東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

桑の実

2013-05-27 00:09:24 | 日々

P1011168 このところとてもありがたい意味で忙しくなっています。急いでたくさんの型抜きをしたり乾燥させたりで朝から夜まで忙しいです。ちょっと息抜きを兼ねて荒川の川原にいい粘土でもみつからないかと出かけてみました。

 生憎粘土のよさそうなのはみつけられませんでしたが、今の時期、桑の木に実がついているんですね。これらの木はもともと上流から流されてきたものが根付いたものだと思います。天気がよいので、ジョギングとかサイクリングとかで川原を往来する人は少なくはないのですが、こういうものをみつけて喜んでいるのは私くらいのようです。

 早速熟れた黒い実を食べてみましたが、そこそこ甘味があります。熟していない赤い実はまだ酸っぱいです。もったいないので、近くのコンビニから袋を買ってきて、摘んで帰りました。

 うちの母は戦中学童疎開で群馬にいたそうで、桑畑から桑の実をもいでつまんで叱られたという思い出話をよく聞かされます。当時としては甘いものもなかったでしょうから、こうした実ひとつでも口福だったことでしょう。持ち帰った実を洗って早速母に味見させてみましたが、あんまり喜ばれないのでつまらないです。残りはひとりで食べてしまいましたが、お菓子を食べるよりはいくらかマシなのでは、と思いました。P1011169

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緑の風

2013-05-19 03:22:46 | おともだち

P1011162_2 もうすぐ梅雨入りと聞くと憂鬱になります。

先日のびっくり猛暑の日に比べると、昨日はつかの間の軽井沢日和という感じでした。たしか三社様のお祭りではなかったでしょうか。

 

 涼やかな風を十五夜さんの部屋に入れようと窓を全開。物干しの景色が昨年とはまた変わっています。一番の変化は「ふじばかま」の鉢と「みそはぎ」の鉢にもっとお天道さまを当ててあげたいので、手摺の外側に金属製のラックを固定して外に出したこと。その分「桔梗」や「みつば」にもお天道さまがよく辺りすくすく育っています。ちょっと困っているのが「みかんの種」や「りんごの種」を埋めておいたものがみんな発芽したので間引きして他の鉢に植え変えたりしたのが数が多くなりすぎてしまったこと。ごみで燃やされるより蒔いてあげれば生き延びることができると思って、、、、。大変なことに、、、。

 それはそうと十五夜さんも自分の家の中で昼寝していたのですが、起こしてしまいごめんなさい、マットの上にごろんとしてたわしで撫でてと催促しています。

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視線

2013-05-19 03:04:49 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011164_2 乾燥中の「丸〆猫(嘉永安政風)」(緑)と「本丸〆猫」(グレープカルピスみたいな模様)です。

 

 よだれかけの縁部分の黄色はキハダ(漢方薬の黄柏)を煮出した汁を重ねて塗った色です。

 これらの人形についてはHPの「飾り棚」という欄で記してはいるんですがここでも能書きを記させてもらいます。

 嘉永安政型は新宿の遺跡から出土したものを参考にモデリングしたものです。本丸〆猫は文京区の遺跡から背面だけ出土したものを参考に形は丸〆猫とほぼ同じな感じであろうと想定してモデリングしたものです。

 どちらも形としてはほぼ同じ。出土の現物の形からこれらの招き猫は「棚の上に置き、下から仰ぎ見ることを前提にモデリングされているのだろう」と思って瞳を入れているのです。

 画像を観ていただくと、どの猫さんも瞳が下目づかいになっていますでしょう。これはとりあえず意図的そうして入れているのです。山梨県の甲府にだるま屋さんがあって、そこで作られる張子のだるまはやっぱり、棚の上に飾られることを考えて下目づかいに瞳を入れているんです。面白いなと思っていたのですが、画像の猫さんたちをはじめて作ったとき、眼入れで普通にいれても何か変だなと試行錯誤してみた結果、モデリング自体が上から見下ろすようにできているんだな。と思ったわけです。

