東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「客引き河童」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-08-31 22:59:55 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010617 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作の土人形です。

この人形も今戸焼の土人形としてはよく知られているものです。以前、このブログでご紹介した「河童の火入れ」と構図はだいたい同じです。

このポーズとしてなぜ「客引き」と呼ばれているのか、詳しいことは聞いたことがないので不思議に思っています。

火入れの河童同様、尾張屋さんの河童の肌の色は不思議な色です。単純な深緑色の顔料ではなく、染料を使っているのか、青みがかって照りがあります。あるいはベロ藍に他の色を混ぜたものなのか、、、?

有坂与太郎の著作を読みますと、この河童の人形は「小まじり」という種類に属するものだそうです。「中まじり」という種類に属する人形もあり、これらの区別は人形のサイズから来ているらしいです。

明治15年まで浅草寺境内あたりには床店という仮設店舗があり、「丸〆猫」もそうした床店で売られていたそうですが、他にも露天で商う人もあったようです。お客さんの前に商品を陳列するときに、「半紙を斜めにずらして三角形に折り、その上に人形を並べ、中まじり、小まじりといって5つ位で百文で売っていた。」という春吉翁の証言が記録されています。そのような様子が写真や絵に残っていれば見てみたいです。

ちなみに「大まじり」という言葉はなくて、大きな人形はひとついくらで売られていたそうです。

 

 

 

 

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今戸人形「狐拳」(三すくみ)(尾張屋春吉翁 作)

2010-08-31 22:29:05 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011024 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作の土人形です。

この人形は今戸焼の人形の中でも特によく知られている型だと思います。

狐は鉄砲を持っている猟人にかなわない、猟人は庄屋にかなわない、庄屋は狐に化かされる。囃しながら、それぞれのキャラクターのポーズをとって勝ち負けを楽しむ拳遊びを人形化したものです。

拳を打って遊ぶことは、江戸時代から盛んだったそうで、虫拳(ナメクジ・ガマ・ヘビ)、三国拳(御釈迦様・大日如来・孔子)、虎拳(母・虎・和藤内)などと並んで狐拳は藤八拳の三すくみの遊びのひとつだったようです。モダンなところで、野球拳、じゃんけんなどがあります。

今戸焼の土人形の中では、虫拳のおもちゃがあるのを確認していますが、他にもあったのかどうか、、。

人形としては狐拳のものが圧倒的に多く、いろいろな種類のものがあるようです。

尾張屋春吉翁による面描きや丁寧な彩色は素晴らしいと思います。特に面描きの筆の穂先が鋭く走っているのがすごいです。庄屋さんの帯の部分は染料でしょうか?不思議な透明感と照りがあります。狐の袖なしと猟人の袴の色は同じ顔料だと思うのですが、一方には照りをつけ、また一方はマットな仕上げになっているのはどうしてなのか以前から不思議に思っています。

 

 

 

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今戸人形 「子守狐」(尾張屋春吉翁 作)

2010-08-29 21:08:21 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010220 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)はたくさんの種類の今戸人形をお遺しになられています。

そのどれもが手慣れた筆のタッチ、今戸らしい配色できらきらとして美しく、表情に情感があります。

この「子守狐」もそのひとつ。構図としてもポピュラーなものとして知られているのではないでしょうか?

何といってもお母さん狐と子供の狐の表情。母性といったものに溢れていると思います。こうした表情を筆先でさらりと描けるというのがすごいと思います。

柘植の横櫛なのでしょうね。黄色の発色も微妙な色。着物の配色もいかにも今戸人形といった感じです。

不思議なことに、この型のお人形の出土品はまだ観たことがなく、明治時代あるいはそれ以前の伝世品も伝わっているのか知りません。

しかし、春吉翁一代の創作とも言われていないので、古い型なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

