東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

年内最後の納め

2016-12-31 20:58:07 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 今日、大晦日は「王子狐の行列」ということで行列の動き出すのはカウントダウンに合わせてですが、早い時間から王子を訪れている人少なくないようでした。装束稲荷の奉賛会からは特に連絡が来ていなかったのでおそらく現状では招き狐は間に合っているのでしょう。装束稲荷神社前の「ヤマワ」さんからは例によって狐ものの人形を頼まれていました。あいにくどこにしまったのか行方不明のものを抜くことができなかったり、「王子仕様」に提灯や絵馬に「王子」の文字を入れたものが予定どおりの数が揃わなかったで、申し訳ないですが、全然ないよりはあるもの掻き集めて納めに行ってきました。

 やるべきことはまだ山積していますが、連日の徹夜続きだったので、今日は静かに床に入ります。今年は入院こそなかったものの何か手一杯な感じの一年だったような気がします。民藝館展は予想外のご褒美でした。3時間後にはもう新年明けで元旦は自分の誕生日なのでまた無駄に年をとるのが憂鬱ですが、少しでも多くの人形を作れるよう努力したいです。お世話になったみなさまありがとうございました。

TVで第九の最終楽章が終わりに向かっているところです。 来年もよろしくお願いいたします。忙しくて年内に賀状印刷の注文を出すことができませんでした。 皆様よいお年お迎えください。おやすみなさい。


和楽(2017年2・3月号)小学館

2016-12-28 22:45:53 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 10月だったか、小学館の「和楽」という雑誌のライターの女性から誌上で招き猫の特集を予定しているので、拙作の招き猫を撮影させて欲しいという連絡がありお貸しするということがありました。その際撮影された画像が掲載されたということで一冊送られてきました。

特集記事のあたまに大きく並べてもらえたのはすごくうれしいです。感謝しなければなりません。ただ内容に関しては一抹の不安を感じていたことが当たってしまった、というのが正直な感想です。我が家に招き猫を受け取りに来た担当の女性。正直な印象として「不遜な感じなひとだな、、。」「こういう人って人の話を聞き入れる感じじゃなさそう、、。」といった印象がそのまま誌面に反映したという感じです。(あくまで自分の印象とか感想です。)「丸〆猫」は「まるしめのねこ」って読むんですよ。巷に出ている本には「まるじめねこ」ってルビを振ってあるのがあるけれど「東京の言葉だと濁らないんですよ。」芥川龍之介は「駒形」を「こまかた」って読むのが正しいと言っていたのと同じ。「鳥越」は「とりこえ」と読むのが正しいのとも同じですよ。という話をしたら「わかりました。検討させていただきます。」という返事だったのが蓋をあければ「まるじめねこ」というルビと私の名前も「吉田和義」になっていました。濁るか濁らないか、「義和」か「和義」かの違いじゃん、、と思われるかもしれませんが、結構ショック。つまりこの濁りと名前の逆転は氷山の一角を象徴するもので、記事の内容の偏り方は「まるじめねこ」と出版物にはじめてルビを振った人の好みだな、、という印象です。「〇×倶楽部」という団体として広く出版された本に好まれて記されている内容によく似ているか、あるいはベタなのかというレベルで今から20年前頃の「招き猫本」によく出ていた「甘甘」または「緩緩」っぽい内容といったらよいのか、、。まあこれは個人それぞれの好みによりますから「最高」と思う人もいるでしょう。ただ20年前よりも歴史を示す絵画だの出土資料だの文献なども具体的に増えているので、将に今出版されるのならば、少なくとも20年前よりも具体性を深めよりしっかりした内容であってもよいのに、、、・

