東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

最近みつけた本「こけし 伝統こけしのデザイン」

2011-01-30 00:58:47 | ああ懐かしき、、

P1010062 先日近所の本屋さんでみつけた本です。

発行日をみると、昨年の4月に初版ということなので、今更新刊というのでもなさそうですが、はじめて知りました。

その昔、こけしにハマっていた時期がありました。自分の小遣いでこけしを買ったのは小学5年生頃の夏休みなので昭和49年頃だったかと思います。場所は山形の肘折温泉。父の実家が近くの舟形町というところで夏には毎年遊びに行っていたのですが、遊んでいて虫さされがひどくて、足がじんましんのようにさされた痕だらけになってしまったので、肘折温泉から湧き出る炭酸水を汲みに行ったのです。

その頃、肘折温泉がこけしのひとつの産地だということは知らなくて、買ったこけしは肘折のものではなくて山形市内のこけしでした。

そのあとお正月にお年玉を貰うと、新春のデパートの催事でよくあった民芸品やこけしの即売に出かけたものです。どこのデパートでもこけしを売っていましたが、今ではあまり聞かなくなりました。

その当時はこけしの景気がすごかったと思います。鳴子温泉や遠刈田温泉、鎌先温泉、作並温泉、蔵王温泉、温湯温泉など、こけしの産地の温泉に泊る機会もたくさんあったのですが、いつの頃からか、こけしも下火になっていきている印象を持っていました。

まだこけしに興味を持ちはじめた頃は、町の本屋でも入手できる入門書があり、そのいくつかを読みかじったものですが、最近は普通の本屋でこけしの本が並んでいるのを見たことがなかったように思います。

昔私が読んだ本はどちらかというとまず古いこけしの名品、こけしの歴史、風土、こけしの見方集め方、その心得と人間関係みたいなことが書いてあり、ひどいのになると、こけしを作る工人さんの評価めいたことが書いてあり、「こいつは修業が足りない」とか「褌を締め直して修業しろ」なんて書かれている人もあったので、書かれる身にとってはたまりませんね。初心者の人がこれを読んだら、そのこけしを買わなくなるようなことです。何だか教祖さまの上から目線で書かれているような印象でした。

先日みつけたこの本、とても新鮮な印象をもちました。ビジュアル中心でとても気軽に眺めることができますし、むずかしいことが書かれていないのがすごく親しみやすいです。それと工人さんへの問い合わせ葉書がついているのもアイデアですね。こけしグッズというのも面白いです。

こうした新鮮なアングルの本によって、こけしの売れ行きがよくなって、どこの産地の工人さんたちも作ることで生活が成り立つようになってくれるといいなと思いました。こけしの中でも幸せなこけしと可哀そうなこけしがあると思います。同じ木から作られたとしても、一方は大事にされ、また一方はないがしろにされてしまうような、、。

すべてのこけしが幸せでいて欲しいと思います。

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窯出し

2011-01-29 23:42:07 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010060 おととい乾燥させた招き狐を窯入れし、素焼きしました。おとといからとても寒かったので本当ならば昨日に炉内温度が100℃以下に冷めて窯出しできたのですが、風邪をひいてしまい寝込んでしまいました。

37℃以上あった熱も(自分の)落ち着いたのですが、節々が痛くて今日もごろごろしていました。窯から素焼きを取り出しただけでした。

近年風邪にやられやすくなったような気がします。

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今戸人形「経木箱入りの天神」(明治時代)

2011-01-27 00:19:03 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010052 今戸焼の土人形の中にはこのような形で商品化されたものもあったのですね。

やり方としては以前とりあげた「枡入りの恵比寿大黒」と同じ傾向で、多くは一枚の抜き型による片面だけの人形か、2枚型でも奥行きの浅い人形を箱に貼りつけるなどして固定してあります。

ガラス板の縁を黄色く染めた紙でカバーして手を怪我しないようにしてあり、上の一辺だけ箱に固定して蝶番のような役目をさせています。

画像では中央に両手で笏を持った型の天神様、両脇に狛犬が鎮座する構図になっています。

経木の箱の底、つまり天神様の背後には緑色に染められた紙が貼りつけて色どりを添えています。ボロボロになっているのでわかりませんが、何か摺られていたのでしょうか?