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井戸端

2010-08-29 18:54:32 | ご近所

2007_0101_000000p1010607 ここは、赤羽西口の「師団坂」の下にある路地。井戸があります。「きーこきーこ」やって水を出そうとしたのですが、壊れています。

井戸もいつの間にか珍しいものになってしまいました。

よく憶えているのは、十条仲原の現在、清水坂公園になっているところ、昔は国鉄の官舎で、木造の長屋が並んでいました。そして井戸もたくさんありました。

むしろ根津、千駄木、谷中とか本郷あたりにまだたくさん残っているでしょうね。20代の頃、不忍池のそばで勤めていて、よくリヤカーを曳いて長屋の立ち並ぶ辺りを行き来していたのでよく見かけたものです。


暑いから、、、

2010-08-29 18:34:15 | おいしいもの

2007_0101_000000p1010609 8月もぼちぼち終わり、、。でもこう暑いと、、。

何か冷たくておいしいものでも買ってきて、両親と食べようと思い、、、、王子の石鍋さんのくず餅、志茂町のところてん、、?

そういえば、、、、志茂平和通りの「ミスズ洋菓子店」の昔風の「プリンアラモード」を思い出し、早速出かけてみました。

品物を日光から避けるため店先に葦簀(よしず)を立てかけてありました。

残念なことにお目当ての「プリンアラモード」がない。聞いてみると「暑いから、、。涼しくなったら作ります。」とのことでした。

プリンの単品を買ってきて食べました。やっぱり子供の頃のプリンの味。ごちそうの味です。甘味が強いけれど、卵の味が濃い。それにカラメルが苦みがあっておいしい。一個¥100です。2007_0101_000000p1010610

「箱にいれましょうか?」と言われたのですが、すぐに食べるので、袋でいいです、と言ったら詰めてくれた袋、、。

あっ、これは懐かしのニユルンベルク!? 私にとって一番親しみのある外国といえばドイツ。ドイツで一番馴染みのある街といえばニユルンベルク!ひとりで大袈裟ですが、ちょっと運命的な気分になりました。(BGMに、マイスタージンガーの前奏曲♪)

でもよく考えてみたら、既成品の袋だし、よく景色を観てみたら、あちこちいいとこ取りの景色のようでした。


YouTube 東京生活99 丸〆猫を探して

2010-08-28 15:59:45 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010006現在のところ、招き猫の最古の姿だとか招き猫の起源や元祖だとか言われている丸〆猫についてこれまで記事に採り上げてきましたが、今から11年前に放映された番組がありますので、動画のほうが簡単に概要を知っていただけると思います。

ただ、自分の姿が映っておりまして、自分で言うのも何ですが、かなり不気味です。人から「妖怪人間ベム・ベロ」とか「ロッキーホラーショウ」とか言われたことがありますが、納得というか、、、。

11年前のことなので、時間の推移のなかで色々と身辺の変化があります。

番組中に出ていらっしゃるHさんは今戸人形の古い愛好家で色々お世話になりましたが、お亡くなりになられました。さびしい限りです。戦時中、蒐集された尾張屋さんの今戸の土人形を湯島の天神下の防空壕に保管されていたのが、湿気で色が飛んでしまい、戦後今戸の白井さんにそれを預けて、土人形作りを促された方です。

私の仕事場はこの間引っ越しましたし、今ではマイ焼成窯が自宅にあるなど、状況も変わりました。

一本の番組ですが、①と②に分けてあります。全編で24分くらいです。

お時間ありましたらご覧ください。

YouTube 東京生活99 丸〆猫を探して①

クリックすると再生ページへ。続き(丸〆猫を探して②)は同じページの関連動画リストにあります。


今戸焼(30) 蚊遣りの豚 (白井半七 作)

2010-08-27 19:52:00 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010601 小さな豚の蚊遣りです。陶印が明治の名工と言われていた6代目半七(蘆斎)が作った器物に押されているものと同じようなので、6代目の半七のものでしょうか?

