東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

舞台裏(お見せしたことがない風景)

2018-02-24 23:01:05 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 頼まれて本当久しぶりに作る「虫拳」。これは先の巳年に作って出したもののひとつです。干支の中でも戌とか馬とか兎とか丑はそれなりに可愛かったり、親しみのある姿なので日本全国いろいろなところで土人形だの張り子人形だの、木彫りその他、昔ながらの造形があるものですが、巳となると可愛いものという感じではないので、昔からあっても気持ちのよい姿ではないし、可愛いから飾ろうという人はそう多くはないかと思います。昔の今戸焼の人形ではどうかというと、遺跡からの出土品を思い出しても、ほとんどないのではないかという印象です。結局先の巳年ではこれといった今戸の古典の決定版というお手本がないので4つ古典風なモチーフで創作したという感じでした。

 ひとつは、「成巳金」という言葉のとおり弁財天のご眷属ということで、よく知られているのが上野不忍池の弁財天から授与されていた「成巳金小判」の上に小判を咥えた白蛇が小判を咥えてとぐろを巻いている、という姿。

 2番目は三方の上に小判の山があって、その上に小判を咥えた白蛇がとぐろを巻いているという構図のもの。

 3番目がこの「虫拳」でカエルはナメクジより強く、蛇はカエルを飲み込むが、蛇はナメクジを飲み込むことができない(飲み込むと蛇の姿が溶けてしまう)と言われて「三竦み」になっている拳あそびのひとつの古い形なのだそうです。「児雷也」は黄表紙からはじまり、歌舞伎にも仕立てられた英雄譚として、時代劇映画にもなっています。歌舞伎の児雷也でおなじみの場面が橋の上でだんまり(歌舞伎独特の演出場面で暗闇の中で手探りで争い絡み合う場面)が有名で(といって最近舞台にのったという噺はあまり知らない)、児雷也が主役なので本当は真ん中にカエルが立つものだと思いますが、巳年に宛てて作ったので蛇が真ん中になるよう、またおめでたいよう宝珠を抱かせています。

 4番目は小さな今戸と思われる真っ黒な弁天様の琵琶をもった立ち姿があったのでそれを大き目に作り、袖に上に白蛇を乗せた構図のものでした。

 橋を作るため用の板チョコのような型に土を詰め、カーブをつけて太鼓橋風にするのですが、粘土がある程度乾いてくるまではへたってしまうのでこのように新聞紙を巻き付けたドラム状のものの上に置いて乾燥させつつ、別の型で抜き出した蛇とカエルとナメクジを貼り付けていきます。蛇が従来のように2枚の割型で抜き出して、バリを取ってつくります。ナメクジは一枚型。カエルは胴体を2枚型で抜いてバリを取ってから手足を手びねりで作って貼り付けます。

 カーブを付けているドラムは前回の巳年向けのときは蚊取り線香のお徳用の缶の胴を使いましたが、今回は家の奥からでてきた昔のブリキ製のくずかごがあるので使っています。イメージだけが先走って、あまりすっきりしない感じですが、将来的にもっとコンパクトになればすっきりするのでは、と思います。

 橋ごといつドラムからはずすかが、案外と微妙なタイミングで、乾きすぎると粘土の縮みのためヒビが入ることがあり、といって外してへたってしまっては困るので案外気を揉みます。

 山形へ出発する前にできるだけのことは済ませておきたいので、現在窯復旧以降に型抜きして乾燥させた人形たちも同時進行で素焼きしています。

 


