東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

地塗り(胡粉塗り)

2021-01-29 05:06:54 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 年末折角作り焼いていた鉄砲狐やひねり鳩など雲隠れしてしまったので急いで型抜き素焼きしておいた分。ヤスリがけしてから地塗りまで一気に進めました。あと初午、ニノ午向けに王子 装束稲成さまにお納めする分。
 天神様はこれまで袍の部分にキハダを塗って台に蘇芳を塗っていたけれど、一度袍を蘇芳で塗ってみたいと思います。

 ひねり鳩や猫ものもとり急ぎ仕上げて仙台へ送らなければ…。

お知らせ 仙台光原社「雛の会」

2021-01-27 21:06:56 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 2月5日からの「雛の会」。外苑前の「郷土玩具展」への納めのあと仕度してきたのですが、お雛様をはじめ「組物」は組みに仕上げてやっと、というものなので時間ぎりぎりにかかって、全部揃えてから送るのでは会期に間に合わない恐れがあるので、やっと塗り上がった一文雛や狐拳だけ急いて送り、他のものは出来上がり次第お送りすることになっています。

仙台光原社さんのサイト→http://kogensya.sakura.ne.jp/index.html

蘇芳(すおう)の煮出し

2021-01-26 01:49:03 | 街角
 
 プールして使っていた蘇芳(すおう)の煮出し汁を使い切ってしまったので新しく煮出しています。

 乾燥蘇芳のパック。

 フライパンにお湯を煮立てて、中にボールで蘇芳を湯煎にかけて煮出します。不織布の三角コーナーカバーを別のボールに被せて一番汁を移します。

 一番汁に溶いた焼きミョウバンを加えると、一瞬で黄色味がかった煮汁が紫っぽく発色します。

 蘇芳の身にまた水を足してさいど湯煎に。もったいないので色が出なくなるまで2番汁、3番汁…。ミョウバンを加えた煮汁は冷ましてから瓶に詰めて冷蔵庫で。
 染織ではなくて三春人形、堤人形、相良人形をはじめとする江戸時代の人形の煮出しの発色のさせ方は、これという決定版はわからないけれど、この数年で何となく数歩要領がみえてきたような、そうでもないような…。

玉台塗り②

2021-01-23 06:00:38 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 ふた通りの男雛女雛もまだ途中ですが、載せて飾る玉台も案外色の塗り分けに時間がかかるので同時進行させています。先日の塗りはじめよりは近づいてきている感じはしますがまだ更に色を置いていきます。

重ね塗り(蘇芳ときはだ)

2021-01-21 02:35:43 | 街角

 一文雛の小さい方の女雛の衣部分矯正は植物の煮出し汁の重ね塗りで色を出します。

 はじめの画像。手前の右の女雛の衣の赤みが目標です。
うしろの女雛たちはきはだの煮出しを8回くらい重ね塗りした上に、蘇芳(すおう)を4回重ねたくらいの色塗りです。

 下のは更に3回重ねた状態、画像で色の変化が出ているでしょうか。微妙に赤みが増しています。目標の赤みになるまで乾かしながら更に重ねて塗っていきます。後のみみずくたちも同じくすおの赤みが出るまで重ね塗りしていきます。

狐拳

2021-01-17 03:46:27 | 街角

 これも仙台光原社から頼まれているもの。今さらなんですが、組物は一対2体でも3体一組でも揃わないと完結しないので、ゴールまでの工程がヘビーではあるなと思います。お雛様だと男雛女雛プラス玉台塗りがありますね。
落語の「骨の賽」(今戸の狐)に出てくる内職で狐の絵付けをする人たちの様子は当時の身近なものだったということですね。土を割型に当てて抜き出し、干して素焼きするまでを専門にした「木地屋」さんという職があった(生地だと思うのですが、有坂与太郎の著作には木地屋となっているので)そうで、それに内職で絵付けするひと、ぴいびいのふいごを作るひと、男雛の差す太刀専門に作るひと、経木で箱を作る人など分業体制で仕上げられていたようです。
 狐拳の話に戻ると彩色に関して個人的には、狐が色数が少ないので進みが早いです。庄屋と猟人は塗り分けの色数が多いのと、砂子を蒔くのも入れて長い道のりです。
 今、地塗りから色塗のはじめですが、最初に猟人の被りものの黄色。次に猟人と庄屋の肌を塗り、狐と猟人と庄屋の目元に水溶きしない朱でぼかしをいれてから墨でそれぞれにまゆや目を入れる。そのあと朱色で鼻孔や口、耳を入れ、彩色筆で、それぞれの朱色の部分をまとめて塗る。
 今、ここまで進んだところの画像です。 
 このあとそれぞれ違う色数に別れてぬります。狐の袖無しだけは照りだしさせてから胡粉の白で蛸足絞りの模様を入れ、緑青色で胸下の紐の結びを描きますが、それは猟人の肌着の胸の色塗りと同時にするので待ち合わせとなります。一色ごとに湯煎にかけて色を溶くので一度でよりたくさんの部分に配分するのが理想ですが、それに作業スペースの狭さが絡むので、一度箱にしまったり、だしたりするタイミングが絡んてくるのでパニくることもあります。

