東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

春吉翁のご命日

2024-02-29 12:56:17 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

今日2月29日は江戸から続いた今戸人形の生粋の最後の作者であった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の御命日です。今年はうるう年なのでまさに29日が暦にあらわれて、お参りさせてもらっています。他の年には28日にお参りさせていただいていたのでした。

 前の前のうるう年の御命日だったか、もうひとつ前のうるう年だったかにはドカ雪が降って御墓所で雪かきした憶えがありますが、今年は曇ってはいても落ち着いた天気で何よりでした。

 

 画像の春吉翁は不知火関(小)の彩色をされているところですね。将に化粧廻しの部分を塗られていらっしゃいます。白黒写真なのでわかりませんが、朱色の部分のようにみえます。

 画面向かって右端には裃雛(下総雛とも)の女雛が見えます。

ご生前に映画で記録されている由。しかし、そのフィルムの行方についてはどうなったかどこに眠っているか知るよしもありませんが、動く春吉翁のご様子、仕事段取りなど見ることができたらな、と思います。

 

 

 


今日は猫の日

2024-02-22 09:31:24 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)
タイトルのように、2月22日はニャンニヤンニヤンで猫の日なんだそうです。今日に合わせて新登場の今戸の猫をリリースとはいきませんがこれまでの拙作の猫画像を貼りつてみようと思います。画像を探すのに時間差ができますが、みつかったら追加したいと思いますにゃー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

色違い 彩色違い(丸〆猫 昭和戦前風型)(まるしめのねこ)

2023-09-07 22:56:24 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 丸〆猫(まるしめのねこ)の昭和戦前風型についてはこれまでも記しているので今更という感じぁもしれませんんが久しく塗っていなかった配色パターンをやってみた、ということで改めて記します。
画像に並ぶ3体とも形は同じですが、これまで確認できた古い作例をもとに塗り分けています。
 いちばん左のが古い収集家のコレクションに残っていることが多いのではと思います。また明治の「うなゐの友」に描かれている画に似ていると言われています。
 真ん中のは調布の郷土博物館ある古い収集家のコレクションにある手のものです。眼の上瞼と瞳の一体となった描き方は江戸からつたわっていた今戸人形最後の作者であった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の残された猫にもみられるパターンなので春吉翁の作なのか?とも考えられます。耳に桃色をさしているのが今戸人形としては変わっていると思います。
 左端のものは瞳の入れ方が他の土人形産地の猫とも通じるような感じがします。これも春吉翁の作なのかどうか?背面の丸に〆が群青色で描かれています。

 今まで実見した作例に倣って塗り分けていますが、もしかしたらこれら以外の彩色パターンがあるのかどうか?あったら見てみたいです。

お知らせ(吉徳本店)

2022-06-18 03:15:59 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 今日、閉店時間過ぎに吉徳さんへ作った人形をお納めにお邪魔してきました。今までに起こした型のものをひととおり素焼きをへて支度していたものの作業スペースや最近の生活の変化のため、前もって支度していた割には間に合わなかったものが少なくなくて申しわけないです。

 いつもの猫もの、狐もの、火入れと都鳥のがらがらくらいです。

 生活の変化というのは、運動不足の解消を考えて公立のプールへ通って歩いたり少し泳ぐのとその往復のアップダウンで自分的には何もしないより生活に必要な体力を、、と思ってのことなのですが、思っている以上に疲れているのか家で作業しているうちにこっくりしていて走らせている筆がいつの間にか手から落ちていることが目立って作業能率がよくありません。体が慣れてくれればどうにかなるのかどうか?

