東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

赤羽名所③「自由の女神」

2011-04-30 10:33:27 | ご近所

P1010114 赤羽駅東口すぐそばの歓楽街のビル屋上に立っている自由の女神様です。お台場へ行かなくとも、赤羽でみられるんですよ。

できてからもう何年経つでしょうか。すっかり定着しているといった感じです。以前は京浜東北線で赤羽に着くと、ばっちりとその威容を誇っていたものですが、昨年手前のビルが建て替えられすっかりその影になってしまったのが気の毒です。

こういう際物的というか、びっくりさせる広告オブジェといえばいいのか、今でも他所にもあるみたいですね。川口駅前の「ライオン」とか、山手線渋谷恵比寿間の「ゴリラ」とか、恵比寿目黒間の「巨大な赤い球」とか、、。

今はなき、目に焼き付いているもの、、、高田馬場駅前にあった「スズヤ質店」の「ポルノ噴水」。これは意味不明だったけれど強烈でした。大塚駅前の「角萬」の「金閣寺」。不思議な景色でした。西日暮里駅が開業する以前、高崎線と山手線とに挟まれた三角地帯のビルの屋上に立っていた「週刊新潮」の「こけし」。鴬t谷駅前のキャバレーの「巨大なビアジョッキ」などなど。

写真に撮っておけばよかったと、今になって思います。

赤羽の自由の女神さまは目立たなくなってしまいましたが、今なお健在です。


今戸人形「鉄砲狐の異種?」

2011-04-27 22:36:54 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010149 この狐は以前ご紹介した「加野 トク」さん作の柾木稲荷型?の狐と面描きが同じです。

ただし、台座があり、黒く塗られているのがちょっと違う。胡粉地にキラ(雲母粉)を塗っているのも共通します。従来の「鉄砲狐」と構図としては同じですがプロポーションが違います。

これにも擦り込みがあります。

最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋春吉翁(明治元年~昭和19年)のところや鈴木 タツのところの鉄砲狐には擦り込みはしていないです。


今戸人形「岩の上の横向きの稲荷の狐」

2011-04-27 22:27:37 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010148ポーズとしては、先にご紹介した「太郎稲荷狐」や「横向きの稲荷の狐」と同じなのですが、更に岩の上に鎮座しているという構図です。

やはり神様のご眷属としての威厳を表現しているのでしょうか。仏像などで岩の上で邪鬼を踏みつけていたり、お不動様が岩の上に鎮座しているのと同じような、、。

今戸焼の土人形の中で、岩の上に鎮座しているものは「恵比寿大黒」など割とポピュラーかと思いますが。お稲荷さんの狐にもこうしたものがあったんですね。岩の彩色など、「恵比寿大黒」のそれと似ています。

それとこの狐の鼻と口の色の置き方が面白いです。今戸焼の古い狐の場合、「鉄砲狐」などは最初から赤一点ポツンと大きく置きます。このやり方は狸にもみられますが、「馬乗り狐」でも一点です。しかし鼻孔2点に口のラインを入れるやり方もあり、画像の狐はその中間といった感じがします。

そして台座部分に赤地に金(真鍮粉)で宝珠を描いたり、顔や体に刷り込みを入れています。

高級感をだすために丁寧に作られたものなんでしょうか。


黄色の眼

2011-04-27 01:00:51 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010162 胡粉の下地を塗り、種類によっては目元に朱で刷り込みを入れます。

その上に「猫もの」だったら黄色の眼を入れます。古い今戸焼の人形をみても、猫の眼は黄色かイエローの染料か、金色(真鍮粉)ですね。ごく稀に水色のがあったりしますが、、。

