東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

箱根山の向こうへ、、。

2018-07-31 10:45:38 | 日々

 昨日は何年かぶり(おそらく奈良博の「白鳳展」以来)に東海道新幹線に乗って箱根山の向こうにでかけてきました。うちの親戚は山形県と青森県とか東日本に集中しているせいか、東海道新幹線乗って出かけるということはこれまでの人生を振り返ってみても指折り数えられるくらいしかないので新幹線ホームに立つ、車内に入るだけでもどきどきします。夏目漱石の「坊ちゃん」の中で主人公が松山に赴任するにあたって「きよ」に別れを告げるところで箱根の山の向こうですか? おみやげに「越後の笹飴がたべたい」といったやりとりがあったようなおぼろげな印象がありますが、「きよ」同様自分にとっても箱根の山の向こうというのは経験の少ない未知の土地という感じです。

 十五夜さんを家に置いて外で夜を越すことはしたくないので一日で往復の強行軍。目的は静岡在住の郷土人形や玩具の愛好家Hさんのお宅にお邪魔して、今後手掛けてみたいもののお手本を見せていただいたり採寸、いろいろな方向から立体を把握できるように360度方向から写真の撮影をさせていただくためでした。現地の地理とかいろいろわからないのでこれまで東京でしばしばお世話になっている吉徳にいらっしゃったH氏と雪だるまの会のA氏も現地合流で同行していただきました。

 多摩川、相模川、酒匂川を渡り、箱根山の向こうに抜け、富士川を渡って静岡へ、空気の色というのか、東海の光の色の見え方が東京とはちょっと違うような、「思えば遠くに来たもんだ」的な感じがありますね。静岡についてからお宅に伺うまえに、市内のローカルなところで食事したり、「おでん」を煮売りしている店をはしごして味見したり、浅間神社の境内を始めて参拝させたもらってからH氏のお宅にお邪魔してお願いしていたものを見せていただきました。これまで蒐集されてきた品々の質と量にびっくり。5時間以上いろいろ見せていただいたり、教えていただいたり、あっという間でした。駅まで車で送っていただき、H氏もA氏も在来線で上り方向で戻られるということなので、帰る前に、駅構内の居酒屋をはしごして積もるお話であっという間に夜10時前。シンデレラ状態でお世話いただいたお二人にお礼申し上げてひとり上り新幹線で東京へ。赤羽に着いたのが0時前。家に帰ると十五夜さんが待ち兼ねたという表情で見上げていました。

 いろいろなところを見てまわったのですが、ぼんやりしていて現地で画像を撮るのを忘れていました。帰りの新幹線に乗る前の駅構内の居酒屋での様子。名物の「生しらす」「黒はんぺん」「桜えびのかき揚げ」そして「おでんの黒はんぺん」とハイボール。

おでんの「黒はんぺん」は日中、浅間神社の近くのおでんやかき氷の店をはしごして食べ、駅構内でも食べ、たくさんたべましたが、はんぺんを製造するところによって微妙に厚さが違うとか店によって味付けが違うようです。おでんを煮売りする店が町のあちこちにあり、必ずしも呑み屋という感じではなくて、甘味処と駄菓子屋でオトナ向けのアルコールもある、といった開放的なお店が多く、子供は小遣いを握りしめて一本80円とかの串さしてあるおでんをよそって鰹節の粉を振って食べたり、お稲荷さんのようなもので食事している人もいるなど、敷居の高くないサンダル履きで入れる店といったところが多くあります。町のソウルフードという言葉がありますが、静岡風のおでんというのは、急に付け焼刃で考案されてB級グルメというのとも違う、もともと生活の中に根付いた食べ物のようです。あとかき氷が雪のように極め細かくてしっとりしておいしかったです。

 お手本にしたいものをたくさん画像に撮ってきたので、これからそれらを観ながら原型作りに取り組んでいきます。

 