一冊の雑誌のごく一部の特集でページに限りがあるから(専門書ではないんだから)という言い分も出てくるかもしれませんが、限られた誌面に何を優先させるか、のチョイスでかなり変わってくるのでは、、。20年前くらいの「招き猫本」の内容で自分には「甘すぎ」に思えたのは例えば「招き猫と生きている猫とを区別するのに生きている猫をナマ猫と呼ぶ」とか「招き猫の基礎知識」として「招き猫の色と願い」みたいな記事ですが、古くから赤は民間信仰で疱瘡除けだとか、という話はありますが、イエロー、ピンク、紫とかほんの最近色違いで登場した猫の色の売り口上なんて、最近の風水ブームからの話題のようで、すべての日本人の知るべき常識というレベルとは思えない。昔の歴史に比べたらそんなに大切なものだろうかと思います。反対に今戸焼の猫のついての記述について丸〆猫(まるしめのねこ)の由来こそ絵画や出土品、当時記録された文献の記述で具体的である事象であるのに、それについてはあまり触れす、伝説の吉原の薄雲太夫の話に重点が置かれていて解説本文には嘉永5年(1852)の丸〆猫(まるしめのねこ)は出てこないという感じなんです。それと今戸焼の古典的な招き猫と中京以西の招き猫との基本的な姿の違いについては記されず(今戸では横座りで頭と招く手は正面向き。中京以西では正面向き。)今戸焼の招き猫には「本物の鈴がついている」「鈴つけるの大変なのよ」とか書かれているのです。これって最近(少なくとも戦後30年代以降の)ことしか見ていないから書けることで、知らない人には「今戸焼の猫は江戸時代から本物の鈴をつけることが伝統である。」みたいに聞こえてしまいませんか。最後の今戸人形師だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までの正統な今戸人形に実物の鈴をつけたなんて話はないし、実物の鈴つきの古い品もありません。また「招き猫ゆかりの浅草散歩」という記事には所縁の地として最も古い記録である「浅草神社」(三社様)は全く触れていないんです。(嘉永5年の武江年表や藤岡屋日記には浅草寺三社権現って記されているのに)

 今回の特集の企画の目的は「和楽特製招き猫」(和楽と木目込み人形職人とのコラボによる銘品)の前説としてダイジェストで挿入すればよいくらいの発想なんで、軽く疲れない読み物で十分、、お正月だしおめでたいしお節に飽きたらカレーもね、というところだったのでしょうね。だから担当の女性が我が家にいらした際、「話を聞く耳はない」という感じだったのはそのせいだったんだな。と思いました。まあこれは個人としての感想です。百科事典とか辞書、教育図書、知識の泉、文化の礎たる小学館さんとしてはちょっと残念な印象を持ちました。写真を載せてもらってありがとうございました。

 


被官様へのお納め

2016-12-27 20:01:12 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 羽子板市向けの支度に続いて、干支のそのほかのお納め、そして今日は被官様への鉄砲狐のお納めに出かけてきました。銀杏の葉もすっかり落ちて、曇り空といいグレー系の佇まいになっていました。

 早くお納めに、、と慌ててひたすら薄葉紙で一対づつ包んでいたので最後の一対で気が付いて慌ててデジカメで撮りました。

 段ボールに詰めてタクシーで三社様へ。とりあえずお納めできてひと安心。

 鉄砲狐をお納めする祠は整理された後のようです。

 拝殿前にはお供えされた油揚げがたくさん。

 この「髭なし」2体は、今回の納めの分ではありません。家でお祀りされてお返しに戻ってきたものでしょうか、、。

このところ寝不足や足腰の痛みでへとへとに参っているので、年内済ませたいものがまだありますが、今日何もしないでは早く寝ようと思います。


2016羽子板市 丸〆猫(まるしめのねこ)と干支の酉(鶏)完売御礼

2016-12-19 21:07:51 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 本日、羽子板市の最終日、チャリで浅草まで出かけてきました。上の画像は実は自分で撮影したものではなく昨日中日の様子です。自宅にいる間に「羽子板市までお出かけになられたのに既に丸〆猫が売り切れていて残念なので入手できる方法はないか、、。」といったメールでのお問い合わせを数件いただいていたのでした。

 わざわざ足をお運びいただいた方々にはお気の毒なことでした。本日「吉徳」さんの方からも直接お話を伺ったのですが、初日17日(土)の朝、販売開始の時間前に既に並んでお待ちくださっていたお客様が十数人いらしたとのことで新幹線で遠路お越しくださったにも関わらずご自分の順番前に売れきれて残念な方もいらしたとも、、。午前9時半には丸〆猫は完売したそうです。