狐拳

2021-01-17 01:58:07 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 これも仙台光原社から頼まれているもの。今さらなんですが、組物は一対2体でも3体一組でも揃わないと完結しないので、ゴールまでの工程がヘビーではあるなと思います。お雛様だと男雛女雛プラス玉台塗りがありますね。
落語の「骨の賽」(今戸の狐)に出てくる内職で狐の絵付けをする人たちの様子は当時の身近なもねだったということですぬ。土を割型に当てて抜き出し、干して素焼きするまでを専門にした「木地屋」さんという職があった(生地だと思うのですが、有坂与太郎の著作には木地屋となっているので)そうで、それに内職で絵付けするひと、ぴいびいのふいごを作るひと、男雛の差す太刀専門に作るひと、経木で箱を作る人など分業体制で仕上げられていたようです。
 キツネ拳の話に戻ると彩色に関して個人的には、狐が色数が少ないので進みが早いです。庄屋と猟人は塗り分けの色数が多いのと、砂子を蒔くのも入れて長い道のりです。
 今、地塗りから色塗のはじめですが、最初に猟人の被りものの黄色。次に猟人と庄屋の肌を塗り、狐と猟人と庄屋の目元に水溶きしない朱でぼかしをいれてから墨でそれぞれにまゆや目を入れる。そのあと朱色で鼻孔や口、耳を入れ、彩色不適切で、それぞれの朱色の部分をまとめて塗る。
 今、ここまで進んだところの画像です。 
 このあとそれぞれ違う色数に別れてぬります。狐の袖無しだけは照りだしさせてから胡粉のしろで蛸足絞りの模様を入れ、緑青色で胸下の紐の結びを描きますが、それは猟人の肌着の胸の色塗りと同時にするので待ち合わせとなります。一色ごとに湯煎にかけて色を溶くので一度でよりたくさんの部分に配分するのが理想ですね。

玉台塗り

2021-01-15 07:04:16 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 次は仙台光原社さん宛てのお雛様。本体である男雛女雛は途中まで塗りかけているのと、数の不足している分は型抜きして窯入れ待ちです。
 現在まで手掛けているのは、小さな一文雛と最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)がお作りになられていた一文雛の2種類です。
 画像の玉台(玉というのはみかど様のことでお雛様が乗る台なので玉台)は尾張屋さん風の繧繝縁(うんげんべり→グラデーション風の縦じま模様)になります。小さいほうの一文雛用の玉台は別にに塗ります。

 毎年この時期に思うのは小さい方の一文雛に付属すべき五人囃子が未だ作れていないことです。尾張屋さんの一文雛につく五人囃子は更にお手本がないので未だ作れないということ。
 どうも新しく型を起こす余裕がなかなかないのがお恥ずかしい限りです。

「第7回 日本の郷土玩具」展 前日風景

2021-01-08 02:25:10 | 日々
 
 明日1月8日(金)から27日(水)まで表参道駅近くのギャラリーOPA(渋谷区神宮前4-1-23-1F)にて開催のイラストレーター 佐々木一澄さんプロデュースによる展示販売。先程佐々木さんから展示ができあがったところの画像をご提供いただいたのでご紹介させてもらいます。




 折しもこういうご時節ですが、密に気をつけながら足を運んでいただければ、と思います。 
どうぞよろしくお願いいたします。

ひねり鳩と唐辛子

2021-01-06 13:24:32 | 街角

 ひねり鳩といっしよに作った唐辛子。以前ひねり鳩のお手本をみつけた折々、鳩にまざって唐辛子だの茄子だのひねりで作って竹ひごを挿したものが混ざっていることがありました。作業はほぼおなじ。いっしょに作られていたのかもしれません。一文人形か?竹ひご片を挿してできた瓢箪鯰もありました。今回思い出して唐辛子と茄子を手遊びで作ってみました。茄子のほうは時間切れで色塗りまで進むことができませんでした。

ぴいぴいとひねり鳩

2021-01-05 02:16:42 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)
 
 1月8日から佐々木一澄さんによる展示販売向けの支度。タイムリミットが近くてパニック状態です。乾燥させているぴいぴいとひぬり鳩。招き猫のぴいぴいは、新しく、別のお手本に倣って起こした型のを追加して作ってみました。今まで作ってきた型と構図は同じですがプロポーションが異なります。この型の招き猫は、彩色パターンを複数確認していますが、これは涎掛け部分にハギレを貼り付けてあります。おそらくこうして目を惹こうとしていたのでしょうか。斑の薄墨の代わりにブルー系の染料を使っているのも目を惹く工夫だったのかもしれません。