昨日まで恒例の浅草「三社祭」でした。観たいのは山々なんですが、人ごみで身動きとれなくなる、というのが大の苦手なものでラジオやテレビのニュースで観たくらいです。それよりも自分にとっての切実な問題は、早く「被官さま」の鉄砲狐をお納めしなければ、、、という焦りと三社様のお祭りの期間中だとお忙しい中お邪魔になるのが心配というふたつの間での葛藤でした。幸いにもお納めする分は先週中に塗り終わり、「ひげあり」と「ひげなし」とで対にして薄葉紙で包み、段ボールに小分けに梱包荷造りまで済ましておいたので、GOサインをいただき次第、お納めに出かけたいとうずうずしていました。そして今日電話して伺ったところ今日中にお納めしてもよいという返事をいただいたので早速タクシーで浅草まで狐を運んできてほーっとしました。
画像の彩色中の鉄砲狐は「被官さま」向けに太らしたものとも、それ以前の割合シャープにモデリングしてあるものとも別の型で台座背面には
「小竹稲荷」という文字を陽刻になるようにしてあります。「小竹稲荷」ってどこのお稲荷さま?と思われる方もおいでかもしれません。
実は浅草橋「人形は顔が命」の吉徳さんにお祀りされているお屋敷神さまです。先々代の店舗の時代まではお店の神棚にお祀りされていたそうで、その当時の様子は吉徳資料室長である小林すみ江先生の著書「人形歳時記」にもでてきます。先代の本社ビルからお稲荷さまはビル屋上にお祀りされるようになったそうで、現在は昨年お披露目になった新・本社ビルの屋上に鎮座されているようです。昨年、新・本社ビル落成お披露目の記念品として、先代本社ビル建築の際地面からみつかった今戸焼の土人形の中から「裃雛」の一対をお手本として製作させていただきましたが、今回はご依頼いただいたのではなくて、勝手に作ってお送りしたのですが、お手本はやはり裃雛と一緒に出てきた鉄砲狐です。このお手本の狐はとてもスリムで奥行きも薄く、シンプルな造りです。大抵稲荷祭といえば、1月から2月の初午と二の午に執り行われることが多いですが、お人形の問屋さんである吉徳さんの場合、「雛人形」や「五月人形」を前とした一年で一番忙しい時期なので、吉徳さんでの初午は「五月人形」の際が落ち着いた五月に執り行うのが昔からのしきたりなのだそうで、去年「裃雛」用に吉徳さんの地面からいただいてきた土がまだ残っているし、昨年の新・本社ビル落成以来はじめての稲荷祭となるので、それなら以前いただいた狐をお手本にモデリングし、吉徳さんの地面の土を練りこんで使い、彩色は天保3年の人形玩具の配色手本「玩具聚図」に描かれているとおりの配色で塗ってお送りしたいと思っていたのです。モデリングについては素焼き後「両肩の張り具合を削り過ぎてしまった」ように思うのですが、前後のスリムさは何とか出たような気がします。明治以降の鉄砲狐とそれ以前の鉄砲狐の配色の違いは赤部分で、明治になってから「真っ赤」な色が使われるようになって定着するんですが、それ以前は朱色または鉛丹を使っていたのです。台の上の黄色は「玩具聚図」でも当然指定されていますし、明治以降戦前までの鉄砲狐にも黄色あるいは黄土又は金色で塗られているものが多く、誰が塗っても暗黙の了解のような常識のようなものだったのではないかと思います。モデリングについては来年までに両肩にもう少しボリュームをつけてあげたいと思います。
とりあえす、「被官さま」の鉄砲狐も「小竹稲荷さま」の鉄砲狐も無事?済んで、これから他の種類の人形に向かっていきます。
(検索 今戸焼 今戸人形 招き猫 白井 半七 善次郎 尾張屋春吉 土人形 干支 郷土玩具 干支 隅田川 浅草 今戸神社)