東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

濡れ手で粟

2018-08-14 01:00:34 | 日々

 昨日は定期的な通院日で例によって自転車で王子から権現坂を関東ローム層に上がり、昔の藍染川沿いに出かけてきました。陽射しが強い中、しんどい感じでしたが、病院に着く前あたりから空がゴロゴロし始め、病院に着いたところで稲光やらものすごい雨が降り出しました。診察や会計が済んで、帰ろうとしましたが、あんまり強い降りなので待合室でうとうと小一時間待って、まだ止まないので、どうせ暑さでバケツを被ったようになるのと変わらないと腹を据え染井経由でずぶ濡れになって帰りました。雨のせいか気温も楽になり行きほどしんどくはありません。例によって駒込と染井の間にある小さな庭。ここにはミニ田圃があるのでもしや、、、と思い寄ってみました。

 鳴き声はしませんが、畔を踏むと一匹の泥カエルがぽちゃん。雨降っているのに鳴いていないですが遭えてよかったです。

 写真には撮れなかったのですが、、。

 このあいだ気が付かなったですが、ウドの大木。

 東屋からの眺め。いい感じです。

 庭を離れて染井霊園へ向け自転車を進めていると取り壊したばかりの更地が目に入り、ままよ、、、と自転車を降りて地面を見ると、、、、、。

 ぼけぼけですが何だかわかりますか。「竿の雫か 濡れ手で粟 思いがけなく手に入るどろめん こいつあ夏から縁起がいいわえ 」

文字通りずぶ濡れなので粟のようについてきてくれたのでしょうか。

ひととおり周りも物色しましたが、これだけです。昔、豊島区の遺跡報告書で染井の遺跡という巻で今戸の羽織狐(尾張屋型ではなく「あぶ惣」型)の出土が報告されていたのを観て、染井は本郷の外ではあるけれど、植木だの人の往来の盛んなところだったから出てきたのだろう、と思っていたのでその時の印象とつながった感じです。

 染井霊園内のけいとう。雨に表れて葉っぱがつややかな感じ。

 明治通りを越えて石神井川傍の緑地のぽんぽん百日草。美しいというよりキッチュな感じで農家の庭先なんかによく植えてある花。日持ちがよくてすぐに切って仏さまにお供えしているのを昔よく見ました。そういう意味で懐かしい夏らしい花だと思います。由美かおるさんとか水原弘さんの傍に咲いているというイメージです。この花は雨で濡れているより強い日差しの中カラカラな感じに咲いているほうが似つかわしいかと思います。それと染井の辺りで焙烙で迎え火をやっているお宅がありました。わが家は先月済ませたので今日が入りの日だというのをうっかりしていました。

 家に帰って古歯ブラシでそーっと洗って、、。蜘蛛の巣の模様のようです。

薄葉紙で擦りだしてみました。妖術とか妖怪とか子供好みの趣向でしょうか。

コメント

小判の山

2018-08-12 22:23:52 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 小判の塊が10ずつでひと山。実際は切り餅(小判25枚で紙で包み封印捺印)なんで紙で包まれているけれど、これは無尽蔵の小判なので包まず。天保の50両の切り餅もあったというからひと塊で50両。10個ひと山で500両。干し板の上には18山あるから500両×18=9000両

 今の値打ちで1両=12万円~13万円くらいだそうなので

一両=12万円なら ¥120000×9000=1080000000(10億8千万円?)

一両=13万なら  ¥130000×9000=1170000000(11億7千万円?)

干し板に乗っているだけで、、、、。

まだある まだある、、、、、、、。

コメント

窯出し待ち

2018-08-11 21:50:17 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 これから秋冬正月に向けてバンバン型抜きをして乾燥させ素焼きを貯めておきたいところです。このところ笛づいています。鳩笛に福良雀の笛、などなど。それと今までやっていない如何にも際物っぽいものも準備中で、そのパーツになるものの大きさの調節をしているので、窯満杯にして素焼きに入るのが理想ですが、型の調節のため満杯でなくとも稼働させています。

