東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

鞠猫の割型がみつかりました

2017-10-29 02:19:45 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨日、隣の町内の仕事場に割型を探しにいって奥のほうをチェックしていたら、長年探してもみつからなかった「鞠猫」の割型が出てきました。早速いくつか抜き出しています。このブログを開設したのが7年前で、その当時作っていたものの、型が行方不明になっていたのでした。以来、たくさんの方々にご希望をいただきながら、型が行方不明なので、見つかったら作ります、という返事しかできなかった次第です。伏見人形を原作とする人形で、それからの抜型で今戸でも作られていたというもののひとつです。我が家に全く色のとれてしまった今戸版の「鞠猫」があるので、それを手本に原型を起こしたものです。伏見の原作は耳がもっと尖っていますが、今戸版のお手本は比較的耳がなだらかです。

 「お人形は顔がいのち」の浅草橋の「吉徳」さんの資料室ご所蔵に国芳の「江戸じまん今戸のやきもの」という画題の錦絵(弘化年間・1845~1848頃?)です。今戸焼の土人形の絵付けをしているお母さんの様子が描かれていて、描かれている人形の種類が実在していたものばかりです。まさに筆を運んでいるところの人形が「鞠猫」です。配色はおおかた伏見に準じている感じですね。他にも竹串に刺して「藁づと」で乾燥中と思われる人形が4つ。右端の上は「三方狐」、下はおそらく「鳩笛」のように見えます。左上は「馬」、下は何というのか、「頭巾を被った庄屋さま」か「長者さま見立ての大黒様」です。これら弘化年間には今戸で作られていたということですね。

 お手本を見ながら型を起こし、配色は上の錦絵を頼りに塗った、ほぼ7年前の画像です。今見てみると、まがい砂子(真鍮粉)の蒔きすぎで、ちょっとうるさい感じがしますね。当時はまだ植物の煮出し汁による彩色を手掛ける前だったので、今度はきはだを塗ってみようと思います。基本的には丸〆猫(嘉永安政風型)の配色によく似ていると思います。丸〆猫は「武江年表」や「藤岡屋日記」それから広重画「浄るり町繁華の図」により、嘉永6年(1852)に登場して大流行した、ということになりますが、この「鞠猫」は嘉永年間の前の「弘化年間」にはあったということになるので、猫の人形としては丸〆猫に先行したものと言えると思います。

 国芳の絵の中の他の人形の配色は群青色と赤系の色とを使う以前の配色なんだろうと思われますが、ちょっと不思議に思えるのは「吉徳」さんに伝わっている「玩具聚図」(天保3年)という人形玩具の配色手本の中にみられる今戸人形の配色指定に既に群青が登場していることです。天保は弘化の前です。今戸周辺には人形の絵付けに携わる人は落語の「今戸の狐」(骨の賽)にでてくるように内職でやっていた人がたくさんいたと想像でき、そのために配色規格の統一のため「配色手本帖」が存在したと思えるのですが、天保以降である弘化の錦絵に描かれている人形の配色が群青以前の配色というのが不思議です。人形の問屋さんの指定で配色の規格が決められていただろうし、あるいは問屋もあまたあって古い配色を続けていたところもあったのかもしれない、ということでしょうか。ある日すべての今戸人形の配色が一斉に変わるということはありえませんよね。

まずは、「鞠猫」ご希望だった皆様、これからまた再開できますので、できましたらお知らせいたします。


干支の戌(犬)づくり

2017-10-25 20:23:50 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 今年は上半期に身辺にいろいろあったり、例年に増して催事の準備や納め、特に狐の数が増しているためもあり来年の干支の戌の準備はやや滞っています。本来出来上がったものを画像に撮ってご紹介すべきですが、いまだ型抜き中のものもあり過去に記事で取り上げた画像で完成状態をご推量いただくという予告編のような話ですみません。

 自分の場合、昔の今戸焼で作られていた古い人形を今に再現することを大切にしたいので、干支によって古い今戸のお手本が無い場合には創作することはあっても、積極的に新しく創作したものを今戸人形をいって出したいという欲求は二の次の話です。来年の干支に限って言えば、戌(犬)の人形は今戸焼では過去にかなりたくさんのバラエティー富んだ作例があるので、あれも手掛けたい、これも再現したいというものが山積しているのですが、なかなか時間がとれないので、とりあえず、前の戌年に作ったものなど4種類の人形を準備して、今後できたら今戸のクラシックの人形を更に追加したいと考えています。