見沼田圃の夕暮れ

2018-07-25 05:40:14 | 日々

 この夏これまで4回見沼田圃へカエルを観に来ていますが、いつも来るのが日が暮れきる前のタイミングだったので、暑いしときどきカエルがケンカする声くらいしか聴けなかったので、今回は日没時間を意識してやってきました。まずは、今回はじめての場所。見沼代用水東縁の流れでもコンクリートで護岸にしないで昔ながらの岸辺を残しているという「埼玉県のトラスト1号地」と呼ばれている自然豊かなところを見沼田圃のエコ活動の人がカエルには最適ということを教えていただいてやってきました。(ちなみに一枚目のぼけぼけ夜景は先日行った加田屋の田圃です。)

 

これが見沼代用水の東縁の流れで岸を自然の状態に保っているという区間で向こう岸が「埼玉県のトラスト1号地」というものらしいです。

対岸の森ではない川の湿地がカエルに最適だということでそれがどのあたりなのか探していました。木々からヒグラシの声の嵐。

車道を挟んで代用水とは反対側に水田とか遊ばせている田圃があって、ここではないかと畔を踏むと、カエルが跳び込みます。

先日「見山」で観たオモダカの仲間だと思っていたのがこんなに大きくて、これってクワイですか?

カエルはたくさんいます。

あっという間に月が登ってきて暗くなってきました。でもカエルの合唱はまだ???

送電線の鉄塔が見える以外、ここがさいたま市内で赤羽から10キロ15キロくらいの距離だとは信じられないのどかさです。ただバスでの帰路を考えると移動して先日明るい時間にカエルに会った「加田屋」の田圃へ行ったほうが安全と考えて途中までバスで進み、あとは徒歩で15分くらい。

いよいよ真っ暗になってきました。わが家から15キロくらいでもうこんな真っ暗な夜道。暑いですがいい感じ。

そしてやってきました「加田屋」の水田。真っ暗です。畔を踏むとつぎつぎと田圃に飛び込むカエルたち、、。でもまだ合唱は聞こえない。

カエルはいっぱいいるのに合唱していない。不思議。時期のもんだいでしょうか。山形だったら旧盆くらいでも合唱していたはず、、。亡父の実家のタガの木の湯舟の横に「松島」の絵柄の摺りガラスの窓の外は一面田圃だったので、湯舟から大合唱が聞こえたものですが、、。もっと夜遅くないとダメなのかそれとももう泣かない季節なのか?

それでもそんなに遠くないところでヒグラシの声やトンボに出会えて、空が木立のシルエットで切り取られている真っ暗闇というのは懐かしい感じで夜来てよかった。

帰りのバス停前にある昔の店舗。「コカ・コーラ」のホウロウ看板があるので、酒屋さん?それとも酒でも食べ物でも荒物でも文房具でもなんでもあった万屋さん?

このあと大宮駅前に着くと街中の暑いいこと、田圃とは大違い。熊谷からさして離れているわけでもないから暑くて当然。「銀だこ酒場」でハイボールを飲んで帰りました。

 

 

 


丸〆猫(小)臥姿・座姿

2018-07-22 03:02:18 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先日まで宮城県内のお稲荷さまへお納めの狐で手いっぱいだったのが終わって、原型作りだの、型抜き貯め、舐め人形系仕上げの2回目準備などと、やっておきたいことが交錯しています。あと個人の方々で主に丸〆猫のご依頼をいただき、お待たせしているのでとにかく少しずつでもお送りしなければ、と素焼きの済んでいるものをかき集めて塗っています。

 個人的には人形の大きさで大きいものには大きいなりの手間、小さいものだと小さいなりの手間があって小さいから楽という感じでもありません。それに今ショックを受けていますが、以前より小さい顔の面描きが難儀な感じになっています。もともと視力はあまりよいほうではありませんが、眼鏡屋で検眼して作ってもらってもぴったし合うという感覚が得られないのです。よく聞く話では眼鏡は日常からかけて慣れなければいけないとか、、。でも動く場合眼鏡をかけて動くのがすごく怖いです。魚眼レンズみたいに感じてびっくりします。まあ作業のときだけかけたほうがいいかもしれませんが、また新しい眼鏡を作ったほうがいいのかもしれません。

 尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)は江戸から続いた今戸人形の伝統を受け継いだ最後の生粋の製作者だった方で、浅草橋の「人形は顔がいのち」のお人形の吉徳さんの資料室長の小林すみ江先生は、まだお小さかった頃、法事のときに春吉翁が焼香に来られてお目にかかっていらっしゃるそうですが、片方の目はお悪かったというお話をされています。片方の目であんなにきめの細やかな人形をお作りになっていたわけで、画像の拙作の丸〆猫(小)の臥姿・座姿ともに春吉翁のお作りになった作をお手本にさせていただいているわけですが、当時の尾張屋さんの作業なさっていらした様子を聞くにつれ、お手本として倣うつもりでも、やっぱりすごいな、と思うばかりです。


砂子燻し

2018-07-17 23:54:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 まがいの砂子(梨地真鍮粉青口)です。以前にはこのまま蒔き筒(粉筒・画像斜めに見える葦の筒状のもの)で振って蒔いていたのですが、ご意見やご指導いただく方があって、けば過ぎて好ましくないというご意見でした。各地の古い土人形産地の古い人形の伝世品を見ると、こうした真鍮粉を振ったものが時代を経て茶色ぽかったり黒ずんだ状態で彩色に蒔いて残っています。ただ屁理屈を言えば、時代を経た人形の味わい深さとか落ち着きというのは時間を経て化学変化して、結果として枯れた感じに落ち着いているので、江戸末でも明治でも戦前でも作られた当時の人形の出来立ては鮮やかでピカピカ光っていることを、消費者購買層の人々は「ハレ」のような気持ちで喜んでいたのではないか、と想像します。色でも植物の煮出し汁は塗ったばかりと時間を経たあとの発色が枯れていい感じになり、丹色はオレンジの鮮やかだったものが酸化して燻し銀のような色に変化するなどです。そういう理屈でいえば昔の姿は砂子もピカピカで売られていて、電気の灯りのない夜の暗い灯りの中の生活では「ハレ」的な輝きでおめでたく感じたのだろうから、砂子も燻さなくといいのではないか、という理屈になるのですが、やっぱりピカピカ過ぎるとけばくて嫌味かな?と思うところあって、燻して輝きのトーンを落として使うことにしています。

 ボールの中の黄色い液体は硫黄由来の金属加工用の燻し液を熱湯で割った状態のものです。

 そこへ砂子(真鍮粉)を匙で落とします。すごく細かく薄くて軽い(鼻息で舞い上がってしまうくらい)ので、水面に浮いてしまいます。それで、使い捨ての割りばしで溶き卵を作るように撹拌して液体をくぐらせるようにします。

 ずーっと掻きまわしているとボールの底のほうに沈んでいるのとまだ浮いているのとに分かれてきます。液体の色も紅茶のような色になってきていますね。「温泉に入る時ネックレスとか金物は外して入りなさい」とかいいますね。あれです。

 晒の布をプラスチックの笊の上に敷いて、撹拌していた液体ごと砂子を流し込んで液体を除き、液体を捨てては新しい水に戻して撹拌して、また別の晒布に流し込んで液体を捨てての繰り返しをして硫黄成分をなくしていきます。砂子は細かいので晒布でも通ってしまうのもあって勿体ないので逃げた細かい砂子も捨てないようまた晒にかけ、最終的には三角コーナー用のゴミ用の不織布水切りと晒布で二重にして逃げないようにします。

 何度も水で洗って黄色い液体がなくなったら不織布に残った砂子をそのまま乾燥させ乾いたところで水切り袋を透明なビニール袋の中でハサミで切って開いてもみもみすればビニール袋に砂子が残ります。これで燻しの終わりです。燻す前後のピカピカの違いがわかりますか?これでも結構落ち着いたのです。これから夏を境に暮れ正月に向けて忙しくなるので今のうちに砂子を燻して用意しておきます。今は古い産地の人形でもマイラーというビニール由来のピカピカの代用品が使われているところもありますし、ラメもありますが、自分としてはあまりけばくなって欲しくないので燻します。少なくとも最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までは真鍮粉の砂子を蒔いて使っていました。翁の作の伝世の人形はもとはぴかぴかだったのが時間を経て黒ずんで残っています。砂子を蒔いて豪華さを演出するという手法は京都の伏見人形の流れを汲む伝承の名残なのだと思います。