 素焼きは800℃マックスで一時間ならして切れるように稼働していますが、稼働を始めて炉内が500℃に達するまでは蓋を半開きにして炉内の水分を逃がし、500℃を越えたら蓋を閉める。800℃のならしが終わると運転は切れるが、炉内が100℃以下になるまで蓋を開けてはいけないので何度も現在の炉内温度を気にするわけです。特に炉内200℃から100℃までの待ち時間がひどく長く感じますね。千秋の思いとはこんな感じでしょうか。中身を早く確認したくてうずうずします。

コメント

謎の 「東京ゴマイリ」

2018-08-09 08:13:46 | 今戸焼(浅草 隅田川)

 昨夜、2階を整理していたら出てきた「東京ゴマイリ」。まだ若かりし頃、お手本となる昔の今戸人形(当然尾張屋さん以前の今戸人形。「今戸焼」というロゴの入っている人形は自分にとってはお手本にはならない。)を探して歩き回っていた頃にどこかの露店の道具屋さんで入手したもの。

「東京」という名前が入っているからといって必ずしも「東京製」であるとは限らない。「東京ばな奈」「東京ミルクプリン」などなど「東京」を冠した商品名の類は浜の真砂のよう、、。画像では実物より色が濃いめに写っているが、手取りといい、ほとんど焼が入っていない。不思議。これを生業として製造していた窯元でたまたま焼を忘れた状態で残り、古道具として仕入れられたものなのか、、?

或いは、製造者には焼成窯などなく、割型に土を押し当てて抜き出し、口の孔を切り出し、バリを取って乾燥しただけの状態で販売していた? ゴマイリなのだから火にかけて使用を繰り返せば甘いが焼は入る。しかし、途中で濡れたりすれば水に溶けてしまう。火にかけて焼焦げた痕はほとんど見られないので未使用な状態。

 それにしてもこの意匠。この強気で不遜な笑い。たらこのような唇。誰かを連想させる顔である。考え中ではあるが、どこかで観たことがあるような顔。そうだ明治の漫画家「北沢楽天」による「東京パック」の表紙絵とか挿絵の類に見られるような顔ではなかろうか、、、、。

 これでゴマを炒れば、爆ぜてきて口からぱちぱち飛び出すのだろうか、、、?

意匠としては異様で秀逸だが、焼が入っていないにしろ部分部分の仕上げはかなり雑。鹿革でなめしたような痕跡はみられない。

ほとんど焼が入っていない脆い状態でよく残ったものである。

「東京ゴマイリ」東京で作られたものなのか、或いは東京の近郊?焼かれていないので焼いたのちの土色はどうなるのかわからないが、今戸焼の周辺のものなのだろうか?

謎に満ちた「東京ゴマイリ」。

 

コメント

鈴口と紐通し孔

2018-08-05 01:48:54 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 土鈴愛好家の方のご希望により試しに土鈴仕様に鈴口を切って、紐通し孔をあけて作っています。

 拙作の人形をはじめて手に取って振ると音がするのでびっくりする方や、「吉田さんの人形は土鈴のようですね。」と言われたことが何度もありますが、いつも「土鈴は鈴口が切ってあるから土鈴で、人形には鈴口を切らないで仕上げます。昔の人形、昔の今戸焼の人形にはガラ(土玉)を入れて、振るとカラカラ鳴るようになっているのが特徴のひとつなのでそのようにしています。」とお答えしています。今戸の土人形は今戸での窯業の展開の途中から当時上方からの下りもののひとつだった京都の伏見人形が江戸に入ってきて、その模倣から始まったという歴史があるので、古い伏見人形の備えていた特徴を受け継いでいるポイントのひとつがガラを入れることだと思いますし、歴史の証としてみることができると思います。江戸明治の今戸人形、そして最後の生粋の今戸人形作者であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)がお作りになった人形の中にもガラ入りが存在します。秋田の八橋人形、横手の中山人形の古作、鶴岡の土人形他新潟県内の古い産地のものにもガラが入っているのは、昔の伏見人形にガラが入っていたものを模倣したという遺伝子のようなものだと思います。

 これまで土鈴愛好家向けに鈴口を切ったことが数回ありますが、今回、丸〆猫(昭和戦前風型)と本丸〆猫と提灯持狐の3つを試しに土鈴仕立てにするということでやっています。

