東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「恵比寿大黒」(江戸時代後期?)

2010-11-24 22:43:29 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011043 画像の恵比寿大黒は今戸焼の土人形としてはかなり大きな部類に入るものではないでしょうか?

大きさの割には手取りがそんなに重くないので肉薄にできているのかもしれません。

このように白眼と黒眼を描き分けた鯨型の眼を描いた人形が今戸の一部にあります。恵比寿大黒以外にも布袋様をはじめとして七福神などあったのではないでしょうか?

いかにも今戸の人形らしい群青色は使われておらず、恵比寿様の足部分の水灰色などベロ藍に胡粉を混ぜた色のようです。袖の臙脂色も古風な色なので江戸時代後期から明治の極くはじめくらいのものではないかと思うのですが、、。群青色は天保年間辺りから使われたと聞いているので、配色としてはそれより古いやり方なのだと思います。しかし、絵付けをした人の好みや、たまたまあり合わせの色ということも考えられるので、断定はむずかしいと思います。

表情がちょっとグロテスクな感じがします。

 

 

 

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今戸焼(37)恵比寿大黒の貯金玉

2010-11-23 22:32:27 | 今戸焼(浅草 隅田川)

 

2007_0101_000000p1011035_2 今戸焼の恵比寿大黒の多くは画像のように真っ黒な状態で残っていることが多いです。長年神棚にお祀りされていて煤けてしまうのだと思います。

もうひとつの理由として、まがいの金泥(真鍮粉)一色に塗られたものが、 酸化するなどして黒くなってしまうということも考えられると思います。

画像のものは貯金玉(貯金箱)仕様に作られており、背面に孔があります。貯金玉の我が国での最古の形は宝珠の形のろくろ挽きによるもので、次いで割型による蔵の形、そして招き猫形が今戸で作られたのがはじめだということが有坂与太郎の著作に記されています。この恵比寿大黒もまた蔵や招き猫と同じ明治頃のものでしょうか?

はじめこの貯金玉もまた真鍮粉の変色で真っ黒なのかと思っていたのですが、恵比寿さまの背面の一部擦れたところにうっすらと群青色が覗いて見えるので、一般の土人形同様、顔料による塗り分けがされていたのかもしれません。

彫りがしっかりとしており、原型からの抜き型としては若いものなのかもしれません。恵比寿さま前方の銭箱?の木目やその上に開かれた大福帳?、そして算盤など克明な彫りが見られます。

比較的大きなものですが、手どりは案外と軽く、肉薄な作りです。

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今戸人形「枡入りの恵比寿大黒」

2010-11-22 21:11:06 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011021 二の酉も過ぎ、11月も終盤。いよいよ歳の瀬に向かっています。

そろそろ各地で歳の市が開かれる季節です。

浅草の観音様裏手で開かれる「ガサ市」や多くの人出でにぎわう「羽子板市」、世田谷のボロ市などを含め、いろいろな市が開かれますが、新年を前に、臼や杵、笊や箕などの調理器具、神棚やお神酒の徳利、〆縄などの飾りに混ざって、必ず恵比寿大黒の二福神や七福神のお姿が並ぶ光景に出会います。

これら福神の姿は、一刀彫風の木彫のものや真鍮や唐金製のもの、張り子製やセルロイド製もありますが、今戸焼で作られたものもかなり出回っていたようです。その種類は大小はじめどれだけの数があったのか数えきれないほどです。今戸焼の人形の中でたくさん作られたものとしては稲荷の鉄砲狐や裃雛と並んでベスト3に入るものではないでしょうか?

その多くは、まがいの金泥(真鍮粉)一色で塗られたもので、神棚に長年お祀りされて真っ黒になってしまったものが多いので、見た目が地味ですがモデリングや彫など比べてみるといろいろなバリエーションの幅があり面白いと思います。そのすべてをご紹介するのは種類が多すぎて不可能ですが、そのいくつかをご紹介したいと思います。

「枡入りの恵比寿大黒」。この形式の飾りは現在でも材質を変えて作られているものではないでしょうか?セルロイド製の恵比寿大黒になっているものは時々見かけられるような気がします。昔は今戸焼のものが多かったかと思います。半面のお姿の木地を今戸焼屋さんから仕入れ、色塗りして枡に貼りつけて販売するのは際物屋さんの仕事だったのではないでしょうか?恵比寿大黒の背後に見える小判の山積みもまたよく見られた型です。