 嘉永五年の「藤岡屋日記」には、丸〆猫の大流行のことについて記録されていますが、①丸〆猫は浅草寺三社権現(現在の三社様、浅草神社)の鳥居横でお婆さんによって売り出されていた。②丸〆猫誕生の物語の主人公は浅草寺梅園院境内(現在の仲見世左手にある梅園しるこ辺り)でひねり土人形を作っていた老夫婦のお婆さんと飼い猫。(武江年表の話だと花川戸のお婆さんと飼い猫)③丸〆猫をお祀りして心願するときは、赤い座布団3枚を敷いて、魚は「このしろ」をお供えする、と指定されているなど面白いですね。


大慌て

2013-05-19 02:39:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011163 もうぐじゃぐじゃです。

 天気予報でもうすぐ梅雨入りすると聞いたので、まだ朝夕涼しい今がラストチャンスだと思って、膠を使う仕事は済ませてしまおうと慌てているところです。ここの仕事場は昨夏からクーラーがついていますので夏場でも暑さは凌ぐことはできますが、クーラーをしても膠の効き加減は別問題。

 ここの土地はかつては湿地とか田んぼだったところなので、夏になるとどこからともなくガマが這い出して夜中歩いていたりするくらいなので、湿気が強いんですね。それも膠にはよくありません。

 

 蒸し暑くなる前に、素焼きの済んでいる分だけ色を終わらせておきたいです。9月の北区伝統工芸展にもその分を回せたらいいんですけど、、。


クーラー稼働

2013-05-15 19:28:08 | おともだち

P1011157 昨日はびっくりしました。

まだ5月だというのに、やたら暑いので十五夜さんのいる部屋と物干しに設置してある温度計を見ると30°以上になっていたので慌ててクーラーを稼働させました。とにかく猫さんにとっては27°~28°が限界とどこかで読んでいたので危機一髪の感じでした。

 外の猫さんたちも大変は大変ですが、自分で涼しいところを捜して移動する自由があると思います。うちの十五夜さんは可哀想ですがその自由がありません。

 日が沈んだあともしばらくは余熱がありましたが、ようやく外気が23°くらいになったところでクーラーを切って窓をあけました。十五夜さんにとってはこのほうが外の空気やサラダ草を自由にできて気楽でしょう。

 これから暑さ本番になるとまた不安です。膠も使えなくなるのが憂鬱です。


素晴らしい作品

2013-05-14 10:21:19 | アート・文化

Photo 最近感動した作品。

 神奈川県にお住まいの女性の作家さんによる張子による造形作品です。はじめ作者の方から張子をやっているのお聞きしていたので、日本の郷土玩具とか民芸風の傾向の作品なのだろうな、と勝手にイメージしていたところ、作品の画像を拝見して目からウロコが落ちるような感じがしました。ご本人によれば「伝統的な張子はいいと思うが、自分のイメージのもので作りたかった、、、」とのことです。

 すごい。張子という昔からの成形法を用いながら、様式的にはパターン化した伝統的なものに依存しないで淡淡とご自分の世界の表現をなさっている。画像のお風呂の作品の表情。いいですね。筆の運びが何とも言えずユーモラスで、、。お湯にのぼせているのかそれとも、、ほっぺがポーッと、、。

 もうひとつの画像の首振りロバさんという作品もお預かりしているのですが、技術面で貼り付けられないのが残念。こっちはどこかノスタルジックな世界、ちんちんピアノの音が聞こえてきそうな感じ、またすごいアイデアの作品なんです。

 私など戦前に廃れてしまった今戸焼の土人形を再現するということに執着しているばかりに、いつの間にか、形式的なことに埋もれてしまっていると思うので、こうした自由な発想からの造形に触れてみていい意味で感化を受けた、心洗われたという感じです。

 おそるべしこの張子作家さん。今後の作品もまた見せてもらえたらうれしいです。


ひねり鳩

2013-05-10 22:37:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011146 人に頼まれてひねり鳩を試作しているところです。言わずと知れたかつての浅草の観音様境内で鬻がれたもので、子供が食事の胸つかえがあれば、この鳩を食膳に置いておけば、つかえが取れると言われたものらしいです。

 