送り火

2018-07-16 22:46:19 | 日々

 うっかりとして例年よりは送り火が遅い時刻になりました。

 そうめんを茹でてお供えしてから玄関先でお送りを始めます。一枚目の画像が玄関前。

焙烙を路地と通りの角へ移動させてお線香もくべながら真菰の精霊馬とともにお送りします。

風が強く吹いてろうそくがすぐ消えていまいます。仏壇にお供えしてある食べ物は明日片づけようと思います。

 

 


見沼田圃(見山)

2018-07-16 14:12:12 | 街角

 昨日もものすごい暑さでしたね。昼までは家の中で過ごし、午後4時前くらいに家を出て、見沼田圃でまだ水田の残る見沼区の見山へ行ってきました。手前が緑区の三室新宿で対岸が見沼区見山です。中央を流れるのが芝川。見沼代用水の東縁と西縁があってその間を流れるのが芝川。大きな地図で見ると見沼田圃は上尾市から東大宮そして東南方向にカーブして武蔵野線にかかるあたりまで斜めに広がっていて代用水の東縁は田圃の縁に沿って流れていますが、芝川と代用水の西縁は大宮公園の横から南下して、埼玉新都心の東辺りから東に曲がり、ここ見山の東から右カーブしながら東縁とやや平行な感じに下っていくんですね。今回気になっていろいろ地図やバス路線図を観たうえでの理解なんですが、、。見山へのアクセスは北浦和から三室経由市民病院行きのバスが結構走っているので、終点で降りて北上して芝川を渡れば向かって右が見山です。畑に交じって田圃があります。

 蒲の穂が茂っています。これってカエル好みだと思います。

 橋の上から芝川の上流を眺めた景色。新都心や大宮の中心の高層ビルが見えます。

 この野遠見の景色、高層ビルを除けば、歌舞伎の舞台にでも出てきそうな、特に「かさね」の木下川堤とか「四谷怪談」の砂村隠亡掘だとかに似ているように思えます。「牡丹灯篭」の伴蔵のお峰殺しは栗橋の在だったか、やっぱり蚊柱の立つ湿った土地のイメージですよね。まあ、怪談の舞台ばかりでなく、端唄の「露は尾花と寝たという 尾花は露と寝ぬという、、、、。」といった下座が聞こえてくるような風情だと思います。

 待ってましたの水田ですが、田の面に水が抜いてあります。稲穂がしっかりなって刈り入れ前に水を抜くとか聞いたことはあるけれど、まだ稲穂はそんなでもない。そばで作業している農家の叔父さんに訊ねたら、稲の育つ様子を見ながら水を引き入れたり、抜いたり繰り返すものなんですね。水がなければカエルさんも厳しいので、ここいらの水田全部水を抜いているんですか?と訊ねたら、ここいら上(かみ)の田圃は抜いているが、下(しも)の田圃はまだ水張っているよ。と教えてもらい下へ移動。

 砂利道に咲いている「カワラケツメイ」だったかな?(昔の記憶なので定かではない)

 芝川の縁に茂っている土手カボチャ。

 「コウホネ」っていったかオモダカの仲間?待ってました澤瀉屋!

 下の田圃。早速畔にあがってみると、、。

バカチョンでピントが合わず残念。

 

 これイモリなのかカナヘビとかトカゲなのか。サイケなお腹が観たかった。

 あーっこれやばいんじゃないですか。ばち当たりませんか?

 まあお手植えって感じではなくてたまたま水路の底から生えているって感じなので人為的ではない?でも氷川様怒らない???