枡は本物の枡のこともあるのでしょうが、画像のものは底板はほとんど経木のように薄い板でできていていかにも際物といった感じです。枡のところどころに「福」「寶」「壽」などのめでた尽くしの焼き印が押されています。面白いと思うのは、恵比寿大黒は青口の真鍮粉で塗られ、後ろの小判の山は黄土色にきら(雲母)を混ぜたような顔料で塗り分けれれていることです。こうした塗り分けのきまりが一定してあったのかそれともその時々で流動的だったのでしょうか。

 

こうした半面の恵比寿大黒には赤や群青などの顔料で塗られたものも見かけます。

枡と恵比寿大黒との取り合わせは「枡々繁盛」→「ますます繁盛」という語呂合わせの願いを込めたものでしょう。枡の内側対角線に仕切りをいれたものもあり、枡を半分に仕切って「半枡」→「繁盛」と念入りなのも見られます。

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こぶしの実

2010-11-21 17:54:50 | ご近所

2007_0101_000000p1010939 ほとんど晩秋というか、冬の入り口といった気配すらしてきます。

道路の街路樹として植えられているはなみずきやこぶしの木の実もそろそろお終いという感じになってきました。

まだ30にさしかかる頃勤めていた職場でひょんな事から労働組合に加入することになったのですが、まあ私のような世間知らずの人間でも身を守ってくれるだろう程度のことしか考えていなかったのです。

ところが知らないうちに「次はあんたが会報を執筆する番だ」と言われて泡を喰いました。私は理念とか運動とかなんて全くわかりませんから。

それで「何を書けばいいんですか?」と尋ねると、「あんたが書きたいことでいい」というので組合とは全然関係ないことを書いたのです。中身は忘れてしまいましたが、私が書けることといえば浮世ばなれしたことしかありません。食べ物か、料理のレシピか、草花の話?または歌舞伎の話?今戸焼のことはまさか書かなかったと思いますが、、、。

会報のタイトルが「こぶし」といったようでした。「やったらやりかえせ!」と振り上げる拳のことなのか、早春に白い花を咲かせる「コブシ」の木なのか、歌唱法で「こぶしを効かせる」の「こぶし」なのか、又は兵どもの「古武士」なのかさっぱりわからないので、「こぶしの花」のカットを描きました。

配ったものを読んだ人が「心温まりますね。」とか何とか言ってくれましたが、変なものだったであろうと思います。

画像の「こぶしの実」を見てもらうとおわかりになるかと思いますが、漢字で書くと「拳」とも書くのですね。どうしてかというと、実の形がげんこつの形に似ているかららしいのです。「やったらやり返せ」の拳と全く関係ないわけではないのですね。今更ひとり納得しているところです。


懐かしの絵はがき

2010-11-20 20:45:44 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1011025 押し入れからでてきました。小学校2年生の夏に現地で買った大阪万博の絵はがきセットです。

あの当時、タイムカプセルというものを地中に埋めて何十年後か何百年後に開けるとかいう話題があったように記憶していますが、今将に41年ぶりのタイムカプセル状態です。

意外なのは、当時リアルな印象があったのに久しぶりの絵はがきを見ると、会場の思い出など自分の中でかなり忘却しているな、ということ。

パヴィリオンによってはかなり長蛇の列で、見学していなかったところもありました。

アメリカ館は粘って見学したことはよく憶えていて、アポロのジオラマのところにあった砂を指に唾をつけて一生懸命ちり紙に集めていたことは鮮明です。

ソ連館には入れなかったような、、。それに太陽の塔の中にも入れなかったのです。その周りの「お祭広場」というところで毎晩アトラクションのようなものをやっていたのはおぼろげに憶えています。一番強く印象に残っているのは「ガス館」の不思議な形の建物とその中にあったミロのオブジェとクレージーキャッツの出てくる映像だったような、、。

エキスポランドという遊園地にペンキで自由に落書きできるところがあったのも印象的。

あと会場周辺にやたら竹林があったのが珍しかったように憶えています。あの辺りはもともと筍の産地だったのでしょうか?

