東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

土の焼き色

2013-07-28 18:18:03 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011231 しっかりと乾燥させた人形を窯に詰めて素焼きを済ませた木地です。これからは籠に入っているような鉄砲狐を集中して夏中に目標数を達成させたいのですが、このように焼きあがった素焼きを仕事場に山積みできないので、一部自宅に置いています。ここは十五夜さんの物干しで、ずーっとこうやって置いておくのではなく、一時的に置かせてもらったところを撮りました。

 おかめの火入れの木地の色といい、今回の土の素焼きした土色は赤みを帯びていかにも東京の下町の土の色といった感じがしてうれしいです。

 土人形に限らず、本流の植木鉢や焙烙、火鉢など生活雑器を焼いていた昔の今戸焼屋さんたちは、今戸から浅草田圃などの下から採れた土を使っていたということですが、宅地化により、地元で採土できなくなり、隅田川対岸の寺島辺り、更には戦前には荒川の向こうの葛飾辺りの土を使っていたということです。いずれにしても、土を採った地点によって、土のきめや粘りに差があったことでしょうが、東京の下町の川沿いの土地の土というのは多かれ少なかれ素焼きすると赤っぽくなります。

 日本各地の焼き物全般についてはわからないですが、焼き物の盛んな土地にあっては、優れた土が手に入るという理由で築窯され盛んになるというストーリーになっているのではないでしょうか。その中にあって今戸焼の場合地元の土は高温の焼き締めには使えないとか聞いていますし、製品によって、地元の土と西のほうから取り寄せた土とを使い分けていたということです。土人形や植木撥、焙烙、瓦などには地元の土、お茶道具には取り寄せの白く焼きあがる土を使うことが多かったようです。 不思議でもあり、おもしろいと思います。素焼きの土人形に泥絵の具で彩色する「今戸人形」は古いものを見るとまず地元の土でできています。但し、箱庭細工だとか笛(鳩笛など)で透明の釉薬をかけて焼くものには白い土が使われる例もみられます。


夏の仕事

2013-07-28 17:50:12 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011230 海びらきがされて、ビーチで海水浴を楽しんでいる人々の姿がニュースに流れるようになって、ほとんど真夏といってよいのでしょう。確かに暑いですが、まだまだこれからもっと暑い天気になるような気がします。

暑い時にも使えるというジェル状膠を先日みつけたので、どうしても、という場合にはそれをつなぎに絵の具を使うこともできるかと思いますが、昔の職人さんたちの季節に移り変わりに沿った仕事の仕分けというのは、季節ごとの気候と扱う最良の特質とを見極めて動いていたはずで、そういう理由から、この時期には絵の具や膠を使う工程よりも、土を精製したり、練ったり、型に詰めて形を起こして干す、乾燥したら、素焼きをして貯めておく、といったあたりの仕事が中心だったはずです。自分でもそのとおりに動くことが一番適しているんだと思います。

 

 浅草三社様裏手の被官稲荷神社へお納めする鉄砲狐は年3回に分けて一定数ずつというお約束になっています。まさに夏の間に1年分の素焼きまでをプールしておいて、あとは涼しくなってから納期前に3分の一ずつ彩色するようにしています。昨年焼いておいた残り分がわずかありますが、それに作り足していくとしてもまだまだ半分にも達していなさそうなので、もう少し気持ちを引き締めて一日あたりの抜き出し数をもっとふやさなければ、と思っています。

 材料の土も鉄砲狐用に石膏吸水鉢で水気を抜いて粘りを出すため、発泡スチロール製の蓋付箱に貯めて備えていますが、昨年の経験では、まだまだ目標数をあげるためには巨大なバケツ一杯分くらい以上、濾した泥を寝かせておく必要があるので、毎朝泥をかき回しては篩にかけて濾しています。

 例年新年の干支向けの人形は遅い出だしになってしまうのを反省して、今年は早めに、と思って、一種類目だけは原型や一番型は用意できています。サンプルとして抜き出して乾燥素焼きして塗る予定ですが、他の型も作っておかなければと思っています。


新築の歌舞伎座

2013-07-14 21:12:20 | 日々

P1011225 四月にこけら落しとなった新しい歌舞伎座。芝居好きのひとりとしては、行きたいと思いながらもチケットの景気のよさ(入手困難という噂)やら、現在の我が身の経済状況などから全く出かける機会がなかったのですが、昨日懇意にしていただいている方からご招待をいただき、はじめて中に入ることができました。