歌舞伎揚

2018-02-22 04:19:53 | 日々

 昨日は木曜。来週の木曜は3月1日で父の一周忌法要を山形で営むので、その準備期間も1週間を切ります。父のお通夜や葬儀は今風に内輪で少人数で行うパッケージで専門家の方々に指示を仰いで執り行いました。四十九日と納骨は我が家の菩提寺とお墓がある山形で行うため、うちの本家の方々、お寺のご住職に教わりながら進めました。うちでは自分が生まれる前、曽祖母が亡くなった時以来不幸がなかったのと、親戚の冠婚葬祭すべて父が動いてくれていたため、全く常識的なマナーとか金銭的な処理など勉強しておらず、ひとりドタバタしていました。山形へ新幹線で向かうところで、遺骨を含め、お配りするもの、できたての本位牌等手がいっぱいで重くて大変でした。その原因の大きなひとつが配りものでした。葬祭の専門の方にすべてお任せでやればすっきりできてしまうものなのだと思いますが、「大切なのは気持ち」というこだわりもあって、デパートへ行って配るもの、お世話になる方々へお贈りしたいものなど自分で選んで、それらしく包んでもらったのですが、「あとに残らないものがよい」と聞いていたので、食べ物類。結局配るものとして選んだのが宇治茶と八女茶を飾り箱に詰めてもらったものと目に入った金沢浅田屋の「桜ごはんのもと」というスープと具が真空パックになったもの。そしてお世話になる方々へは虎屋の羊羹の詰め合わせ。人数としてはこじんまりしていたのですが、これらデパ地下で用意したものがあんなに重くなるとは考えていなかったので道中両手の荷物の重さででわが身が浮いてしまうような、余計に汗をかいたという感じでした。

 そして今回の一周忌。やっぱりお茶がいいけれど、もうひとつ何を、、と考えて思い出したのが父の大好物だった「歌舞伎揚」。これがあると機嫌よくビールを飲んでいました。大抵どこのスーパーでも売っているものですが、他の類似商品に比べると幾分値段もよいけれどおいしい。だた、袋入りをそのまま配るのもおかしいので、何とか箱詰めの形にならないか問い合わせてみたところ、工場に隣接する直売場であれば箱詰めと紙をかけてもらえる、山形の本家へ直接発送してもらえる、ということで工場のある武蔵村山へはるばる出かけてきました。

 赤羽から高円寺行のバスで野方まで。野方から西武線。鷺ノ宮で拝島行きの直通電車があり、座ってうとうとしていたらあっという間に玉川上水。駅前からイオンモール行というバスで終点まで乗って、そこから道を尋ねながら辿り着いたのでした。玉川上水駅が文字通り玉川上水のそばにあり武蔵野の林という佇まい。バスの車窓から桑の畑やネギ畑、西には五日市か青梅方面の山並みが見え、のどかだったところに工場やショッピングモールで開発されたような荒涼とした景色で「遠くに来た」という実感が湧いてきます。それと東京の西というとユーミンさんとかRCサクセションとかの歌枕があったり、「スローなブギにしてくれ」(大学にあがった年にロードショーになったような記憶)の舞台もこの近くだったりで、密集地帯の赤羽からは西方浄土に見えます。

 画像はコンクリートで固められた土地ばっかり写っていますが、足をのばせばもっと牧歌的な風景もありそうです。

販売所ではるばる赤羽から来たということでいろいろ親切にしてもらいました。亡き父が大好物だったので配りものにしたいという話をしたら。サービスしてもらいました。

 歩いてイオンモールに戻り、バスが来るまで中を覗いてみたのですが、こういうところ、郊外にあるアウトレットとかも行ったことがないのでこういうものなんだ、というお上りさん気分でした。帰りはバスで立川に出たので、ちょうど世界堂の立川店があるのを思い出し、粘土用の切り針や篆刻用の鉄筆を買っていきました。そういえば昔立川の五日市線のホームで「鮎寿司」という駅弁があったな、まだあるのかな?と思ったのですが疲れたのであきらめました。中央線で高円寺まで出て、赤羽行のバスで帰宅しました。

 そういえば、土地柄か、「肉うどん」とか「窯揚げうどん」とか武蔵野系のローカルっぽい看板の出た店が畑の脇に見えたのですが、どこも閉まっていて残念でした。

 


