東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

追憶

2012-12-17 19:33:41 | 日々

P1011026今日から3日間浅草の羽子板市。いつものように江戸伝来の今戸焼の土人形(今戸人形)の最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のご墓所をお参りさせていただいてから、観音様境内へ、というコースではあったけれど近頃になく悲しく寂しいお知らせ。春吉翁のお孫さんにあたる武佑さんがつい先ごろご他界されたとのこと。 春吉翁には当然のことながらお会いできる年齢ではない私ですが、数少ない機会でありながら武佑さんから尾張屋さんのこと、昔の今戸のことなどリアルにお話をお聞かせいただけたことは何よりありがたく、幸せだったと思う反面、欲をいえば際限ないけれど、もっともっとお話を伺えたらよかったのに、、と悔やまれてなりません。最後にお目にかかった折、春吉翁の実父である作根弁次郎さんのお話をしながら「猫屋」さんという屋号だったんですよね、とお話したら「そうだそうだ」ととても懐かしそうなお顔をされていました。「猫屋」の話は30年近く前に今戸で燃料屋さんを営んでいらしたおじいさんや葛飾に移転された白井和夫さんたちの口からもお聞きしていて、そういうところから昔のリアルな今戸の様子の断片が聞ける楽しみがあったのですが、、昔の今戸はまたひとつ遠くなってしまうのだと思うと悲しいです。余計なお世話かもしれませんが、電話でお墓へのお参りのお許しをいただいてお線香をあげさせていただきました。ご冥福をお祈りいたします。

追伸:お電話で奥様とお話していて、今更ながらお聞きした話。江戸東京博物館の「今戸焼」の報告書で武佑さんの名前が間違っているという話。うっかり私も見落としていたけれど言われて見ると「金澤武祐」となっている。15年前に発行されたもので、私も何度も手にしていたのに誤りを見落としていたなんて。執筆者の責任(小金井の〇〇園の管理職であるとんかつ氏)ではあるけれど、読者として見落としていた私も申し訳ない気分になりました。


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2 コメント

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先日、私のかっぽれの師匠(櫻川后作)であり、東... (るん馬)
2012-12-20 11:41:23
かっぽれ、東八拳はもとより、日舞、三味線、そして各種お座敷芸に通じた方で、噺家を中心に多くの芸人とも付き合いのあった方でした。
私も、imadokiさん同様、お元気なうちにもっといろいろ聞き、教わっておくべきだったと、後悔しました。人は亡くなってしまうと、その方の知識や技術、経験、思い出といったものは永遠に失われてしまう訳です。后作師匠が亡くなったことにより、失われたものは計り知れません。
「職人の間なんかじゃ、腕のいい仲間が死ぬと、あいつの腕(技術)は渡辺綱に持ってかれちゃったよ、って言うんです」。東八拳の弟弟子が言っていました。
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るん馬さま (いまどき)
2012-12-20 22:14:08
コメントありがとうございます。
実は先日、吉徳さんからの帰り、歩いて浅草まで行き、天丼と天ぷらそばを食べたついでに「小とよ」さんの店の前を通り過ぎたのですが、となり近所のお店は灯りがついているのに」「小とよ」さんだけ暗かったので、お休みなのかな?とおもっていたのですが、おっしゃることでの休業だったのでしょうか。大女将さんにはお目にかかったことはありませんが、女将さんとは前述のよおり割り箸の12ヶ月の見立て唄を披露してくださったりはじめてなのにとても親切にしていただきました。
芸事にしても手仕事や昔の語り部の人にしろ、ものとして残らないものは守っていらっしゃる方がいらっしゃらなくなると消えてしまうんですよね。あとになって後悔する前に自分から積極的に聞かせてもらうなり教えてもらうべきですね。実際のところ微妙な問題ですが、、、。渡辺綱に持って行かれちゃったら、伯母に化けて取り返しに行くという話もありますが、おもしろい表現ですね。
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