 銀座へも随分久しぶりで、人ごみの中が苦手でもあり、有楽町の駅から裏道を通って、辿りついたのでした。かねてより、新・歌舞伎座は前の建築とおりに新築すると聞いていましたが、なるほど外観はほぼそのとおりにできているんですね。客先に入って、一幕見や3階の座席からも花道の七三が見える様になったのはめでたいことです。ちょっと欲をいえば、せっかく昔の歌舞伎座を再現するのだったら、関東大震災後に建てられた当時のオリジナル型の中央の破風を再現したらいいのにと思いました。

 2階のロビーの吹き抜けも大体昔のような感じです。ただ今まで階段だったのがエスカレーターになって上り下りできるようになったのは便利ですが、昔の歌舞伎座を思い出すと、新場内にはまだ不慣れな感じがしました。

古典芸能だとか、伝統工芸とかの世界というのは、「昔はよかった」という価値観によって現役世代の人間がどれだけ昔のよさに追いつけるかという目標を持って精進する性格のものなので、役者さんも昔の名優と言われる役者さんは神格化されて、その役者さんの演出なり型を継承しつつ演じるのが正しい継承なので、いくら家柄の役者さんであっても、いきなり自己流に勝手に演じると変てこになってしまうんですね。観客の側にも「昔はよかったけど、、、」という言葉がつい出てしまうけれど、昔の良い芝居を観たというひとには敵わないです。

 私が歌舞伎座に通うようになった中学生の頃はまだ「団菊じじい」(9代目團十郎と5代目菊五郎を観た)という人たちはまだいました。またそのあとの世代の「菊吉じじい」(6代目菊五郎と初代吉右衛門を観た)という人がいました。

 ご招待いただいて見てきた出し物は「四谷怪談」の通し。菊之助の四谷さまは結構突っ込んで演じていたのであとで幽霊になるまでの無念さというものが思っていたより出ていてよかったと思います。「この恨み晴らさでおくべきや。民谷の家を根絶やしに、、。」という四谷さまの執念はそれなりに通っていたと思います。もちろん故・歌右衛門さんのような「疑着の相」レベルをというのは今後の再演を重ねてからの楽しみです。

 四谷様の芝居を観ていて、ふと我が身に重なって感じてしまい、ふと我に帰るということを繰り返していました。「日頃邪険な伊右衛門殿」ではなくて「てるこ殿」やら「秀樹殿」。「民谷の家を根絶やしに、、」ではなくて「小○の家」「堀○の家」を、、、、。こればかりは、「陥れられた立場」ならではの口惜しさ無念さ。四谷さまを観ていてこういう感情が湧いてきてしまう今日このごろです。


饅頭喰い

2013-07-08 23:56:14 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011213 GWの中日頃、名古屋からはるばる私の仕事場へ立ち寄ってくださった方からのご提案で、名古屋の土人形の最後の作者であった故・野田末吉さんの型から抜き出して、自分の好きな風に彩色してみては、、とのことだったので、たまにはちょっと自分の楽しみとして型をお借りしてやらせていただくことになりました。まだ数を揃えて抜いていませんが、ちょっと試し塗りしてみたくなって塗ったのが画像の人形です。

 

 今戸では饅頭喰いの人形は作られていなかったと思われ、伝世品、出土品ともに、これといったものが記憶にありません。ただひとつ、昔お世話になった湯島にいらしたHさんが小さな饅頭喰いの人形を持っていらして、今戸かもしれないと仰っていらしたのを憶えています。今戸だったのか或いは大阪の住吉辺りのものだったのかよくわかりません。

 

 楽しみとして塗るにせよ、あんまりアヴァンギャルドなのは好きではないので、昔の今戸の人形の童子や娘ものの彩色パターンでやってみようと、ひとつ塗ってみました。ご存知の方にはすぐお分かりになるかと思いますが、「羽子板持ち娘」の裾模様を意識して塗ってみました。流石に名古屋の名物の型だけあって、どういう描彩をしてみても、名古屋の特徴から離れることは難しいように思う反面、面描きの筆の運びやすいこと。筆は吸い付くように滑るのは流石に型のよさなんだと思います。全体をぱっと見て、今戸という感じはしません(それだけ形に名古屋の特色が強く出ている)が、裾模様だけは今戸の古いパターンのひとつだと気がついてくださる方がいらしゃるとうれしいです。これが定番というわけではないので、他にも違う色違う模様も試してみたいと思います。


