東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

十条の富士祭

2010-06-30 21:45:57 | ご近所

2007_0101_000000p1010510 6月30日と7月1日。富士開きで富士祭。各地に富士塚がありますが、東京で有名なのは、駒込と浅草、入谷の小野照崎神社、西武池袋線江古田駅前の浅間神社ほか、まだたくさんあると思います。

うちの近所の十条のお富士さんも有名なほうだと思います。中でも一番姿の美しいのは小野照崎神社の富士塚だと思いますし、駒込のお富士さんはさすがにスケールが大きいです。

しかし、ここ十条のお富士さんも人出はかなりだと思います。富士祭といえば授与される「麦わら蛇」。「江戸二色」などにも描かれていますが、古くは「神竜」といったようです。これを求めて、飲み水の水回りのところにお祀りすると、夏場水当たりしないといわれていたとか、、。

駒込の「麦わら蛇」が一番古いようですが、浅草の「麦わら蛇」は駒込とは違ったデザインで、年賀切手にも採り上げられたのでも有名でしたが、私が知ってからは、浅草では授与されなくなってしまったと思います。駒込型の「麦わら蛇」は、駒込の他、ここ十条と小野照崎神社で授与されていますが、他でも授与しているのか、、、ご存じの方お教えください。2007_0101_000000p1010513 2007_0101_000000p1010512 2007_0101_000000p1010517駒込だと「麦わら蛇」といっしょに「麦の落雁」のような打ち菓子を授与していたと思います。

普段はひっそりとしているお富士さん通りも人混みで見動きできないほどです。


自然観察園

2010-06-30 17:55:24 | ご近所

2007_0101_000000p1010508 久しぶりに西口の自然観察園へ。

目的は、大好きなみそはぎの群生がどうなっているか観るため、、。残念ながら、ありませんでした。というより、今まで咲いていたはずの木道沿いの水面が、柳の木が高く茂りすぎて日陰になってしまい、育っていないためです。みそはぎの株はしっかり確認できたのですが、、。そのかわりもじずりが田圃の畔に点在していました。みそはぎも畔に移植しておけばいいのに、と思いました。

ここも開園してからどのくらいになりますかね。日陰が多くなりました。

浮間から移築した民家の軒先には、刈り取ったマコモ?が並べて干してありました。近くに浮間の精霊馬(お盆に使う藁馬)作りの体験学習があるようなので、その仕込みなのかもしれませんね。

赤羽公園や志茂町公園に夜行くと、蛙の声が聞こえてくるのですが、ここの田圃ではどうでしょう?一度夜に来てみたい(園内へは入れませんが)と思います。蛙の大合唱、、憧れますね。


海水人形!?

2010-06-27 01:35:31 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010504 先日、今戸人形最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の御親族をお訪ねして、いろいろなお話を伺ったのですが、その中で聞き慣れない「海水人形」という言葉が出てきました。

春吉翁の娘さんのはなさんがご生前に昔のことを壊述されている録音が残されており、その中に出てくるのです。春吉翁は箱庭細工の名人としても知られているところで、浅草橋のお人形の「吉徳」さんへ納品されていたことがあったそうですが、その後、浅草橋の雑貨屋さん納めていたらしいのです。

春吉翁作の箱庭細工は、精巧な作りで、横浜から海外にも輸出されていたそうですが、箱庭細工とともに「海水人形」も輸出され、雑貨屋さんには大きな利益をもたらし、感謝されていたという話でした。

さて「海水人形」というのはいったいどのようなものか? これという実物を観たこともなく、いろいろ考えてみたのですが、「海水」とつくからには、水に濡れても大丈夫なもの、、?金魚鉢や水槽の中に置く竜宮城や太鼓橋、乙姫様に浦島太郎の類ではないかと想像しているところです。

水槽の中に置くのであれば、泥絵具に膠の彩色では色が取れてしまいます。おそらくペンキ塗りか釉薬をかけたものなのではないかと思うのです。

画像はペンキ塗りの金魚や鯉ですが、これが春吉翁の作であるという断定はできませんが、配色から、今戸人形に似ているところも見られます。今の段階では決定的な品物を確認していませんから、あくまでイメージとして採り上げてみました。


もじずり(ねじばな)

2010-06-23 22:37:49 | ご近所

2007_0101_000000p1010500 大好きな花のひとつです。

「陸奥のしのぶ文字摺 誰ゆへに 乱れ初めにし 我ならなくに」という歌が有名ですが、直接この花のことを歌ったのではないでしょう。

文字摺という綾織を思わせる、ネジれた花の咲きかたからイメージされ、こう呼ばれるのでしょうか???