割型に土を詰めて押し、型から外してバリをとるところまでは普段と同じ。(土鈴の場合肉薄のほうがよいとか言います。)すぐに切ると粘りや貼りつきで鉄ベラが使いにくいのでしばらく置いて、土が落ち着いてからはじめます。まずは鈴口の両端にくる丸孔を「ポンス」で開けて、更にしばらく置いてすこしでも土が落ち着くのを待ちます。「ポンス」は金属製の筒で斜めに尖っているものや王冠のように先端がジグザクになっていて回転させながら粘土を刳り貫く道具で、うちでは大抵「ぴいぴい」(鞴つき人形笛)の背面の孔あけに使っています。

しばらく置いてから定規を当てながら丸孔同士を細い切り口で繫ぎます。ここで土が刃先にねばりつくと汚くなります。

 すぱっと潔く切り込んであまりいじらないで、もう少し落ち着いてから鞣すか、またはしっかり乾燥してからサンドペーパーを当ててきれいにします。鈴口の切れのよさは愛好家の方のチェック点のひとつなのですが難しいです。

 紐通しの孔開けも難しいと思います。土鈴としてデザインしたものではないので孔を開ける位置で猫が可愛そうに見えたり(動物や人の頭や顔を孔が貫通しているのは残酷な感じです。)

といって可哀そうでない位置に開けた孔が紐を通した時の全体の重力のバランスに沿っているとは限らないからです。

この丸〆猫の場合、前掛けの紐の結び目付近に紐通し孔を開けることが人形のためには一番無難ですが、紐を通せば重心は前屈みになって、人形の底が素直に真下にくるとは限らないからです。今回はこの様子を見ていただいて、相談の上今後の位置の変更など考えることになります。

昔の今戸人形やその周辺には純粋に土鈴としてモデリングされたものも若干あり、いつかはそれらも手掛けていきたいと思います。

コメント

どろめん三昧

2018-08-03 23:49:00 | 日々

 今日は千葉市のどろめんの研究家の田中和夫さんのご厚意ではるばる赤羽まで資料をお運びいただき、4時間弱の間、ひとつひとつの資料についてご説明をいただきました。わが家の中では整理が悪くてお通しできないので、町内の自治会館の一室を貸していただいてテーブルの上で拝見しました。田中さんの資料は全て千葉県内の畑から出土したものだそうで、40年近く拾い集められた集積で、私も若い分畑を歩いたことがあるので、その時の印象と重ね合わせてお話を拝聴しました。畑からはいかにも今戸の土色のどろめんに限らず、投網の重しだとかガラス製のおはじきだったり石蹴りだったりと、幅のある年代のものが表土に表れていたもので、なぜ、畑から出てくるようになったのかということについてもお話を聞いて目から鱗な内容でした。

 同じ地域にある畑でもこうしたものが出てくる畑とそうでない畑がある理由として、その当時畑だったところには豊作を願って土に埋める風習があり、牧場だったところはそうではなかったということです。また江戸市中の厠から汲みだされる肥に混ざって泥めんや人形のかけらが混ざって運ばれ、畑に播かれたものが結果として土製のものが地中に残ったという説を私も聞き憶えていたものですが、江戸の近世遺跡の遺構の厠から畑から見つかるような土製品がみつかるという例はないそうで、「肥に混ざって」という説はほどんど可能性がない、ということです。

 ガラス製のおはじき、めんこ、石蹴りの形状と製作方法、形の意味するもの、背景など、ひとつひとつ追及された内容をご紹介いただきました。興信牛乳の蓋だったという磁器製の破片もありました。

 昨日日どりが決まってお声かけした中から足を運んでくださったみなさんもありがとうございました。画像は「亀乗り童子」と呼んだらよいでしょうか。片面の人形で3センチ余りの大きさですが彫が細かくよくできた人形で、「どろめん」というより一文人形の一種というのでしょうか。フルコースのようにたくさんの資料を拝見した中で一番好きな人形です。