 伝世の実物はなかなか出てこないような感じです。というのもこの鳩、土を指でひねって本体の玉を作り、嘴と両足、尾を差し込んで乾燥させたままの生の土の上に胡粉や泥絵の具、あるいは染料で着色したもので至って脆いものなので残っていないのかもしれません。

 今回頼まれたのは、生土のままだと脆いので本体を素焼きできないか?という相談で本体に孔をあけておいて、素焼きしてから細く割った竹ひごや経木を三角に切った尾を差し込むというやり方です。はじめての経験なので要領を得ず、ご覧のとおりの状況です。

 小さいものは楽なようでしんどいですね。しかし昔は生の土で作って糊口を凌いでいた職人さんがいたわけで、手間賃一個いくらくらいだったのか測りしれません。

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 周りの彩色中の土人形と大きさを比べてみてください。小さいでしょう。自分でやってはじめて「案外面倒くさい」という印象を持ちました。

 こういうものは練習を重ねて慣れで上達できるものなのかどうか、もっと試作をしてみます。


膠(にかわ)

2013-05-09 21:31:05 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1011145 今年の天気は、、、という話題をよく耳にします。

 GW期間中、天気があまりよくなかったとか5月に入ったのに朝夕寒いなど、、。突然の雨にコンビニの雨傘がよく売れるとか天気によってラッキーな商売っていろいろあるものです。一般的には寒いより暖かいほうがいいし、晴れたほうがいいですね。また豊作であるためには寒に冷えて土用に照るほうがよいような話もあるのですが、私の場合、大方のご希望とは反対に今年は寒さや涼しさが続いてくれてありがたく思っています。

 この罰当たりな奴。とお思いになる向きもあるかもしれませんが、寒さ涼しさがありがたいという理由は膠なんです。 素焼きの上に施す地塗り(胡粉)とか、泥絵の具や染料を使っての彩色には膠はつなぎとしてなくてはならないもので、気温や湿度、気圧の上昇によって、膠はつなぎとしての効き目がなくなってしまうのです。

 土人形に限らす、張子のだるまなども夏には膠を使わないのが昔からの常識のようなもののように聞いていますが、実際自分で経験してみてなるほど、、と思うわけです。

 そんなわけで、毎年のことですが、GWのあたりから、気温が暑くなるのを心配して憂鬱です。今年はその点まだ朝夕が肌寒く感じられる日々が続いているのが本当にありがたい。もう少し(の期間)大丈夫だろうか?と思いながら、暑くなる前に塗れるものは塗っておきたいと、急いでいるところです。

 もっと暑くなってこりゃやめたほうがいい、となれば、土いじりに専念するほかありません。でもそのまえにもう少し色塗りをやっておきたいという欲があるのです。

 


GWらしく

2013-05-06 00:25:42 | 散歩

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 GWも残すところあと一日ですね。私の場合勤めがありませんから平日と休日のメリハリがなく、巷でGWだとわかっていても仕事場で粘土や絵の具のいじっている事に変わりないのです。でもニュースを観ていて行楽地の様子とか駅や空港の様子など映ると羨ましいな、遠くへ行きたいなという気持ちが混み上がってきます。

でも現実問題としてお金はないし、家を空けるわけにはいかず、十五夜さんもいるしで遠出は無理です。今日思い立って、久しぶりに自転車で荒川の向こう側の西新井方向へ走ってきました。

 足立区には30代の頃つとめていて、一時自転車で通っていたこともあったのですが、最近ほとんど出かける機会がありませんでした。環七を東に向かって進んでいくわけですが、20年近く前の景色で当然変わっているところもあれば、意外と変わっていないところもあって懐かしかったです。

 ここは西新井大師の参道。浅草のように巨大ではありませんが案外人で賑わっています。

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 右はおいしいおせんべい屋さん。うちの母はせんべいが好きなので、久しぶりに買いに行くのが今日の目的のひとつ。いろんなせんべいがありますが、一枚¥105の堅焼きせんべいを10枚買いました。