まだ墨で眼点を入れていないので、こうしてみると不気味でしょう。

今日は黄色の絵の具だけです。泥絵具を膠で溶いて、湯煎にかけるので、一度の湯煎でできるだけ効率よく黄色の塗れるところを廻して塗ります。

羽織狐の草履部分とか鉄砲狐の台座の上面も黄色です。他に天神様の笏など、、。

明日はいよいよ眼点と鼻を入れ、そのあと鼻孔と口に行きます。

P1010164


今戸人形「横向きの狐一対」

2011-04-25 23:12:49 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010146 この狐、以前「加野 トク」さんの狐か?ととりあげた狐と面描きがほぼ同じなので、同じ作者でしょう。

それと構図としては「太郎稲荷狐」と同じ横向きですが、ずっと大きいので、むしろこの狐から「太郎稲荷の狐」が生まれたと考えられなくもないかと思います。

この狐にも朱色の擦り込みがあり、台座の色分けがひと手間かかっています。縁と正面を塗り分けています。灰色は胡粉と墨を混ぜたのでしょうか。そして、その上に砂子(真鍮粉)が振りかけてあるのです。奉納用の狐に砂子を撒くとは、、、やっぱり高級感を出すためでしょうか?

もちろん、今戸焼の中では「口入狐」だの「羽織狐」も奉納品で、羽織や裃の群青に砂子を撒いているのはありますが、、、。それにこれらは色の塗り分けにもっと手間(色数も多い)がかかっているのですが、画像のようなタイプの狐にも手間をかけていたという例ははじめて観ました。


今戸人形「擦り込みのある鉄砲狐」

2011-04-25 22:59:16 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010145 「今戸の狐」(骨の賽)という落語があるくらい、今戸焼の稲荷の狐は大量に作られ、「伊勢屋 稲荷に 犬の、、、」といわれるくらい江戸の市中のお稲荷さんの祠に奉納され、大きな需要と供給があったわけです。

最近ある方からショッキングな話を聞いたのですが、まずは我が眼で確かめてから、、と思っています。

これまでも稲荷の狐について何度か記事にとりあげました。その中で最もポピュラーな「鉄砲狐」(一説に形が鉄砲の弾の形に似ているから、、とも)も何度か登場してもらっているのですが、鉛丹(または朱?)の擦り込みのあるものを見つけたのでとりあげます。

鉄砲狐の配色は浅草橋の「人形の吉徳」さんに伝わっている天保年間の人形玩具の配色手本にも描かれており、画像のものとほぼ同じです。台座の上面に入れる黄色が石黄だったり黄土色だったり、金色だったりしますが、だいたい同じ。台座正面に赤(スカーレット染料だったり朱色だったり)と群青とのストライプもだいたい決まり物のようです。

ただ、画像の鉄砲狐には胸から両脚の間にかけて朱色の擦り込みがあるのです。ちなみに上記の配色手本の鉄砲狐にはその指定はありません。

落語の「今戸の狐」の会話に出てくる「金貼り」「銀貼り」という言葉から、同じ狐でも仕上げにランクがあるのかな?と想像しつつ、この朱色の擦り込みなんかも、ひと手間かかる訳で、そのひと手間が絵付けの職人さんの高級感の差別化をはかる一手だったのかな?とも考えたりしています。どうでしょうか?

ちなみに配色手本に登場する他の動物、、猫、馬なんかには擦り込みの指定がありました。実際観たことのある伝世の猫や馬には擦り込みがあったりなかったりしています。

画像の狐の面描きも手慣れたタッチでいいですね。


赤羽名所②「赤羽ハリウッド」

2011-04-21 21:54:17 | ご近所

P1010112 ここも40年以上前からありますが、中に入ったことがないので、あくまで外観しか知りません。

正面にHの目印のあるところには昔はピンク色の地に脚をクロスさせたお姉さんのイラストの丸い看板がありました。

キャバレーというところを知らないので、中でどんな世界が繰り広げられるのだろう、という想像をしながら通り過ぎます。

昭和30年代の石原裕次郎さんの映画に出てくるような生演奏でダンスしたりするような上品さと伊達さと妖しさのミックスされた酒場なのか、どうなのか、、、?謎です。昔は入り口の前にその日実演に来る歌手の看板なんかありました。