 上の画像は現在型抜き中だったり、地塗り途中、彩色途中のものを並べた様子で「犬」「羽衣狆」と「赤犬」それと「洋犬のぴいぴい」の途中品です。

「犬」の画像です。前の戌年の画像だったかと思います。東京の犬張り子の古い型といってもいいかと思います。顔が真ん丸な犬張り子は明治になって定着した造形だと聞いていまして、江戸の古い絵には「ワン」と吠えているような口を開けた姿です。都内各所の近世遺跡からこのタイプに似たものがいろいろ出土していまして、微妙に耳の開き具合の異なるものがあります。画像のものは最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになったものを手本にしました。明治の同じ型で首輪が群青色のものも確認しています。この人形は従来の2枚の割型で抜き出してから、耳の谷間や前後の脚の谷間を切り出してなめして作ります。出土品には耳を後付けにしたものもあります。

 次の画像の右手前に並んでいるのが「赤犬」です。ぶちを墨にしないでベンガラで塗ってあるから「赤犬」なんでしょうか。これも尾張屋・金沢春吉翁のお作りになったお手本の倣って作らせていただいています。左足先で「お手」をしています。これと同じ型の色のとれた人形が台東区内から出土しているので、古い型のようです。

 上の画像の左端に「羽衣狆」右端中断に「犬」の途中のが映っています。「羽衣狆」は京都の伏見人形が各地に伝播していろいろな土地で作られていますが、今戸の明治できのボロボロの人形をお手本があるので、それに倣って作りました。そのお手本では足先に水色を置いた上に朱で爪を描いているのでそのとおりにしています。羽衣狆にはもっと大きな型違いのものがかつてはあって、右手で「お手」しているものもあるのでやってみたいと思っていますが際に間に合うかどうか、、。

「洋犬のぴいぴい」です。これはもともと一文人形よりやや大きな人形があり、それを大きくしてぴいぴいにしたものです。何年か前「ブルータス」でとり上げてもらったことがありました。「洋犬」は明治の始め、西洋の人が飼っていて"Come on!"と呼んでいるのが「カメ」と聞こえたので洋犬のことを「カメ」と呼んでいたとか聞きます。

 

とりあえず既成の型の4種類の予告編的ご紹介です。現在、狐と同時進行で作っているところです。後に改めてご紹介できればと思います。

 


お納め(浅草被官稲荷)今川焼ではない。

2017-10-20 04:27:49 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 この時期、干支や羽子板市向けの準備をしたいところですが、何にも増して優先させているのが被官さまの狐作りです。とにかく切らしてはいけないので、言われずとも常時狐を抜き出して乾燥させているのが常。ただ、そういう思いが実際の手の能率には至らないのがもどかしい感じです。先週電話をいただき、「あと9セットしか残っていない」と聞いて、大慌て。幸い乾燥させて貯めてある分があったので急いで素焼きに回して、窯から出して、磨いてから地塗り色塗りまで漕ぎつけ、2体ひと組にして薄葉紙で包んで、段ボールに詰めてお納めに行ってきました。

 土手通りをタクシーで通過中。天気がよくて、腰が痛くなければチャリで運ぶところですが、、、。

季節が巡って、同じ景色でも色合いが違って見えますね。でもイチョウの木はまだ緑色。

いつものようにお参りして祠も覗いて帰ってきました。

 いきなり「あと9セットしかない」といわれても「はいはい、30分で焼き上がりますよ」と動けるものではないので、せめて「あと30セットか20セット」で連絡いただきたいものです。


窯出し

2017-10-16 02:28:07 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 本日明治神宮のお手伝いのあと、直会があってそれが済むと、真っ暗な神宮の闇を抜けて、原宿側の通用口から外に出れば、光の洪水や人々の喧騒がまるで別世界のようでした。一緒にお手伝いに参加した知り合いとはしごしてちょっと呑んでから帰宅しました。昨日窯入れした炉内の温度が20度まで下がっていたので蓋を開けて画像に撮りました。焼く前のままの並びです。生土がこのような色に変化するということは、毎度のことながら不思議です。今日は疲れているので明日以降に窯から取り出そうと思います。


明治神宮「人形感謝祭」2017

2017-10-16 02:00:12 | 日々

 今年度の明治神宮人形感謝祭の当日でした。3年前?もそうでしたが、雨天の中の催行ということで、スタッフ一同合羽を羽織っての作業でした。気温がそれほどでもないのですが、合羽を羽織っての作業は、雨に濡れるだけではなく、汗をかいたりして、結構しんどい感じでしたが、この天気で各ご家庭からお人形とのお別れにお持ち込みになられた皆さんの受付はこの行事始まって以来歴代3番目の数になったそうです。そのせいか、通常回廊にしつらえた壇上と壇下2列に受付の終わったお人形たちを並べていくのですが、すぐにいっぱいになり壇下にもう一列、もう2列と白布を敷き増して並べていったという状況でした。

