東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

小竹稲荷の鉄砲狐

2015-05-18 22:32:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)


昨日まで恒例の浅草「三社祭」でした。観たいのは山々なんですが、人ごみで身動きとれなくなる、というのが大の苦手なものでラジオやテレビのニュースで観たくらいです。それよりも自分にとっての切実な問題は、早く「被官さま」の鉄砲狐をお納めしなければ、、、という焦りと三社様のお祭りの期間中だとお忙しい中お邪魔になるのが心配というふたつの間での葛藤でした。幸いにもお納めする分は先週中に塗り終わり、「ひげあり」と「ひげなし」とで対にして薄葉紙で包み、段ボールに小分けに梱包荷造りまで済ましておいたので、GOサインをいただき次第、お納めに出かけたいとうずうずしていました。そして今日電話して伺ったところ今日中にお納めしてもよいという返事をいただいたので早速タクシーで浅草まで狐を運んできてほーっとしました。

画像の彩色中の鉄砲狐は「被官さま」向けに太らしたものとも、それ以前の割合シャープにモデリングしてあるものとも別の型で台座背面には
「小竹稲荷」という文字を陽刻になるようにしてあります。「小竹稲荷」ってどこのお稲荷さま?と思われる方もおいでかもしれません。
実は浅草橋「人形は顔が命」の吉徳さんにお祀りされているお屋敷神さまです。先々代の店舗の時代まではお店の神棚にお祀りされていたそうで、その当時の様子は吉徳資料室長である小林すみ江先生の著書「人形歳時記」にもでてきます。先代の本社ビルからお稲荷さまはビル屋上にお祀りされるようになったそうで、現在は昨年お披露目になった新・本社ビルの屋上に鎮座されているようです。昨年、新・本社ビル落成お披露目の記念品として、先代本社ビル建築の際地面からみつかった今戸焼の土人形の中から「裃雛」の一対をお手本として製作させていただきましたが、今回はご依頼いただいたのではなくて、勝手に作ってお送りしたのですが、お手本はやはり裃雛と一緒に出てきた鉄砲狐です。このお手本の狐はとてもスリムで奥行きも薄く、シンプルな造りです。大抵稲荷祭といえば、1月から2月の初午と二の午に執り行われることが多いですが、お人形の問屋さんである吉徳さんの場合、「雛人形」や「五月人形」を前とした一年で一番忙しい時期なので、吉徳さんでの初午は「五月人形」の際が落ち着いた五月に執り行うのが昔からのしきたりなのだそうで、去年「裃雛」用に吉徳さんの地面からいただいてきた土がまだ残っているし、昨年の新・本社ビル落成以来はじめての稲荷祭となるので、それなら以前いただいた狐をお手本にモデリングし、吉徳さんの地面の土を練りこんで使い、彩色は天保3年の人形玩具の配色手本「玩具聚図」に描かれているとおりの配色で塗ってお送りしたいと思っていたのです。モデリングについては素焼き後「両肩の張り具合を削り過ぎてしまった」ように思うのですが、前後のスリムさは何とか出たような気がします。明治以降の鉄砲狐とそれ以前の鉄砲狐の配色の違いは赤部分で、明治になってから「真っ赤」な色が使われるようになって定着するんですが、それ以前は朱色または鉛丹を使っていたのです。台の上の黄色は「玩具聚図」でも当然指定されていますし、明治以降戦前までの鉄砲狐にも黄色あるいは黄土又は金色で塗られているものが多く、誰が塗っても暗黙の了解のような常識のようなものだったのではないかと思います。モデリングについては来年までに両肩にもう少しボリュームをつけてあげたいと思います。
とりあえす、「被官さま」の鉄砲狐も「小竹稲荷さま」の鉄砲狐も無事?済んで、これから他の種類の人形に向かっていきます。

 

 

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メモ

2015-05-12 10:30:27 | 日々

お世話になっている方より連絡があり、先月の「東京民芸協会」での「今戸人形」の話の報告の記事がアップされているよ。との事なのでお邪魔してみました。だらだら長々とした話だったし、出席された方々のご関心によってはつまらなかったかな、、と反省していたのですが、アップされているメモの画像を拝見して、要所要所しっかりメモしてくださっていて話の内容を「知ろう」という積極的なものを感じ、救われるような心持になりました。いきなり今戸人形ではなくて、今戸焼のおおまかなところから入って、錦絵だの今戸人形の古い実物の作例を時代ごとに観ていただく、そして最後に自分のやっている作業工程を観ていただくつもりでいたので画像が多く、画像の映写もかなり急ぎ足だったので短い時間でメモとして描画されたものだと感心しています。日本での貯金箱の発祥は今戸焼の宝珠型のものに遡り、もともとは博打の賭場の「寺銭入れ」として生まれたというお話(有坂与太郎の著作から)をしたのですが、それもしっかりメモされているんですごいです。今更ながら、よくぞ下手な話からメモを起こしてくださってありがたく思います。

東京民芸協会の記事へ→

模様替え

2015-05-08 12:47:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

あっという間に前回の更新からひと月近く過ぎてしまいました。どこか遠くへ出かけていた訳でもなく、朝は仕事場で土いじり、日中は掘ってきた土を水簸(すいひ)にかけ、夕方からはまた仕事場でラジオを聴きながら土いじりといういつものパターンで過ごしていました。工程に特に大きな変化もなかったので更新するのも忘れていたというところです。家から半径5キロ圏外には出ていなかったので、ゴールデンウィークといえども石神井川のほとりに座っていたくらいです。ひとつ仕事場の変化といえば、作業台の上を整理し、人形の乾燥のために水平な場所を確保すべく、ホームセンターから安いラックを2つ買ってきて2段に固定しました。今まで割型が山積みにしてあっただけなのでぐらぐらしたり、その上に物を載せることができなかったのが、ほんのわずかな差ですがスペースを稼ぐことができるようになりました。地震が来ればもうだめだと思いますが、ラックと台面の間に市販の揺れを緩和させるゴムかジェル剤みたいな塊を挟んではいます。
昼間夜間に限らずこの天気で窓や扉を開けっ放しにしていると、いろんなお客さんの出入りがあります。午前一時頃には「あんこさん」がやってきます。相変わらず漉し餡とつぶ餡のような不思議な毛色です。

そういえば猫さんではなくて、最近土人形作りの工程を経験したいという方が手伝いもしてくださるということで何度か足を運んでくださっています。型抜きとか素焼きのやすりがけとか、割型作りなどもされています。鉄砲狐を早く済ませてお納めしないと、、とばかり焦っているところなので何のお礼もできませんが、ありがたいと思っています。