東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「子負い」(尾張屋兼吉翁作・明治時代)

2012-06-20 20:24:29 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010201最後の生粋の今戸焼の人形であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の養父である尾張屋5代目の兼吉翁の作ではないかと思っている人形です。筆のタッチが春吉翁晩年の作に比べると大味な感じ。赤部分には明治特有の紅系の顔料が使われている点、緑部分に花緑青(酸化銅)が使われているなどの理由でそう思っています。晩年の春吉翁の人形のレパートリーにはこの型が入っていなかったのか、昭和になって造られたこの人形はまだ観たことがありません。

お母さんの眼のまわりに赤っぽいぼかしがあるのですが、紅を水溶きしてぼかしたような感じには見えないので粉のまま刷毛で刷り込んだものかどうか?お母さんの着物の色が渋いです。何色なのか?


狐だらけ

2012-06-16 00:15:19 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010716このところ仕事場はご覧のとおり狐だらけです。画像はそのほんの一部です。棚も狐でいっぱい。

ご覧のとおり狐といっても「鉄砲狐」ばかりです。「鉄砲狐」を手掛けるのははじめてではありませんが、正式にご依頼をいただきまして、私が作らせていただくことになりました。それにあたっては、以前自分で作った鉄砲狐よりも台の低い型、なお且つ自分としては江戸時代の摩耗の少ないしっかりとしたシャープな型を一応準備しましたが、これまでの経緯により、それまで並んでいた型の摩耗し崩れた鉄砲狐から急にスリムな狐に替わると観た眼に奇異に感じる方もいらっしゃるのではないかということなので、わざと太らせてぼやけた感じに型を起こし、OKをいただきましたので、これでたくさんの割型を作り、狐を抜いていく方向です。今のところ一日40体抜くのがMAXなところ(その気になればもっとできなくもありませんが、、無理しないで)ですが、割型をもっと増やせば一日50体以上も夢ではありません。がんばらないと、、、。でもこうした機会をいただくことができて名誉なこと、この上なくうれしく、ありがたいことです。


深川江戸資料館界隈

2012-06-15 23:57:30 | 日々

P1010714またまた久しくご無沙汰してしまいました。

例によって足腰膝が痛いというのは相変わらずですが、ここのところいろいろ準備やら土いじりなどで仕事場に入り浸っていたので、パソコン自体からちょっと遠ざかってしまっていたのです。

画像は先週の日曜日に出かけていた江東区白河にある「江東区立深川江戸資料館」前のこじんまりとしたけやき並木です。

前回訪れたのが既に20年くらい前のことなので、この辺り、こんなにしっとりと落ち着いた風情だったかな?商店街も昭和30年代40年代を思わせる風情がありますし、お寺がいっぱいあります。

東京に住んでいながら案外と出かける機会の少ない地域があるもので、この界隈もそのひとつでした。先週末はここ深川江戸資料館で日本人形玩具学会の第24回総大会というものがあり、一日目にはワークショップのひとつとして土人形作りの実演を、二日目には研究発表会ということで私も「今戸焼・丸〆猫」というタイトルでの発表をしました。私自身研究などというレベルではありませんが、丸〆猫についてこの数年知りえた内容くらいは皆さんにお伝えしたいと参加したわけですが、我ながら情けない、自分の番になって演壇に上がった途端、頭が真っ白、膝ががくがくとなってしまって、自分でも何を話したのだかわからないくらいでした。もともと人前で何か話すのって苦手なんです。その上、この2年来の生活の変化でほとんど洞窟の中で生活しているのと等しいくらい人前に出るということがありませんでしたから、、。

一日目の晩に懇親会がすぐそばの清澄庭園の中のホールで行われました。雨の中でしたが庭園内のしっとりとした景色を眺めながら乾杯というのもいいですね。余興で「ずぼんぼ」遊びを皆さんで興じていました。団扇の仰ぎ方、、、結局、歌舞伎の下座に使われる「ずぼんぼえ」の唄に合わせて仰ぐのが一番よく飛ぶということでしたが、今の世の中あんなに熱心に「ずぼんぼ」に興じる人々が他所にいるだろうか?「ずぼんぼ」も幸せだったろうと思いました。

懇親会のあと、親しい数人で浅草へ。個人的には夜の浅草で飲み食いという機会はあまりないのですが、とある料理屋さんへ。ここの女将さんが拳打ちのことや、割り箸を使った12カ月の数え唄とかを教えてくださったのには大感激。江戸情緒に触れた2日間でした。