5つ目の「諫鼓鶏」(かんこどり)。やっと色を塗ってみました。型抜きしているところは既に記事にとりあげてみましたが、生土のままの状態と素焼きの状態、そして彩色した状態ではやっぱり印象が違うかな?と感じます。
「一文人形の諫鼓鶏」は幸い自分の手元に実物があったのでそのとおりやってみたのですが、同じ構図でもっと大きな「諫鼓鶏」も今戸に存在し、それから型抜きによって「一文人形」になったのでは、、という仮定で伏見人形系の人形がお手本になっているのではないか、、という想定でモデリングしました。
その後、「太鼓に乗っている鶏の姿」はどこかで観た憶えがあると記憶を辿ってみたら、複数の都内の近世遺跡から同じ構図で「江戸在地系」の土質でできているものがあったことに気がつきました。つまり、この鶏単独の姿は伏見人形系の人形からの型抜きによって今戸で作られたいたということは確実です。今戸のそれらはおそらく土笛のようで脇腹部分に「ポンス」状(粘土をくりぬいて穴をあける道具)の孔がひとつ、底には串状のものであけた孔がひとつあるので、おそらく笛なんだろうと思います。
彩色については全くの手探りで塗ってみましたが、できるだけ昔風というか、古風な時代の今戸人形らしさを狙いたいと思っていますが、塗ってみたこの配色は完全に時代考証的に正しいとは思ってはいません。反面今戸らしい色の取り合わせを意識して、時代考証的なものと矛盾するかな、という自覚もあります。
「植物煮出しが使われていた時代のパターン」「天保以降の顔料中心のパターン」「明治以降のパターン」などイメージとしては変わってくると思いますが、画像の配色は「いいとこどり」になっています。太鼓の配色ひとつとっても時代によって塗りそうな色が異なりますが今回は古そうな時代を意識して正面の「三つ巴」の色は意図的に「朱」「くさのしる」「紫土べんがら」風な色にしました。「赤」「ビリジアン」「バイオレット」か「モーヴ」など、もっと鮮やかな色もありますが、そこは古風さを意識しました。太鼓の胴の部分は植物煮出しの「きはだ」と「すおう」を掛け合わせて塗るという選択肢」もありますが、今回はやはり古風な感じの「黄土」で塗り、不思議な模様をつけてみました。古い「今戸人形」の画像を掲載している本があり、その中に「諫鼓鶏」ではなくて「太鼓乗り童子」が載っていて、その太鼓の胴には不思議な模様。「黄土」の地色の上に胡粉の白で模様を描き、縁を朱色で囲んだものでした。ムーミンの「ニョロニョロ」みたいな形状だという印象ですが、その掲載されている本が我が家にはあるのに、整理が悪くてみつからないので記憶でやってしまったついでに「宝珠」も加えてしまいました。「変な模様」に見えるかもしれません。古い沖縄の人形などにもありそうな模様です。一種「キース へリング」のストリートペインティング作品にも似た印象です。
裏側は表と同じに「三つ巴」でいいと思いますが、「諫鼓鶏」であることを強調したくて、蔦が絡んでいる様子を羽子板の裏絵のように描いてみたいと思っていたのですが、あまり描き込むと重ったるくなって不自然かと思い、黄色で薄く塗るに留めました。(薄墨でもよかったかも?)
太鼓の枠の鋲は金色に塗りたくなることろですが、白のほうが落ち着いているかと思いました。最近ニュースでアメリカの次期大統領さんのお宅の普請の写真を見て、成金っぽく金きらすぎて嫌だな、、と思っていたのがひきがねでもあります。
これでとりあえず5種類の干支の酉(鶏)を塗ってみたところですが、まずは「浅草観音 羽子板市」にならんでくれることを最優先に塗ったところなので、まだ塗っていない素焼きはこれから塗り足していきます。