近くの畑の作物。これってメロン?カボチャ?ズッキーニは別に植えてありました。

 本当は芝川を遡上してもう一か所水田がまとまって残っているところへ行きたかったのですがちょっと歩くのと水分補給のためのペット入りもお茶を装備しているものの途中でトイレだとかコンビニなどはないよ、と畑のおじさんから聞いたのでまた改めて、、、。私立病院のバス停で行き同様北浦和へ戻ろうと思っていたところ、偶然大宮行きのバスが来たので、好奇心でどんなところを走るのだろうと乗ってしまいました。新都心駅経由だったのでここ見山ののどかな雰囲気からトレンドと人だらけの空間移動が魔訶不思議でした。田圃だと暑くてもいい風が吹いて流した汗で涼しくなるという心地よさとは対照的に大宮の駅前は熱の塊のような感じで早速ハイボールを飲みました。はしごして、Bookoffだのドン・キホーテを覗いているうち早10時まで大宮にいました。

 

 

 


迎え火

2018-07-13 18:34:13 | 日々

 なぜか今年はいつの間にかもうお盆?という忙しい感覚です。焙烙は昨年同様、今戸焼のではなくて、スーパーで買ってきたテラコッタ風のものです。

わが家は路地にあるので、通りから路地への入口の角でまず新聞紙を火種におがらを焚いて、、。

わが家の玄関前でもう一度焚いて、家へお迎えしました。あとでそうめんを買ってきてお供えしようと思います。おはぎは明日。

「おがら」こそは氷川様の眼に当たった憎い憎い蓮の茎。見沼の辺りの迎え火はどうするんだろうか、、?という疑問が、、。


斗瑩稲荷のお姿

2018-07-11 21:47:34 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 かねてより宮城県内のお稲荷様より頼まれていた狐のお姿、やっと塗り終わり、数を確認してから神社へお送りする運びです。先方からは、具体的にどういう姿や色というご希望がなかったので宮城県大崎市内という土地から推して、仙台の堤人形と岩手の花巻人形の販路だったと考え、これらの産地の古作の狐に倣って作ることが無理のないローカル感もあって相応しいだろうと堤の奉納用の古い狐の形を踏襲して試作をしました。社名を陽刻として両側面に入れました。

 試作を先方へお送りしたのち、あちらのご希望で「目を鯨眼にしないで一筆目にしてほしい」「黒鼻を入れてほしい」というご希望の他は堤式でやって欲しいとのことなので、今戸人形ではないし、先方のご希望に沿って作ることが本分なので、このようになりました。古作の堤の「鯨眼」ではなくなり、それなら原作のように地塗りの胡粉の上に「きら」(雲母粉)でパールの地を作るだけの必然性もないので胡粉地のままにしました。塗りながら感じたのですが、半分堤式のこれらの狐の彩色、まがい金泥(真鍮粉)で光らせる部分がやたら多いですね。耳の縁や台座の縞、尻尾の先や付け根、、。個人的には金色を乱用するのはあまり好きではないんですが、先方は金がよいみたいです。

 自分にとっては一筆眼のほうが鯨眼より楽です。金を多用するだけ、今戸の鉄砲狐よりも手数が多く、案外しんどいと感じました。


見沼田圃(加田屋)

2018-07-11 16:16:15 | 日々

 先週から数えて見沼田圃に3回出かけています。子供の頃亡父の実家のある山形での夏休みの経験が身にしみていて、そのころ目にした景色や場面がこの年になっても愛しく感じられます。新幹線に乗って山形へ向かえば、昔からは変わってきているとはいえ、たくさんの自然の色や香りや音が残っていると思います。ただ、日にちを越えて家を留守にできないので、ごく近場で似た景色や香りや音を感じられ、更に欲を言えば、田圃の真ん中にカエルの合唱を耳にしながら一杯できるような赤ちょうちんでもあれば最高と考えていました。

 画像の田圃は現在の見沼田圃の中でも数すくなくなった水田のひとつだという見沼区の加田屋というところの田圃。実は先週思い立って昔自転車で「うるい」や「やまうど」や「わらび」、玉のでかい「野蒜」などを採りに来ていた東浦和から見沼代用水の西縁の真っ暗な夜道を大牧の浅間神社辺りまで歩いてみたのですが、田圃の中側は植木の畑になっていて畑の合間を流れる小さな堰のちょろちょろ聞こえる水の音や虫の声が聞こえたのですが目当てにしていたカエルの声は全く聞こえませんでした。月曜に所要があって与野本町まで出かけたあと、浦和にお住まいの知り合いの方に、見沼田圃でまだ現役で田圃があってカエルの合唱が聞こえそうなところを教えて欲しいとお願いしたところ、画像ここ加田屋の田圃まで連れて行ってもらいました。聞くところでは見沼田圃の土地改良などで植木畑になっているか工場が建っているところがほとんどで、まとまった姿で水田が残っているのは3か所くらいしかない。中でも一番昔の景色が残っているのがここだということでした。