 江戸東京のお人形の老舗であり、代々今戸人形を取り扱われていた歴史や江戸からの流れを汲んだ最後の生粋の今戸人形師だった 尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)とのご交流もあったという吉徳さんの店内に拙作のものを並べていただけるのは名誉この上もないこと。大切にお納めさせていただきたいという思いばかりです。

 今回は今月中に店内で郷土玩具の即売会があるそうで、一週間くらいの期間、拙作のは以前の羽子板市期間のように本店玄関近くに並べていただけるというお話です。吉徳本店のサイトに郷土玩具即売会については記されていますのでご覧ください。

吉徳本店HPへ→


「東京生活99 丸〆猫を探して」再び

2021-08-15 15:31:13 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 べにや民芸店さんでの作品展が終わり、次の準備で人形の型抜きを再開し始めています。
 べにやさんでお越しいただいたお客様との会話のなかで、教えていただいた話。もう22年も前のことですが、丸〆猫の型を起こして2年くらい後だったでしょうか、「東京生活99 」というケーブル放送の番組で丸〆猫をはじめ、人形を作っているところを取材してくださったことがあり、その動画がYou tubeに流れていました。番組の長さ二十数分を①と②に分けて流れていたのが、いつの頃からか②の部分が再生できないようになっていて、そのまま自分でも忘れたままになっていたのですが、お客様が後半の部分も流れている、というご指摘をいただいて覗いてみると、確かに前半後半ともに再生できるようになっています。ひさしぶりに観る動画。

 番組のはじめで出て来る雷門前の丸〆猫。
 
 はじめに出て来る自分の姿。昔借りていたアトリエ用のアパートの中。

 川の畔で天然の粘土を拾い集めている場面。

 家の前で粘土を水簸(すいひ)にかけている場面。
 当時作っていた人形の数々。(今より大ぶりなのが多かった。)

作った丸〆猫を三社様(当然のことながら、丸〆猫ゆかりのふるさとであり、招き猫の発祥の土地)に奉納するところ。

 当時36歳だった自分の姿。若いし肌がつやつや。まだ元気でよく動いた。
ただ、中身については全然変わっていないというか成長していない。(変なひと。不思議なひと。)

 いろいろお世話になった人々。
 
 
 丸〆猫を取り巻く状況も当時から随分と変わって…。自由とはいえ、昔の姿を意識しないでうちの伝統ですみたいに作るひと、拙作のを勝手にパクってあたかも自家製という口上で商売しているA草NみせのS6の旦那。
ある意味、A草って凄いところ。
 
 何はともあれ、動画の中の自分や当時の景色に、時の流れを感じずにはいられません。
 
 YouTube
「東京生活99 丸〆猫を探して ①」→
     「東京生活99 丸〆猫を探して ②」

出来たての割型

2021-06-05 01:20:45 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 ゆうべ出来て、水気を飛ばしていた新しい割型に土を詰めて抜き出しているところ。
この型は小さいせいもあり、型からはずしやすいです。
 招き猫といえばそうなんです。但し、お手本の人形が手元にはなく、実をいうと、かなり以前だったと記憶しますが、ネットオークションにでていた人形で、今戸にもあってもよさそうな構想。でも例えば住吉大社の初辰猫(はつたつねこ)の仲間といわれれば、そうか…とも思ってしまいそうな感じにも。100%今戸という感じはしないので、手は出さず、ネタとして画像を保存しておいたのを参考にモデリングしました。 
 まず、オーソドックスな今戸の人形の中には擬人化した動物、特に狐なネズミなど代表的かとおもいますが、猫が着物きているようなものを見た記憶がない。まして、招いているねこ。しかし妄想でしかないけれど、ひねりの人形に残っていそうな気もします。
 おもしろ半分でやっている人形。色を塗って見るまでどんなんなるか…。

丸〆猫(まるしめのねこ) ミニチュア フィギュア

2021-02-19 12:48:18 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 去年の春前に制作会社から連絡があって、昔の拙作の丸〆猫(まるしめのねこ)をミニチュア化したいとのこと。その手本となる猫は、おそらくはじめて作った頃のもので、今の自分から見ると固くてたどたどしい感じで、恥ずかしいというのが正直なところなのですが、この拙作の昔のを所蔵している人の希望なんだそうで、持ち主がそうしたいのだから既に自分の持ち物ではないから、お好きなように…って感じでした。
 ひとつ憂慮してしまうこと。今の自分の感覚からすると至って稚拙というか下手くそだと思うものが大量生産されることで、これを基準としたイメージが独り歩きして、今自分で作っているものがあたかも邪道のように見られるようなことになりはしないか…。
 まあ、希望としては、今戸にあった丸〆猫の姿が、こんなものであったという認識が世間様にひろがってくれたなら…と思います。



