最近とんと芝居に積極的に出かけるのいうことが少なくなりました。正直言って、あれが観たい、絶対観ておかなければ、、という食指をそそる狂言とか配役というものが多くはなくなってきている、、ということか、、。
歌舞伎に限らす伝統芸能、伝統工芸みたいな分野ではどうしても「昔はよかった」みたいなことを言うお年寄りだとか年上の人が常にいるもので、自分で歌舞伎を観始めた昭和50年代はじめにはまだ「團菊爺い」(明治の劇聖9代目市川團十郎と5代目尾上菊五郎を観たという人)がまだ辛うじていました。その次の世代で「菊吉爺い」(昭和の名優6代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門を観た人)というのがいて「昔はよかったが今は、、、、、。」とため息交じりに聞かされることがありました。 自分の10代から20代頃までに観た狂言(演目)や配役であのときはよかったすばらしかった、、という記憶はやっぱりあります。
こんなこと書くいておいてじゃあ何だ、といわれると変ですが、、。「團菊祭」というのは明治の劇聖「9代目團十郎と5代目菊五郎を偲んで戦前歌舞伎座ではじめられた興行で戦争によって一時中止、私が歌舞伎を見始めた昭和50年はじめに再開した興行です。
一昨日懇意にしていただいている方からご招待をいただいて歌舞伎座5月興行の「團菊祭」昼の部を観ることができました。カメラを持っていくのを忘れたのでもらってきたチラシの画像です。昼の部の4つの狂言(演目)。何といっても「眼福」であったのは最後の「楼門五三桐」。歌舞伎の演目の中でも代表的なものであると同時に上演時間10数分間の極く短い筋というものもないようなもので、動く錦絵といったもの。役者さんの貫目と技芸だけで見せるもの。吉右衛星丈の五右衛門と菊五郎丈の久吉。 五右衛門のでやっとした大きさとあの名せりふ。「見せて聞かせる」これ以上の五右衛門はもうないでしょう。観ることができてよかった。ご招待だったので自腹を切ってはいませんが、この狂言ひとつで昼の部の通しのチケット代の値打ちはあったと思います。「寺子屋」劇のつくりで自然としんみりうるうる来るようにできている演目ではありますが、菊之助丈の千代大当たり。海老蔵丈の姿のきれいなこと。改めて思ったのですが、この芝居、千代と戸浪と源蔵が支えている芝居なんだなという感じがしました。この3人で涙をさそうようになっている。菊之助丈と時蔵丈の「十六夜清心」も面白かった。
よく歌舞伎興行の演目の並べ方や趣向で「つく」(バッティングするに近い感覚)という話題となりますが、今月の歌舞伎座の場合、
①昼の「鵺退治」と「楼門五三桐」では屋台のセリ上げでつく。
②昼の「十六夜清心」と夜の「三人吉三」は共に黙阿弥作。共に川端で月が出る。名せりふにかかる合方(お囃子)も似ている。
③昼の「楼門五三桐」と夜の「男女道成寺」は共に満開の桜でつく。
④昼の「楼門五三桐」の大薩摩の演奏と「鵺退治」でも大薩摩がかった地を使う。
⑤昼の「寺子屋」では門火で「焙烙」を使い、夜の「三人吉三」では土器を割る。ともにかつては当然のように今戸焼屋で誂えたものでした。(現在は品質を理由に今戸焼ではなくなっているらしい)、、。芝居と今戸焼とのつながりがなくなってしまったというのは悲しい現実。
久しぶりに銀座へ出て、昼は「弁松」のお弁当。芝居が跳ねてから「鳥ぎん」で焼き鳥と釜飯で一杯やって楽しく帰りました。