 日を改めて、ひとりでまたやってきました。バスの3路線が併行している区間なので運行状況は割と便利です。

田圃の緑の鮮やかさ。それと水面を絨毯のように覆っている浮草もきれいです。草いきれの香りと田泥のヘドロの匂いが混ざった匂いが懐かしいです。

昔のきねづかで畔道を足で踏んで歩くとカエルたちが田圃や堰に飛び込みます。

アマガエルがたくさん。でも小指の先くらいの小さな子ばかりです。トノサマとかアカガエルとかは全然見ませんでした。あとツチカエルとかドロカエルというのでしょうか、アマガエルと同じくらいの大きさで土色した子もたくさんいました。まだ陽が完全に沈んでいないので合唱にはなっていませんが、ときどきケンカしているような声は聞こえました。

道端に咲いていた「ミソハギ」の花。花の色薄い紫というか、ワインレッドというか赤紫のような花を見慣れているのでぱっと見に「ミソハギ」だと思いませんでした。

「カンゾウ」の花も咲いていました。シオカラトンボが飛んでいて、田圃の周りの森からは「かなかな」と「ヒグラシ」のような鳴き声も。(時期的に早いような気がしますが)遠くの田圃にはシラサギが狩りをしていました。田圃の近くには飲食店のようなものが見かけられませんでしたが、また今度、真っ暗になって来ればカエルの合唱も始まっているのではないかと思います。昨日はバスで駅に戻ってからハイボールをはしごしてから帰路につきました。


地塗り日和

2018-07-05 09:24:24 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 昨夜あたりから東京にも雨が降り始めて若干気温が下がって、これは膠を使うためにも比較的都合のよい天気です。(もちろん冬場が膠のためには一番良いのですが、、。)台風による大雨で災害の起こっている地域の方々にはお見舞い申し上げるとともに、恵みの雨などというと失礼ではないかとは思いますが、最近の東京は日照り続きでベランダや家の前の植木には朝、昼、夕と3回水やりしていても夕方には葉っぱが萎れている状況で昨夜の雨でバケツが4分の3ほど雨水を貯めることができました。日曜くらいまで雨という予報なので貯めた雨水を第2第3のバケツにおいたり、ペットボトルに移して日照りに備えます。

 宮城県内の稲荷神社さま向けの数は素焼きも済み、昨日からやすりをかけています。日曜までに地塗りを済ますことができれば安心です。一昨日までは冷房を入れても暑くて膠の効きが悪そうで、型抜きや原型起こしの作業をしていましたが、今こそチャンスで膠を使いたいと思います。

 


「たけす」の笛

2018-07-03 02:51:21 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 鳩笛作りのついでに「たけす」(竹に雀)の笛の型も起こしています。都内の近世遺跡から鳩笛などに混ざって「ひょっとこ笛」とともに「たけすの笛」の出土も少なくないので、前からやってみたいと思っていました。この笛の形は基本的に「福良雀」ですが、くちばしが竹の幹につながっています。遺跡から出土例によって配色が異なっていることがありますが、この形の笛は施釉仕上げになっています。あるいは、同じ型の今戸人形であっても素焼きに胡粉地、その上に顔料、染料煮だしによる彩色のタイプと施釉のタイプと両方確認できるケースのものも存在するので、まだ確認していないだけの顔料仕上げの「たけすの笛」も存在するのかどうか、、。

 「竹に雀」というと伊達家の家紋として知られていますが、他にもいろんな「たけす」のデザインのバリエーションがあるようです。歌舞伎の「伽羅先代萩」の「御殿」の場の政岡の飯焚きのところで我が子の千松に若君を退屈させないように歌わせる歌「こちの裏のちさの木にちさの木に、雀が三疋(ひき)止まって止まって、一羽の雀が云ふことにや云うことにや、、、、」があります。あと若君に生米を播かせると雀が飛んできたり、伊達の家紋に因んだ趣向なんだろうなと思います。