今さらなんですが、、、(東京民芸協会ブログでの作品展についての記事)

2019-08-01 07:08:48 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 己が姿を人前にさらすことは苦手ではあるのですが、ゴールデンウィークに駒場のべにや民藝店さんでさせていただいた拙作の作品展初日にあった「ギャラリートーク」についてのレポート記事を東京民芸協会さんのブログで取り上げていただいています。自分の姿についてはまともな比喩をされたことがないくらい、自分で見ても「ガマの油」状態なのですが、レポートしてくださった内容の文章力といいますか、すばらしく書いてくださって感謝しています。お時間あったらどうぞ、、、、。

東京民芸協会ブログへ→


地塗り日和

2018-07-05 09:24:24 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 昨夜あたりから東京にも雨が降り始めて若干気温が下がって、これは膠を使うためにも比較的都合のよい天気です。(もちろん冬場が膠のためには一番良いのですが、、。)台風による大雨で災害の起こっている地域の方々にはお見舞い申し上げるとともに、恵みの雨などというと失礼ではないかとは思いますが、最近の東京は日照り続きでベランダや家の前の植木には朝、昼、夕と3回水やりしていても夕方には葉っぱが萎れている状況で昨夜の雨でバケツが4分の3ほど雨水を貯めることができました。日曜くらいまで雨という予報なので貯めた雨水を第2第3のバケツにおいたり、ペットボトルに移して日照りに備えます。

 宮城県内の稲荷神社さま向けの数は素焼きも済み、昨日からやすりをかけています。日曜までに地塗りを済ますことができれば安心です。一昨日までは冷房を入れても暑くて膠の効きが悪そうで、型抜きや原型起こしの作業をしていましたが、今こそチャンスで膠を使いたいと思います。

 


和楽(2017年2・3月号)小学館

2016-12-28 22:45:53 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 10月だったか、小学館の「和楽」という雑誌のライターの女性から誌上で招き猫の特集を予定しているので、拙作の招き猫を撮影させて欲しいという連絡がありお貸しするということがありました。その際撮影された画像が掲載されたということで一冊送られてきました。

特集記事のあたまに大きく並べてもらえたのはすごくうれしいです。感謝しなければなりません。ただ内容に関しては一抹の不安を感じていたことが当たってしまった、というのが正直な感想です。我が家に招き猫を受け取りに来た担当の女性。正直な印象として「不遜な感じなひとだな、、。」「こういう人って人の話を聞き入れる感じじゃなさそう、、。」といった印象がそのまま誌面に反映したという感じです。(あくまで自分の印象とか感想です。)「丸〆猫」は「まるしめのねこ」って読むんですよ。巷に出ている本には「まるじめねこ」ってルビを振ってあるのがあるけれど「東京の言葉だと濁らないんですよ。」芥川龍之介は「駒形」を「こまかた」って読むのが正しいと言っていたのと同じ。「鳥越」は「とりこえ」と読むのが正しいのとも同じですよ。という話をしたら「わかりました。検討させていただきます。」という返事だったのが蓋をあければ「まるじめねこ」というルビと私の名前も「吉田和義」になっていました。濁るか濁らないか、「義和」か「和義」かの違いじゃん、、と思われるかもしれませんが、結構ショック。つまりこの濁りと名前の逆転は氷山の一角を象徴するもので、記事の内容の偏り方は「まるじめねこ」と出版物にはじめてルビを振った人の好みだな、、という印象です。「〇×倶楽部」という団体として広く出版された本に好まれて記されている内容によく似ているか、あるいはベタなのかというレベルで今から20年前頃の「招き猫本」によく出ていた「甘甘」または「緩緩」っぽい内容といったらよいのか、、。まあこれは個人それぞれの好みによりますから「最高」と思う人もいるでしょう。ただ20年前よりも歴史を示す絵画だの出土資料だの文献なども具体的に増えているので、将に今出版されるのならば、少なくとも20年前よりも具体性を深めよりしっかりした内容であってもよいのに、、、・

