東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

陰干しと天日干し

2016-10-15 07:33:00 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 寝室につながっている物干しのジャングルです。十五夜さんの息抜きになるよう野草や猫サラダになりそうなイネ科の草を植えていますが、夏場はここはひどく暑いので部屋を閉め切って水やり以外には出入りしませんが、この頃は開けっ放しで出入りできるようにしています。ムクロジュの枝に葉っぱも黄色くなって、ミソハギの葉も夏の勢いはなくなってきました。フジバカマが白い花をつけています。夏に比べ何をするのにも過ごしやすい天気ですが、素焼き前の乾燥に関しては、夏のようには乾きがよくありません。窯入れは効率よく目いっぱい詰めて素焼きしたいので、とにかく早く乾燥して回転させたいところです。

 

 乾燥はじっくり時間をかけて自然に行うことが理想ですが、せっかちなのでお天道様の動きを見ながらなるべく外気に触れさせて乾かしています。乾きの程度にもよりますが、陶芸の一般的な常識からすれば、結構邪道というか綱渡り式なことかもしれないですね。型抜きしたばかりの土をいきなり外気や日光に当てればすぐにひびが入ったり、バリバリになってしまいます。うちでは抜き出したものは、石膏の割型の上か白木の板の上に置いて、下降する水分を吸わせて上のほうから次第に白く乾いた感じになるよう促します。そのまま乾いてくれるのが一番よいのですが、せっかちなので表面的にかさっと見えるくらいから夜間のみ籠に入れて外気に曝します。そして朝、直射日光が差し始める前に。一度室内に避難させて、日暮れのあとにまた外気に曝して繰り返します。2番目の画像では、人形の上に比べ下のほうはまだ湿った感じですね。これくらいだと直射日光は危ないので夜間のみの外干し、つまり陰干しです。表面的にも均等に乾いたかな?と思ったら、日の当たるところに日中も干します。

 毎朝、お天道様が差し込みはじめる時間帯が本当に綱渡りでまだ湿り気のある籠は外から室内に移し、大丈夫そうな籠を外に出す。ちょっとせわしない気分です。まだ暖房を入れる時期ではありませんが、暖房が入れば、室内の天井近くで乾燥させることもできますが、それまで籠の出し入れで乾き具合をみています。


余熱

2016-10-11 18:14:12 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先週までの汗だらだらの天気と打って変わっての涼しい天気。それでも風のない空気だとまだ汗ばんだり。しかし流石夜中にはうす寒く感じるようになりました。毎年のことながら、年末の3か月のいうものは一年のサイクルで忙しさもピークとなります。被官様の狐、干支、年末に向けてのもの様々に型抜き、素焼きの繰り返し。合間に近所の工事現場から土をもらってきてプールする。粘土を切らしては大変なので水簸(すいひ)の作業もして沈殿を繰り返す、、。

 いつもと変わらぬ窯出しの風景。中身は被官さまの狐とほんの少しの福助お福。これを出してから、焼きを待っている乾燥中の人形があまたあります。夏場の窯の余熱はただただ汗を呼ぶものですが、天気が秋冬になってくるとありがたいものになります。この窯のとなりにトイレがあり、夏場はトイレで汗をかきますが、これからは夜中に暖房のように暖かく感じられます。そういえば、この窯で焼芋もできます。せっかくのいい天気なので「奥山に 紅葉踏み分け なく鹿の、、、、」の猿丸太夫のような景色のところへ行ってみたくなりますが、どうも現実を考えると、できるだけ型抜きをして貯めていかなければ、、という気持ちになってしまいます。


被官様の鉄砲狐

2016-10-01 13:52:31 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 3月以来の鉄砲狐の支度です。この夏前から型抜きして干し、素焼きして焼き貯めしていたものにやすりがけして、胡粉の下地塗り、泥絵具と墨で彩色します。鉄砲狐の配色デザインは作る家による小さな違いはあっても大同小異というところでしょう。足の爪の表現として赤で点を置くことと、台座に黄色を置くことは天保年間以来のことで、「玩具聚図」という天保3年の人形玩具の配色手本帳が浅草橋のお人形の「吉徳」さんに残されていますが彩色についてはそのお手本に準じてやっています。唯一異なるのは、天保の頃は「真っ赤」な絵具が少なかったせいか、赤い部分は「朱色」とか「鉛丹」で塗っていたものが、明治になると「洋紅」とか「赤」「スカーレット染料」などが出てきて、真っ赤に塗るようになります。三社様に以前赤部分はどうするかお尋ねしたところ、「赤」を希望されたのでそのようにしています。昨年の「日本民芸館展」出品の狐には手本のように朱色を使って塗りました。(民芸館展に出品した狐と被官様に出ている狐とはモデリングが微妙に異なります。当初被官様向けに起こした型は江戸時代の鉄砲狐をお手本にモデリングしたものですが、神職様のご希望でもっと太らせて欲しいとのことだったのでそのとおりにしたものが現在被官様に出ているタイプ。当初起こした比較的スリムで尖った感じの型を民芸館展に出品しました。)

 鉄砲狐は昔の小絵馬のように神様に奉納して祈願するためのツールであって、鑑賞物ではなかったので落語「今戸の狐」の話のように内職として彩色をしている人が少なくなかったのでしょう。その中で狐の目は一筆で速筆で描かれたのでしょう。それを意識して描いているつもりです。総じて今戸人形の面描きで、狐にしろ、福助にしろ、一筆の目の穂先が走っていて中ほどで筆の腰というか三角っぽく膨れているのが昔の今戸焼の土人形共通の特徴のひとつだと思います。当然筆ののばし具合、筆圧の差というものが描いた人によって差があるものの、書道での筆の留め、はらい同様筆の置き方、はらい方ってあるんだと思います。また台座の赤と群青の縞ですが「玩具聚図」のとおり側面にも描いています。線は丸筆で描いているのがほとんどで筆圧によって線の太さに強弱が生まれるもので、一番上の筆の置くところが丸くなっています。自分では手先がビビってしまうことがありますが、それも自然なことと思い一気に描いてます。平筆は使いません。