二の午 千束稲荷神社の地口行灯

2018-02-19 22:38:41 | 日々

 去る初午の日はとんだ勇み足できたが、やってきました二の午。普段と違って色とりどりの地口行灯が掛かっています。

 鳥井にかかっている「またぎ」の行灯、今日ではここ、千束稲荷と歌舞伎座内の歌舞伎稲荷くらいではないでしょうか。(ほかにもあったらご教示いただきたいです。)芝居の狂言に因む図柄のはずですが、何なんだかわからない。社務所の方にお尋ねしても「歌舞伎じゃないですか?」というご返事。まじでわかりません。(男狐は囚人着のように見えるんですね。顎まわりに無精ひげが描かれている。島流し?女狐はきれいななり。いろいろ考えてみて、「江島生島」か?でも自信ありません。わかる方、お教えくださいませ。)

 社務所の方は、わからなければ、あそこに解説版があるからご覧なさい。とお教えくださったのですが、最初からあんちょこを当てにしているんじゃつつまらない。自力で考えてみたのですが、どうしてもわからないものもあり、考えたあとのお知恵をくださいませ。

「新内 おめでとう」→「新年 おめでとう」

「おしどりで おさむしかろう」→「おひとりで おさびしかろう」

「大かぶ 小かぶ 山から小僧がぬいてきた」→「大寒 小寒 山から小僧が飛んできた」

「扇に団扇」→「大きなお世話」?

「こもの もろのう」→「こうの もろのう」(高 師直)※仮名手本忠臣蔵の登場人物もとは太平記の世界。実録の吉良に当たる人物。

「狐の豆いり」→「狐の嫁入り」

「かめ犬のくつもち」→「亀戸のくず餅}?

「梅づらしい おきゃく」→「お珍しい お客」

「障子のいなり」→「庄司のいなり」(浄瑠璃「芦屋道満大内鑑」狐葛の葉の世界?)

「かかさまや 此のうら口の戸をあけて」→「高砂や この浦舟に 帆をあげて」

「おのれ ひくいやつだ」→「おのれ 憎いやつだ」

「おたるは そこでなにしていやる」→「お軽はそこで何していやる」

※仮名手本忠臣蔵6段目の勘平か7段目の由良助のせりふ。または俗曲「どんどん節」?

「そこに いくのは お軽じゃないか 私しゃ売られていくわいな 、、、、」

「寒じるより ふぐがやすい」→「案じるより生むがやすし」

「かかしがわるけりゃ あやまろう」→「私が悪けりゃ謝ろう」

「鬼に片棒」→「鬼に金棒」

「ゑとばし」→「江戸橋」

「小犬竹のぼり」→「鯉の滝登り」

「おすもう てんてん」→「おつむ てんてん」

「きょうじのいなり」→「庄司のいなり」浄瑠璃「芦屋道満大内鑑」狐葛の葉の世界

「あとの号外先にたたず」→「あとの後悔先に立たず」

「藝気がよい」→「景気がよい」

「稲もかれれば ぼうにかける」→「犬も歩けば棒に当たる」

「狐たらのむ」→「狐忠信」

「あん汁より瓜が安い」→「案ずるより生むが安し」

「船頭殿 もつべきものは帆でござる」→「源蔵殿 もつべきものは 子でござる」菅原伝授手習鑑「寺子屋」の松王丸のセリフ

「雷舟の音のよきかな」→「なみのり舟の音のよきかな」

 

「うすから出たまこも」→「嘘からでた真」

「いしゃとり大手」→「飛車とり大手」?