一冊の雑誌のごく一部の特集でページに限りがあるから(専門書ではないんだから)という言い分も出てくるかもしれませんが、限られた誌面に何を優先させるか、のチョイスでかなり変わってくるのでは、、。20年前くらいの「招き猫本」の内容で自分には「甘すぎ」に思えたのは例えば「招き猫と生きている猫とを区別するのに生きている猫をナマ猫と呼ぶ」とか「招き猫の基礎知識」として「招き猫の色と願い」みたいな記事ですが、古くから赤は民間信仰で疱瘡除けだとか、という話はありますが、イエロー、ピンク、紫とかほんの最近色違いで登場した猫の色の売り口上なんて、最近の風水ブームからの話題のようで、すべての日本人の知るべき常識というレベルとは思えない。昔の歴史に比べたらそんなに大切なものだろうかと思います。反対に今戸焼の猫のついての記述について丸〆猫(まるしめのねこ)の由来こそ絵画や出土品、当時記録された文献の記述で具体的である事象であるのに、それについてはあまり触れす、伝説の吉原の薄雲太夫の話に重点が置かれていて解説本文には嘉永5年(1852)の丸〆猫(まるしめのねこ)は出てこないという感じなんです。それと今戸焼の古典的な招き猫と中京以西の招き猫との基本的な姿の違いについては記されず(今戸では横座りで頭と招く手は正面向き。中京以西では正面向き。)今戸焼の招き猫には「本物の鈴がついている」「鈴つけるの大変なのよ」とか書かれているのです。これって最近(少なくとも戦後30年代以降の)ことしか見ていないから書けることで、知らない人には「今戸焼の猫は江戸時代から本物の鈴をつけることが伝統である。」みたいに聞こえてしまいませんか。最後の今戸人形師だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までの正統な今戸人形に実物の鈴をつけたなんて話はないし、実物の鈴つきの古い品もありません。また「招き猫ゆかりの浅草散歩」という記事には所縁の地として最も古い記録である「浅草神社」(三社様)は全く触れていないんです。(嘉永5年の武江年表や藤岡屋日記には浅草寺三社権現って記されているのに)

 今回の特集の企画の目的は「和楽特製招き猫」(和楽と木目込み人形職人とのコラボによる銘品)の前説としてダイジェストで挿入すればよいくらいの発想なんで、軽く疲れない読み物で十分、、お正月だしおめでたいしお節に飽きたらカレーもね、というところだったのでしょうね。だから担当の女性が我が家にいらした際、「話を聞く耳はない」という感じだったのはそのせいだったんだな。と思いました。まあこれは個人としての感想です。百科事典とか辞書、教育図書、知識の泉、文化の礎たる小学館さんとしてはちょっと残念な印象を持ちました。写真を載せてもらってありがとうございました。

 


とほほ、、、(ニュースキャスター2月6日放映分)

2016-02-07 12:46:48 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 昨日は浅草で「日本人形玩具学会」の人形玩具研究部会の集まりで江橋崇先生による「芝居かるた」についてのご研究の発表があり、日頃あまり参加していない自分ではありますが芝居と聞いては是非にと参加して面白い話を拝聴させてもらいました。またお世話になっているみなさんに久しぶりにお目にかかり、会のあとに軽く酒肴をご一緒できて楽しく帰宅しました。

 家に戻ってTVをつけたらTBSでたけしさんの「ニュースキャスター」という番組がやっていて観ていたら、「招き猫の発祥」についてたけしさんが解説しているという場面があり、その内容にがっかり、、、。おそらくたけしさんの罪ではなくてディレクターさんが準備した内容だったのだろうと思いますが、何ともお粗末!それに加えて報道バラエティーとはいえ、国民的な著名人であるたけしさんの口から歪曲された歴史観が日本全国に流布されたとあって、その影響力というのは甚大で、そのとおり思いこんでしまう人々は益々増加するんだろうな、、、と溜息。

 これは最近のNHKをはじめTVやトレンドを扱うサイトに共通することですが、ただ変わっていて面白おかしいという内容についてはそれを調べないで安易にたれ流し、みんなして「前へならえ」式に積み上げてしまうということばかり。