 また干支の酉(鶏)5種類についても中日には完売したそうです。鶏の姿は干支の中でもかわいいものではないので、どうかと思っていましたが、ありがたい限りです。本日露店へお邪魔した折には1種類を除いて全て売れていました。ありがとうございます。

 さて丸〆猫を御覧にお越しいただいて、既に売り切れていた、というお客様。羽子板市は年に一度、3日間だけですが、季節によって出品する催事にも丸〆猫は出品していますので、お時間ございましたらご高覧いただければと思います。また、直接お問い合わせいただいても結構です。(このサイトのブックマーク内に私のHPへのリンクがありそのトップページにメールの入り口がありますので、ご質問、お問い合わせなどありましたらよろしくお願いいたします。)

 その時々で最優先に取り組まなければならない人形がありまして、ご連絡いただいてすぐに対応できるとは限りませんが、ご希望お聞かせいただいて、作ることはできますのでよろしくお願いいたします。


世田谷ボロ市 2016

2016-12-15 23:56:57 | 日々

 毎年のことなのですが、この時期際に追われた人形作りで、寝不足や腰痛なでで正直辛いのですが、「ボロ市」だけは何があっても寄ってみたくて、出かけてきました。何が好きかといえば、世田谷の高層ビルや建造物に区切られていない広い空の下に並んだ露店を眺めて歩く気安さが昔から好きだからです。いわゆる骨董屋さんなども出店はありますが昔に比べて「おお!」と感じるようなものにはここでは出会うことは少ないです。それよりも自分にとっての実用になるもの、、「古着」とか「人形作りの助けになりそうな素材や道具」に出会う可能性はあるかもしれないという期待はありますね。それと食べ物。「骨董屋」さんの露店には拾いたいものはありませんでしたが「古着屋」さんにはサイズに合うものがあってよかったです。例によって「たこ焼」を立ち食いして、昨年と同じ店で「グリューワイン」とクッキーを頬張って帰ってきました。

 神棚屋さんの露店。郷土玩具とか郷土人形とは別のものですが、「神酒の口」とか「小絵馬」とかは素材的にも造形的にも好きなもの系なので気になります。

 この「小絵馬」は図柄はプリントのようですが、形状というか形式というかは昔ながらのものと言えますね。もともとお願いごとがあれば、雑貨屋さんとか荒物屋さんなどで自分で買って願掛けや神棚へのお供えとして使うのが本来なので、有名な神社仏閣とか観光地で記念やおみやげに授与するものではないのです。そういう意味で昔ながらな絵馬です。「向かい狐」はお稲荷さま、「鶏」は火伏で荒神様、「ネズミ」は大黒様のご眷属。

 別の露店での「鶏」の「小絵馬」描き手というか「作っているところ」が別のようです。

いつものように世田谷線。昔の緑色で壁や床が木で油臭くてブーンというモーターの音のレトロな電車ではなくなっていますが、この画像の電車の塗装デザインはもしかすると伝説に聞く、玉川電車の「ぺこちゃん」と呼ばれた車両のそれを写したものではないでしょうか。高校は明大前に通っていたので当時から学校の帰りにお金もないのにボロ市に寄り道していたのが懐かしいです。


浅草 納めの観音 羽子板市 2016

2016-12-15 23:33:17 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 画像は13日夕方の浅草雷門。毎年のことですが、浅草橋「顔が命の吉徳」さんに拙作の人形をお納めに出かけた帰りに撮りました。まだ5時過ぎだったと思いますが、もう真っ暗になっています。今年も例によって12月17日(土)・18日(日)・19日(月)の3日間「浅草 納めの観音 羽子板市」が開催されます。吉徳さんのご出店の場所は観音堂に一番近いところだと思います。例によって、吉徳さんの露店内で羽子板の横に拙作の人形を並べていただきます。今戸人形はもともと浅草の観音様の境内で露店で売られていたという歴史なので、実際に観音様の軒先近くで並べていただけるというのは、作っている本人にとってはこの上ない喜びです。また当然ながら、「招き猫発祥の地」として丸〆猫(まるしめのねこ)は嘉永5年(1852)に「浅草三社権現鳥居横」でお婆さんによって売り出され大流行した、という記録(武江年表・藤岡屋日記)に記されているとおり、観音様の境内で登場したものなので、拙作の丸〆猫を並べていただけるというのは歴史の追体験のようでわくわくしています。