「かめにうさぎが数々ござる」→「鐘に恨みが数々ござる」長唄「娘道成寺」の歌詞

 

「板きりむすめ」→「舌きり雀」

「馬の五郎時致」→「曽我五郎時致」

 違っていたらお教えくださいませ。

 

 

 

                            

 

 


二の午 浅草合力稲荷の地口行灯

2018-02-19 18:43:42 | 日々

 昨日、今戸の尾張屋さんのご墓所のお参りを済ませた帰り道、初午で早とちりしてしまった千束稲荷に寄るべく、山谷堀の暗渠沿いに北上していたところ、偶然見かけた地口行灯。合力稲荷神社とあり、山谷堀の畔、吉野橋と紙洗い橋(「冷やかし」という言葉の語源といわれる)の間に鎮座されています。

 鳥居の柱には「随身」の行灯が左右にかかっていました。最近珍しくなったと思います。ただ、描いた作者がわからないです。

 「甕垂れ」の波線の描き方、赤と紫のものは北千住の旧街道沿いにある「吉田絵馬屋」さんのものだと思います。でも紫が青に替わっているのは、パターンとしては絵馬屋さんのに似ていますが、どうなんでしょう。わかりません。

「大かぶ 小かぶ」→「大寒 小寒」「呑 大酒 三升 五合」→「南無大師遍照金剛」「大かめもちだ」→「大金持ちだ」はわかるけど、残りがわかりません。

「玉あげ がんほどき」→「あぶらげ がんもどき」?

「田っぽれ 々」→「かっぽれ かっぽれ」

「糸のくりみて 高うり なほせ」→「人のふり見て わがふり直せ」?

「し〇〇を ばらにしている」→「人をばかにしている」?

「おはぎのはしは 長けれど」→?

 

やっぱり変体仮名とか達筆だと読めないのもあります。もとの言葉自体を知らないものはアウトです。


お参り

2018-02-18 21:08:24 | 日々

 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のご命日は2月29日の閏年で4年に一度しか暦にあらわれません。前回の2月29日は東京で大変な雪が降り、ご墓所までの通路を雪かきすれど、ぼた雪が休む暇なく降り続き、せっかくきれいにした足場もすぐに埋もれてしまうという状況でした。

 28日までの2月であっても28日にお参りさせていただいているのですが、今年は亡き父の一周忌を3月1日に父の故郷山形で営むことになっているので、尾張屋さんへ前もって事情をお伝えしたうえで日を前倒しでお参りさせていただくお許しをいただきました。図らずも本日は春吉翁のお孫さんの故・武佑さんの奥様の3回忌法要が行われる由でしたが、お墓へのお参りはお許しいただきました。自宅から自転車で向かい、途中でお花を準備して今戸に着いたときには、既に尾張屋さんは法要を済ませお帰りになられたこと、お寺の方から伺いました。早速お墓にお参りさせていただき、既にお供えされているお花に加えて、持参したお花やしきみをお供えさせていただき、お線香をあげて合掌。

 お寺さんのハスキーくんまったり日向で昼寝をしていました。カメラを向けられるのが苦手だったはずですが、今日も撮らせてくれました。父の法要まで一週間余しかないので、尾張屋さんへのお参りを心配していたのですが、今日お参りできて何よりでした。

 


お雛様と仁和寺展

2018-02-17 00:07:04 | 日々

 今日は日中よい天気で寒さもそれほど感じられない自転車日和でした。自宅から王子、谷中経由で浅草橋の吉徳さんの「おひなさま展」東京国立博物館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展とをはしごして見学してきました。浅草橋の吉徳さんの本社ビルの4階には展示室があり季節ごとのテーマの展示をされていますが、現在「吉徳資料室」に伝わる素晴らしい雛人形や刷り物等が展示されています。中でもこの3代原舟月作の古今雛。玉眼入り江戸古今雛の白眉です。以降明治大正昭和の段飾り雛の基調となった人形と言われています。女雛の瓜実顔に切れ長の目俯き加減の姿。江戸の美人の典型なんでしょうね。

 資料室長の小林すみ江先生と暫しお話させていただいた上失礼して上野の山へ向かいました。吉徳さんの資料室は開店中であれば入場無料です。また明日から静岡県の藤岡市の博物館で吉徳先々代の山田徳兵衛さん(小林すみ絵先生のご尊父)のコレクションの展覧会が開催されるそうです。

