東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

昨日のお客さま

2010-02-22 22:19:49 | おともだち

2007_0101_000000p1010234  仕事場の外でくつろぐ黒ぶちさん。出入りのお客さまの中でもVIP待遇の猫さんです。仕事場の中にも指定席があり、ご自分でも、その位置を認識なさっています。彼もまた、冬場の閉ざされた室内は苦手なようで、このところ、部屋までは上がっては来ません。

 手前に見えるのは工事現場からもらってきた土で、スーパーの袋に入れて積んであるのですが、ご近所の野良さんたちが、戯れに爪を立てるので、いつの間にかボロボロになってしまいました。現在、粘土を精製するためのぱバケツは飽和状態な上、この寒さの中での水いじりはとてもきついので、暖かくなってから再開し、中身を回転させようと思っていますが、敗れた袋からこぼれる土は増すばかりです。

 黒ぶちさんは茶ぶちさんとはファミリーで、一緒にいらっしゃることも少なくありません。夫婦なのか、親子なのかわかりませんが、声のきれいなこと、お客様の中で随一です。人なつっこさも一番。同時に気高い感じがするのも随一です。ちょっと太ってきたような、或いは寒さで毛を立てているのか、ぷっくらとしてきました。


本日のお客さま

2010-02-21 22:07:41 | おともだち

2007_0101_000000p1010224_3  人形を作っている仕事場の周りにはたくさんの野良さんがいて、お馴染みになっています。温かい季節には、窓や扉を開けているので、部屋に入ってきて、おねだりしたり、休憩する猫さんもたくさんいます。

 冬になると窓も扉も閉め切って、暖房をつけているので、そういう閉ざされた空間は苦手なのでしょう。中に入りたくないようです。

 それでも扉の外や、窓越しに私へアピールしてきます。

 今日一番のお客様は最古参の茶ぶちさんです。彼女はお客様の中でも最年長でしょう。歳をとってくると目の周りに目張りを入れたように目つきが鋭く、夜に出会うと妖気のような雰囲気さえ感じさせます。

 しかしなかなか積極的で気高い性格のようで他の猫さんよりも食膳につく順位も高いように見えます。おねだりのしかたも尻尾の絡めかたも堂に入ったものです。

部屋には入りたくないので、扉の外へお食事をお出ししました。


国芳と毬猫 その2

2010-02-21 21:00:04 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010236 以前入手した色の完全にとれてしまった今戸の毬猫が手元にあり、それを手本として型を起こしました。配色は先の国芳の錦絵を参考としましたが、よだれかけの部分は絵では朱色になっていますが、江戸時代に作られた伝世の座り猫などのパターンから、キハダを煮出した黄色を重ね塗りし、上から砂子を振りかけてみました。本家伏見の伝世品と配色はだいたい同じかと思いますが、毬部分は錦絵のように山型を描きました。伏見だと、まがい金泥で丸を描いているのがよくあります。塗る前にとても気になっていたことですが、普通の座り猫よりも尻尾が長いのです。そうすると、腿のところに置く墨のぶちと尻尾が重なってしまいます。伏見だと尻尾を虎のように黄色と墨の縞にしたり、平気に墨が重なっていたりしますが、錦絵をよく見ると、今戸では尻尾を避けて向かって右斜めにぶちを入れています。小さなことですが、改めて感心しながら真似してみました。


国芳と毬猫

2010-02-21 20:39:24 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010067_2  人形の吉徳さんの資料室に有名な国芳の錦絵「江戸じまん 今戸のやきもの」が残されています。今戸焼を描いた錦絵はいろいろと存在しますが、風俗と人形をズームアップしたものとしては、屈指の作品だと思います。しかも描かれている人形の種類は実際に遺跡から出土したり、代々の作者によって作られ、伝世しているものがほとんどです。まさに今塗られているのは毬猫。この人形は伏見人形がルーツと思われ、各地の人形産地でコピーされているものが多いのですが、その今戸版は、近世遺跡からの出土例は多いものの、色のしっかり残っている人形をまだ見たことがありません。しかし、この国芳の表現から大方の配色がわかります。毬の部分に黄色地に朱で描かれた山型の二重線ですが、描く途中と考えたらよいか、それともこれだけなのか気になります。大抵、目玉は別として、ぶちなどの墨入れは一番最後にするのが無難ではないかと思うのですが、既にぶちを入れてから、他の色を置いているのは、絵としての絵空事なのでしょうか?猫の他にも鳩?や頭巾被り(庄屋)、三方狐、鉄砲狐らしきものも見え、実際に当時

作られていたと考えてよいと思います。


はじめてのブログです。

2010-02-21 01:42:19 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010015 PCにもまだ不慣れな人間ですが、HPで書ききれないことなど記していきたいと思います。どうぞよろしくおねがいいたします。

画像は羽織狐。はじめて作った人形第1号です。最後の今戸人形師といわれた尾張屋春吉翁(明治元年~昭和19年)作の人形を手本として作ったものです。今戸ではその昔たくさんの人形製作者がいたということです。人形を専業とした家、日用雑器等製作の傍ら人形も作ったという家もあり、その種類はどのくらいあったのか数えきれません。戦後は今戸での窯業の元締め的存在であった3軒の白井家の中で唯一今戸に留まって焼きもの作りを続けられている白井孝一氏が趣味家の需めに応じて、尾張屋さんの人形から型取りされた型で人形を作り現在に至っています。戦後も60年余り、一家で続けてこられたからこそ今でも今戸焼の灯は消えずにいるのです。 関東大震災や東京大空襲、水害等により何度も今戸焼の生産者はら罹災を受けており、その都度、今戸を離れて墨田、葛飾区へ移住し生産を続けていらっしゃった方もたくさんいました。上記の元締め的存在であった白井本家である白井善次郎家も葛飾区内に移って生産されていましたし、もうひとつの白井家である白井半七家は大震災のあと関西へ移住されて茶陶の製作をされました。 現在今戸の白井さんで製作されてる人形の種類以外にも、たくさんの人形が作られていました。また同じ型であっても違う配色の人形がありました。そうしたものを再現してみたいと思ったのが、私の土いじりの動機です。