わざわざ運んで貴重な資料とその背景について丁寧にお話くださった田中さん、足を運んでくださったみなさんありがとうございました。まさに眼福、耳福の午後でした。

コメント

人形の底の仕上げのいろいろ

2018-08-01 21:34:25 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 江戸から明治、昭和戦前の最後の生粋の作者であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までの今戸人形の流れの中でいろいろな人形や玩具が作られていた中で、単純に2枚型から抜き出して作る人形の底の作りについてご紹介します。

①一番オーソドックスなのは上の画像の中で上左側の「鞠猫」と「丸〆猫・嘉永安政風型」のように2枚の割型が底を持ち、抜き出した人形が合わせに沿ってバリを持つようないわば(平底型)。

②上右端の「丸〆猫・昭和戦前風型」のように割型に底がなく、前後を合わせてから延ばした粘土を当てて底をつける(上げ底風型)。

③下左端の「招き狐・台座つき」や下右端の「堤式の奉納狐」また画像にありませんが「鉄砲狐」のような「底なし型」。

④下真ん中の「犬」のように脚の谷間を切り出すものもあります。

⑤また型で抜いている小さなもので「ひねりの犬」のようなものは、中は中空ではなくぎっしり粘土が詰まっているようなものもあります。

基本的には立てたり置いたりする底が座るようになっています。

折に触れお問い合わせのあることなので、まずはこういう底の仕上げの違いがあるということでご紹介しました。

コメント

箱根山の向こうへ、、。

2018-07-31 10:45:38 | 日々

 昨日は何年かぶり(おそらく奈良博の「白鳳展」以来)に東海道新幹線に乗って箱根山の向こうにでかけてきました。うちの親戚は山形県と青森県とか東日本に集中しているせいか、東海道新幹線乗って出かけるということはこれまでの人生を振り返ってみても指折り数えられるくらいしかないので新幹線ホームに立つ、車内に入るだけでもどきどきします。夏目漱石の「坊ちゃん」の中で主人公が松山に赴任するにあたって「きよ」に別れを告げるところで箱根の山の向こうですか? おみやげに「越後の笹飴がたべたい」といったやりとりがあったようなおぼろげな印象がありますが、「きよ」同様自分にとっても箱根の山の向こうというのは経験の少ない未知の土地という感じです。

 十五夜さんを家に置いて外で夜を越すことはしたくないので一日で往復の強行軍。目的は静岡在住の郷土人形や玩具の愛好家Hさんのお宅にお邪魔して、今後手掛けてみたいもののお手本を見せていただいたり採寸、いろいろな方向から立体を把握できるように360度方向から写真の撮影をさせていただくためでした。現地の地理とかいろいろわからないのでこれまで東京でしばしばお世話になっている吉徳にいらっしゃったH氏と雪だるまの会のA氏も現地合流で同行していただきました。

 多摩川、相模川、酒匂川を渡り、箱根山の向こうに抜け、富士川を渡って静岡へ、空気の色というのか、東海の光の色の見え方が東京とはちょっと違うような、「思えば遠くに来たもんだ」的な感じがありますね。静岡についてからお宅に伺うまえに、市内のローカルなところで食事したり、「おでん」を煮売りしている店をはしごして味見したり、浅間神社の境内を始めて参拝させたもらってからH氏のお宅にお邪魔してお願いしていたものを見せていただきました。これまで蒐集されてきた品々の質と量にびっくり。5時間以上いろいろ見せていただいたり、教えていただいたり、あっという間でした。駅まで車で送っていただき、H氏もA氏も在来線で上り方向で戻られるということなので、帰る前に、駅構内の居酒屋をはしごして積もるお話であっという間に夜10時前。シンデレラ状態でお世話いただいたお二人にお礼申し上げてひとり上り新幹線で東京へ。赤羽に着いたのが0時前。家に帰ると十五夜さんが待ち兼ねたという表情で見上げていました。

 いろいろなところを見てまわったのですが、ぼんやりしていて現地で画像を撮るのを忘れていました。帰りの新幹線に乗る前の駅構内の居酒屋での様子。名物の「生しらす」「黒はんぺん」「桜えびのかき揚げ」そして「おでんの黒はんぺん」とハイボール。