 ひとくちに「お人形」といっても様々なものが集まります。どちらかといえば置物?に近い感じのものでも顔あり姿ありで持ち主の方にとってはむやみに捨てるということができない、というお気持ちは、我が国では特に強いのでしょうか。それと間もなくオリンピックというためか、外国からのご参詣の方が年々増えているようで、このように人形に感謝してお別れするという行事、儀式がとても珍しく映るようでひっきりなしにカメラを向けている方が少なくありませんでしたし、「これは売っているのか」「どういう意味なのか」質問される方もいらっしゃいました。

雨天のなか、予想外の量のお人形が持ち込まれお別れをされた今年の人形感謝祭でした。


窯入れ

2017-10-14 14:11:03 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 久しぶりの窯入れです。炉内を支柱で2層に分けて、下は浅草被官さまの鉄砲狐、上は先日の北区伝統工芸展での体験製作でお作りになったお客様の作品を詰めています。光のせいでもありますが、十分乾燥しているのに黒っぽく見えますね。これが隅田川流域の天然土の特徴ともいえますね。砂鉄とか川砂がたくさん混ざっているのでこんな色になるのだと思います。

 焼きはじめから炉内が500度に達するまでは、水分を逃がし、炉内に負担にならないよう、半開きにして稼働させます。

同時進行で型抜きをしていたら、うっかり忘れかけて炉内が550度になっていたので蓋をするついでに撮ってみました。

炉内の温度が100度以下になるまで蓋を空けてはいけないので、明日炉内温度を確かめてから取り出す予定です。

生で乾燥させた土の色がピークで800度で焼くと、当然ながら色違う色になってしまうんです。水に塗れても崩れなくなります。この変化の物理的な理解を持ち合わせていないんですが、魔法のようです。明日窯出しの際、定点観測のように同じアングルで撮影してみようと思います。


明治神宮「思い出人形展」2017会場内のご案内

2017-10-12 15:19:03 | 日々

 一昨日ぎっくり腰で鎮痛剤や湿布で安静にしていましたが、昨日は小康状態ではあったので、コルセットを着用の上、慎重に慎重に展示のお手伝いに出かけてきました。明治神宮本殿から東に出たところにある社務所の一階(参道から細い坂道を下ったところなので、地下一階のようにも見えます。)とりあえず展示が出来上がったので例年よりも多めの画像で今年の展示の様子をご案内したいと思います。

入り口で出迎えてくれるのは大きなくまさんのぬいぐるみと丁稚さんの人形とフラメンコのポーズ人形。

 メイン正面の雛飾り。昨年と同じメンバーが主ですが、並べ方が今年は違います。具体的には昨年は内裏様が上手、お雛様が下手でした。そのほうが古風な印象を醸し出すといわれていますが、今年は敢えてお雛様が上手の飾り方になっています。

抱き人形、市松さんのコーナーの一角。

個人的には一番美しいと思っている三つ折れ抱き人形。この時代の江戸出来の抱き人形は当時の役者の似顔に作られることが多いと聞いていますが、この子は誰に似せてあるのだろうか、と常々空想しています。身に着けている着物や裂もいい感じですね。

正面箱入りの市松さんは名手・平田郷陽によるもの。郷陽さんは生き人形や抱き人形の名手であり、後には創作の世界へ発展された人。人形を芸術のレベルに高めた最大の功労者と言われる人だったので、このような抱き人形を作っていた時代のものはかえって貴重なんだそうです。

同じく平田郷陽さんによる五月の熊乗り金太郎(中央)と近代御所人形の名手・野口光彦による人形(右)

「浮世人形」。かつて各家庭で7段8段の雛飾りがなされていた時代には必ず下のほうに飾られていた人形で昔話や芝居の名場面の題材を得た台つきの人形がありましたね。花咲爺さん、桃太郎、舌きり雀、高砂、三条小鍛冶などなどいろんなものがありました。

羽子板のいろいろ。歌舞伎役者の大クビの押絵羽子板が特に知られていますが、錦絵写しのものや少女の姿のものや宝船の押絵だったり、絹絵といって綿を入れた絹張の画面にスターの似顔を描いたものや、板絵といって直接板に描いたり、焼絵を入れたものもありました。中央の一番大きなのは歌舞伎「四千両小判梅葉」のおでんやの富蔵でしょう。6代目菊五郎(~昭和24年)の当たり役だったのですが、六代目の面影写しなのかそれを受け継いだ17代目中村勘三郎さん写しなのかちょっとわかりません。富蔵の羽子板の右下にある極小の女春駒持ちの羽子板は明らかにに6代目尾上菊五郎の顔写しだと思います。

