東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

お待たせしています。(饅頭喰いとぴいぴい)

2013-11-19 10:44:55 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010017  一昨日の晩やっと饅頭喰いの色塗りを終わらせました。3通りやってみました。右端は朱の泥絵の具を基調として明治以降の今戸風なパターン。真ん中は江戸時代の今戸でも使われていた植物の煮出し「蘇芳(すおう)」を使っての彩色。右と左が「片身変わり」になっているのは、今戸というより勝手に楽しく塗ってしまったという感じです。でも斜線の格子風の模様や裾の早蕨(さわらび)風の模様はパターンとして江戸時代の今戸で使われていたということを意識しました。左端は植物煮出しの「キハダ(黄柏)」の汁を重ね塗りした上に真鍮粉を散らした地に竹の枝風なものや菱状の花を描き加えたもの。江戸時代の裃雛のパターンを意識してみました。植物煮出しは一回塗りで色がつくものではないので何度も塗っては乾かしを繰り返して手間がかかりますが、現代のアクリル絵の具やポスターカラーには出せない「はかない色味」を使ってみたいと思いました。昨日名古屋に向けて発送してひと安心。

P1010015夏以来ぴいぴいをお待たせしております皆さん申し訳ありません。ぴいぴいは素焼きは済ませ地塗りとその上の「きら(雲母)」塗り、目の周りの刷り込みまでは進んでいます。どうなっているのかお問い合わせいただいた方もいらっしゃいますが、これから彩色と鞴(ふいご)つくりとを進めていきますので引き続きお待ちください。

今年は暑さが長引いたせいで、絵の具や膠を使いはじめるのも遅くなり、そのためそれぞれの工程も玉突き状態で進めています。


錦秋の物干し

2013-11-19 10:24:22 | 日々

P1010018 寒いようで着ると暑い、汗をかくと冷たい風で風邪をひきそうな、中途半端な天気ですが、昨夜あたりから寒くなっていくという予報でした。わが家の十五夜さんのいる物干しは日中は日向ぼっこできるように開け放し、夕暮れになると寒くないように窓を閉めます。午前の日差しの中、十五夜さんは念入りに日向ぼっこしているところをシャッターを切りました。「こっちにおいで」と私を呼んでいる瞬間です。物干しに草木も緑から黄色、ベージュと赤みはないもののグラデーションになっています。

草木を揺らす乾いた風が百人一首の「むべ山風を嵐といふらむ」というのを連想させます。

 十五夜さん用の日当たり台(吸水鉢の上に簀の子を置いてインスタント)の隣の水遣りバケツの上に陰干しを済ませた干支の馬を載せて天日干しをしています。手摺の外にふじばかまの花が見えますか?

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饅頭喰い その後

2013-11-12 19:25:31 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010008 確か5月か6月に饅頭喰いの試し塗りをしている記事と画像を出したように思うのですが、その後の展開です。これらの饅頭喰い人形の型は今戸焼のものではなく、最後の名古屋の土人形の作者であった故・野田末吉さんの型をお預かりして型を抜き、彩色に関しては自分で工夫してやってください、と名古屋の熱心な愛好家の方から頼まれていたものです。

 3種類のパターンを塗り分けているところです。

 「自分の工夫でよい。」と言われたのでそれでは自分のやり方で、、とちょっと無理してやり始めてしまったのですが、左の籠に並んでいる黄色いものと右の籠の前方に並んでいる「片身変わり」に塗り分けてあるタイプは江戸の昔、今戸でも植物の煮出し汁で塗っていた時期があったので、その方法でやってみようと始めたんですが、しんどいですね。「きはだ」も「蘇芳」も一回きりではっきり色がつくものではないので何度も何度も塗っては乾かしを重ねて画像の色になってきているんです。早く完成させてご依頼主にお送りしなければ、、と慌てています。


干支の馬づくり・その後

2013-11-12 19:07:55 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010005 あっという間に今年も残すところ2ヶ月を切りました。

  来年の干支は午(馬)です。この数年の干支、例えば辰(龍)、巳(蛇)と昔の今戸焼の土人形の作例の乏しいものだったため、苦し紛れに創作しましたが、古いお手本の有無に関して言えば、馬の人形は今戸焼には古いものがいくつもあるので当たり年といえそうです。特に面白い型で知られている「狐馬」(馬乗り狐とも)は夏に手がけておいたので安心ですが、もっと数を抜き出しておかなければ、、と思います。1枚目の画像は「馬」単

 

体のものと狐を乗せたもの。P1010007_2どちらも都内各所の遺跡からたくさん出土していますし、最後の今戸焼の生粋の人形師だった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)もお作りになっていたものです。色の配色については春吉翁のやり方を手本としていますが、形については春吉翁のものはもっと丸みがあります。なぜかというと、今回形のお手本としたものは戦前の人形研究家・有坂与太郎の旧蔵品だった色の採れた狐馬だからです。しかし構図としてははぼこんな感じだと思います。馬単体の場合、鞍に目玉焼きのような菊の花を添えて描くんです。

 この目玉焼き風の菊模様というのは古い今戸焼の土人形でしばしば描かれていたパターンのようで、お福さんの裲襠とか子抱兎の筒なしとかにも見られます。鞍の地色は朱色っぽいのと群青のと両方確認しています。

