9月はふたつの催事で前日まで手いっぱいだったので、体が空く千穐楽に予約を入れて出かけたのでした。楽しみは夜の部の吉右衛門丈の「逆櫓」でしたが、期待どおりのすばらしい舞台。あとで知り合いの見巧者の方のご意見ではお父さんの故・白鸚丈の舞台のほうがもっと手強くでよかったというご意見でしたが、浄瑠璃の世界の人情の綾の表出ということでは、吉右衛門丈たっぷり演じておられすばらしいと思いました。権四郎を演じられる歌六丈も突っ込んで演じられて、よかったです。女房およしの東蔵丈、最近老けにまわっていられたので、役のイメージからは立派すぎ?という印象ではありますが、安定感ということでは流石です。こうした浄瑠璃の世界でアンサンブルよく上演される舞台はこれからは吉右衛門丈一座以上のものは望めないという意味で超貴重。夜の部、2等席で観ていたのですが、正直この「逆櫓」だけで大満足でした。これは余計かもしれませんが、次の「桜姫清玄」は正直しんどくて最後まで見ていられなくて序幕で帰りました。歌舞伎の古典演目の演技とか筋とか演出とかをカタログ的に網羅されている内容なんですが、それだけにカタログ的な内容を次から次に並べて出されるような感じで、芝居としてゆっくり味わうという感じにはなっていない印象で、周りのお客さんたちはゲラゲラ笑って受けていたようですが、自分としては辛かったです。例えていえば、オーソドックスな松花堂弁当を提供されれば、その中身だけで、「もっと食べたい」と思う腹八分目でおいしいと思うくらいが幸せなんですが、弁当箱の中に、酢豚や麻婆豆腐やらカレーライスまで入っていて肉団子からエビチリ、サーロインステーキからアイスクリームまで入っていたら、せっかくの炊き込みご飯と炊きものと香の物、お作りでおいしかったのに気持ち悪くなるといった感じで消化不良になってしまうという感じです。しかし、「逆櫓」だけで満足だったので切符代を損したという気持ちではありません。余計なことですが、歌舞伎興行の演目立で「つく」(ダブる)ということがあるんですが、9月の夜の部に限って言っても、「逆櫓」で後半タテがあるのですが、次の「桜姫清玄」の新清水でも奴のタテがあり続けて出てくると食傷ぎみになってしまうんでは、と思いました。でも本当に「逆櫓」だけで満足満足。