おでんの「黒はんぺん」は日中、浅間神社の近くのおでんやかき氷の店をはしごして食べ、駅構内でも食べ、たくさんたべましたが、はんぺんを製造するところによって微妙に厚さが違うとか店によって味付けが違うようです。おでんを煮売りする店が町のあちこちにあり、必ずしも呑み屋という感じではなくて、甘味処と駄菓子屋でオトナ向けのアルコールもある、といった開放的なお店が多く、子供は小遣いを握りしめて一本80円とかの串さしてあるおでんをよそって鰹節の粉を振って食べたり、お稲荷さんのようなもので食事している人もいるなど、敷居の高くないサンダル履きで入れる店といったところが多くあります。町のソウルフードという言葉がありますが、静岡風のおでんというのは、急に付け焼刃で考案されてB級グルメというのとも違う、もともと生活の中に根付いた食べ物のようです。あとかき氷が雪のように極め細かくてしっとりしておいしかったです。

 お手本にしたいものをたくさん画像に撮ってきたので、これからそれらを観ながら原型作りに取り組んでいきます。

 

コメント

見沼田圃の夕暮れ

2018-07-25 05:40:14 | 日々

 この夏これまで4回見沼田圃へカエルを観に来ていますが、いつも来るのが日が暮れきる前のタイミングだったので、暑いしときどきカエルがケンカする声くらいしか聴けなかったので、今回は日没時間を意識してやってきました。まずは、今回はじめての場所。見沼代用水東縁の流れでもコンクリートで護岸にしないで昔ながらの岸辺を残しているという「埼玉県のトラスト1号地」と呼ばれている自然豊かなところを見沼田圃のエコ活動の人がカエルには最適ということを教えていただいてやってきました。(ちなみに一枚目のぼけぼけ夜景は先日行った加田屋の田圃です。)

 

これが見沼代用水の東縁の流れで岸を自然の状態に保っているという区間で向こう岸が「埼玉県のトラスト1号地」というものらしいです。

対岸の森ではない川の湿地がカエルに最適だということでそれがどのあたりなのか探していました。木々からヒグラシの声の嵐。

車道を挟んで代用水とは反対側に水田とか遊ばせている田圃があって、ここではないかと畔を踏むと、カエルが跳び込みます。

先日「見山」で観たオモダカの仲間だと思っていたのがこんなに大きくて、これってクワイですか?

カエルはたくさんいます。

あっという間に月が登ってきて暗くなってきました。でもカエルの合唱はまだ???

送電線の鉄塔が見える以外、ここがさいたま市内で赤羽から10キロ15キロくらいの距離だとは信じられないのどかさです。ただバスでの帰路を考えると移動して先日明るい時間にカエルに会った「加田屋」の田圃へ行ったほうが安全と考えて途中までバスで進み、あとは徒歩で15分くらい。

いよいよ真っ暗になってきました。わが家から15キロくらいでもうこんな真っ暗な夜道。暑いですがいい感じ。

そしてやってきました「加田屋」の水田。真っ暗です。畔を踏むとつぎつぎと田圃に飛び込むカエルたち、、。でもまだ合唱は聞こえない。

カエルはいっぱいいるのに合唱していない。不思議。時期のもんだいでしょうか。山形だったら旧盆くらいでも合唱していたはず、、。亡父の実家のタガの木の湯舟の横に「松島」の絵柄の摺りガラスの窓の外は一面田圃だったので、湯舟から大合唱が聞こえたものですが、、。もっと夜遅くないとダメなのかそれとももう泣かない季節なのか?

それでもそんなに遠くないところでヒグラシの声やトンボに出会えて、空が木立のシルエットで切り取られている真っ暗闇というのは懐かしい感じで夜来てよかった。

帰りのバス停前にある昔の店舗。「コカ・コーラ」のホウロウ看板があるので、酒屋さん?それとも酒でも食べ物でも荒物でも文房具でもなんでもあった万屋さん?