当時旅館には泊らず、山形の叔父の知り合いの人で京都と奈良の間の「新田辺」というところに住んでいらした方のお宅に泊めてもらっていました。駅前に日産の工場があったようなことを記憶しています。

今見るとこの絵はがき、不思議です。どうして模型のイメージばかりなのでしょうか?28枚1組で¥500とは当時としてかなり高価だったのでは、、?2007_0101_000000p1011026

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今戸人形「おかめ女郎」(尾張屋春吉翁 作)

2010-11-20 13:09:57 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011020 最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

このお人形もまた大変手の込んだ作りでおかめ本体の割型からの抜き出しが面倒な形のように見えます。更に、頭髪に見られる簪は針金を使ってこしらえたもので、素焼き前に本体に挿しこんだものではないでしょうか。

当然素焼きのときには他の人形とぶつかったりしないよう、細心の注意で焼かれたものではないでしょうか。こうした細工は昔の箱庭細工や捻りの人形にも共通するやり方だと思います。

このお人形の型は春吉翁一代の創作によるものだと聞いています。春吉翁は明治の中頃、今戸の土人形の需要が減り、売れ行きが芳しくなくなってから箱庭細工の製作に転じていらっしゃったので、技術的にはこのように手の込んだ細工もできたのではないかと思われます。

このおかめさんなど髷の頭を結っていて、「おかめ」といわれない限り、「お福さん」と呼ばれても不思議ではありません。こんなことからも、「おかめ」と「お福」の違いを考えるとよくわからなくなってしまいます。


六義園の朝

2010-11-18 12:18:18 | 散歩

2007_0101_000000p1011005 これもデイサービスの帰り、折角駒込まで行ったので、六義園に寄ってみました。

開園間もない時間だったので人もまばらで木々の香りをたくさん吸い込むことができました。

紅葉も結構進んでいました。

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オブジェ?

2010-11-18 12:10:13 | 散歩

2007_0101_000000p1011004 今朝、父の通所しているデイサービスまで父を送り届けてきました。その近くにあった昔の物置?

ちょっとオブジェのようにも見えます。ところどころ劣化したり変色したトタンの組み合わせが面白いとおもいました。


今戸人形「おかめの立ち姿」(江戸時代後期?)

2010-11-17 23:18:30 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010954 画像のお人形は少し時代が遡った今戸焼の土人形だと思います。

というのも群青色が使われていないので、配色としては群青色は使われるようになった天保年間のものより前の配色と考えてよいかと思います。

しかし、お人形の配色にはその時どきにある絵具の都合で左右されることもあるかもしれないので群青が使われていないからといってまだ群青色のなかった時代のものだと断定もできないような気がします。

このお人形の型は他の土人形産地にも見られるものではないでしょうか?

眼点はもとの持ち主がいたずらで描き加えたものではないかと思います。もともと一筆の眼だったような。実物の顔をいじる勇気がないので下手くそですが、画像をいじってみました。

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今戸人形「猫抱きおかめ」(尾張屋春吉翁 作)

2010-11-17 22:53:08 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010942 画像は最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

このお人形を「猫抱きお福」と呼んでいる人もあるので気になっているのですが、頭髪は髷を結っているのです。しかしモヤモヤのほうはまだすっきりしていないので、人形そのものについて書いてみたいと思います。

このお人形はおかめ(お福?)の本体と猫を別々の型で抜き出して、ふたつのパーツを貼り合わせて作られています。また尾張屋さんの作で同じポーズでいて抱いているのが猫ではなくて大きな松茸のものも存在します。

松茸抱きであれば、いかにも花柳界好みで、お酉さまや歳の市で鬻がれていそうな気もしますが、実際のところどうであったかはわかりません。

この今戸焼の猫抱きの人形と同じ構図のものが名古屋でも作られていたようですが、有坂与太郎によると、今戸からの影響を受けて作られたような事が書かれていたと思います。

しかしまた、この尾張屋さんのお人形よりひとまわり大きな同じ構図のものも存在していて、伏見人形だというのを聞いたことがあります。とすれば、この型は伏見人形がオリジナルでそれからの抜き型で今戸で作られていたということなのでしょうか。

おわかりの方がしらしたらお教えいただきたく思っています。

 

 

 

 

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今戸人形「おかめ立ち姿」(尾張屋春吉翁 作)とおかめとお福の謎