 また昨年発行された愛好家の大家のような人による分厚い「招き猫」に関する書籍にもどちらかといえば、「詐称された今風なものに肩入れしている傾向」が見られ、こうあちらこちらで適当な内容を吹聴されれば「歴史は書き換えられて」しまうんだな、、と無情感に苛まれています。

 今さらここで記しても砂のひと粒にもならないかもしれませんが、、、

 招き猫の発祥については、全国各地に「発祥の地」と呼ばれる、または自称するところがあります。それひとつひとつは記しているときりがないですが、大抵その発祥といわれる時代を示す当時の物証が伴っていないケースばかりの中、今戸焼「丸〆猫」の話だけは

①文献にその流行した内容が記されている。 「武江年表」「藤岡屋日記」嘉永5年の項

②錦絵に描かれている。 広重画「浄るり町繁華の図」(嘉永5年)ほか

③都内近世遺跡から 当時の招き猫の土人形が出土している。 新宿区「水野原遺跡」「払方町遺跡」 文京区「千駄木3丁目南遺跡」、。(画像の水野原遺跡出土の丸〆猫。ここの遺跡については安政年間にお屋敷が火事になったという記録があり、それを裏付けるように丸〆猫には当時の焼け焦げ痕が残っている。安政年間に火事になっているので丸〆猫自体の出来はそれ以前に遡る。安政の前が嘉永年間。)

この3つの物証が揃っているだけで、丸〆猫が嘉永5年には浅草寺境内に登場していたという事実の証となり、他の土地の自称「招き猫発祥の地」とは信憑性に格段の差があります。

 ところがバブル期あたりからちょっと困った風潮が起こりました。浅草今戸町に鎮座する「某神社」が常滑(愛知県)系の招き猫の形状のものをふたつつなげてひとつにした招き猫を「縁結び」という縁起に結びつけて作らせ、東京メトロの中刷り広告に採用されたり、折からのパワースポットブームなどによりマスコミによってブームとなったこと。その上神社は自ら「招き猫発祥」の地という碑まで作り主張し始めました。私は10代のはじめ昭和50年頃今戸へはじめて行きましたが、当時そのような風潮はまだ目にしませんでした。戦前の郷土玩具に関する書籍をひもといてみても招き猫に関しては「丸〆猫」と「三社権現」(浅草神社)に関する記述が出てきても「○○神社」に関する話はありません。おそらく昭和50年代くらいまでの郷土玩具の本には招き猫と「○○神社」に関する記述はないのではないかと思います。あまり興味のあることではないので記録を網羅して諳んじているわけではありませんが、「○○神社」と招き猫との関係について記されはじめたのは「日本招き猫倶楽部」という愛好家団体による出版物で「縁結びと招き猫的」な記事が現れる平成のはじめではなかったか、と思います。

 先に記した①の2つ文献の内容はストーリーが多少異なりますが猫を大切にした老婆が猫のお告げによって猫の姿を作り、その報恩により福徳を授かったので世間ではそれにあやかるため今戸焼の招き猫「丸〆猫」(まるしめのねこ)を求めてブームとなった。「丸〆猫」は当時の盛り場だった浅草寺境内「三社権現鳥居前」で老婆によって鬻がれていた。という内容で浅草寺境内こそが文献が示す招き猫由縁の最古の記録となるのです。上記「自称発祥の地」の神社と招き猫の発祥について記した古い文献は確認されていません。

 「某神社」の主張する「発祥の地」としての理由は今戸町に鎮座する神社であること。「今戸焼」の今戸町に鎮座しているんだぞ!!とか、、。かつて今戸焼の陶工を大勢氏子に抱えていたこと。しかしそれは「I八幡社」であった時代で、昭和12年に隣町の「白山神社」と合祀され現在の神社になった。そして「縁結び」というのは「白山神社」のご祭神からひっぱって昭和の終わり頃から流布されるようになり、そこに常滑(愛知県)風の招き猫2体をくっつけた招き猫が登場したという流れです。歴史上「今戸焼」との関わりは否定しませんが、招き猫については古い文献で記されたものはなく、また「発祥の地」を主張しながら「今戸焼」の歴史的伝統的な招き猫の形状とは関係ないものを採用している。変じゃあありませんか。矛盾しています。大抵神社仏閣って土地の文化の伝承に前向きなものだと思うのですが、ここは経営的利潤追及のためか歴史観や文化の保存伝承にぞんざいな様子に見えて、、、というか自分に都合のよい方向に歴史や文化を塗り替えることに前向きのような、、。どうしてでたらめなことを流布させるんでしょうか。お祀りされている神様たちには何の非もないことであるけれど、奉職の身にある立場の人達のセンスの奇妙さ、経営的意識の強さゆえの現象なんでしょうね。とにかくどんなことでも仕入れの招き猫の売上第一という感じでそのためなら歴史や記録を塗り替えようが構わない、、何でもあり、という様相なのは、、。そしてまたそういうえげつない動きを支えるのは婚活に切実な思いを抱く人々だったりして、、、。いにしえから歴史を眺め続けていらっしゃる神様たちは現状をどう思っていらっしゃるのでしょうか。