このあと大宮駅前に着くと街中の暑いいこと、田圃とは大違い。熊谷からさして離れているわけでもないから暑くて当然。「銀だこ酒場」でハイボールを飲んで帰りました。

 

 

 

コメント

丸〆猫(小)臥姿・座姿

2018-07-22 03:02:18 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先日まで宮城県内のお稲荷さまへお納めの狐で手いっぱいだったのが終わって、原型作りだの、型抜き貯め、舐め人形系仕上げの2回目準備などと、やっておきたいことが交錯しています。あと個人の方々で主に丸〆猫のご依頼をいただき、お待たせしているのでとにかく少しずつでもお送りしなければ、と素焼きの済んでいるものをかき集めて塗っています。

 個人的には人形の大きさで大きいものには大きいなりの手間、小さいものだと小さいなりの手間があって小さいから楽という感じでもありません。それに今ショックを受けていますが、以前より小さい顔の面描きが難儀な感じになっています。もともと視力はあまりよいほうではありませんが、眼鏡屋で検眼して作ってもらってもぴったし合うという感覚が得られないのです。よく聞く話では眼鏡は日常からかけて慣れなければいけないとか、、。でも動く場合眼鏡をかけて動くのがすごく怖いです。魚眼レンズみたいに感じてびっくりします。まあ作業のときだけかけたほうがいいかもしれませんが、また新しい眼鏡を作ったほうがいいのかもしれません。

 尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)は江戸から続いた今戸人形の伝統を受け継いだ最後の生粋の製作者だった方で、浅草橋の「人形は顔がいのち」のお人形の吉徳さんの資料室長の小林すみ江先生は、まだお小さかった頃、法事のときに春吉翁が焼香に来られてお目にかかっていらっしゃるそうですが、片方の目はお悪かったというお話をされています。片方の目であんなにきめの細やかな人形をお作りになっていたわけで、画像の拙作の丸〆猫(小)の臥姿・座姿ともに春吉翁のお作りになった作をお手本にさせていただいているわけですが、当時の尾張屋さんの作業なさっていらした様子を聞くにつれ、お手本として倣うつもりでも、やっぱりすごいな、と思うばかりです。

コメント

砂子燻し

2018-07-17 23:54:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 まがいの砂子(梨地真鍮粉青口)です。以前にはこのまま蒔き筒(粉筒・画像斜めに見える葦の筒状のもの)で振って蒔いていたのですが、ご意見やご指導いただく方があって、けば過ぎて好ましくないというご意見でした。各地の古い土人形産地の古い人形の伝世品を見ると、こうした真鍮粉を振ったものが時代を経て茶色ぽかったり黒ずんだ状態で彩色に蒔いて残っています。ただ屁理屈を言えば、時代を経た人形の味わい深さとか落ち着きというのは時間を経て化学変化して、結果として枯れた感じに落ち着いているので、江戸末でも明治でも戦前でも作られた当時の人形の出来立ては鮮やかでピカピカ光っていることを、消費者購買層の人々は「ハレ」のような気持ちで喜んでいたのではないか、と想像します。色でも植物の煮出し汁は塗ったばかりと時間を経たあとの発色が枯れていい感じになり、丹色はオレンジの鮮やかだったものが酸化して燻し銀のような色に変化するなどです。そういう理屈でいえば昔の姿は砂子もピカピカで売られていて、電気の灯りのない夜の暗い灯りの中の生活では「ハレ」的な輝きでおめでたく感じたのだろうから、砂子も燻さなくといいのではないか、という理屈になるのですが、やっぱりピカピカ過ぎるとけばくて嫌味かな?と思うところあって、燻して輝きのトーンを落として使うことにしています。

 ボールの中の黄色い液体は硫黄由来の金属加工用の燻し液を熱湯で割った状態のものです。

 そこへ砂子(真鍮粉)を匙で落とします。すごく細かく薄くて軽い(鼻息で舞い上がってしまうくらい)ので、水面に浮いてしまいます。それで、使い捨ての割りばしで溶き卵を作るように撹拌して液体をくぐらせるようにします。

 ずーっと掻きまわしているとボールの底のほうに沈んでいるのとまだ浮いているのとに分かれてきます。液体の色も紅茶のような色になってきていますね。「温泉に入る時ネックレスとか金物は外して入りなさい」とかいいますね。あれです。