荒川の土手に大群生があるので、観にいってきたのですが、見事に下草が刈り取られていたので、今年がダメかもしれませんね。

赤羽公園の噴水の周りの芝生に茂っていたので写真に撮ってみました。刈り取られなければいいんですが、、。さわやかなピンク色。子供の時からまるで宝石のように思っていました。


隅田川の渡し舟

2010-06-23 22:27:54 | ご近所

2007_0101_000000p1010498 かみそり堤防の中を行き来する渡し舟。もちろん昔式のものではありません。隅田川を挟んで右側が北区志茂3丁目。左側は足立区新田。

旅客用の渡しではなくて、両岸に工場をもつ「日本化薬」の専用の渡し舟です。物品の運搬や社員の行き来に使うんでしょうね。

錦絵や古写真に見る「竹屋の渡し」とか「待乳の渡し」のイメージからは別物ですけど、渡しには違いなく、隅田川最上流の渡しといえるのではないでしょうか?

画面下に見える葦の群生。「江戸名所図会」に描かれている在原業平の図を思い起させます。この辺りにも都鳥は飛んでいるんです。


咲いている

2010-06-19 07:32:47 | ご近所

2007_0101_000000p1010496 ずっと降り続いている雨も今朝はあがっています。毎日気にしている私のミソハギは、雨に打たれて腰を曲げていますが、一枝だけ花が咲きました。これ早咲きなんでしょうね。

以前、川口の安行から買ってきた株なのですが、葉っぱや花の色が昔ながらのミソハギとかとはちょっと違うような気がするんです。花の色がピンク色っぽいでしょう。昔のはもっとむらさきがかった色です。

ひと株だけ昔ながらのミソハギが植えてはあるのですが、咲くのはもっと後。お盆の頃です。

ミソハギは大好きな花なので、これから少しづつ咲いてくるのが楽しみです。


今戸焼(27)  寺島の招き猫型の貯金玉(高野安次郎 作)

2010-06-15 23:43:06 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010494 有坂与太郎著作「郷土玩具大成・東京篇」の貯金玉の項で紹介されているもの。作者は寺島町(現・墨田区)の高野安次郎という人とされています。貯金玉(貯金箱)を招き猫型にした起源とか最も古い、一番古い、最古の例がこの人の作だと書かれていますがどうなのでしょうか?

解説の中で、この人は橋場にいた隅田川焼の2代目・井上良斎の門下で、大正10年頃、寺島に移って製作していた由。昭和3年発行の「東京今戸焼同業組合」による「仲買渡シ相場表」という印刷物があり、その中に当時の製品の種類と価格、組合員34名の名前のなかにこの人も含まれているので、寺島で操業していても今戸焼と考えてもよいかと思っています。

今戸焼の貯金玉についてはこれまでの記事で「宝珠型の貯金玉」とそれに次ぐ「蔵の形の貯金玉」について書きましたが、この招き猫の貯金玉は蔵の形の次いで出てきたもののようです。

今戸焼やその系統の陶工によって作られた招き猫の貯金玉は上記「郷土玩具大成」の図版の中でいくつか紹介されていますが、未だわからないのは、今戸の長昌寺前で、芋屋渡世の傍ら紅丑や口入れ狐などの今戸焼の土人形を作っていたという鈴木たつも猫の貯金玉を作っていたと記述があるのですが、それがどんなものだったのか?最後の今戸焼の人形師であった尾張屋春吉翁(明治元年~昭和19年)による招き猫の貯金玉は観たことがありますし、再現を試みたこともあります。

この寺島の招き猫の貯金玉も手掛けたことがありますが、その当時手元に手本となる実物がなく、もっていらっしゃる方に見せていただいたり、写真に撮らせてもらって型を起こしたのですが、何という運命の巡りあわせか、それなりに苦労して作ったあと、偶然にも画像の実物が手元に転がり込んできたのです。 もっと早かったならばもっとしっかりできたのに、、、。

しかし、作る手本として見せていただいた実物と、私の手元の貯金玉とでは、奥行きなど若干の違いがあるのです。おそらく、たくさん割り型を作る際に、前後が薄くなったり型くずれしていったのではないでしょうか?