 そういえば、上野広小路と末広町の間、中央通りのどら焼きの「うさぎや」さん列になって混んでましたね。行きに手土産の調達に寄ったのですが、店内のガラスケースにも雛や道具が飾られていました。

 博物館に辿り着いたのが午後5時15分頃。今日は金曜なので21時まで開館ということで慌てず急がず見学してきました。空いていたという感じではありませんが、混みすぎというのでもなく、ケースに入った小さな品だと見えずらいところもありますが、大きな軸物や仏様は観えました。仁和寺については京都で拝観したこともなく、NHKの番組で観たという予習しかなく、どちらかというと「嵯峨や御室の花ざかり」という一節(常磐津の「将門」(忍夜恋曲者・しのびよるこいはくせもの)のほうが耳に染みている程度でした。

 常日頃のよくない習慣で、キャプションとか解説は目が悪くてよく読み取れない(オペラグラスを持っていくべきでした)こともあり、もったないと思いつつ、興味を感じるものを優先に流れていったという感じです。(本当にもったいない)しっかりと観るためには一回ではなく、数回観ることが理想です。

 2メートルを超す一木造りの明王のような2体立像。大らかなゆったりたっぷりした量感が印象的。ポスターになっている千手観音の座像。千手が観音様の胴体背後から放射状に延びているのが、観音様の姿を大波が二つに分かれて浮かび出しているような感じで、昔の映画の「十戒」だったか、海がふたつに割れてそこから観音様が現れましますような感じにも見えます。お顔の表情が観る方向によって、また光線によって不思議と異なって見えるというか、微妙な表情です。眉陵のカーブがそれほどきつくなく、両方の眼の彫りの陰影が揃っていないというか向かって右の眼は瞳の彩色が見えるのに左の瞳は陰にかくれているような。正面から見上げて観音様の目線と合うようでいて、観音様の視線はご自分の内側に向かっているようにも見え、それってのはもっと深くて膨大なものへの視線なのかともいろいろ勝手に思いました。すぐそばに展示してあった如意輪観音座像のお顔の傾き加減と体の流れ、向かって左斜め下から眺めると最高というこれも勝手な思い込み。

 そうこうしているうち窓の外は真っ暗。自転車で谷中の寺町を通って帰宅しました。寺町の暗闇、東京とは思えない静けさ。あちらこちらで猫さんたちの声が合唱のように聞こえていました。


やりたいことがいっぱい

2018-02-15 01:49:53 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一夜明けて景色が一変しました。やりたい、作りたいと思うことがこれから存分にできるかもしれません。

早速、多くの方々からご希望のあるものをどんどん型抜きをし、素焼きして彩色していきます。

これまでやりたくともなかなか手が廻らずに皆さんにお待たせして申し訳ないと思ってもできないもどかしさ、申し訳なさでいっぱいでした。一度きに全部できるとも言い切れませんが、ひとつ枷がはずれた、という解放感、自由。 無理な使命感、気遣いもなくなった。

途中で凍結していた原型作りもいろいろ。

頭の中に溜まっていた案もこれからようやく実行に出られます。器用ではないので思うように漕ぎつけるかはわかりませんが、自由になった身であれもこれもまずは実行していきたいです。

 思わず舌なめずり。


真夜中の狐の型抜き

2018-02-11 03:11:36 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 午前3時の型抜きです。昨日一文雛が出来上がり、梱包して仙台に発送し終わったので、次はべにやさんへの「犬」と「鞠猫」の彩色ですが、昨日、浅草被官さまからご連絡をいただき、鉄砲狐の型抜きも始めています。鉄砲狐に関しては昨年末のお納め以来作業していなかったので、これが今年に鉄砲狐の仕事始めになります。抜き出してまだバリ取りもしていない状態です。少し置いてやや固くなってからのほうがバリを取りやすいのです。作業用の照明の光が後ろから当たっているので逆行で狐の前面が真っ暗になってしまいますが、かえってシルエットとか抜きたての粘土の質感が見えて面白いと思ったのですがいかがでしょうか。鉄砲狐の型抜きで自分に課しているノルマは一日あたり20体(対にして10組)。これが自分にとってのマックスでもあります。今日は十五夜さんが構ってほしいと、狐の上を飛んだり跳ねたりしているので、ノルマの半分で終わります。