 今戸の人形の全貌が見えませんが、「福良雀」のデザインの人形といったら真っ先に思い出されるのが、この「たけすの笛」。他に竹のついていない「ガラガラ」か「浮き人形」みたいなもの、それと「泥めん」で背中に「福」の字の印刻のあるのは観たことがあります。総じて大きなのは観たことがありません。同じ浅草の練り人形にも福良雀があります。

 福良雀はもともと縁起のよい吉祥の形ですが「竹に雀」だとどんな意味合いがあるのか検索したら「取り合わせのよいことのたとえ」とありました。


鳩笛の窯出し

2018-07-03 00:07:53 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨日日中に下絵つけと施釉をして乾燥させ、手作りの「トチ」に刺すようにして窯入れしました。同時に施釉の「カエルの浮き人形」の以前型を作ったものがあるので鳩笛と同じように下絵と施釉をして市販の「トチ」に乗せて焼成に入りました。途中炉内500℃に達するまでは窯の蓋を半開きにし、途中から蓋して密閉して稼働が止まったのが明け方。あとは炉内が100℃以下に冷めるまで開けてはいけないので何度の炉内表示を気にしながらやっと100℃を下回って蓋を開けたのが一時間前くらいでしょうか。

 ミトンの手袋をして取り出して並べてみました。30年弱前の七宝炉による焼き上がりよりは格段によくなってはいます。赤点よりは上かと思いますが、まだ思う感じ十分ではないですね。ただ2枚目の画像のかごに並んでいる群像は、江戸の近世遺跡から出土する施釉の「舐め人形」っぽくは見えると思います。透明釉の掛かり具合が薄かったのか、それとも日頃の素焼きのと同じ条件で焼いたのでピークの温度がもう少し高いとよかったのか?土の色、透明釉がかかった素焼きよりは濃く見える発色はいいですね。照りもやや出ていますがもっと光沢が出るともっと「舐め人形」らしくなります。白地の白の下絵具の上に透明緑の釉薬を置いてその上から透明釉をかけてあるのですが出土品にはこんな感じに淡い緑のも観たことありますが、もっと盛るようにしたほうがよかったか?右側手前の鳩の頭は緑がしっかり発色しています。これは彩色のときちょっと厚すぎかと思っていた部分です。

 まだまだ舐め人形の練習はやるので、次は今回の反省をもとにもっといい感じになるといいです。でも昔の七宝炉の時に比べればよくなっていると思いました。


予行演習

2018-07-01 00:28:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 テラコッタ粘土で作った「トチ」を陰干し、天日干しと乾燥できたので、前回の窯で素焼きした鳩笛を試しにセットしています。全くはじめての挑戦なのでどうなるかわかりませんが鳩笛全体に透明釉か飴釉を施して低温で焼成する流れです。恥ずかしいことに、低温の楽焼は20数年前の七宝炉での試しでうまくいかなかったので今回は前回とは条件を変えてこのようなセッティングにしています。鳩笛には歌口と共鳴孔の2か所の孔をあけてあるのでそのどちらかに支柱の針金を挿してそれをトチと立たせているという具合です。これから鳩笛本体に下絵具で彩色して、その上に透明釉をかけたのものを、画像のように立てて他の素焼きする人形と一緒に最上段の棚板で焼成するつもりでいますが、支柱の針金に溶けた釉薬がくっついてほしくないので2か所の孔部分はなるべく目立たないよう撥水剤を塗ろうと思います。この支柱用の針金、電気窯の炉内の電熱線用のもので焼き物産地の材料屋さんから取り寄せたものなのですが、普通のホームセンターで売っているような針金がどのくらい耐熱性があるのか、素焼き程度の低温焼成にも耐える強度があるのであれば安く使いたいです。

 まったくはじめてのやり方なので慎重に進めなければという思いとちょっとした興奮との混ざった気分です。「失敗は成功のもと」とはいいながら、やっぱり悲惨なことには遭いたくないというのが正直なところです。