母の話では、もともとここには銭湯があったということですが、私の最も古い記憶には、まだこの建物が建っていないおぼろな風景が浮かんでくるのですが、母の話からの影響で勝手に浮かんでくるイメージなのかどうか。

画像左側のならびに数年前まで「すがい」というさっぱりとしたおいしいラーメンの中華屋さんがあり、よく食べに行ったものですが、なくなってしまいました。その建物に池袋のT軒系のお店が入って、若い人がよく並んでいます。


いい感じに、、、

2011-04-20 13:29:11 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010115 去年の秋以来、ずっ触っていなかった粘土の沈殿用のバケツの蓋を開けてみました。5か月ぶりくらいです。

掘ってきた土(江戸前)をどろどろに溶かし、篩を使って不純物を取り除き(水簸にかける)、沈殿させる第2バケツです。第1バケツのほうは、まだ土がゆるくて、すぐ舞い上がってしまう状態。それを上澄みの水を繰り返しさらって、ある程度沈殿したものをこの第2バケツで寝かすのです。

いい感じに土が締まってきていますが、これを更に小さいバケツに移して寝かせ、そのあと石膏の吸水鉢に移します。

このほか掘ってきた土を水に浸して柔らかくするためのバケツが2個。これにも第1と第2があり、合計4個のゴミバケツと小さなバケツが並んでいるので、知らない人は「何だろう?」と思うようです。

そろそろいじりたいところですが、素焼きの色塗りがまだ終わっていないので、それが済んでからにします。お待たせしているみなさんすみません。出来上がりまでお待ちください。(お辞儀)


赤羽名所①「カトリック教会」

2011-04-20 13:13:02 | ご近所

P1010113 かねがね思っていたのですが、古くから「近江八景」だの「江戸名所百景」など数を決めて名所を選ぶ趣向というものがあります。私の住む北区で選定した「北区百景」のようなものもあったかと思いますが、私の生れ育った赤羽近辺に絞って独断で選ぶとしたら、、、。

きっちり数合わせできるかわかりませんが、折に触れてとりあげてみたいと思います。

「いの一番」って訳ではありませんが、手近なところから、まず「カトリック教会」。

ここは戦後も昭和20年代後半からだそうですが、しっかりと定着している風景です。

ここには幼稚園も併設されていて、私もここで年少組、年長組を過ごしました。私は「ペトロ組」でした。「アーメン」なんてやっていたのと、クリスマスの時、サンタさんがアメリカ式?の赤い定番ではなくて、本式?のザンクト・ニコラウスのいでたちでした。ゴチック様式の教会の中でもよく何かやっていました。

ここの教会、TVドラマのロケーションなどでよく登場するので有名らしいですね。私が通っていた頃、「特別機動捜査隊」というドラマのロケが来ていて、何も知らずに俳優さんたちにだっこされたり、園内に落ちていた大好きだった「たいさんぼく」の花の芯をあげたりしたのを憶えています。「おはようこどもショー」のロバくんも来ました。特に有名らしいのは「101回目のプロポーズ」はここの内部で撮影されたようです。

今、ダイエーの跡地に26階建てのマンションが建設中なので、完成すると、この尖塔の背景の空は見えなくなってしまうのでは、、と危惧しています。


観る・触る・感じる

2011-04-18 22:42:37 | アート・文化

P1010098 当ブログへときどきコメントをくださっているmaggさんこと漆造形作家のくぼめぐみさんの個展「手と器」が港区南麻布のギャラリー華さんで開催中です。