 晒の布をプラスチックの笊の上に敷いて、撹拌していた液体ごと砂子を流し込んで液体を除き、液体を捨てては新しい水に戻して撹拌して、また別の晒布に流し込んで液体を捨てての繰り返しをして硫黄成分をなくしていきます。砂子は細かいので晒布でも通ってしまうのもあって勿体ないので逃げた細かい砂子も捨てないようまた晒にかけ、最終的には三角コーナー用のゴミ用の不織布水切りと晒布で二重にして逃げないようにします。

 何度も水で洗って黄色い液体がなくなったら不織布に残った砂子をそのまま乾燥させ乾いたところで水切り袋を透明なビニール袋の中でハサミで切って開いてもみもみすればビニール袋に砂子が残ります。これで燻しの終わりです。燻す前後のピカピカの違いがわかりますか?これでも結構落ち着いたのです。これから夏を境に暮れ正月に向けて忙しくなるので今のうちに砂子を燻して用意しておきます。今は古い産地の人形でもマイラーというビニール由来のピカピカの代用品が使われているところもありますし、ラメもありますが、自分としてはあまりけばくなって欲しくないので燻します。少なくとも最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までは真鍮粉の砂子を蒔いて使っていました。翁の作の伝世の人形はもとはぴかぴかだったのが時間を経て黒ずんで残っています。砂子を蒔いて豪華さを演出するという手法は京都の伏見人形の流れを汲む伝承の名残なのだと思います。

コメント

送り火

2018-07-16 22:46:19 | 日々

 うっかりとして例年よりは送り火が遅い時刻になりました。

 そうめんを茹でてお供えしてから玄関先でお送りを始めます。一枚目の画像が玄関前。

焙烙を路地と通りの角へ移動させてお線香もくべながら真菰の精霊馬とともにお送りします。

風が強く吹いてろうそくがすぐ消えていまいます。仏壇にお供えしてある食べ物は明日片づけようと思います。

 

 

コメント

見沼田圃(見山)

2018-07-16 14:12:12 | 街角

 昨日もものすごい暑さでしたね。昼までは家の中で過ごし、午後4時前くらいに家を出て、見沼田圃でまだ水田の残る見沼区の見山へ行ってきました。手前が緑区の三室新宿で対岸が見沼区見山です。中央を流れるのが芝川。見沼代用水の東縁と西縁があってその間を流れるのが芝川。大きな地図で見ると見沼田圃は上尾市から東大宮そして東南方向にカーブして武蔵野線にかかるあたりまで斜めに広がっていて代用水の東縁は田圃の縁に沿って流れていますが、芝川と代用水の西縁は大宮公園の横から南下して、埼玉新都心の東辺りから東に曲がり、ここ見山の東から右カーブしながら東縁とやや平行な感じに下っていくんですね。今回気になっていろいろ地図やバス路線図を観たうえでの理解なんですが、、。見山へのアクセスは北浦和から三室経由市民病院行きのバスが結構走っているので、終点で降りて北上して芝川を渡れば向かって右が見山です。畑に交じって田圃があります。

 蒲の穂が茂っています。これってカエル好みだと思います。

 橋の上から芝川の上流を眺めた景色。新都心や大宮の中心の高層ビルが見えます。

 この野遠見の景色、高層ビルを除けば、歌舞伎の舞台にでも出てきそうな、特に「かさね」の木下川堤とか「四谷怪談」の砂村隠亡掘だとかに似ているように思えます。「牡丹灯篭」の伴蔵のお峰殺しは栗橋の在だったか、やっぱり蚊柱の立つ湿った土地のイメージですよね。まあ、怪談の舞台ばかりでなく、端唄の「露は尾花と寝たという 尾花は露と寝ぬという、、、、。」といった下座が聞こえてくるような風情だと思います。

 待ってましたの水田ですが、田の面に水が抜いてあります。稲穂がしっかりなって刈り入れ前に水を抜くとか聞いたことはあるけれど、まだ稲穂はそんなでもない。そばで作業している農家の叔父さんに訊ねたら、稲の育つ様子を見ながら水を引き入れたり、抜いたり繰り返すものなんですね。水がなければカエルさんも厳しいので、ここいらの水田全部水を抜いているんですか?と訊ねたら、ここいら上(かみ)の田圃は抜いているが、下(しも)の田圃はまだ水張っているよ。と教えてもらい下へ移動。

 砂利道に咲いている「カワラケツメイ」だったかな?(昔の記憶なので定かではない)

 芝川の縁に茂っている土手カボチャ。

 「コウホネ」っていったかオモダカの仲間?待ってました澤瀉屋!