 また羽子板市は「歳の市」のひとつのようなものでもあると思うので、今年は「福助とお福」「恵比寿大黒」なども置いていただくようお願いしてます。いずれも今戸焼の土人形のレパートリーの中でもポピュラーであったもので、「福助」は落語「今戸焼」のサゲに出てくるもの。「恵比寿大黒」は「稲荷の狐」「裃雛」と並んで今戸で最も多く作られていたいわばベスト3のひとつです。

 お近くの方、お時間ございましたらご高覧いただければと思います。自分の思い入れでは日頃作っている人形を歴史的にも所縁の場所で並べていただけるのは、学校の児童生徒さんにとっての「学芸会」「学習発表会」「文化発表会」のような感じのもので一年の流れのなかでもとても楽しみなものだと感じています。

 例によって定点カメラのように毎年いつもの位置で絵ビラを撮影しようと思ったのですが、今年は同じ位置には見当らなかったので、近くに貼られているものを撮ってみました。


干支の酉(鶏)づくり⑪ 「諫鼓鶏」(かんこどり)

2016-12-15 21:11:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 5つ目の「諫鼓鶏」(かんこどり)。やっと色を塗ってみました。型抜きしているところは既に記事にとりあげてみましたが、生土のままの状態と素焼きの状態、そして彩色した状態ではやっぱり印象が違うかな?と感じます。

 「一文人形の諫鼓鶏」は幸い自分の手元に実物があったのでそのとおりやってみたのですが、同じ構図でもっと大きな「諫鼓鶏」も今戸に存在し、それから型抜きによって「一文人形」になったのでは、、という仮定で伏見人形系の人形がお手本になっているのではないか、、という想定でモデリングしました。

 その後、「太鼓に乗っている鶏の姿」はどこかで観た憶えがあると記憶を辿ってみたら、複数の都内の近世遺跡から同じ構図で「江戸在地系」の土質でできているものがあったことに気がつきました。つまり、この鶏単独の姿は伏見人形系の人形からの型抜きによって今戸で作られたいたということは確実です。今戸のそれらはおそらく土笛のようで脇腹部分に「ポンス」状(粘土をくりぬいて穴をあける道具)の孔がひとつ、底には串状のものであけた孔がひとつあるので、おそらく笛なんだろうと思います。

 

 彩色については全くの手探りで塗ってみましたが、できるだけ昔風というか、古風な時代の今戸人形らしさを狙いたいと思っていますが、塗ってみたこの配色は完全に時代考証的に正しいとは思ってはいません。反面今戸らしい色の取り合わせを意識して、時代考証的なものと矛盾するかな、という自覚もあります。

「植物煮出しが使われていた時代のパターン」「天保以降の顔料中心のパターン」「明治以降のパターン」などイメージとしては変わってくると思いますが、画像の配色は「いいとこどり」になっています。太鼓の配色ひとつとっても時代によって塗りそうな色が異なりますが今回は古そうな時代を意識して正面の「三つ巴」の色は意図的に「朱」「くさのしる」「紫土べんがら」風な色にしました。「赤」「ビリジアン」「バイオレット」か「モーヴ」など、もっと鮮やかな色もありますが、そこは古風さを意識しました。太鼓の胴の部分は植物煮出しの「きはだ」と「すおう」を掛け合わせて塗るという選択肢」もありますが、今回はやはり古風な感じの「黄土」で塗り、不思議な模様をつけてみました。古い「今戸人形」の画像を掲載している本があり、その中に「諫鼓鶏」ではなくて「太鼓乗り童子」が載っていて、その太鼓の胴には不思議な模様。「黄土」の地色の上に胡粉の白で模様を描き、縁を朱色で囲んだものでした。ムーミンの「ニョロニョロ」みたいな形状だという印象ですが、その掲載されている本が我が家にはあるのに、整理が悪くてみつからないので記憶でやってしまったついでに「宝珠」も加えてしまいました。「変な模様」に見えるかもしれません。古い沖縄の人形などにもありそうな模様です。一種「キース へリング」のストリートペインティング作品にも似た印象です。

