東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

飯岡の裃雛(ドガミシモ)

2017-01-27 23:22:07 | 日々

今日始発の銚子行きのバスで飯岡へ行ってきました。先日割型を作っていた裃雛は飯岡のNPOの方々からのご依頼でかつて地元飯岡で作られたいた「飯岡人形」を復興できないかという試みです。まだ乾燥しきっていない割型(男雛女雛のふたつ)は結構重かったですが、無事現地にお持ちしてみなさんと一緒に型抜き作業をしました。

 材料の土は「屛風ヶ浦」の「かべと土」といわれる層のものを事前に採取してもらって粉砕、練り込みまで準備してもらっていました。はじめて触ったのですが、独特な手触り。ぬるっとしてこりこりしたような感触です。かつて戦前まで飯岡人形を作っていたという伝承ではこの土を材料にしていた、ということで、実際いじってみて納得したのは、伝世する飯岡の人形を総じて手取りが重くてずっしりしているのは、この土のためではないか、、ということです。今戸人形のように人形の内側を中空にするにはちょっとにぶい感じです。

 画像で作業されているのは私ではなくて、地元の有志の人々です。今日一日で何と20組余の人形を抜き出しました。すごい!!!十五夜さんが留守番しているので現地に泊まるのは難しいので明日改めて出かけて、時間を置いた状態でバリ取りとか仕上げをしたいと思います。うまくいくといいなと思います。

土のせいもあってざっくりしていますが、明日改めてなめしたりします。

 今更言うまでもなく、飯岡の土人形はかつて浅草の今戸人形が下総や上総に流通してやがて今戸人形をもとに地元で作られた人形で、基本的には今戸人形の特徴を取り入れて製作されていました。そんなわけで今戸人形の親戚のようなもので、地元の有志の方々がそれを再興しようという心意気はすばらしいと思います。ここ飯岡は東日本大震災の際、津波によって海岸沿いの古い市街地を失い、街の復興への取り組みのひとつとしてかつての郷土の文化を見直そうという方向の中の取り組みのひとつが土人形作りだそうです。私のような人間でもこういうことで関われるのであればうれしいです。

 飯岡へは生まれてはじめてです。作業にお邪魔したところが「屏風ヶ浦」の高台の上で絶景のところ、風音が大きくてびっくりしました。水平線の向こうはアメリカ?という実感。

明日またお邪魔して皆さんの取り組みがうまくいけるようにお手伝いしたいです。(やってみてどうなるかわかりませんが、、。)


試しの型抜き

2017-01-24 18:13:49 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一月も早や下旬にかかって慌てています。昨年から山積の作業の中で一番気懸かりだった作業。これまでの経験とはちょっと違った作業。頼まれて作っているものの、自分の人形というより、かつて地域で短期間作られていたという人形。郷土の歴史に因み、地元でそれを復興させたいというご意志に微力ながらお手伝いできれば、ということで、人形の原型と割型を起こし、地元へお持ちして現地の土を使って現地の人の手で再興できるよう、工程等でもわかることはお伝えするという内容です。その地元に昔使わていた割型さえあれば、もっと話は簡単なのですが、「ない」。実際に作られていた人形類は地元の資料館に残ってはいても、展示されているだけで、人形を起こす作業そのものには利用できず、、、。結構難しい話です。上の画像はゆうべやっと出来上がった割型から試しに抜き出したものです。ご存知「裃雛」ですが、今戸人形ではありません。中は中空でもかなりの肉厚なので、乾燥にも時間がかかりそうだったり、この肉厚さでどのくらいまで収縮するのか様子を観ます。土自体が画像のは隅田川流域の土なので、現地の土だとどうなるか、全く想定できていません。

 今後現地へ割型をお持ちして、あちらの人々に工程を追いながら自分なりの経験をお伝えしながら、現地の人の手で作っていただくという、これまでにない動きになりそうです。


郷土玩具 雛の会

2017-01-14 23:03:09 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 仙台の「光原社」さんの及川さんが昨年夏まえ頃だったか、うちの狭くて汚い仕事場にいらっしゃいました。例年2月に店内で郷土玩具のお雛様の催事をされているそうで、それ向けに雛ものの人形を作ってほしいということで、お送りするものを仕上げたところです。

 昔の今戸焼の人形の中にも雛に因むものはいくつかあって、よく知られているのが「裃雛」(帝さまのお姿ではなくて町人姿)や「一文雛」(鐚銭一文で売られていたという一文人形の一種?)などですが、他にも「古今雛」風のものが幾通りか、と三浦乾也作のお雛様に行く分感触の通じる雛もあったようです。

