東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

遅ればせながら干支の巳

2012-12-14 23:34:11 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P101101312月ももう半分きてしまいました。塗上がった状態の拙作の来年向けの干支ものを紹介させていただきます。今年の場合は一種類を除き伝世の古い今戸焼の巳の土人形が確認できないためおおかた創作になります。

①「三寶乗り巳」

三寶の上に小判の山。その上に宝珠を抱いた白蛇が乗っているという構図です。小判の下の紙には向かって左の側面から正面、右側面にかけて「成・巳・金」という文字を入れました。これは昔からの東京の年中行事のひとつ弁天様の「成巳金大祭」(なるみかねたいさい)をイメージしたものです。上野不忍池の弁天様のお祭り(例年9月)が有名ですが浅草の弁天山でもあったのではないかとおもうのですがどうでしょう。成巳金=成身金にも通じる縁起のよい言葉です。実はこの人形の成形には手間がかかりました。前後2枚の型では抜けないので、三寶の胴の部分、上の受けと小判の山の部分、蛇の部分の3つの部分を別々の型で抜き出し、合体させ、少しおいてから胴の孔を切り出すのです。まあ作る本人としては手間ではあっても出来上がりがよいかどうかは別ですね。でも今回の巳4種類の中では一番まとまりはよいのではないかと思っています。

P1011005②「巳抱き弁財天」

この弁天様の姿形については古い今戸焼きの色のとれてしまった人形に忠実に原型を起こしてみました。お手本よりも拡大してあります。右袖の上に白蛇を抱いていますが、ここだけ私の創作で加えたもので、原作の形では蛇はいません。但し、構図はかわらないので、蛇がいないだけの姿を想像していただければ原作に近いと考えてもらえればよいと思います。配色については全くの想定で、今戸人形でよく使われる朱色と群青、白緑、黄色でアレンジしてみました。袖から手を出していない姿なのでどう塗ったらよいか迷ったのですが、苦肉の策で繧繝風に塗ってみました。

③「成巳金小判乗り巳」

「成巳金」については昔からの東京の年中行事であること記しましたが9月の成巳金大祭のときには昔から弁天様から縁起物の小判と財P1011007_5布が授与されてきました。現在でも小判や財布は大祭当日に授与されるようですが。小判のデザインは昔のものとは変化しているので、明治時代のデザインを応用してみようと「東京風俗誌」(平出鏗二郎 著・明治30年頃?)という本の挿絵に描かれている当時の成身金小判を手本の台座の小判を作り、上に乗る白蛇には手びねりの小判を咥えさせてみました。この白蛇も宝珠を抱いていて台座と加えている小判と金だらけで短調な感じがするので宝珠だけは群青に塗ってみました。画像でおわかりになりづらいと思いますが、台座の小判に刻まれている丸のなかの漢字で読めないものがあり、辞書にも出ていないので、わざわざ不忍池の弁天様までお邪魔して聞いてみたところ「拾」という字の繁体文字なのではないかとのご意見をいただきました。

P1011006_6④「虫拳」

今戸焼周辺でも子供のおもちゃとして昔作られてもいたし、「狐拳」が流行するかなり以前より行われていた拳あそびを巳つながりで作ってみようと思ったもの。なめくじは蛙に食べられてしまうが蛙は蛇に飲み込まれてしまう。しかし蛇はなめくじを飲み込むことができない。(飲み込むと蛇の体が溶けてしまう」と信じられていました。画像の形はこれも創作ですが、がまの単体については昔今戸で作られていた施釉の浮人形の蛙を参考にしました。

以上4種類ですが、焼いた全ての色塗りが完成したわけではないので、お送りすべきものの中にはまだこれから塗らなければならないものもありますことご了承ください。


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