 裏側は表と同じに「三つ巴」でいいと思いますが、「諫鼓鶏」であることを強調したくて、蔦が絡んでいる様子を羽子板の裏絵のように描いてみたいと思っていたのですが、あまり描き込むと重ったるくなって不自然かと思い、黄色で薄く塗るに留めました。(薄墨でもよかったかも?)

太鼓の枠の鋲は金色に塗りたくなることろですが、白のほうが落ち着いているかと思いました。最近ニュースでアメリカの次期大統領さんのお宅の普請の写真を見て、成金っぽく金きらすぎて嫌だな、、と思っていたのがひきがねでもあります。

 これでとりあえず5種類の干支の酉(鶏)を塗ってみたところですが、まずは「浅草観音 羽子板市」にならんでくれることを最優先に塗ったところなので、まだ塗っていない素焼きはこれから塗り足していきます。


干支の酉(鶏)づくり⑩ 「火の用心鶏」

2016-12-11 18:35:22 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 「火の用心鶏」と「諫鼓鶏」は型を起こすのが遅いほうだったので急いで素焼きした一番窯分がぎりぎり塗りあがった「火の用心鶏」です。「諫鼓鶏」はまだ塗りあがっていません。二番窯の素焼き分も遅れて焼き上がり、塗りに入っていますが、一番窯分はぎりぎり「羽子板市」に間に合うかな、、というところです。

 以前にもお伝えしたかと思いますが、この人形は伏見人形由来の「与市兵衛」(浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」五段目「山崎街道」に出てくる「お軽」の父親で、婿である「早野勘平」(実録では萱野三平)のため娘「お軽」を祇園大文字屋に身売りさせた代金「五十両」を調達して山崎街道にさしかかる、、、、。という役。)または相良人形では「火の用心」と呼ばれている型で、東京でも文京区本郷の「真砂遺跡」から江戸在地系の土で作られ色の落ちたものが出土しています。

 「とさか」の形状が炎に似ていることから、鶏は火伏の神様である「荒神様」のご眷属のようなイメージで鶏=火伏せ という迷信が昔から伝わっているので、「火の用心」の人形を鶏の姿に置き換えてみたというわけです。火伏の神様である「荒神様」のご眷属が「火の用心」の夜回りをしているという「見立て」のつもりです。画像は室内が薄暗いせいか、全体が青みがかって写っていますが、実際はもう少し赤味を帯びた感じです。

 鶏の顔は正面から見ると平ったく見えるので側面や斜めからみないと何だかわかりにくいですが、当世風な「緩キャラ」みたいに顔を不自然に丸くしたりするのは好きではないのでこんな感じになりました。

 

 背中にあるのは何に見えますか?ちょっとおバカかもしれませんが、ミカンのつもりです。お正月だから「橙」(だいだい)だと思ってもらってもよいですが、自分としては「ミカン」を背負わせたかったのです。なぜかというと、東京の下町には昔(今でも執り行っている家があるかどうかわかりませんが)、鍛冶屋、銅壺屋、鋳掛屋、錺屋さんなど仕事場で鞴(ふいご)を使って作業する家では必ず仕事場に「荒神様」をお祀りする棚があり、11月には鞴祭(ふいごまつり)を家内で執り行ったようで、そのときには鞴や神棚に「ミカン」をお供えし、町内や横丁の子供たちに「ミカン」を配ったそうです。個人的な思い出になってしまいますが、今戸焼の土人形を作ってみよう、、と始めて間もない頃、湯島にHさんという錺職人さんがいらっしゃって、この方は戦前から郷土玩具を愛好されていて、最後の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった本物の今戸人形をお持ちでした。そして「作るならお手本にしなさい」と仰って何体かお借りして作らせてもらったことがありました。お宅にお邪魔してお話していると、やはり「鞴祭」(ふいごまつり)をやっていたということでした。