この6代目白井半七についてですが、、

「東洋文庫」の黒川真頼著 前田泰次 校注「増訂 工芸志科」(明治11年刊の「工芸志科」上下二冊(博物局版)と明治21年刊の同書「増補訂正 工芸志科」(宮内省博物館蔵版)の2種類を本に基づいて校注したもの)には

○明治年間六世白井半七、世業を襲ぎ土風炉を作り、又楽焼を能くす、最も名声あり。

とあります。

この豚の蚊遣りですが、後に作られたものに比べて口がすぼまっていて尖った感じがします。

新宿区内の近世遺跡から出土した瓦質のような巨大な豚の蚊遣りの顔立ちに似ているような気がします。

写真ではわかりにくいのですが、サイズがとても小さく、現在の蚊取り線香は入りません。

針金による吊り手はあります。よく聞く話ですが、こうした豚の蚊遣りのそもそもは、徳利の形を応用して作りはじめられたものだとか。 この豚など、口のすぼまり方などいかにも徳利という感じがします。

白い土を素焼きにした感じで、釉薬はかかっていません。しかし木地の表面につやがあるので、もしかすると、これも白みがきが多少施してあるのか、それとも経年の手摺れによるつやなのか、、、。 汚れた感じがないので、実際に使用されていないのかもしれません。

今戸焼ではありませんが川向うの隅田川焼(百花園焼)の蚊遣りの豚はこちら→


やっぱりおいしい

2010-08-18 18:51:25 | おいしいもの

2007_0101_000000p1010599 以前「お気に入りの店①」として紹介させてもらった「中央亭」さん。

このところ暑くてご無沙汰していたのですが、食べに行きました。

私の好みで言わせてもらうと、近所のラーメン屋さんの中で一番おいしい。ここのお店は口コミサイトなどにはまず出てこない。というのも今風のラーメンではないから。そこが好きとも言えます。

地元で口コミサイトに採り上げられているお店の何軒かは食べたことはあるのですが、スープにとろみ(コラーゲン?)があったり、魚の粉のようなものが入っていたり、やたら甘いのが残念です。

普通においしいラーメンというとここだと思っています。もちろん探せばよそにも私好みの店がまだあるのかも、、。

ここのスープは黄金色。塩気は控え目。脂気もちょうどいい感じ。おいしい醤油の風味です。

店内のテレビでちょうど高校野球が流れていました。こういうのもおいしさを引きたててくれる味だと思います。いつも注文するわんたんめんの大盛り。食べ終わったあと、また来たくなってしまいます。2007_0101_000000p1010598


王子は茶どころ

2010-08-17 15:09:29 | ご近所

2007_0101_000000p1010586 十年以上前、王子で有名な「石鍋久寿餅屋」さんの大女将さんから面白い話を聞きました。

王子はその昔、「やつがしら」や「さといも」と並んで「お茶」の産地だったそうなのです。

その証拠には探せばまだ高台にお茶の木が残っているという話でした。

長いこと忘れていたのですが、先日、区役所へ出かけたついでに思い出し、探してみました。

画像は「名主の滝」の庭園の南側の池の横の繁みに見つけたお茶の木。かなり大きな株です。

名主の滝以外にももっと探せばお茶の木がまだどこかに残っているかもしれません。

子供の頃の記憶をたどってみると、赤羽の西口にも、畑としてまとまっていなかったけれど、お茶の木を見かけたところがありました。地続きなので関係があったのかも、、。

王子のお茶農家も宅地化によって狭山のほうに移転してしまったという話でした。


今戸焼(29) 浮人形

2010-08-17 14:51:42 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010596 何という暑さでしょうか。空気が肌にひりつく感じです。