ガラス板には内側から梅鉢紋のある赤い幕が描かれています。人形同様に膠溶きの胡粉と泥絵具で描かれているので、時間を経て剥離しています。現代ならばアクリル絵の具やペンキなどあるので定着をしっかりとできるでしょうが、当時としては精一杯の装飾だったのでしょう。

一枚目の画像の天神様の両側には狛犬が鎮座していますが、随臣が左右に置かれるバージョンもあったようです。というのも、箱から外れてしまったような人形も残っているからです。また随臣にも複数のパターンがあったようです。椅像になっているものや足を前に突き出しているのもあります。

こうした経木の箱に固定させるパターンは天神様以外にも恵比寿大黒や招き狐、などもあったようです。

今戸人形といっても、経木、紙。ガラスなど異なる素材を組み合わせてできているので、全て今戸焼屋さんが作ったのではなく、人形の木地を作る人、絵付けをする人、箱を作る人、ガラスに紙を貼る人、という風に、分業体制で仕上げられたのではないでしょうか?最終的にパーツを組み合わせるのは際物屋さんあたりではなかったでしょうか?

明治時代のことですから、ガラスの蓋つきということで高級感を出そうという意識があったのではないかと想像しています。

今戸人形「枡入りの恵比寿大黒」→

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通院

2011-01-26 19:49:17 | おともだち

P1010059 十五夜さんと通院をして来ました。

昨年暮れにレボリューション(蚤ダニ除け薬)をつけてもらって以来なのと、右目の具合を診てもらいました。

通院するのに猫さん用の篭に入ってもらうのがちょっと気の毒なのですが、こればかりは、、悲しげな声で鳴くのです。

体重が1kg以上増えたようです。「環境に慣れて、食欲が戻ったのでは、、。」と先生がおっしゃったので安心しました。

いそいで帰って、篭から出してあげたところ、案外平常心でいてくれたので安心しました。

2枚目の画像は1枚目と時間が逆なのですが、日だまりで寛いでいるところです。

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今戸人形 「天神・小」 (尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 12:16:31 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010049 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これは一番小さなサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫はありません。

顔などを肌色に塗っているのが他の天神様と異なります。おそらくその時々の絵具で塗ったとも考えられます。明治時代の出来の他の作者による天神様もみたことがありますが、このように肌色で塗った例はあることはあります。

この人形と全く同じ型でとても細かい描彩を施した人形もあります。売れ行きを考えて、他の作者が手間や工夫をしたものかもしれません。

春吉翁による天神様の大・中・小を並べて撮影してみました。サイズやその他の違いを比べてみてください。

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今戸人形 「天神・中」 (尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 12:07:33 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010048 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これは中間のサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫はありませんが、この型が出土品も含め一番多く見られるものだと思います。

両袖の張りが「大」のサイズの型のものよりやさしいですね。抜き型した際にへたってしまったものでしょうか?

配色は「大」同様に天保年間以来の配色を墨守したものだと思います。

大部分の墨の黒地の黄色の縞模様もそうです。


今戸人形 「天神・大」(尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 11:58:36 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010047 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

今戸焼の土人形の中には近世からの出土品を含めて大小かなりの種類の天神様がみられます。画像の人形よりもっと大きなものも昔はあったようです。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これが一番大きなサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫があり、春吉翁の父・兼吉翁による原型だったと思われます。

金色に塗られた鍔部分に穴が空いているので、竹や木でできた柄を指して飾ったのかもしれません。

朱色、群青、緑青、台の墨などの配色は天保年間以来の配色を墨守しているようです。浅草橋にある創業300年の人形の老舗である吉徳さんに伝えられている天保年間の人形玩具の配色手本「玩具聚図」に描かれている天神様の配色指定とほぼ同じです。錦絵、おもちゃ絵などに描かれている天神様もほぼこのような配色です。

こうしたところに伝承が受け継がれているところはすごいですね。


今戸焼(42) 梅鉢模様の小皿

2011-01-25 11:23:07 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010051 暦では1月25日が初天神となっています。

菅原道真公をお祀りされている各地の天神社は合格や就職などを祈願する人々で賑わっていることでしょう。東京では湯島天神や亀戸天神が特に有名で、参詣される人も多いことでしょう。