2010-11-17 22:15:58 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010952 画像は最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による今戸焼の土人形です。

裲襠をまとって褄をとった立ち姿です。

今年はお酉さまの「とりのまち」は二の酉までで、三の酉はないようです。ということはこの冬は火事が少ないということになりますか?安穏な冬だといいですね。

お酉さまの熊手といえば「おかめ」の面がつきもの。尾張屋さんの懐古談によれば、「とりのまち」や歳の市などに向けて、昔は恵比寿大黒の土人形のほか、「金松」という不真面目なものを作って出していた、とありますが、この実物を私はまだ確認していません。花柳界などの客寄せの縁起物だということから、おそらくちょっと卑猥な姿のものであったろうという想像はできるのですが、、、。

今戸焼のおかめといえば一番にイメージされるのが「火入れ」だと思います。これは以前とりあげました。お酉さまと直接関係があるかどうかは別として。

今戸焼に限らす、「おかめ」といわれる人形と「お福」とよばれる人形が存在します。どちらも下膨れの顔に低い鼻で愛嬌のあるお顔です。そのキャラクターの違いについて気になっています。

漠然とした私の先入観でいうと、おかめ(阿亀・お亀とも)はおさげの髪型で、官女のような袴姿をしていることが多い?おかめは御神楽などに「ひょっとこ」と一緒に登場する。「おかめそば」や「おかめ納豆」「おかめ笹」「おかめインコ」がある。

「お福」は髷を結っている。角隠しをしているのもある。羽織や裲襠をまとった姿というイメージ。福助と一緒のカップルというイメージ。京都の生八橋のキャラクターになっている。伊勢の福餅のパッケージには「おかめ」のお面が描かれているのが不思議???。

念のため辞書をひもといてみると、「おかめ」も「お福」も「お多福」の意味と出てくる。wikipediaには

おかめ(お亀、阿亀)は鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面。頬の張り出した形が瓶に似ているから名付けられたとされる。おたふく(お多福)ともいう。

面は里神楽などで道化役の女性として使われることもあり男性の面であるひょっとこと対に用いられることも多い。 またお多福ともいうように福が多いということから縁起がよいとされ浅草などの酉の市の熊手の飾りなどに使われるようになった。

本来古代においては太った福々しい体躯の女性は災厄の魔よけになると信じられ、ある種の「美人」を意味したとされる。だが上記縁起物での「売れ残り」の意味、あるいは時代とともにかわる美意識の変化とともに不美人をさす蔑称としても使われるようになった。

滑稽な面の起源は日本神話の女性アメノウズメといわれているが、おかめの名は室町時代巫女の名前からという説もある。お多福は前記の福が多いという説と頬が丸くふくらんだ様から魚の河豚が元という説もある。

京都の千本釈迦堂(大報恩寺)には本堂を建てた大工の棟梁を助けたうえ命を絶った妻のおかめの伝説がある。そのため京都で棟上げ式を行うときおかめの面を御幣に付ける習慣がある。

建築土木の現場では、土や砂利、コンクリートなどを掻き寄せたり、敷き均すための用具。「鋤簾」のことを阿亀と称して呼ぶ。

とあります。「おかめ」と「お福」の違いについては辞書の上ではだいたい同じということなのでしょうか。でもまだ釈然としないものが、、、。そんなわけでモヤモヤとしているところです。

 

 

 

 

 

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お気に入りの店⑦

2010-11-16 15:02:32 | おいしいもの

2007_0101_000000p1011001 東十条5丁目にある日本そば屋の「稲廼家さん」。久しぶりに行ってきました。

日本そば屋さんでおそばを注文するのが普通ですが、子供の頃からの習慣でいつも「たぬきうどん」を注文してしまいます。もちろんおそばも好きですが、習慣です。

幼稚園にあがる前からの習慣で、臍を曲げたら、たぬきうどんの出前をとれば機嫌が直るというくらいのたぬきうどん好きでした。

赤羽近辺には昔ほどではないにしろ、あちらこちらに日本そば屋さんがありますが、たぬきうどんに関してはここのが一番好き。

黒くて甘辛のお汁。シコシコというのではなくてポックリという食感のうどん。そして揚げ玉。どこでもよさそうでいて案外とおいしいものは少ないです。讃岐うどんも嫌いではありませんが、昔から馴染んだ味が一番安心して食べられるのではないでしょうか?