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 左の店は民芸品や郷土玩具など好きな人には有名なお店。昔は西新井みやげの張子の虎や麦わら細工の「住吉踊りの吊るし物」(関西のほうが本場で大阪住吉大社の住吉踊りとか京都の人気傘とよばれるパターンのもの)や綿でできた狸の吊るし物など売っていたお店です。

 

 私が足立に勤めていた頃はぎりぎり上記のおみやげが姿を消す前で、実際売っていました。

もしや、と思って覗いてみましたが、やっぱりありませんでした。達磨はたくさんありますが、これらはパルプを溶かして遠心分離機で成形しただるまばかりになっています。ちょっと寂しいです。

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 大師さまのご本堂です。GWらしくたくさん露店が出ていました。

P1011130_2 境内の「さざえ堂」昔は中をさざえの貝殻のように螺旋に登ってお参りできたそうです。(会津若松の白虎隊のお墓のそばのさざえ堂が有名ですが、都内にもこうしてあるんですね。現在は中には入れません。

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 右は同じく境内に鎮座する「いぼ取り地蔵さま」塩をいただいてお願いするといぼがとれるそうなのですが、自分のこめかみにあるいぼのことすっかり忘れていました。

このあと、西新井から本木、興野、扇、江北、堀之内と迷路状の小さな道を探検しながら家へ戻ったのですが、久しぶりの長い自転車漕ぎで結構疲れました。年です。でも何となくバカンスっぽい気分になれた数時間でした。


今戸人形「座り猫」(江戸時代後期)

2013-05-04 23:54:13 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

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 前の記事に記した「座り猫」の一例です。この座った猫が右手を上げて招けば先の明治の猫のようになるのではないでしょうか?(招き猫になると尻尾は後退してちょこっとになりますが、、。)

 画像の猫も地の白地に見える部分にはキラ(雲母粉)を塗ってありその上から目鼻をまじめ描き込みがあります。

 都内のあちらこちらの遺跡からは構図としてこれと同様で大小さまざま、また微妙にモデリングの異なるものがたくさん出土しています。

 画像のものにはブチを描く代わりに松の枝とが描かれていて御殿玩具からの影響のひとつなのではないかと考えているのですがどうでしょうか?。


今戸人形「招き猫」(明治時代)

2013-05-04 23:08:12 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1011112 典型的な今戸焼の招き猫です。

 我が家にはありませんが、以前の記事に記したとおり、都内の遺跡からの江戸時代の今戸焼(東京の土製)の招き猫(丸〆猫や本丸〆猫)の出土が確認されているのですが、いづれも体は横座りで顔と招く手が正面向きのもので、招く手が左か右かの違いこそあれ、今戸焼の古い招き猫は正面向きのものはほとんど見ません。

 

 画像の猫は使われているいる色から明治のものではありますが、この猫と同じ構図でもっと大型でもう少し古めの彩色の猫はいくつか観たことがあります。鴻巣の練り人形の赤ものや千葉の芝原人形に残っている招き猫は今戸のこの手のものからの抜き型や模倣によって生まれたものだろうと思われます。

この猫の赤部分はスカーレット染料。首輪の緑は花緑青(酸化銅)です。はっきり見えませんが角でブチが描かれている一見白く見える地肌にはキラ(雲母粉)で塗られており、白目の部分は普通の白の胡粉で改めて白目を置き、その上に墨で瞳を入れています。

 今戸焼の招き猫に正面向きのものが登場するのは明治以降だと思います。おそらく西の地域で作られた招き猫の影響で今戸にも正面のものが生まれた、と考えています。

 古い今戸の招き猫にこのように横座りで顔と招く手だけが正面に向いているのはなぜなのか?と考えているのですが、東京の遺跡から出土する「座り猫」の量や種類が莫大であることから、以前からあった「座り猫」がある機会に右手を招いたのが招き猫になったのではないかと思うのです。出土の招き猫はほとんど向かって左側に頭のあるポーズで画像の招き猫が招かないで座っているという構図です。

 

 以前このような今戸の古い横座り式の招き猫のポーズを歌舞伎の「元禄見得」に似ていると言いましたら、「面白いこと言いますね。」と笑われたことがありました。