 NHKにしろTBSにしろ、番組のモチーフとして面白楽しければよい、という感覚でこうした歪曲された歴史観を発信しているのかと思うと「とほほ、、」となります。「灯台もと暗し」で地元浅草の人々も案外、今風な発信を学んでいるということもあるかもしれませんが、折角浅草由縁の歴史のひとコマが記録されているのだから、正しいところを知ってもらいたいと思います。何よりも古文献や当時の錦絵、出土遺物などから窺える様子をいうものを歪曲させるべきではないと思いますし、そんなことをするのは土地の歴史への冒涜であり罰当たりなことだと思います。奉職の身にありながらなまじっか地元の歴史を自分の都合のよいように手繰り寄せ、一般大衆に吹聴してそれを実績として歴史を書き換えようとする動き、不気味です。

「丸〆猫」(まるしめのねこ)については過去のブログでとりあげていますのでお時間あったらご覧ください。→

「武江年表」嘉永5年の記述についてはこちら→

「藤岡屋日記」嘉永5年の記述についてはこちら→

手前味噌になりますが「拙作」の「丸〆猫」に関する過去のTV番組についての記事はこちらです。(生憎後半はカットされていますが)→

 

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丸〆猫(まるしめのねこ)⑥★

2015-03-31 22:59:09 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


この画像はNHKの「美の壺・招き猫」番組内の1シーンです。ご覧になられた方も少なくないかと思います。新宿区内の「水野原」遺跡から出土した丸〆猫です。

これまで、いろいろな近世遺跡からの出土例を探してもみつからなかった丸〆猫にやっとめぐり逢いました。今(2010.3月)から4年前くらいでしょうか?新宿区の歴史博物館の図書室で遺跡報告書を閲覧していた際、報告書巻末の白黒の遺物写真を見ていましたら、土人形類を一括して撮影した写真があって後ろのほうに見覚えのある構図の招き猫がありました。早速閲覧申請をして現物に対面したところ、背面にやっぱりありました。丸〆の陽刻が、、、。以前は報告書には一個一個の遺物の実測図、データ表があったものですが、コストの面でひとつづつの記録はしていないので、この猫についてのデータは写真以外何もなかったのです。担当の方もさして関心がない様子でした。2度目に申請して再会し、いろいろなアングルから写真を撮ったり、採寸したり、持参した拙作の丸〆猫の素焼きと並べて比べたりしました。



この遺跡では安政年間に火災があって、遺物にも焼き焦げが見られる、ということで、この猫にも焦げたようなところがありました。招く手先が欠損しているのが残念ですが、もう一体別の遺跡報告書に中に同じ型と考えられる猫がありまして、これも申請しているのですがまだみつからないようです。その後、NHKから美の壺で招き猫を採り上げたいから取材にお邪魔したいという依頼があって、その際、この出土遺物のこともお教えして、番組に採り上げられたわけです。それまでは、廃校になった小学校の地下室にある収蔵庫パン箱の中で、他の遺物に混ざって忘れ去られ、眠っていた猫でしたが、番組放映後は、歴史博物館の収蔵庫で重要資料として収まったと聞いています。大出世ですね。それにしてもみつかってうれしいです。とりあえず今
の時点ではこれが確認できるところ今戸焼の最古の招き猫であり、尚且つ確認できる造形物として最古の物証ではないかと考えています。この姿は横座りで顔だけ正面を向いて招いており、今戸焼の招き猫としての特徴を具えています。もっと後になると西日本の招き猫の影響を受けた正面向きの姿の招き猫も今戸焼で作られるようになりますが、もともと座り姿の猫(横座り)がたくさん作られていた今戸焼では座り猫から鞠抱き猫が生まれ、それから招き姿に変化したと考えればごく自然だと思います。



丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。



★過去にアップした記事ですがブログ移転のため埃に埋まっていたものを虫干しする意味で再アップさせていただいております。また移転以前の記事内のリンクが移転によってずれているケースも見られますので今後修正していきますのでご了承ください。

 

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丸〆猫(まるしめのねこ)②★

2015-03-22 11:14:12 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


明治35年発行の「うなゐの友・2編」に掲載されてる丸〆猫の図です。先の丸〆猫と細部や配色が異なっていますが、構図意匠はほぼ同じです。図の横に「浅草観世音の堂下にて鬻く猫俗に招き猫にて裏面尾の所に丸〆の印あること他に類なし」とあります。近年話題となっている広重の錦絵が確認される前までは、この図がもっとも古い丸〆猫の図と考えられていました。もっとも、広重の錦絵も今からたどってみると、随分前の展覧会などでも紹介はされていたのですね。郷土人形や招き猫の愛好家が見落としていただけのように思われます。(私もそのひとりです。)この「うなゐの友」の図ですが、こういうものが明治35年以前にはあったという手がかりにはなるのですが、写真ではなくて、描き手の主観の入った表現ですからデフォルメもあるだろうし、立体として捉える場合、どれだけの信ぴょう性があるのかと考えていました。①でお手本とした猫には腰のところに丸〆の彫りがありますし、この図の解説にも「裏面に丸〆の印がある」とありますし、丸〆猫なるものには、とにかく裏に丸〆の印があるものという定義になります。その謂われについては有坂与太郎さんの著作から有名なお婆さんの話につながっているわけですね。

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。



丸〆猫(まるしめのねこ)③→


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丸〆猫(まるしめのねこ)①★

2015-03-22 11:02:19 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

今戸焼・今戸の土人形の歴史や招き猫の発祥について、これを抜いては語れない人形のひとつだと思います。古くは戦前の有坂与太郎さんの著作の中で招き猫の最も古い作例だとか、発祥とか元祖として嘉永5年の丸〆猫が採り上げられています。丸〆猫という名前を知ったのは小学生の頃、学校の図書室にあった「保育社カラーブックス」という文庫版サイズのシリーズの中で「日本の郷土玩具」という本の後ろのほうに県別郷土玩具一覧というのがあって、名前だけが記されていたのでした。何のことか全くわからず、今戸焼の人形であることすら知りませんでした。

時は流れて、土をいじるようになってから、実物を持っている人から、お手本を見せてもらうことができ、作ったのが写真の丸〆猫です。今から15年くらい前のことでした。はじめて見たときは、不気味な愛想のない招き猫、人面猫のようだと思いました。TV番組「東京生活」でも採り上げていただきました。その頃から戦前に発行された文献などにも目を通すようになりました。有坂与太郎さんによる著述がそのひとつです。



丸〆猫についての記事は、現在いろいろな本で紹介されているわけですが、その内容は有坂さんの記述に基づいているわけです。



また、描かれた図としては更に遡ること明治時代に大人を対象として、各地に残る土俗玩具を採り上げた清水晴風さんの「うなゐの友第2編」に描かれた丸〆猫が当時としてもっとも古い図のようでした。配色や表情の違いはあるものの、お手本となった丸〆猫と構図といい意匠といいよく似たものです。



最近目にした本などで、「まるじめねこ」とルビの振ってある記事があったかと思いますが、江戸東京のものである以上、濁らすに「まるしめ」ではないでしょうか?たとえば芥川龍之助は「駒形」は「こまかた」と濁らないのが正しいと何かに書いていますし、「鳥越」は地方の地名では濁るけれど、浅草の「鳥越」は「とりこえ」であるという話を聞いたことがあります。江戸東京の人形問屋の総元締でいらっしゃる吉徳さんでは「まるしめのねこ」と呼んでいらっしゃたので私もそれに従っています。しかし「今戸」は「いまど」なんですね。昔は「今津」という地名だったそうですが、、。



丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。



丸〆猫(まるしめのねこ)②→

丸〆猫作りについて採り上げられたTV番組についての記事はこちらです。



★過去にアップした記事ですがブログ移転のため埃に埋まっていたものを虫干しする意味で再アップさせていただいております。また移転以前の記事内のリンクが移転によってずれているケースも見られますので今後修正していきますのでご了承ください。

 

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今戸 縁結びエイリアン招き猫のデザイン

2015-03-06 10:02:21 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)




上3枚の画像は昨日アップした記事からのものです。ここ今戸町内にある神社の境内に点在するオブジェやポスターが1枚目の画像の¥3000のエイリアン招き猫のプロモーションとしてリンクするよう導線が用意されていた、と考えたのですが、時間を置いてみて、どうしてこういう姿が生まれたのかな?という疑問が湧いてきました。

そのルーツは常滑の招き猫にあり、常滑の招き猫から生まれた2匹の兄弟。戦後型の豪徳寺の招き猫と戦後昭和30~40年代から「今戸焼」として作りはじめられた招き猫。人呼んで「常滑亜系今戸焼招き猫」。

戦後型常滑亜系「今戸焼」の招き猫は神社からの注文により2匹を合体させたものを白山さまの「縁結び」に引っ掛けて「縁結び猫」として昭和60年代から平成はじめにかけて売り出した。(昭和12年「今戸八幡」と亀岡町「白山神社」が合祀され「今戸神社」となる以前は「招き猫」も「縁結び」についても記録されたものは確認されていない。)2連にするという発想も焼き物の先進地である常滑の2連、3連の招き猫からインスピレート?(ぱくレート?)されたものとも考えられる。目の描き方は常滑を意識したものの十分似せて描ことができなかったのが、その後「今戸焼招き猫の特徴」となり、以後今戸町S家で産する招き猫にはすべてこの「常滑をもととする」目が描かれている。

しかし土人形の家内生産では、ご神職の望み通りの大量生産ができず絵馬や看板などは別に発注しなければならないので身内でデザインし直し(身内にお絵かきが好きな人間がいた。)ついでの授与用のの招き猫自体も品切れることのないように瀬戸(または中国)へ発注させた。しかし、鈴をリリアンで通して結ぶのは手間がかかり仕込みのコストが嵩むので型の彫りに戻した。新デザイン「エイリアン招き猫」が登場したのはいつごろからであろうか平成7~8年頃出版の招き猫関係図書には見当たらないので、その後「常滑亜系今戸焼縁結び招き猫」が地下鉄の中刷り広告で世間一般に知られるようになってからのことと推定される。新デザインのためにインスピレート?(ぱくレート?)されるソースとなった人気キャラクターがいくつか考えられる。

↑「ミッフィーちゃん。」(原作 ディック ブルーノ さん)(口鼻の×と両目の間隔に注目)

↑サンリオさんの大看板「ハロー キティーちゃん」(ヒゲに注目、両目の間隔にも)※なお、神社の縁結び円形絵馬のデザインには「おひなさま風」のもあり、画像の「キティーちゃんのおひなさま」からのインスピレート?(ぱくレート?)は少なからずあるように考えられる「他人のそら似」だろうか。なおキティーちゃんの仲間には黒い瞳の中に白ぬきのある子もいるようである。


↑そして「ニャース」(「ポケットモンスター」(株)ポケモンさん、(株)任天堂さん。(特に目)

↑そして「縞野はな」(ベネッセコーポレーションさん)(瞳の中の白抜き)

かくの如く、今戸の縁結び招き猫(エイリアン招き猫)はさまざまな品種の交配による莫大な労力と苦労の末生みだされた血と汗と涙の結晶であるということがわかり、感慨深いものがあります。

♪風の中のすーばるう~ 砂の中の銀河あ~ みんな何処へ行ったあ~ 見送られることもなくう~ ♪「プロジェクトX・挑戦者たち」

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