よそにもおいしいたぬきうどんはあるかもしれませんが、この界隈ではここだと思っています。

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今戸焼?(36) 風口(ふうこう)

2010-11-15 13:34:21 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010892_2 おかしな話ですが、以前これを入手した時には、漠然と代用品の携帯コンロか火起しだろうと思っていました。たたら作りで成形された台形の方形。上面の丸い孔のまわりに噴きこぼしのような痕があります。案外この形の道具には何度か巡り会っていたように思います。

今回記事にしようと思い立ったところで、道具の名前は何というのだろうと思って身近な本をめくってみてもみつからない。道具のイラストや写真から検索できるものはないだろうかと近くの図書館や博物館の閲覧室まで足をのばして探したけれどらしきものはない。戦前の東京を経験している母に見せても、見たことがないという答え。

困った、、と思っていた矢先 に文京区ふるさと歴史館の「発掘された武家屋敷」という図録を眺めていたら、偶然出土品の写真の中に同じ形のものが載っていて「風口」という名称であることがわかりました。

今度は「風口」の具体的な使い方を確かめたいので、名前で探してみたところでこの形の道具にぶつからない。「風口」で出てくるのは、コンロや七輪の送風口の意味ということでした。

考古関係の専門家の方にお聞きすれば何か手掛かりが、、?と思い、都埋蔵文化財のOさんや人形玩具学会のAさんに何か具体的な使い方を示した資料がないかお訊ねしたところ、Oさんからいろいろな資料のコピーをいただきました。ミーハーレベルのことしかわからない私には猫に小判のようで申し訳なく思っています。

この道具の使い道についてはコンロとセットで使うのと、単独で使うのと両方の可能性が考えられるようです。

古い様式のコンロには私たちの見慣れた七輪のように側面の扉の開閉によって火力を調節する仕組みはまだなくて、この道具で火を起して、そのまますっぽりと挿しこむ孔が空いているものがあったようです。挿しこんだ真上にサナがあり、その上にタドンのような燃料が敷いてあり、下から点火する仕組みだとか、、。もちろん風を送り込むことで火力の調節もできます。東京だと単独で火力調節できるコンロが登場したのは明治の中ごろだったので、こうした「風口」はその頃から使われなくなったのではないか?という話です。うちの母が知らないというのも当然な話です。

しかし、東京でも多摩地域では養蚕などの生業道具として昭和戦前頃まで、これ単独で使われていたようだ、という話もあるようです。

単に代用火起しや携帯コンロくらいにしか思っていなかったので、話を知って案外と古い時代の生活道具だと知ってびっくりしました。

2007_0101_000000p1010958 先日、今戸焼の福助つながりの記事でとりあげた幕末?の古写真の画像を見ていただきたいのですが、授乳しているお母さんの脇にあるコンロの側面の孔の口が妙に出っ張って見えるのです。もしかするとこれが「風口」をコンロ本体に挿入した状態なのか?と勝手に想像しているのですがどうでしょうか?

この記事の内容については、先に記したとおりOさんやAさんに資料のご提供をいただき、この上なく感謝しております。いただいた資料を読んで解釈をしているのは私なので、もしおかしなことがあれば、私の理解に誤りがあるのかもしれません。


十五夜さんのしっぽ

2010-11-13 22:25:56 | おともだち

2007_0101_000000p1010998 十五夜さんのしっぽ。

正面から顔だけ見ると黒ぶちの猫さんなのですが、腰のあたりに茶色のぶちが、、、雪だるまの顔のような模様です。

それにしっぽは茶色と黒のしましま。しっぽに隠れて見えませんが、お尻が黒と茶色に分かれているのです。不思議な模様です。


大宮・気になっている建物

2010-11-13 22:12:52 | 散歩

2007_0101_000000p1010990 大宮駅東口の高島屋の裏手にある建物。20年以上前からずっと気になっていた古い建物です。

大宮の街でも建て替えが進んでいるので、今頃もうなくなっているか?と思って行ってみるとまだありました。正面に破風があって昔は何屋さんだったのだろう?といろいろ考えていました。

旅館?料亭?それとも、、、?ご存じの方いらっしゃたら教えてください。

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