郷土人形、土人形、張り子だるまなど、、。壇上の飯田家さんの犬張り子もつい最近作者が亡くなられて、もう作られなくなったのは寂しいです。

こけしと入れ子など。昭和30年代から50年代にかけてのものが多いなか、側面しか見えませんけど一番大きな秋保温泉のこけしは戦前のもののようです。昭和30年代40年代までにものにはまだオーラというか何気なく情の濃いのが少なくありませんね。個人的には画面右端の弥治郎の新山久治の6寸くらいのがいい感じだと思います。

 今年はリカちゃん生誕50年ということでリカちゃんとその仲間に重点を置いて展示されています。バービーとかGIジョーとかは今年はお休みです。

 サザエさん人形とキューピーさんと文化人形。ブースカとかナショナル坊やもいるんですが、今年はお休みです。

フランス人形にポーズ人形のいろいろ中央の赤いレオタードの人形は、川崎プッペ作、左奥にはアーモンドマルセルなどのビスク人形や往年の名子役・シャーリーテンプルの人形も並んでいます。右手奥向こうの台は世界の人形コーナーで、ここ数年古典人形修復の第一人者である新井榛名さんの助手として自分も飾らせてもらっているコーナーです。

手前に右の二人がシャーリーテンプルちゃん人形。その左に西洋のビスク人形が並んでいます。

和製ビスクの数々。これらの人形と遊んだ世代の方、いらっしゃるのではないでしょうか。

「ひよっこ」の時代に親しまれたさくら人形とも呼ばれたフランス人形。我が家の近所にこういう人形を作っていた工場がかつてありました。

シュタイフのテディーベアをはじめとする動物たち、右は世界の人形のはじまりで、アフリカ、中近東からヨーロッパ、中央アジア、東南アジア、オセアニア、アメリカ大陸の順に並べました。エスニック、オーガニックなものから素材は大量生産的に衣装をつけたものまでいろいろあります。

その中で表情がいいなと思いながら飾ったオーストリアの人形たち目線を合わせて腕組みさせてみたりして、ちょっとした「色模様」の感じが「いいね」をいただきました。(自画自賛 💧)

展示は人形感謝祭当日の15日までで、入場無料です。お出かけの難しい方、これらの画像で雰囲気の一部を感じていただければ、と思います。


再び土いじり

2017-10-08 12:40:19 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 あっという間に10月ですね。これから年の瀬まではひっきりなしに忙しくなるのが常です。まずは浅草の被官さまの鉄砲狐を重点的に型抜きをして干し貯めているところ。実は、ここ隣の町内に借りている仕事場ではなくて、自宅の玄関先なんです。当たり前のことですが、思い立って、道具の一部を運んできて、狭いながらも自宅で作業しています。仕事場まではチャリで5分くらいで行けるのですが、雨が降ったとか疲れたなんかの理由で行動できないことがあり、自分の意思の弱さであったりするのですが、寝起きしている空間に直結していれば、ちょっとした合間にひとつでもふたつでも仕事しておくことはできる、という考えですね。作業中、疲れれば仰向けになってストレッチをする。お風呂に入るというのも気ままです。昔絵を描いていた頃、イーゼルと自分との間にひとつでも障害物があると、それにひっかかって集中できないということがありました。それと十五夜さんは、ひとり留守番は好きではないので、着替えていると、また出かけてしまうのだろうとがっかり顔されるのが辛いのですくなくとも同じ屋根の下にいる時間が増えればいくらか気持が和らぎます、

 ディスプレー用のワインの木箱というのを見つけて手に入れました。これまでも拾ってきたみかんの木箱や工場の抽斗の箱とかは使っていたのですが、ワイン箱だとゆったり収納できていいです。単純に板の上に並べて、抜き出した人形の水分を吸収させることはできるのですが、ぶつかって倒したり、落ちたりということが何度もあり、木箱に収納したいと思っていたのでした。まだ新しい箱なので松の香りがします。

 これから土をどんどん使うので、夏前までに水簸(すいひ)沈殿させておいた工事現場の土を石膏鉢に流し込んで給水させています。そろそろ玄関外に水簸用バケツに寝かせてある未水簸の土を撹拌させて篩にかけたいと思います。そのためにも天気が安定していてほしいです。