いずれにしても、こうやって現物が手元に来た2007_0101_000000p1010495 のでいずれ、このお手本を元に、また手がけてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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広重画 「浄るり町繁華の図」より④

2010-06-15 23:05:06 | 錦絵

2007_0101_000000p1010486 丸〆猫屋が描かれていることで話題となった錦絵のシリーズの他の絵について、今回は4回目です。

この絵も見れば、描かれている大方の人物の世界は想定できるのですが、ちょっと悩んでしまう点もあるのです。

まず左上の「志のだ寿司」屋さん。「志のだ」は「信田」で有名な葛の葉。「芦屋道満大内鑑」。お稲荷さんを切っているのが、葛の葉の命の恩人であり、葛の葉と契ってしまう安倍保名。笠を被っているのが葛の葉。この扮装は「乱菊の道行」のものでしょうか。子供は保名との間に生まれた子、安倍童子。子別れの場面が有名。「恋しくば たづね来てみよ 和泉なる 信田の森の恨み葛の葉」の曲書きが見せ場のひとつ。後ろの奴さんは、保名の忠僕与勘平。

右上、赤っつらのお爺さんは「三荘太夫」ですね。森鷗外の「さんせう太夫」の原点となった説教節の世界からきた話で、その浄瑠璃化は宝暦11年に遡るそうです。左で一杯やっている若者は安寿姫と対王丸の供をしていた元吉要之介か?安寿姫と対王丸は売られてしまい強欲非道な三荘太夫の屋敷で酷使し折檻する。父親の非道の報いか、その娘のおさんは鶏娘(姿は人間だが、あるとき鶏になってしまうという性)。娘の本性を人に見抜かれないために鶏千羽を庭で飼っている。そこへ元吉要之介がはぐれた安寿姫と対王丸を訪ねて現れるが、捕らわれて、明け六つに処刑されることになる。娘おさんはかねて要之介に一目ぼれしていたので、何とか命を助けたいばかりに、庭の千羽の鶏が鬨をつくらないよう次々に絞め殺すうちに、自ら鶏の本性があらわれ鬨を作ってしまうという話。行灯に「かしは シャモ なべ」とあるのは、この鶏娘からのブラックユーモアということになります。本外題「由良湊千軒長者」。

中段左は蛙の水からくりを売っている。傘を手にした公家と蛙。これはまさしく小野東風ですね。花札の図柄でもポピュラーです。浄瑠璃の外題は「小野東風青柳硯」。売っている男は大工の独鈷の駄六。この浄瑠璃、昔は歌舞伎でもかなりポピュラーな演目だったようですが、最近出たのを観たことがありません。東風と駄六が相撲をとるのが見どころらしいです。

中段右側は「あんかけとうふ」に「茶めし」とある。床几に腰掛けてお食事中のお殿様。着物の柄は福良雀のよう。ということは足利頼兼公。この姿は現在でも上演される「伽羅先代萩」の花水橋の扮装とだいたい同じ。私は観たことがないけれど、戦前、前進座で「伽羅先代萩」を上演した折、豆腐屋の場というのがあったという話を読んだことがある。現在上演される花水橋に登場する絹川谷蔵は相撲取りという設定だけれども、他の演目で同じ名前で豆腐屋だったりしたような、、?あるいは「伽羅先代萩」と同巧異曲の「伊達競阿国戯場」という歌舞伎狂言が浄瑠璃化されたともいうので、その中の場面でしょうか?