一文雛二種

2018-02-10 00:19:33 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 ただ今塗りあがりました。出来立てで湯気立っている状態ですが、早速並べてみました。

右が江戸末から明治くらい出来と思われるボロボロの一文雛を手本に作ったもの。左は最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)が生前お作りになられた「江戸一文雛」をお手本としたものです。

 小さいほうが簡素でいかにも一文で売られていた感じなのかな、と思いますが、女雛の衣のワインレッドのような色は結構手間です。先にまだ「きはだ」(黄柏)の煮出し汁を7回重ね塗りした黄色の画像をアップしましたが、その上に「蘇芳」(すおう)の煮出し汁を5回重ねて出た色なんです。玉台の配色がこれが決定版というわけではありません。上面のような白緑(びゃくろく)一色で前面に繧繝(繧繝)を入れないパターンも見たことがあります。

 尾張屋さん風の一文雛表情が難しいです。力が抜けた寝せたような筆の運び。形のいびつ感もお手本に従って追いかけたつもりですが、、。玉台の配色配列は尾張屋さんのお手本のとおりです。これ随分前に型を起こして作り始めたものなのですが、いつもお世話になっています浅草橋の「人形は顔がいのち」の吉徳資料室の小林すみ江先生に観ていただいたときに「玉台の配色がいかにも江戸好みな感じですね」と仰ったのを覚えています。戦前に尾張屋春吉翁がお作りになった配色をお手本にしたので、それが江戸好みになるのならうれしいと思いました。

 背面、男雛の裾の白く塗り残した部分。複数の春吉翁の作を観ていますが、気まぐれというかその時々に筆の入れ方が異なっていることがあり、このように男雛の裾を真っ白く残すケースと裾の縁に灰色の線を入れたケースを観ています。

 これまで自分で手掛けた今戸人形の昔のお雛様としては「裃雛」もあるのですが、今回は窯の問題もあり手がまわりませんでした。また他にもいくつか別のお雛様も今戸にはあったし、浅草雛とか乾也雛もあったのでこの先挑戦してみたいです。

 


一文雛づくり

2018-02-08 21:48:59 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 仙台光原社さんから「雛の催事」向けに頼まれている一文雛を急いで塗り進めているところです。

 上の画像は小さいほうの一文雛で女雛の衣部分が黄色く発色しているのは、きはだ(黄柏)の煮出し汁を重ね塗りしてこの上から蘇芳(すおう)の煮出し汁を重ねて塗るための地塗りともいえます。蘇芳自体は黄色の地塗りなしでは冷めた紫のように発色するので、黄色の下地を作ってはじめて赤味の発色が得られるわけです。場合によっては途中から蘇芳にキハダを混ぜる場合もあります。植物性の色なので画像の黄色になるまできはだを7回重ね塗りしました。ちなみに女雛の冠と檜扇の部分の黄色は泥絵具の黄色です。明治はじめ頃までは体に有害な石黄(硫黄系)で塗られていたと思われます。男雛の袍(ほう)は墨で黒く塗ります。

 もうひとつの一文雛は今戸人形最後の生粋の製作者であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった「江戸一文雛」として世に出された人形をお手本に作っているもので、かなり久しぶりです。色塗りの手数は上の小さな一文雛に比べると圧倒的に多いですが、難しいと思うのは面描きです、三角眼風に筆の腰を太く引くという面描きともちょっと異なり、ラフに寝かせた線というのか本当に難しいと思います。画像に写っていませんが、女雛の背面の裳部分には姫小松を3つ描きます。