 下の田圃。早速畔にあがってみると、、。

バカチョンでピントが合わず残念。

 

 これイモリなのかカナヘビとかトカゲなのか。サイケなお腹が観たかった。

 あーっこれやばいんじゃないですか。ばち当たりませんか?

 まあお手植えって感じではなくてたまたま水路の底から生えているって感じなので人為的ではない?でも氷川様怒らない???

近くの畑の作物。これってメロン?カボチャ?ズッキーニは別に植えてありました。

 本当は芝川を遡上してもう一か所水田がまとまって残っているところへ行きたかったのですがちょっと歩くのと水分補給のためのペット入りもお茶を装備しているものの途中でトイレだとかコンビニなどはないよ、と畑のおじさんから聞いたのでまた改めて、、、。私立病院のバス停で行き同様北浦和へ戻ろうと思っていたところ、偶然大宮行きのバスが来たので、好奇心でどんなところを走るのだろうと乗ってしまいました。新都心駅経由だったのでここ見山ののどかな雰囲気からトレンドと人だらけの空間移動が魔訶不思議でした。田圃だと暑くてもいい風が吹いて流した汗で涼しくなるという心地よさとは対照的に大宮の駅前は熱の塊のような感じで早速ハイボールを飲みました。はしごして、Bookoffだのドン・キホーテを覗いているうち早10時まで大宮にいました。

 

 

 

コメント

迎え火

2018-07-13 18:34:13 | 日々

 なぜか今年はいつの間にかもうお盆?という忙しい感覚です。焙烙は昨年同様、今戸焼のではなくて、スーパーで買ってきたテラコッタ風のものです。

わが家は路地にあるので、通りから路地への入口の角でまず新聞紙を火種におがらを焚いて、、。

わが家の玄関前でもう一度焚いて、家へお迎えしました。あとでそうめんを買ってきてお供えしようと思います。おはぎは明日。

「おがら」こそは氷川様の眼に当たった憎い憎い蓮の茎。見沼の辺りの迎え火はどうするんだろうか、、?という疑問が、、。

コメント (2)

斗瑩稲荷のお姿

2018-07-11 21:47:34 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 かねてより宮城県内のお稲荷様より頼まれていた狐のお姿、やっと塗り終わり、数を確認してから神社へお送りする運びです。先方からは、具体的にどういう姿や色というご希望がなかったので宮城県大崎市内という土地から推して、仙台の堤人形と岩手の花巻人形の販路だったと考え、これらの産地の古作の狐に倣って作ることが無理のないローカル感もあって相応しいだろうと堤の奉納用の古い狐の形を踏襲して試作をしました。社名を陽刻として両側面に入れました。

 試作を先方へお送りしたのち、あちらのご希望で「目を鯨眼にしないで一筆目にしてほしい」「黒鼻を入れてほしい」というご希望の他は堤式でやって欲しいとのことなので、今戸人形ではないし、先方のご希望に沿って作ることが本分なので、このようになりました。古作の堤の「鯨眼」ではなくなり、それなら原作のように地塗りの胡粉の上に「きら」(雲母粉)でパールの地を作るだけの必然性もないので胡粉地のままにしました。塗りながら感じたのですが、半分堤式のこれらの狐の彩色、まがい金泥(真鍮粉)で光らせる部分がやたら多いですね。耳の縁や台座の縞、尻尾の先や付け根、、。個人的には金色を乱用するのはあまり好きではないんですが、先方は金がよいみたいです。

 自分にとっては一筆眼のほうが鯨眼より楽です。金を多用するだけ、今戸の鉄砲狐よりも手数が多く、案外しんどいと感じました。

コメント