下段右は「伽羅先代萩」の床下の段。仁木弾正が売り歩いているおもちゃは「弾き鼠」とでもいうんでしょうか?この手のおもちゃで有名なのは柴又帝釈天の参道で売られている「弾き猿」今でも健在です。昔は「鼠バージョン」があったんですかね?仁木弾正と鼠の関係は今更いうまでもないですが、仁木弾正が忍術で鼠に化けて連判状を政岡から奪う、床下で警護していた荒獅子男之助が怪しい鼠を捉え、鉄扇で額をひと打ちするが、取り逃がしてしまうという筋から。この絵で「弾き鼠」を買おうとしているのが荒獅子男之助。長袴の裾をからげて物売りをしている仁木もおかしいけれど、男之助が子供のように描かれているのは、「荒事は子供の心で勤めよ」という口伝を表わしているということでしょうか?仁木の額に疵がありませんね。

下段左は桜餅屋さんでしょうか?お姫様と桜餅とかけると、やっぱり桜姫なんでしょうかね。床几に破壊坊主が座っているから、桜姫といえば清玄。「清玄桜姫」の世界っていう趣向の歌舞伎狂言はいくつかあって、中でも「桜姫東文章」という鶴屋南北作の狂言は今の玉三郎さんで何度も上演されました。但し、これは純粋な歌舞伎狂言なので、浄瑠璃ではないです。もしかしたら浄瑠璃化された院本があったんでしょうかね。ちょっとわかりません。

この錦絵シリーズで丸〆猫屋の描かれた絵についての記事はこちらです。


自動車教習所

2010-06-11 16:31:58 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010484 赤羽公園の南側に建っている団地。私の小さい頃は自動車教習所でした。それ以前は何であったか記憶にはありません。団地の建っている敷地まるまる教習所だったので、子供心にすごく広い感じがしましたね。写真右端あたりが赤羽公園のプールがあった辺り。今だったらダイエーが見える方向。その右側の工場は今マンションになっています。右側のもっと奥、つまり東側には高柳軒というラーメン屋さんがあり南側には目医者さんや靴屋さんがありました。

教習所の植え込みには真っ赤なカンナが咲いたり、芝生の中にモジズリ(ネジバナ)のピンクの花が咲くんです。それを採りたくて、よくネットの下の隙間をくぐって敷地に入ったりして怒られました。

小学校に上がってからの話なんですが、授業参観日に交通標識の勉強があって、どの標識はどこにあるか?黒板の地図に標識を貼りつける活動がありました。普通の踏切なんか全部知っているので、ここにもあるんだよ、と意気揚々と踏切の標識を自動車教習所の所に貼ったんです。そうしたら担任の先生がそんなところにある訳ないでしょうって、教室内大爆笑。母は穴があったら入りたい気分だったらしいんですが、今思い出しても、私は間違っていなかった、他の子よりひとつ多く知っていたんだと思っています。

私を抱いてくれているのは近所のおばさん。映画とかいろんなところへ連れて行ってくださいました。


今戸焼(26) 松の香合(白井半七作)

2010-06-08 19:02:23 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010481 貯金玉や火入れなど庶民的な製品を並べていましたが、ここでまた茶道具関係の製品です。

陶印から、今戸で活動していた最後の半七、つまり7代目の白井半七(1857~1933)の作だと考えられます。関東大震災に遭い、その後招かれて兵庫県伊丹市に築窯し、まもなく亡くなられた、とあるので、今戸で活躍した最後の半七ということになります。この作品は白い土でできているのですが、今戸では製品によって地元の土と取り寄せた土を使い分けていた、ということです。

時代としては、今戸時代のものなのか、関西へ移住後のものなのかわかりません。 仮に今戸時代のものだとすると、今戸焼の製品の幅の広さをしみじみ考えさせられますね。


赤羽公園にて

2010-06-08 18:35:59 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010480 赤羽にお住まいの方でしたら、現在のどのあたりかすぐおわかりになるでしょう。

赤羽公園の東側、つまり、モザイクの滑り台を挟んで、噴水とは反対側。後ろに見えるのは、昔北側にあった染色工場か、あるいは南側の現在マンションが建っているところにあった工場。染色工場だとすれば赤羽病院やダイエーが写る角度です。まだモザイクの滑り台はない頃です。