私は高校受験の折には亀戸天神にお参りしました。亀戸は木彫りの鷽守りで有名ですね。その当時、お参りしてから中学校に登校したので担任の先生から怒られた憶えがあります。

さて、画像の小皿は東京の近世遺跡からも同様のものが出土しています。子供のままごと用のミニチュア玩具とも考えられるのですが、白化粧土とタンパン(炭酸銅)で梅鉢が描かれているので天神様への信仰とも結びついているのではないかと思うのですがどうでしょうか。

昔は寺子屋というものが町々にあって、子供が手習などを学んでいたそうですし、天神様への信仰というものは、寺子屋単位で一種の講のような形で営まれていたのかどうか、、天神様の石塔など寺子屋で奉納されているものが見られます。

あくまで空想なのですが、寺子たちで天神祭などを執り行うような時にこの小皿を使ったものではないか?と思ったりするのですが実際どうだったのでしょう。

こうしたミニチュアサイズの小皿は型による成形のものも見られますが、この皿の底には糸切りの痕が見られるので、一枚ずつロクロで挽いて、あとからヘラなどで押して縁を波型にしているようです。


ふたつのねぐら

2011-01-23 22:19:07 | おともだち

P1010030 十五夜さんの部屋にはふたつのねぐらがあります。右に見える白いのが本来のねぐら。左に見えるのは病院へ行く時のものです。

今までは右のほうで寝ていたのですが、このところ左のほうで寝ているようです。心境の変化でしょうか?

右のほうは今まで屋根部分を外して、入り口前に敷いていたのですが、天井があるほうが安心できるのかな???と思って屋根をつけ、その代わりにキッチンマットを敷きました。

ふたつのねぐらの間に見えるのが段ボール製の「爪研ぎ」。猫さんと一緒に暮らすことになるまで、こういうものがあるとは知りませんでした。

爪研ぎは日課という以上に何度もするものなのですね。それともストレスのせいか???

天井のついたねぐらのほうが暖かいと思うのですが、さてどうするでしょうか。

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今戸人形「寒紅の丑」(尾張屋春吉翁 作)

2011-01-23 08:03:54 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010029 この紅丑は最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)によるものです。画像の黒塗りと一緒に金塗りのも作られたようです。

但し、そんなにたくさん作られなかったのかあまり観たことがありません。大抵鈴木たつの牛のほうが圧倒的に多く残っているという印象があります。

はっきりとはわかりませんが、春吉翁の場合は復古作としてごく一部の趣味家向けに作られたということなのか?

型は鈴木型よりもいくぶん大きく、肉付きがよい感じです。口もとに水色を置いているのも異なります。この型と同じで古そうなものや色のとれてしまったものは観たことがないので、鈴木たつの紅丑のように、小間物屋の配りものとして大量に作られていたものではないのではないか?、、そのように思っているのですが実際どうだったのでしょう。

今戸焼には他に鬼門除けの臥牛を尾張屋さんが作っていたのと、古くは牛の午前(牛島神社)で授与していた牛(戦後の白井孝一家でお作りになられている新型とは異なる形のもの)があったようです。


今戸人形「寒紅の丑」(鈴木 たつ 作他)

2011-01-23 07:46:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010027 底冷えのする厳しい寒さの毎日です。暦では昨日1月22日が今年の「寒の土用の丑」の日のようです。

ものの本には「寒の土用の丑」に作られた紅には口中の荒れや女性の病に薬効があるとして重用されていたとか、、。またこの日には紅を商う小間物屋は画像のような今戸焼で作られた牛の姿をおまけとして配ったということです。

昭和のはじめの有坂与太郎の著作には、作者は今戸・長昌寺前の「鈴木たつ」であると書かれています。たつの母親の「鈴木きん」もまたこれを作っていた、またたつの姉の「江川しん」(川向の向島に住んでいた)は専ら木地を作っていたとも書かれています。昭和のはじめまではまだこの一族によって生産され、供給していたのは向島の「小町紅本舗」であったとか。現在浅草に「小町ヘアー」というお店がありますが、もしかすると「小町紅」と関係のあるお店なのでしょうか。まだ聞きにいったことがないのでわかりません。

牛には黒塗りと金塗りと2種類あり、配られた際、どのような区別がされていたのか、または2つ対で配られたのかなど不明な点があります。何か参考になる本などありましたらご教示いただけると幸いです。一時はこれらのような牛は古物としてかなり見かけたものですが、最近ではあまりそうした機会も少なくなってしまったような気がします。当時としてかなり出回っていたものだったような気がします。