ふと思い出して浮人形で「水遊び」。

浮人形といえば、ゴムやビニール製のものが私の世代にはリアルタイムで体験できた馴染みのある素材ですが、それより前はセルロイド製。

更に遡って、半磁器製のもの。金魚など赤の発色が美しく、半分美術品としてかなり高価なのではないでしょうか。

それより前は画像のような楽焼の浮人形が出回っていたようです。蛙、亀、都鳥、おしどり、、、今戸焼で作られていました。

有鉛の透明釉や飴釉を施して低温で焼いた楽焼仕上げで、「なめ人形」という土人形や「箱庭細工」「ままごと道具」に共通した質感です。 ただし、浮かせるために、底は船底のように丸みを持たせてモデリングしてあり、机の上に置くためには、不安定です。

また、軽くするためにひどく薄く作ってあります。一見よく似ている箱庭細工などと比べると、手取りがとても軽いです。

有坂与太郎の著作などには、浮人形の魁は、燗徳利が水に浮くことから、楽榮という人が応用して作りはじめた、とあります。

画像のおしどりは、今戸ではないと思いますが、楽榮が作ったというおしどりの浮人形のイメージとして加えました。京都のほうのものでしょうか?

みかん色と緑色の蛙と亀はいかにも今戸という作りです。みかん色のは飴釉のため土色がよりオレンジっぽく見えます。緑色の蛙は背中に白化粧土で三筋のシマを置いてから、織部釉薬かタンパン(炭酸銅)をかけて焼いたようです。化粧土を置いたところは特に緑が鮮やかです。


浅草と深草

2010-08-13 23:58:58 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010594 以前からずっと気になっていたこと。

今戸焼が生れたのは浅草。今戸人形の発生の母胎となった京都・伏見人形のふるさとである伏見には深草という地名がある。古い文献には「深草焼」という名称も残っている。

浅草深草。「浅い」と「深い」。余りにもシンメトリックに対称的な地名。どちらかが何かを基準にして対比的に名づけられたかのよう、、。

浅草については、、、

「江戸東京学事典」によると
「浅草の地名の由来には、諸説があり、アイヌ語のアツアクサ(海を越すという意味)にちなむとか、チベット語のアーシャ・クシャ(聖のおわす所の意味)に由来するなど。定説は「江戸往古図説」が「往古下谷より此わたりへかけて平地にして武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故浅草と云しなるべしといへりさもあらんか」と述べているらしい。(以上よそのHPから引用させていただきました。)

深草については、、

「寛永14(1637)年刊の『洛中絵図』(以後発刊年省略)に深草町とある。町名の由来は不明だが、「地名の国語学的分類」(以後「地名分類」と略す)では、町内に深い草地があったなど土地の状況からの命名と推定される。」。(以上もよそのHPから引用させていただきました。)とありますが、いつまで遡ることができるのか明記されてはいないのでよくわかりません。

しかし浅草についてはまた、、

「往古、草深い武蔵野の中で浅草の一画は茅や芝草ばかり浅々と生い茂っていた草原だったので、京都の深草と対比して「浅草」の地名が生まれたのであろう……これが定説だそうだ。(他にも諸説ある)」(以上もよそのHPから引用させていただきました。)ので、やはり深草に対して浅草という名前がつけられたものでしょうか?

ただ浅草と最初に呼んだ人は「深草」を知っていて、それに対比させてつけたのであれば、深草との何かしらの共通点をもって名づけたのでしょう?それは何なのでしょうか?川でしょうか?

江戸の古い川柳に「かはらけ(土器)は 浅い深いの土で出来」というのを読んだことがあります。

浅草の地名は浅草寺の創建以前に遡るとされているので、今戸焼の起源とされている時代よりもはるか昔です。しかし、浅草寺の創建以来、瓦や土器類の需要はあっただろうと思われますし、今戸焼以前にそれらを作る人はいたのではないか、と考えれば、土師の存在を想像でき、伏見、深草あたりの土師の流れを汲む人たちが「深草」に対して「浅草」と名付けたとしても不思議ではないと思いますがどうでしょう。はからずも、浅草寺縁起に土師中知(はじのなかとも)という三社様のひとりの名前が出てきます。

