今日始発の銚子行きのバスで飯岡へ行ってきました。先日割型を作っていた裃雛は飯岡のNPOの方々からのご依頼でかつて地元飯岡で作られたいた「飯岡人形」を復興できないかという試みです。まだ乾燥しきっていない割型(男雛女雛のふたつ)は結構重かったですが、無事現地にお持ちしてみなさんと一緒に型抜き作業をしました。
材料の土は「屛風ヶ浦」の「かべと土」といわれる層のものを事前に採取してもらって粉砕、練り込みまで準備してもらっていました。はじめて触ったのですが、独特な手触り。ぬるっとしてこりこりしたような感触です。かつて戦前まで飯岡人形を作っていたという伝承ではこの土を材料にしていた、ということで、実際いじってみて納得したのは、伝世する飯岡の人形を総じて手取りが重くてずっしりしているのは、この土のためではないか、、ということです。今戸人形のように人形の内側を中空にするにはちょっとにぶい感じです。
画像で作業されているのは私ではなくて、地元の有志の人々です。今日一日で何と20組余の人形を抜き出しました。すごい!!!十五夜さんが留守番しているので現地に泊まるのは難しいので明日改めて出かけて、時間を置いた状態でバリ取りとか仕上げをしたいと思います。うまくいくといいなと思います。
土のせいもあってざっくりしていますが、明日改めてなめしたりします。
今更言うまでもなく、飯岡の土人形はかつて浅草の今戸人形が下総や上総に流通してやがて今戸人形をもとに地元で作られた人形で、基本的には今戸人形の特徴を取り入れて製作されていました。そんなわけで今戸人形の親戚のようなもので、地元の有志の方々がそれを再興しようという心意気はすばらしいと思います。ここ飯岡は東日本大震災の際、津波によって海岸沿いの古い市街地を失い、街の復興への取り組みのひとつとしてかつての郷土の文化を見直そうという方向の中の取り組みのひとつが土人形作りだそうです。私のような人間でもこういうことで関われるのであればうれしいです。
飯岡へは生まれてはじめてです。作業にお邪魔したところが「屏風ヶ浦」の高台の上で絶景のところ、風音が大きくてびっくりしました。水平線の向こうはアメリカ?という実感。
明日またお邪魔して皆さんの取り組みがうまくいけるようにお手伝いしたいです。(やってみてどうなるかわかりませんが、、。)