上記の有坂与太郎の著作によれば、磁器の固焼き製の牛が登場してから、昔ながらの土の牛が駆逐されてしまったようなのです。ひとつ疑問なのは、紅丑の習慣は明治から遡ることはない、と記されているのに、都内の近世遺跡からの出土品の中には色のとれてしまった同じような牛がみられることです。

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金杉通り界隈

2011-01-21 18:18:27 | 散歩

P1010018 金杉通りは20年前は古い家屋が鈴なりに並んでいましたが、時代の流れのせいか、随分マンションとかが建ちました。

それでも通りを挟んで、根岸側にも下谷側にもまだすてきな佇まいが残っています。

ふぐ料理の「にびき」さんの真裏あたりで、はじめて観る祠が、、、。説明板がありました。祠の裏には井戸が、、。知りませんでした。

この付近マンション建設反対のビラがあちこちにありました。こうしたのんびりとしたところがなくなるのはもったいないですね。

町中に写真に撮りたくなる家並みがあるのですが、父がデイサービスから帰ってくるので早々に帰路につきました。

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三島神社の鉄砲狐

2011-01-21 18:01:05 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010020 折角金杉通りへ入ってきたので、ついでに三島神社へお参りに行ってきました。

上野に勤めていた20年前、ここの境内のお稲荷さまに当時としても珍しい鼻の尖った昔風の鉄砲狐がずらりと奉納されていたのを思い出したからです。

行ってみるとまだまだ並んでいました。中にはま新しそうな、現在の今戸の鉄砲狐が加わっていました。一緒に並んでいるので、その形の違いがはっきりします。

当時ここの宮司さんにお聞きしたのですが、これらの古い鉄砲狐は浅草通りの神具の「みす平」さんから納められていたという話でした。今ではもう取り扱いはないかと思いますが、、、。

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中華「光江」さん

2011-01-21 17:46:02 | おいしいもの

P1010014 かねがね聞いていたお店。

評判のお店ということだったので、さぞ行列に並ばなければ食べられないのかと思いきや、昼時をはずせば大丈夫というご指南をいただき、午後3時前に行ってみました。

すぐに座って「ワンタン麺」の大盛りを注文しました。よくある人気のラーメン店というのと違って、ごく普通の店内。飾り気のないサンダル履きでもOKという雰囲気がいいですね。

運ばれてきたワンタン麺。スープが脂ッ気なくてさっぱり。胃袋にやさしいお汁です。今時、律儀に青菜のおひたしが乗っています。これならするすると2杯はいけそうです。おいしかったです。

この近所は中華屋さんに限らず、いろいろとお店があります。洋食の「香味屋」さんとか、、。でも敷居が高そうで、今まで入ったことがあるのは浅草の「河金」の支店のカツカレーライスやふぐ料理の「にびき」さんくらいしかありません。

また時間があったらゆっくりと、、。

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鴬谷の跨線橋

2011-01-21 17:30:09 | 散歩

P1010012 かねがね聞いていた下谷の中華そば屋さんへ今日のお昼に行ってきました。

ここ鴬谷は中学生の頃学習塾に週3日だったか4日だったか通っていたので全く知らない土地でもないのですが、住んでいるわけではないのでまだまだ知らないこともいっぱいあります。

通っていた塾はもうありませんでした。当時この橋を下りていくと、キャバレーのホステスさんやボーイさんがチラシか何か配っていて「坊やも来てね?」なんて声をかけれれてびっくりしていると、ボーイさんが「おい、子供をつかまえて、、。」「なーに、大きくなってからよ?」なんてからかわれたものでした。

塾に通ってくる地元の中学生の人達は、商人の子女が多かったようで、気風のよさは、赤羽とは違った感じでした。後になってはじめて樋口一葉の「たけくらべ」を読んだとき、登場してくる子供たちのやりとりが、当時塾でみた地元の人達に二重写しにみえました。

そういえば塾の同じクラスに「海老名くん」というメガネをかけた子がいたのですが、あれは現在の林屋正蔵さんだったのか、、、?

当時に比べると建物や店などかなり変わっていますが、昔のままのところもあります。