東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

トチづくり

2018-06-29 01:04:31 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 先日から20年以上ぶりに再挑戦している「舐め人形」式の仕上げへの準備です。土人形はほぼ30年ちかくは試行錯誤しながら作ってはいるのですが、釉薬を使う陶芸一般のことについては、勤めていたところの生徒さんたちと美術の時間にオブジェ的なものを作ったり、作業学習という時間に皿やカップなど型を使って焼いていた経験はあるものの案外と常識的なことを知らなかったりします。20年前に挑戦した舐め人形は七宝窯で炉内に入れて覗き窓から釉薬がピザのチーズのようにとろけてきたのを見計らって取り出して焼いたのですが、思うようなツヤが出ず、かさかさに白濁したような変な出来でした。

 今回は北区の伝統工芸保存会の焼き物専門の人に質問したり、陶芸材料屋さんで聞いての再挑戦です。話によれば低温の楽焼ならば、素焼きと同じ窯で焼いてみてもいけるのではないか、ということなので、まずはそうしてやってみます。「舐め人形」は器類のように棚板に接する部分の釉薬を拭き取って棚板に溶けてつかなくする感じではなく、立体全体に釉薬がかかって仕上がっているので、棚板に直接置くことはできません。そういう場合に使うのが「トチ」という道具で金属の爪がコンロの五徳のように出っ張っている台とかアルミナ棒という細い棒を使ったりするのだそうですが、まずは鳩笛に挑戦するので画像のようなトチを買ってきたテラコッタ粘土で作っています。流石に掘ってきた土は人形そのものに使いたいので、ここでは使いません。まだ実践の本題に入っていませんが、鳩笛だと孔が2か所開いているので、そこに金属線を挿して、画像のトチ(と言ってもいいのかわかりませんが)に立たせてみようと考えています。いきなり一発でうまくいくとは思っていませんが、まずは行動して試行錯誤ということになるでしょう。仮に昔ながらの今戸人形の伝統が今に続いていて、昔ながらの仕事を眼にすることができれば、それを模倣することから始めることができますが、既になくなって久しい技法とか方法を想像して実験するのは楽しみと同時に不安ですね。市販のトチも買ってきたので自己流のと同時に試してみようと思います。まずはこれら手作りのトチが乾燥してからの試しになります。


つぶつぶ

2018-06-28 16:19:53 | 今戸焼(浅草 隅田川)

 今日も暑いですね。王子の役所まで自転車で往復しましたが、バケツを被ったような汗だくです。

 帰り際、新幹線の高架横の住宅地の一軒が取り壊され、更地になっているところを通り過ぎたところ、表土の感じが気になって自転車を止め地面を物色していたらありました。「つぶつぶ」と呼ばれている素焼きの碁石状のものです。この更地はJRの線路を挟んで王子稲荷や名主の滝のほぼ向い。「江戸名所図会」をはじめ江戸から明治の錦絵に描かれた風景としては西に王子稲荷の山を見上げる一面田圃だったところではなかったかと思います。錦絵で芸者さんやお酌さんに化けた狐たちが往来するおじさんたちを田圃の真ん中で馬糞や尿を振舞っている図柄がありますが、まさにその風景だったところと言ってもいいでしょう。

 京都の伏見人形に関するいくつかの文献などひもとくと、稲荷山の土を丸めたものを求めて持ち帰り、田畑に蒔いて豊作を祈ったという「つぶつぶ」の話が出てきます。こちら関東地方の場合ははっきり記されている文献が不勉強ながらわかりませんが、近郊の畑からつぶつぶやガラスのおはじき、ガラスの石蹴り、ガラスの独楽など時代の幅がありそうですが、それらが染付の破片(初期伊万里っぽいものから明治の印版手のものまで)や「どろめん」に混ざって畑の表土に表れているというケースがよく観られました。