 2枚目の画像は3種類目の馬で「馬乗り小姓」といったところでしょうか。以前入手したほとんど手垢で真っ黒になった今戸人形が手元にあり、それをお手本としました。今戸焼の「馬乗り小姓」としては江戸明治の時代に大きなものがあったようで、一度他所で実物を観たことがありますが、手元にはないのでまずはお手本のあるもので作ったわけです。また。春吉翁作の「馬乗り小姓」または「馬乗り若衆」といった馬が右向きの上に裃姿のお侍が乗った小さい種類のものも知られています。実際画像のように色を塗ってみましたが、馬の胸から腰の垂れ飾り部分の色があまりにも汚れていてわからないので二通りやってみました。

 ①飾りを植物煮出し「きはだ」の汁で塗る。

 ②飾りを江戸時代の古い顔料「紫土べんがら」に見立てて塗る。

 ①は何度も繰り返し塗るので手間がかかりますが古いやり方として可能性があり、②は昔他所で観たことがある単体の「飾り馬」に紫土べんがらが塗られていたのを憶えていたからです。飾りの部分の配色によって馬の腰の配色も変わってくるわけで、まがい金泥でクロスした線を描くパターンが実際あったし、虎の革を掛けたように彩色しているパターンとどちらも古い今戸で確認している手法ではあるので。飾り部分の色とのコントラストを考えてそれぞれ置いてみたのですが、どうですか?ご意見いただけるとためになります。

  とりあえず3種類の馬は姿ができました。実はあと2種類準備している馬があるのです。当然それらも古い今戸の実物をお手本にモデリングしているところなのですが間に合うかどうか、、、。

 ご紹介した3種類ももっと型抜き素焼きをすすめているところです。

 

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講演とやきとん

2013-11-11 00:03:13 | 日々

P1010002 とんだ長い間更新できずにいました。空白の1ヶ月ちょっとの間、北区の伝統工芸展だの三社様(被官様)への狐のお納めの今年一回目、お店への納め、干支つくりなどいろいろあって、その都度記事にしたかったのですが、実をいいますとデジカメを失くしてしまい、ずっと捜していたのですがみつからず、今日4台目のデジカメを買ってきました。

 

 画像は埼玉県川島町にある遠山記念館という美術館で現在公開中の土人形の特別展のチラシです。石井荘男さんは、郷土玩具やこけし、民芸品をこよなく愛されていらっしゃるデザイナー、イラストレーターの方で既刊の日本郷土玩具事典をはじめ民芸関係のムック本等の装丁などでご活躍されてきた方。このたび数十年に渡って蒐集され大切にされていた玩具や人形を遠山記念館に寄贈されたことを記念して同館で展示されています。

 

 石井さんとは25年くらい前から面識をいただいており、とくに、私の土人形作りに関しては、その都度いろいろお世話お骨折りをいただいてきました。このたびも、自分で人形を作っている立場から講演をしてみたら、、というご提案をいただき昨日、館内でお話させてもらってきました。

 

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自分で言うのも何ですが、いい年して怖がり、口下手で人前に出ると舌を噛みそうになったり膝ががくがくしたりです。それと大学の教授大先生とかどこかの大きな博物館の学芸員とか館長というようなアカデミックな畑に権威的に関わっているわけでなし、ただ単に「好き」な事に関して自然と観たり読んだり聞いたりして積もったネタ、実際に土から工程を踏んで体ごと感じている事をネタをお話する、ということでよかったら、、ということでお引き受けさせてもらいました。 仮題として「今戸人形ルネサンス・・・人形作りの目指すところ」という大風呂敷なのをつけてしまったのですが、要するに身の上話ですね。ただその前に今戸人形と今戸焼ってどういうものがあったのか、、今戸で焼かれていた生活道具やその他の嗜好的製品、そして最後の生粋の今戸焼の土人形作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった人形から遡って江戸時代の今戸人形について画像を観ていただきました。春吉翁までで絶えてしまった江戸時代からの伝承はどういうところにあるのか、画像などでお話したつもりです。あと自分が家でやっている作業工程の話でした。予定は1時間程度だったのですが終わってみて2時間弱になってしまっていたので申し訳なかったですが、同席いただいたみなさん最後までお付き合いくださってありがとうございました。

 

 

 

 次の土曜日には土人形を寄贈された石井さんご本人によるお話がありますので、ご関心のある方、お近くまでお出かけの方どうぞお立ち寄りください。遠山記念館のHPはこちら

終わってから川越に出て東上線で北上し、東松山のやきとんを食べて帰ってきました。この街のやきとんはお味噌にネギや唐辛子など各店秘伝の味付けの「ねぎみそだれ」を塗って食べるのが特色で、専門店がたくさんあるのですが、どこの店がおいしいとか予習していなかったので、昔懐かしい感じの煤けた感じのおばあさんひとりで切り盛りしている店に入ってみました。子供の頃は肉が苦手で食べられなかったのが、今ではだいたい食べることはできますが、普段食べ慣れていなかったせいか夜中お腹が張って寝付けませんでした。どちらかというと草食動物なんですね。でもおいしかったです。自分からアルコールを口にすることもほとんどありませんから、7杯飲んだレモンサワーのせいでお腹が張ってしまったのかどうか、、、。宵の東松山に寄って、、、そう遠いところではありませんが、束の間のローカルでほーっとできた時間でした。