かみなり

2013-07-08 23:33:23 | おともだち

P1011214 昨日も今日も夕方に天気が不安定で激しい雷と雨が続いてました。今日の雷のときには仕事場にいたのですが、ゴロゴロいう音が余りにも強く近い感じなので、自転車で自宅に戻るのを躊躇していたのでした。

 後でニュースで知ったことには、すぐ近所の荒川と隅田川の間の河川敷に植わっている木の下で雨宿りしていた人に落雷したとかで、お気の毒ですが、どおりでゴロゴロいう音が近く感じられたわけです。

 小止みになったのを見計らって自宅に戻り、十五夜さんのところへいくと、腹ばいになって雷の様子にびくびくしているようでした。音が大きく聞こえると、窓から遠ざかるように部屋の隅へ避難したりもします。

 十五夜さんもかつては、今日の事故現場の近くにいた時期があるので、雷の怖さをよく知っているのかもしれません。外の猫さんたちもどこかへ避難して、雷の去るのを待っているのでしょうか。


神田猿楽町界隈

2013-07-08 23:20:44 | 散歩

P1011208 このところ自転車で遠出することが増えています。実際体によいのかわかりませんが、じっとしているよりが動いたほうがいくらかましなのでは、血行がよくなってくれて痛みによいのでは、、、という裏付けもない発想でそうしているのですが、、、。

 昨日の日曜日、午前中のひと仕事のあと、急に決心して駿河台下にある「山形の冷やしラーメン」を出しているという店へ自転車で出かけてみました。気温34°もあったんですね。でも風を切って自転車で走っている分には幾分楽な感じで、むしろ信号で止まったり、店に入ったりするときのほうがジワーっと滝の汗が吹き出してきます。

 画像のカトリック教会裏側からの眺めなんですが渋いですね。赤羽にも名物のカトリック教会がありますが、赤羽のはゴチック風なのに対して、ここのはロマネスクっぽい?全然勉強していないんでとんちんかんかもしれませんが、、。日曜の昼下がりの神田の裏通りはガラーンとして人気が少なく静かすぎるくらい静かでした。P1011209

 教会のすぐ近く、古めかしい交番?現役ではないようですが、建物はしっかりと残っています。(交番ではなく別の建物でしょうか?)

 急に思い出したのですが、子供の時分交番とか病院の玄関先の門灯の笠は球体のガラス製のが多かったような気がします。病院だとその球体が真っ赤で、何か血を連想させるようなちょっと怖い感じがしたものですが、交番の笠は白だったか赤だったかはっきり思い出せません。画像の建物の照明は別のものになっているようですが、、かつては球体の笠だったのではないか、、?あまり大事なことでもないのにやたら気になっていました。


てんてこ舞い

2013-07-08 22:59:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011210 とうとう本格的に夏ですね。東京の最高気温が34℃というのもまだ8月でもないのに信じられないというところです。

 画像をご覧になって暑いのに膠大丈夫?とお思いになられる方もいらっしゃるかと思います。従来の膠だとこの天気では冷房にしても効かなくなるし、腐ってしまいます。実はついこの間、ゲル状でボトル入りで販売されている「京膠」というものを知りました。この膠には防腐成分が配合されているのと、常温で置いていても大丈夫なんだそうで、この天気でもボトルから絞り出した状況ではゲル状です。湯煎にかけてはじめてトロトロになるのですが、冷めると自然と固まっています。相応しい言葉の表現かどうかわかりませんが、今まで使っていた膠に比べると固まる温度が高いので、この天気で部屋置きしても傷んでしまうことはないわけです。

 もちろん今塗っている分を片付けたら、夏場らしく土いじりモードに入るつもりです。娘河童や虎加藤、赤鍾馗などを久しぶりに塗っています。これも以前より小さくしました。ぴいぴいを作るのもかなり久しぶりです。今までの経験から反省して、以前のものよりも鳴りがよくなるよう工夫してみました。鞴の伸縮が重くなった分、笛を鳴らす風圧が強くなったのでよく鳴きます。

 早く絵の具を片付けて、三社様にお納めすべき鉄砲狐などの型抜きをどんどん進めなければと焦っています。

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