東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

十五夜さんの重さ

2012-03-24 20:45:17 | 日々

P1010476だいぶ更新が滞っていました。

検査入院のあと、確定申告のどたばた、知り合いのお手伝いで揃いの法被を着てハッスルし過ぎて、そのあとぐったりとしていた日々、、。こういう場で湿った話はいけないのですが、正直言いますと、身の周りの「現実の壁」というものと言うと大袈裟かもしれませんが、一気にずっしりと感じて無力感に浸っていたというのが事実です。

両親に進行している現実、相手の状況というものは理解していても、相手の感情的な起伏に煽られてしまい、こちらも感情的になることが、余計に煽ってしまう場面の数々、、。また自分にとって一番大切だと思っているライフワークのこと。「自分のやっていることは正しい。間違っていない。」という前提の上でやっていることではあっても、、、。先日久しぶりに会うことのできた知り合いと話していて「正しければ報われるというものではない、、それが世間。」という結論。体の疲れにかまけて十五夜さんと過ごしていた日々でした。「明日こそは、、。」という自分への言い訳を日々繰り返していました。よくない状況です。

十五夜さんはいつもスキンシップを求めてきます。今の自分に一番向き合ってくれるのが十五夜さんです。お腹に上に乗っかって来る十五夜さんの重さ。太ってしまったせいか?狭いところで運動不足?それとも受け止める自分の支える力の無さのせいか?だらだらしていて久しく仕事場へ行っていません。仕事場でやらなければと思うことは具体的に頭には山積みしています。

まずは動かなければいけないと思います。案じるより何とか、、ですね。


おかしくて、切ない。

2012-03-08 01:41:49 | 日々

P1010417入院中、病室で何とか退屈しないように、、。TVばかり観ているのもつまらないし、事前に文庫本でも買っておけばよかった、、と後悔しながら病院の売店で買った「東京人」。川柳の特集で、結構読んで面白かったです。

「柳多留」のことから現代の川柳まで。「柳多留」の句の現代に通じる人情もさることながら、毎年話題になっている「サラリーマン川柳」とか公募の「トイレ川柳」などの作品。読んでいて噴き出してしまうほど。

「妻がした 計画停電 オレの部屋」

「まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」

「スマートフォン 妻と同じで 操れず」

「わが家では 子供ポケモン 俺ノケモン」

「仕事やれ 人に言わずに お前やれ」

「コンコンコン トントントントントン ドンドンドン!」

どれも流石。でも切ないですね。


二日ぶりの十五夜さん

2012-03-08 01:14:46 | 日々

P1010406月曜日の朝から昨日7日の午前中まで整形外科の検査のために入院していました。

昨年暮れから足がひどく痛く、持病のヘルニアの進行のせいだろうか?と病院の主治医の先生に相談していたのですが、手術をしてよくなる見込みがあるのかどうか、一度検査入院して調べてみることになっていました。本格的に入院するという経験はこれまでなく、20年前くらいにやはり検査の入院をしたことがあるばかりです。

たった3日間とはいえ、十五夜さんや両親を置いてのことなので、やっぱり不安でした。

人にお願いしてきたとはいえ、病室のベッドの上での時間がまるで千秋のような思いでした。十五夜さんはちゃんとご飯を食べているか、鳴いていやしなしか、、、。やっと帰って来れて、十五夜さんも再会を喜んでくれていてほーっとしました。

この何週間か主治医の先生の意見もあり、食べ物に気をつけて三度の食事以外、余計なものを食べないようにしていたのですが、その効果を調べる手立てもなく(家のヘルスメーターは故障中)、入院の際計量してみたら、3㎏減っていました。そして今日退院の際、もう一度測ってみると更に-1㎏!合計で-4キログラム!体としての実感はそれほどありませんが、数値の結果としてはうれしい数です。 検査の結果で今後どうなるかちょっと心配ですが、とりあえず家に帰れてうれしい。 快気祝いとまで言えませんが、鰻を買ってきて夕飯に食べました。


今戸の土偶で雛まつり

2012-03-03 16:52:39 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010365今日3月3日は上巳の節句でおひなまつり。

面白半分であり合わせで飾ってみました。イメージとしては川柳「柳多留」21編 文化頃の有名な句

「村の嫁 今戸の土偶(でく)で 雛まつり」

 

考証的にはだいぶいい加減なところもあるかもしれませんが、イメージとしてはこんなのもありではないかと、、、。

まず中心の今戸焼の土人形つまり今戸人形の裃雛ですが、天保年間の配色手本では既に群青色や鉛丹をふんだんに使うようになっていますが、それより遡る文化文政であれば、まだ群青色ではなく、画像のように赤部分には植物の煮出し(蘇芳)で黄色部分はやはり植物の煮出し(キハダ・黄柏)の煮出し汁を膠に混ぜて塗る配色だったのではないかと思います。襟には朱色か鉛丹。部分的に使われている緑は緑青(酸化銅)か「くさのしる」といわれるもの。当時としては鮮やかな赤や青はまだ庶民生活には縁遠いものだったのではないでしょうか?

後ろには江の島名物の「貝屏風」を巡らせてみました。(ほとんど貝が残っていませんが、、、。)画像の屏風は明治以降の出来で、赤が既に鮮やかな合成的な色にはなっています。この貝屏風、昭和のはじめには既に作られなくなったようですが、かなり有名な土産物だったようで地方へ販路があったようです。

桃の花を挿しているのは初期伊万里のお神酒徳利で、これは文化年間でもあったのでは、、、。

庶民の雛まつりであれば、雛の故実とか有職に捉われることなく、顔のあるものなら何でもOKだったのではないか?これは個人的なイメージです。そこで、やはり昔の浅草の名物だった「浅草の練り人形の金魚」を添えてみました。いわゆる赤物の玩具で医療の発達していなかった当時の呪いとして疱瘡の神様は赤いものに執りつくと考えられていたので赤い玩具や絵を持たせて子供が病に罹らないようにという思いの造形でもありました。但し画像の金魚は天保以降のものだと思います。「練り人形」というのは桐箪笥つくりで出た桐のおがくずをふのりやふすまを混ぜて練った素材で型抜きして作ったもので、土人形よりは軽く焼く手間も要らないので着付けの雛人形の頭にもよく使われた素材です。

財力のあったお武家や豪商であれば豪華なお人形にお飾りもしたでしょうが、そこは庶民。緋の毛氈ひとつでも、当時としてはかなり上等なものだったでしょう。今でいうカシミアのようなもの。古い家のお雛飾りを見学に行ったことがありますが刺繍の入った小袖や裲襠を開いて敷き物にしているケースもありました。画像では昔手に入れた古い野良着を敷いてみました。「村の嫁」にこだわりすぎ?しかし案外藍色と人形たちのコントラストがいやらしくなくすっきりして見えると思います。

この句の作られた当時のイメージとして画像から割り引いてみるべきところは、裃雛はOKだとして、特に赤い色はこれほど鮮やかで強烈ではなかったのだろうということです。

時代考証に厳しい人が見たら、怒られるかもしれませんが、面白半分で撮影してみた画像です。