子供の頃公園の土のむき出しになっているところには、たくさんの貝殻が覗いて見えました。今でも時計台の裏手あたりに見られるのではないでしょうか?太古の昔このあたりが海だった名残なのでしょうし、母の話ではこのあたりは沼みたいだったそうです。

この写真よりもっと右奥の東側の公園入り口には、型抜き屋のおじさんや紙芝居屋のおじさんが来ていました。おでん屋のおじさんも。あんずや毒々しい赤色のすももを絡めた水あめなんか買いました。


赤羽駅のホーム

2010-06-08 18:14:54 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010478 私の写っている一番古いアルバム。久しぶりに眺めてみると意外にも昔の赤羽の街並みがばっちり写っているものが少ないんです。わが家の場合、趣味的に写真と撮るということがなかったのと、特別の時にしか撮らなかったのでしょう。それに、人物中心なのが多いので、はっきりと、昔のあそこ、と場所の特徴のあるのがないんです。

まだ赤羽線と呼ばれていた頃のホーム。池袋と赤羽を電車が折り返し運転していました。

私には黄色い電車が馴染みがありますが、写真の当時は茶色い電車だったかもしれません。前方左側が西口です。ぼんやりと見える看板。ローカルな感じがしますね。

西口はその頃ローカルでいい感じでした。時代としては昭和40年~42年頃の風景だと思います。


お気に入りの店⑥

2010-06-06 07:57:54 | おいしいもの

2007_0101_000000p1010467 赤羽駅西口の弁天通りにあるパン屋さんの「フジヤ」さん。駅から5分くらいのところ。駅前には大手のベーカリーがたくさんある中、町のパン屋さんとしてがんばっていらっしゃいます。

ここのお店の商標、どこかのに似ているなとかねがね思っていたんです。赤羽駅東口、今のLALA GARDEN(旧・赤羽すずらん通り)の現在長崎ちゃんぽんのリンガーハットがあるところに「富士屋」さんというケーキとパンのお店が昔ありました。2階はレストランだったと記憶しています。ここの商標は富士さんに目鼻が描かれたものでした。

西口の「フジヤ」さんのは富士山に「フジヤ」と書かれています。旦那さんに東口の「富士屋」さんと関係あるんですか?と聞くと、関係はないみたいです。

何となく懐かしい感じの店構えで、並んでいるパンも懐かしい感じ。よく買うのは「スウィートポテト」というパン。中にちゃんと裏ごししたスウィートポテトがたっぷり入っているんです。まわりにシナモンがまぶしてあっておいしい。それからメロンパン。母は大のメロンパン好きで、結構うるさいのですが、母の好みのは、しっとり系のものではなくて、まわりがざらざらしたもの。いかにも昔ながらというタイプで、母も贔屓にしています。面白いのは「カステラロール」。パンの中にカステラと果物が入っているんです。2007_0101_000000p1010470 2007_0101_000000p1010472 店内には手作りのラスクや懐かしい焼きそばパンもあります。

赤羽には他にも昔ながらのパン屋さんが何軒かありますが、がんばってほしいお店のひとつです。


今戸焼(25) おかめの火入れ②

2010-06-05 23:02:04 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010457 ひとまわり小振りなおかめの火入れ。プロポーションは先の火入れに比べ、ずんぐりしていますが、面描きはなかなか味のあるものだと思います。茶色部分はいかにもべんがら(酸化鉄)という発色。

おかめの火入れもいろんな家で焼いていたんでしょうね。渋谷にある「たばこと塩の博物館」の常設展示品には、小振りながら素晴らしい2007_0101_000000p1010458 おかめの火入れがありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鳥居清忠 画  今戸焼火入れの図 色紙

2010-06-05 22:52:50 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010477 人形玩具学会でご活躍されていらっしゃるH氏からいただいたもの。

鳥居清忠とありますが、5代目清忠の筆でしょうか。(明治33年~昭和52年)

毛氈を掛けた床几(昔のベンチ)の上に今戸焼の火入れ。左上に描かれているのは、菊なのか、あるいは夕顔棚なのか?よくわかりません。 

こうした場面で火入れが使われていたという一例でしょう。