私は歴史に疎く、学問にも疎いので、あくまで勝手に空想しているまでのことなのですが、これらについてわかる本があったら読んでみたいです。

画像は左が古い伏見人形の「子抱き」です。新しくても明治はじめ、あるいは江戸末に遡るものでしょうか?黄色い部分は「きはだ」の煮出しのように見えます。右は尾張屋春吉翁作の今戸人形の「子抱き」で関東大震災以降の作ですが、この型自体はもっと昔に遡るものでしょう。いづれにしても、今戸人形が伏見人形からの抜き型から生れたたということがわかる一例です。

 

 

 

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今戸人形 「娘河童」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-08-13 12:25:04 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010593 暑さの厳しい中、涼しげな今戸焼の土人形でもご紹介しようと思い、抽斗の中から取り出してみました。

この人形は最後の今戸焼の人形師だった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)自ら創作されたと言われている型の土人形のひとつです。生粋の江戸っ子でいらっしゃる上に箱庭細工の名人でもいらっしゃった訳で、発想の洒脱さ、面白さは流石だと思います。

笊に入ったキュウリは2枚型だとひっかかって抜けないので、別型で抜いて、本体に貼りつけてあります。芸が細かいです。

顔や手の部分の色は以前ご紹介した「河童の火入れ」同様、独特の色遣いで、単に深緑色の泥絵具を塗ったのとは違って、不思議な発色です。

 

 

 

 

 

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2010-08-12 23:53:31 | ご近所

2007_0101_000000p1010578 王子岸町にある「名主の滝」です。猛暑の中でも、水辺はさすがに涼しいです。2007_0101_000000p1010585 暑さもしばし忘れ、、、。でも虫よけスプレーは必要です。

帰りに「石鍋さん」の久寿餅を買いました。


正体不明の神様?

2010-08-12 09:08:06 | ご近所

2007_0101_000000p1010583 このところ、所用あって王子の役所へ何度も出かけています。北トピアの真裏にこのような石造物が、、。今まで気がつきませんでした。榊がお供えしてあるので神様なのでしょうが、一体何の神様なのか、、、?お墓ではないと思います。

車道の傍らにあるんです。十字路の近くなので道祖神か何かなんですかね。それともお地蔵様?

何とも不思議な姿です。


田圃の太夫

2010-08-05 03:42:09 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010582 浅草寺の裏手の浅草田圃のあたりに住んでいたというので「田圃の太夫」と呼ばれていた沢村源之助さん。(何代目だったかは忘れてしまいました。)昭和のはじめにお亡くなりになっているので、伝説の役者さんですが、プロマイドやレコードは残っているので、それらを通してその舞台を空想しています。

今では、直接その舞台をご覧になった、という人はもういらっしゃらないでしょうね。

現在の浅草警察署のある辺りに昔宮戸座という芝居小屋があって、そこで活躍されていたのが特に有名です。女形ですが立役も勤めていて、女形ではこの「切られお富」のような伝法な役がとくに無類だったそうです。立役でも「弁天小僧」なんかよかったそうです。

現在市販されているCDで「三人吉三」のお嬢吉三を聴くことができます。昔、某所で「女河内山」のSPレコードを聴いたことがありました。

「切られお富」にしても、近年そうしょっちゅう上演される狂言ではないのですが、高校生の頃、吉祥寺の前進座で先代の河原崎国太郎さんが演じられたのを観ることができました。国太郎さんは戦前、「お染の七役」の初役のとき、直接田圃の太夫から教えを受けたそうですから、私が観た国太郎さんのお富も「源之助張り」だったのだろうと思っています。素晴らしくて、鳥肌立って、ホクホクして観ました。そのお手本であった田圃の太夫はどんなに素晴らしかったことか、、、、、。「総身の疵に色恋も 薩埵峠の崖っぷち、、」