 「ミカン」の下に「松葉」を3つ散らしました。「荒神様」の神棚には松をお供えすることが多く「荒神松」とか呼ばれてます。どこで聞いたか忘れてしまいましたが、「荒神様」には「3」という数字が縁起がよいとか???品川の「千体荒神」さまで授与されている御幣は3本の御幣ががひとつにつながっていて、これもそれに関係するのだと思います。

 とんだ売り口上のようになってしまいました。

一番窯分の「火の用心鶏」はぎりぎり「羽子板市」に向け、二番窯分はこれから塗ります。


干支の酉(鶏)づくり⑨ 「つがいの酉(鶏)」(夫婦鶏)

2016-12-11 18:26:56 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 もう来週末は「浅草観音 納めの歳の市 羽子板市」です。今年は昨年夏の入院が尾を引いていて、納めるものが滞っていたりで、玉突き式に羽子板市向けの準備が遅れていまして、今将にパニック状態です。そんな中でも12年前に型を起こした「つがいの酉(鶏)」は比較的早くから型抜きできたのでとりあえずの数はあがっています。先にのご紹介しましたが、干支向けとしては一文人形についでやっと仕上がってほーっとしています。急ぐ余りに写真に撮る前に包装してしまいました。


日本民芸館展 2016

2016-12-09 02:40:54 | 日々

 Ach!Das ist mir richtig eine grosse Sternstunde. ♪♪♪Ich wuste gar nicht ,es wirt einmal  ein Wunder geschen ♪♪♪

 昨年に引き続き、東京・駒場の日本民芸館展へ作品を出品しました。去年出品した人形すべて入選に入れていただいてびっくりでしたしうれしかったです。今年も出品してひとつでも選に入れていただけたらいいな、、、という気持ちでしたが、先日ご連絡をいただきびっくり仰天!!!「日本民芸協会賞」という賞をいただきました。それはそれはうれしくありがたいことではありますが、本当にいいんでしょうか??という心持でした。

 昨日12月8日、民芸館で表彰式、講評会等があり出かけてきました。びびりました。賞状をいただいて、お昼を挟んで、午後各部会に分かれての講評会。審査に当たられた先生方からお聞きしたことですが「今戸人形とは何ぞやという説明とか背景などなしに、作品自体が楽しい感じで、色がはっきりとしていてすがすがしくてよかった、、、。」といったお言葉をいただきました。ありがとうございました。また「作り手の人柄が出ている」とも言っていただき、ありがたいやら、、、、。

 受賞作の並んだ壁面です。

 本当にうれしいです。こんなうれしすぎなことがあって、そのうち罰か何かに当たったりするのではないかとも、、、。

会場では琉球張り子を製作されている豊永盛人さんにはじめてお目にかかりました。豊永さんの作品はこれまで写真や民芸店、それと昨年の民芸館展の展示でも拝見していますが、直接ご本人にお目にかかることができ、素材についてのお話を直接お聞きすることができてよかったです。

 いつの間にか日も暮れて、駒場東大駅近くのお店での懇親会?そして渋谷へ移動して2次会までご一緒させていただきました。みなさんに親切にしていただいてありがたかったです。ありがとうございました。


干支の酉(鶏)づくり⑧「一文人形の諫鼓鶏(かんこどり)」

2016-12-07 22:42:01 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 12月です。自分にとっては一年を通じて一番の堪えどころ。素焼きした人形を塗っているところです。干支の酉(鶏)については最優先に仕上げなければなりません。塗り上がったものから紹介させてください。まずはこれ「一文人形の諫鼓鶏(かんこどり)」です。色がついてみていくらか鶏らしく見えるでしょうか。我が家にあるお手本の人形の配色のとおり塗ってみました。一文人形のチープな感じは出せているとは思うのですが如何でしょうか。

 型抜き成形のところで立つよう底はしっかり押さえたのですが、焼いて地塗りして色を塗ってみると立ちにくいのもあることはあります。もし飾られる場合、練り消しゴムとかで支えてもらえば問題ないと思います。

 あと4種類の鶏を塗っている最中です。塗り終わったものは紹介していきたいと思います。