 尾張屋さん風の一文雛の彩色は8割方進みましたが、これから小さいほうの雛の蘇芳の重ね塗りを進めていきます。そのあと玉台に繧繝(うんげん)べり風な縞に塗り分けて本体の人形と組み合わせます。

 光原社さんの催事は始まる次期なんですが、年末の窯の不調のことをお伝えしたところ、遅れてもよいので送ってほしいとのことで、それでもあんまり迷惑をおかけしないよう、急いで完成させたいと思っています。

 


王子稲荷の凧市

2018-02-07 23:01:23 | 日々

 本日初午です。実を言えば「勇み足」で「地口行灯」を観に午後自転車で一路「千束稲荷神社」を目指したのですが、着いてみると境内が普段のまま。ご神職様に伺えば、うちは二の午で飾りますとのこと。ついでに吉原神社のほうはどうなんでしょうか?とお尋ねすると午前中まで飾ってあったらしいですが、片づけたみたいですよ、。というお話で帰路につくことにしました。念のため金杉の「三島神社」にも寄ってみましたが、お祭りらしい飾りはありませんでした。根岸→日暮里→駒込→西ヶ原→滝野川と経由して道端のお稲荷さまにも注意したのですが飾りらしいものはありませんでした。そして王子。いつも裏道から抜ける習慣が身についているので権現様から亀山経由の王子稲荷の南口に出たら、ちょうど凧市でした。

JR王子駅から王子稲荷、名主の滝へと続く「森下通り」日頃はひっそりしているんですが露店でにぎわっています。

 本殿の飾りつけ。万灯みたいなものが気になって近寄ってみると、、、

 王子稲荷幼稚園の園児さんたちによる貼り絵でした。昔のことはわかりませんが、この万灯式の飾りの胴が地口の行灯であったかも、と勝手に想像します。因みにこの万灯風の飾りは8月の王子権現の「田楽舞」のとも似ていますね。

 境内には露店が3軒。文字通りの凧屋さんらしきはこの一軒だけ。もう一軒趣味縁起物風の店はあるんですが、、。以前がもっとあったように記憶しています。「火伏の奴凧」といいますが、前垂れの赤い線が「火」に見えるデザインになっています。そういえば昔の今戸人形に「奴さんのぴいぴい」がありますが、奴さんそのものというより奴凧なのか「火」の文字風の彫りがあります。小さな奴凧をまとめて括ってドーナッツ状になっています。すごいと思いませんか。売りながら、少しずつドーナツを解いていくんですね。

 本殿の向いに資料館があり、凧市のときだけ開いているんですが、案外穴場。隣が有料のお茶席になっているんですが、扉を開けて入る人があまり見られません。これ柴田是真 筆の「茨木童子の図」扁額です。

 これは12月31日王子装束稲荷から王子稲荷まで行われる「狐の行列」で使われる大きなお面飾り。ただお手本になっているお面が東京のものではなくて右のは姫路張り子のがお手本ですね。一応東京なんだから江戸式の狐面にすればいいのに、、と思うのですが、江戸の狐面は怖い顔だからという関係者のお話を以前聞きました。

 落語に「王子の狐」という噺があり、狐の親子に由縁の狐穴が本堂の裏にあります。昔から江戸の市中から行楽で出かけてきたという土地なので、昔は王子のお土産玩具に「紙のからくり」がありました。神社から今授与されている「暫狐」はその名残です。明治の「うなゐの友」に描かれている「暫狐」、江戸の錦絵に描かれている「相合傘」昭和の初め有坂与太郎のデザインした「勧進帳狐」などいろいろあったみたいですが。昭和には宮尾しげを画伯の原画による「暫狐」が定着していたのですが、自分が高校生の頃現在の新デザインになってしまったように記憶しています。王子独特の土の狐も戦前までありました。

 食べ物としては、この辺りは里芋とか八つ頭とかが産物として売られていたとか、古くはお茶の産地でその後お茶は狭山のほうに移ったとかという話を「石鍋くずもち屋」の大女将から聞いたことがあります。一時拙作の紙からくりや狐の人形をくずもち屋さんで取り扱ってもらっていた時代がありました。

