品とか民芸品という看板ではなく、ごく普通に植木鉢とか焙烙だとかを作っていらっしゃるんです。「ああこれが今戸焼の本来の姿なんだ、、、、、。」と。内山さんのお宅の敷地には粘土の山があって、近くで採取された土なんです。「これは粘い土」「あっちはさくい(粗い)土」とお聞きして、ふたつを混ぜ合わせて製品に合う土にブレンドするそうでした。

白井和夫さんの家(善次郎家)は東京大空襲のあと、葛飾に移られて家業を続けておいでだったそうで、もとは今戸にいらした訳です。今戸神社の狛犬の基壇の連名に刻まれている「白井善次郎」家なんです。白井和夫さんから7代前(8代前だったか?)に善次郎家から分家したのが「白井半七家」で、同じく狛犬の基壇に名前が刻まれています。知名度としては「半七」のほうが知られているので「半七家」が本家のように書かれているものもありますが、「善次郎家」が本家で、「半七家」は分家。それと今、今戸にいらっしゃる白井さんは幕末頃、「善次郎家」から「清二郎」という人が分家してそこから続いているそうです。「半七家」は七代目の時、関東大震災で罹災されたのをきっかけに小林一三ら関西のお茶人に招かれて、兵庫県の宝塚に移住され、あちらで窯を築いたそうですが、それ以降も代々の当主が変わる度に本家の「善次郎家」に挨拶に上京されるのが慣わしだったそうです。

お邪魔した当時、和夫さんから色々なお話をお聞きしたものの、こちらが理解するだけの予習をしていなかったので、今になって本当にもったいないことをしてしまったと後悔しています。「みがき」のことや昔の今戸のことなど、、、。有名な言問団子の都鳥の皿も善次郎家で焼いて納めていた話、隅田川に架かる「吾妻橋」の土台の煉瓦や丹那トンネルの煉瓦作りの技術指導にも和夫さんのお爺さんの善次郎さんが関わっていたとか、、。それと今戸焼の土人形の尾張屋さんの話、「猫屋」さんの話も出てきたので、最近尾張屋さんの金澤家からお聞きした話と繋がってくるのです。

画像の灰器に話に戻ると、和夫さんのお話で、白井家の楽焼では釉薬をかけてから砂を振るとか(或いはその反対?)聞いた憶えがあるのですが、画像の口縁の辺りに砂っぽいものが見えるのが、このことなのか?と思っています。「半七家」の作の香合でも砂っぽいものがついているのを見た憶えがあるので、同じことなのでしょうか?できることならば、今こうした現物を持って、和夫さんに質問できたらよかったと思うばかりです。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが桜の花の陰刻のある今戸焼の器物について他にも記事にとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

炉台(橋本三治郎作)→

紅塗りの手あぶり(白井半七作)→

紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→


なつかしい感じの家

2012-04-01 22:28:34 | ご近所

P1010519木曜日、調べたいことがあって、王子の飛鳥山博物館へ行ってきました。当然飛鳥山を通り抜けたのですが、既に提灯が吊るしてあって、お花見モードにセットィングしてあったのですが、まだ桜は開いていない感じでした。今日から4月。外に出かけていないし、TVも観ていないので、今日あたり開花しているのでしょうか?

さて飛鳥山のついでに明治通りを西巣鴨まで歩いてきました。久しぶりなので、通りの様子も随分と変わったのでびっくりしました。首都高が足立区の方から飛鳥山の下を潜って、瀧の川で明治通りに飛び出しているんですね。眺めがかなり変わりました。それよりも偶然通りがかったところにあった一軒家にひどく魅せられてしまい、シャッターを切ってみました。どうも性格的に近未来的なものよりもノスタルジックなものへ気持ちが行ってしまいます。昔はこういう家はどこにでもあったような気がしますが、とても新鮮な感じ、、。

傍らのイチョウの木もすくすくと聳えていて、天気のいい日だったら日だまりの中で気持ちよさそうです。わが家はほとんど密集したところにあるので、夏場の陽の高い季節はともかく日陰になっていることが多いので羨ましいです。この家の前はスペースもあり、お天道さまの中で植木をやったり、いろいろできそうです。無理な話ですけど、こういう家を借りて作業場にできたら、、。

土いじりも人形の乾燥もできていいだろうな、、、と思いました。窓を開けっぴろげにしてごろりとするのも気持ちよさそうです。家の前で七輪で何か焼いて食べたり、するのもおいしそうです。