 現在まで手掛けたのは「裃雛」と「一文雛」それと生粋の今戸人形師最後の名人だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった「一文雛」も手掛けたことがあります。現在のところ、裃雛の小型でお雛様の頭が島田風の一組と尾張屋風でないほうの一文雛を出していますが、いずれは裃雛でも植物煮出し汁にふさわしい姿の裃雛をしっかり起こしたいですし、尾張屋風の一文雛をもう一度きちんと形を整えて出したいのと、古今風のお雛様もやってみたいと気持ちばかり焦っています。画像の一文雛の女雛のワインレッド風な色は「キハダ」と「蘇芳」の煮出し汁を何度か重ね塗りして出した色です。

 仙台光原社さんのサイトはこちら⇒


上州?の鉄砲狐

2017-01-07 11:43:03 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一番急ぎの納めは鉄砲狐。但し浅草被官様のものとは別です。昨年、高崎の「琴平神社」さま境内に鎮座する「和田稲荷」さまの奉納用の鉄砲狐のご依頼をいただきました。今まで作って納めていらっしゃったところがやめてしまったのでネットで観たとのことです。いただいた画像では、昔、今戸の鉄砲狐から型どりして作られていたものが時間とともに形が独特に変化したもののようでした。先方のご希望ではできれば、地元に根付いた形になぞらえて作ったほうがよいとのことなので、お手本をお借りしながらそれに近い形と色にしてみました。神社では「鉄砲狐」ではなくて「白狐さま」(びやっこさま)と呼んでおられます。今戸焼の鉄砲狐の古作には大きさ形さまざまありますが、オーソドックスなタイプから型をとって抜き出してあるためかひとまわり小さく9センチ強といったところです。細部は型が甘くなって顔が丸みを帯びでいて、面描きの筆もぼったりと長く描いていて、目は耳の後ろくらいまで伸びているといった感じです。それと目の位置が高いのも印象的。髭もぼったりとしています。台の縞模様を側面まで入れているのは今戸の古式に倣っているようです。

 稚拙というか野趣溢れる表情が独特なので意図的に狙って描いたつもりです。伝統こけしなんかでは、戦前の古いこけしから写したもので意図的に稚拙さを狙ったものなどありますが、あんまりわざとらしくないように、加減が難しいと思います。画像の狐についてはあくまで神社のほうのご希望なのでこのように作ったという感じです。これらあくまで奉納用ということで、地元に馴染まれた感じになっているかどうか、、。

 こういう感じの鉄砲狐は埼玉の比企地方のお稲荷さまの祠で観たのとよく似ていると思いますが、向こうのはもっと大型だったように思います。関東一円くまなく確認したわけではないのですが、今戸焼の型から地元で独自に作られた鉄砲狐は結構あるのではないかと思います。埼玉だと戦前の雑誌に深谷で作っているという記事があったり、秩父市内あたりの鉄砲狐はまた別な感じで観たことがあります。佐野土鈴の相沢さんの作っていらっしゃたのはスリムな感じで雌雄顔のモデリングの異なるものもあったような感じがします。千葉の成田山境内の出世稲荷にもやや小型で形のぼんやりした鉄砲狐が並んでいたのを思い出します。

 神様への奉納品としてわざわざご依頼いただいたのがうれしいです。


今年もよろしくお願いします。

2017-01-04 19:31:21 | 日々

 遅れ馳せながら、今年もよろしくお願いいたします。また、みなさまにとって良い年でありますようお祈り申し上げます。

暮れから依然としてやるべきこと山積で、狭い仕事場で作業の毎日で、気が付くと朝5時6時ということもあります。早く山を切り崩したいと焦りますが、なかなか、、。そんなわけで正月らしい場面といえばニューイヤーコンサートの中継と芝居の中継をTVで観たくらいです。そういえばお雑煮まだ食べていません。

今年の干支は酉(鶏)ということで、暮れには5種類の人形に取り組んでいました。偶然というべきか、暮れも終盤にさしかかった朝、忙しい中でもせめて自由な気分を味わいたくて、珍しく露店の骨董市に出かけてきたところ、画像の鶏の人形の出会いました。今戸人形ではありません。伏見人形か伏見人形の傍流の人形だと思います。(案外、全国の郷土人形とか郷土玩具全般にわたっての「目利き」的な視野を持っていないのではっきり断言できません。)

 昨年、「諫鼓鶏」など作る参考として伏見系の産地の人形の写真を参考にし、都内の近世遺跡から伏見系の鶏と同じ構図の江戸の土人形があることとも符合したので、意識していた伏見?の鶏に出会えてうれしくなりました。大きさの割に手取りが軽く、彩色の手慣れた感じ、できるだけ手間を省いた配色ですが貫禄があります。尾の墨で入れた筆捌きが迷いのない感じですごいと思います。

 年末からノンストップで作業していて期限の迫ったもの優先にしていますが、何とか無事に納めていきたいと思います。