 帰りに確実に地口行灯の掛かる中十条の「八幡神社」や赤羽西の「道灌山稲荷」に寄ろうと思っていたのですが、疲れたので東十条の餃子屋で一杯やって帰りました。


アンド プレミアム(2018年2月号)

2018-02-06 19:22:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 昨日夕方、王子装束稲荷神社へ招き狐のお納めと、その向いの「暮らしの器 王子 ヤマワ」さんへ若干の狐ものの人形をお渡しに出かけてきました。そのあとちょっとした解放感で東十条の中華屋さんで食べ呑みして帰宅しました。ブログへKaratさんからコメントをいただいたという通知あり拝読すると、雑誌に拙作の鉄砲狐が載っていたとのお知らせ。その雑誌自体これまで知りませんでしたし、どういう感じなのだろうときになりました。

 今日は地塗りの胡粉がなくなってきたので神田の絵具屋さんへ自転車漕いででかけたついでに神保町だったら例の雑誌があるのではないかと寄ってみたのですが最新号ではなくて前号らしいので取り寄せしかない、ということで、それなら池袋のジュンク堂ならバックナンバーで置いてあるので神保町から飯田橋、江戸川橋、護国寺、目白台、雑司ヶ谷経由でなるべく上り坂を避けるコースで池袋に辿り着きました。帰りは西巣鴨、滝野川経由で帰宅しました。ちょっと疲れた、というか普段運動不足なので疲れを感じるだけ体には悪くはないかと思います。

 さて件の雑誌「アンド プレミアム」(2018年2月号)ですが「BRUTUS」と同じマガジンハウスから出版されている雑誌なんですね。「心を鎮める、美しい聖地へ。」という特集タイトルの中に「Nippon Fukumono Guide」というコーナーの中の「縁起のよい動物」というセクションに浅草被官稲荷から授与されている「鉄砲狐」としてとりあげられています。それで納得。

 執筆は「BRUTUS」のライターさんがされたもののようです。

 明日は初午(稲荷祭)。関八州の稲荷の総元締めの王子稲荷前を通過しましたが、「凧市」の看板が立っていました。次のお雛様をいそがなければならないところですが、久しぶりに「地口行灯」を観に行きたくなっていて、やっぱり「地口行灯」に関しては浅草の「千束稲荷神社」が一番たくさん並ぶのと「またぎ行灯」というものは今となってはここか歌舞伎座しか見ることができなくなっているので天気がよければまた自転車を漕いで覗きに行ってみたいです。


初午直前

2018-02-04 21:48:21 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 あっという間に本日は立春です。あさってはもう初午。お稲荷様の大祭です。急いで王子装束稲荷さまにお納めする招き狐を塗っているところです。自分でも数えるのがわからなくなってきていますが、大晦日の「狐の提灯行列」に因んだ狐の土人形を作っては、という地元の郷土史家のおじさんや装束稲荷奉賛会のおじさんのご意見で作りはじめたもの。この狐の姿は、昔「竹とんぼの会」という郷土玩具の会に入っていた頃、袴田さんや牧野玩太郎がいらっしゃった頃、頒布品に時々出てきた焼の入っていない招き狐を参考に作ったものです。はじめての「狐の行列」向けに出した当時は今戸の「鉄砲狐」式に底が空いた作りで、赤部分は古風に見えるよう朱色で塗っていました。その後、ガラを入れるようになり、赤部分に予め黄色を置いてから、赤を意識的にずらして重ねるようにして今日に至ります。日本民藝館展に出品した際には地色としてキラ(雲母粉)を置き、黄色はキハダ(黄柏)、赤は蘇芳の煮出し汁で彩色しました。

 年末、大晦日までにこれらの招き狐を完成させて納めるはずでしたが、窯が稼働しなくなり、素焼きできなくなり、事情をお伝えして今度の初午までにというお約束したのがやっと実現しそうです。