招待の葉書をいただいたので、今日お邪魔してきました。地下鉄日比谷線「広尾」駅3番出口から歩いて5分くらいのところです。

生まれも育ちも東京ですが、この界隈は不案内です。ちょっと敷居が高いハイソなイメージがあって、、、。でも場所はすぐみつかりました。

P1010096

かわいらしい草むらや木々の間の小路を通って入り口です。

「ギャラリー」、、、ちょっと緊張します。昔学生だった頃は銀座の画廊巡りはよくやっていたのですが、最近ずぼらになってしまって、、。それと普段着なので。扉を開けると、何の香り?漆の香りでしょうか?初対面のくぼさんが出迎えてくださいました。早速作品を拝見。

P1010094 眼で感じるやさしい形と色。なによりもそれぞれ異なるその感触。思わず掌に乗せてみたり両手でつつんでみたり、すりすり、なぜなぜ、頬ずりし比べてみたくなります。でも汚い手で触るのも悪いので我慢。眼で感じる感触とはまた違う感覚を受けられるのかもしれません。

それと器であれば、唇や舌の感触ってものも違う世界が開けてきそうです。眼をつむって手や唇や舌だけの感触はまた違う世界かも。

眼で感じる形状と色。漆でも塗り方、(のせ方?)でまったく違う質感になるんですね。漆に関してはまったくの素人なので野暮ですが、漆の下地の素材とか成形の方法とかもミーハーに質問してしまいました。

P1010095 ひとつひとつ、眼から感じる温かみや涼しさが違います。それとびっくりしたのですが、漆によるタブロー。眼が悪いので遠目で漆だとは知らなかった、、。それと遠から感じる質感と眼の前にした質感がまったく違う、、。手品のような、、。(画像を撮るのを忘れてしまった。)

冷やかしのようで、失礼してしまったけれど、久しぶりに感覚を楽しませてもらった時間でした。快い緊張感。

出かけてみてよかったです。お近くの方、お出かけの方、よかったら覗いてみてはどうですか?

P10100974月23日(土)まで、上記の「ギャラリー華」さんで開催しています。(但し水曜日はお休み)

〒106-0047

東京都港区南麻布5-1-5

TEL 03-3442-4584

URL   http://www.gallery-hana.com/


お珍しいお客様

2011-04-14 00:58:45 | おともだち

P1010082 昨日は久しぶりに暖かかったので、仕事場の入口や窓を開け放っていました。

寒かった間は当然のことながら、暖房を入れて閉め切っていたので、会えなかったとはいえ、本当に久しぶりのお客様たちが入れかわりに挨拶に来てくれました。

中でも茶ぶちさん親子の顔をみるのは昨年の秋以来。あの頃は、まだ毎晩土手通いをしていて、十五夜さんのために余分に買ってきた食べ物を茶ぶちさん親子にあげたのが最後でした。いつも大食いなお母さんがその時、食後にもどしたのです。具合が悪いのかな?もう歳なのかな?と思った以来ずーっと顔をみていなかったので、ちょっと悪い想像をしていました。わざわざ寄って来て挨拶してくれました。

白ちゃんも黒ぶちさんも来ました。黒ぶちさんもあまり顔をみていなかったのですが、歳をとったな~、という感じです。夜も遅くなってきても、こちらを見てしきりに訴えているのです。ごはん?それとも指定席?残念ながら指定席は今、塗っているものでいっぱい。仕方なく床に座布団を敷いてあげるとその上に寛いでいました。

そろそろ自宅に帰ろうと支度を始めると、しきりに鳴きます。「泊めてください、、」とでも言っているような、、。本当に申し訳ないけれど、抱きあげてドアのところへ連れて行くと、私の椅子に戻ってきてしまいました。こういう時は切ないです。

毎日十五夜さんと顔を合わせていると、やっぱり十五夜さんは若く、黒ぶちさんは歳をとったな~、と実感します。お歳のせいばかりではないのか?栄養に原因があるのか、、?

P1010084


地塗り

2011-04-14 00:35:08 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010091 やすりがけした素焼きの木地に胡粉と膠を混ぜて地塗りをしているところです。

初午以来、確定申告でパニクっていたり、風邪で寝込んだり、そのあと地震が来たりでまとまって集中できなかったので、飛び飛びの進み具合でした。

幸いここの仕事場で地震で壊れたものはなかったです。

早く絵の具を使いたいと焦るものの、ある程度まとめて塗るためには、まず地塗りを済ませなければなりません。

初午より以前に頼まれたものなど早く仕上げたいと思いながら、なかなか進まずジレンマに陥っています。


枇杷の葉

2011-04-13 12:39:35 | ご近所

P1010078 ワンちゃんの散歩の途中、ご近所で枇杷の木の剪定をされていました。落とされた枝から葉っぱをもらってきました。

一枚一枚念入りに洗って、干しています。水気が飛んで、ぱりぱりになるまで裏返したりしながら乾かします。

ぱりぱりになったものを揉んで細かくし、枇杷の葉茶にします。そのままお湯をついで飲んでもよし。私はちょっと煎ってから煮出すのが好きです。ちょっと香ばしい香りになります。

ドクダミ、柿の葉、クコの枝なんかでもお茶にできます。ブレンドしても楽しめます。


今戸人形「桜模様のおいらん」(明治時代)

2011-04-11 19:09:48 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010071 東京では桜の盛りなのでとりあげてみました。

桜の花模様の土人形といえば、相良人形とか花巻人形、堤人形をはじめ、全国各地の人形にみられるものなのですが、今戸でもこうした模様があったのですね。

最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形の中にもちょこっと桜の花を描いたもの(例えば、裃雛やおかめの火入れなど)もありますし、浅草雛にも描かれていますが、画像のようにびっしりと描かれたものはあまり見たことがありません。

顔も丁寧に描かれていて、腕のある人が絵付けしたものではないかと思います。目のまわりにぼかしがしてあり、眉は薄墨で描かれています。表情に何とも仇っぽい色気を感じられませんか?手にした懐紙が金(真鍮粉)で塗られているのが不思議です。全く同じ型の人形でもっと獏連で妖艶な表情のものも存在します。

状態はよくないのですが、私にとっては、昔の今戸の形や色がわかるだけでも幸せです。

昔、ある郷土玩具のマニアの人の目の前で、割れて継ぎの入った人形を選んだことがあるのですが、「あんなものに手を出すのは、あの人くらいしかいない。」と陰口をされたことがありましたっけ。


昔の絵はがきから「浅草寺境内」

2011-04-10 00:24:15 | ああ懐かしき、、

P1010045 今東京では桜の盛り。あまり出歩くことができないので、せいぜい近所の桜を目にするくらいです。

この絵はがきのアングルですが、おわかりのように、仲見世側からではなくて仁王門(現在のは戦後建立のもので宝蔵門と呼ばれています。)を潜って、観音様の西前方から東側を撮ったものです。

昔の本来の五重塔は門の東側にあったそうで、たしか、今でもその基壇の跡が残っていたように思います。この写真の立ち位置くらいに今の五重塔があるといっていいでしょう。もうちょっと右側?(アバウトなところで、、。)

桜が咲いています。でもこの写真は手塗りなので、天然色とはいえないでしょうね。

不勉強なので、時代的にいつ頃なのかははっきりわかりません。ただ言えることは仁王門も五重塔も本堂も戦災でなくなってしまっていること。この時代には雷門はないはずです。(今の雷門は戦後、松下幸之助さんが寄贈なさったとか)

画像の左側に大きなイチョウの木がありますが、境内あちらこちらにもあったそうで、現在東側に大空襲を生き延びたイチョウの古木がまだあります。

写っている人それぞれ、他所行きの服装の人もいれば、ご近所風の普段着の人もいますね。

うちの母は戦前の生れなので、少なくとも昔の堂宇や瓢箪池とか花やしきは観ているそうです。