 伏見のように豊作を祈って畑に播くという話もあれば、近郊の農家が江戸市中へ肥を集めにやってきて野菜と交換していた。肥の中に器の破片やら子供が遊んだ「どろめん」や「土人形」の破片が混ざったものが畑に残ったのだという話もあります。王子も当時は江戸のはずれ。王子のお稲荷様は関八州の総元締めと呼ばれたくらい信仰厚く、お参りの人々を集めたといい、飛鳥山や王子権現を見上げる音無川(石神井川)の渓谷沿いに料理屋が軒を並べた土地ではありますが、その周りは田畑ばかりだったので、個人的にはこうした「つぶつぶ」は豊作を願って蒔いたものではないかと思っています。形状的に、碁石として使うこともおはじきとしても、また「十六むさし」の駒としても代用できる形状です。同じ形状であっても求める人によってそれぞれの使い道があったのではないかと思っています。

 


歌舞伎座6月興行 夜の部

2018-06-25 23:49:52 | 日々

 知り合いのご招待で昨夜歌舞伎座の夜の部へ出かけてきました。それこそ願ったり叶ったりの演目です。吉右衛門丈の「夏祭」の団七九郎兵衛と新・芝翫丈の「巷談宵宮雨」の2本立て。おいしい組み合わせです。2演目とも先々代の中村勘三郎さんで観て、わくわくした思い出があります。先々代勘三郎さんの長兄が先代吉右衛門さまでその当たり役のひとつが団七九郎兵衛。また勘三郎さんの岳父が6代目菊五郎さまで戦前に「新世話物」として初演されたのが「宵宮雨」なので、特に今回勘三郎さんの追悼とか初代吉右衛門追悼とか6代目菊五郎追善とかの肩書はありませんが、自分の十代から二十代はじめにかけて大好きだった勘三郎さんを思い起こす狂言建てです。

今回の吉右衛門丈による「夏祭」いうまでもなく愛嬌たっぷり余裕たっぷりで流石。初代吉右衛門さまの当たり役だったのは有名な話ですが、先代のこの狂言の演技は動画とかで保存されていないので観ることができませんが、今日での芝居の名人がうれしそうにほくほくとして演じているというのが観ていてもう嬉しくなってくるという感じでした。釣船の三婦役の歌六丈、お辰役の雀右衛門丈、お梶役の菊之助丈とも吉右衛門一座のいつものユニットで安定していますね。先々代勘三郎さんの上演では団七とお辰を兼ねて演じるのが見ものでした。吉右衛門丈にも兼ねて演じてもらえたら、、という欲張りな希望もありましたが、雀右衛門丈のお辰も勝気でありながらしっとりとしていいと思いました。

「宵宮雨」は6代目のあと勘三郎さんの当たり役で、リアルな所作やいやらしい感じの役作りで面白かったです。今回、新・芝翫丈が演じられるということで、どうかと思っていたのが実際悪くなかったです。ここでも雀右衛門丈のおかみさんがよかったですね。役としてそんなに人情深いおかみさんという感じに書かれているわけではないように思いますが、雀右衛門丈だとしっとりしていていい役になっているなと思いました。劇中で蚊遣りを焚くところがあるんですが、火鉢型の黒い器からもくもく煙が立つところ、オペラグラスで何度もしげしげ観ていました。作り物の新規の道具なのか、それとも藤波小道具に昔から伝わっている道具なのか気になりました。知人の話では昔からの道具らしいということで、そんなら今戸焼なのか???と気になりました。幕間のお弁当は三越で買ってきた亀戸升本のあさりめしのお弁当。芝居が跳ねてから、日曜の夜なのでいつも寄る店は閉まっていたりで、昼間のうちに物色していた「天狗酒場」が歌舞伎座そばに新オープンしていて、値段もリーズナブルで悪くありませんでした。サラダとハイボールで一息ついて帰りました。


「TOKYO 北区時間 2018 このまちの一歩奥へ」 

2018-06-23 19:57:41 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 A4サイズの冊子が刊行されました。地元北区の観光、産業、みどころを紹介する内容のようです。区内のおいしいもの、観光スポット、銭湯、穴場、ユニークなリノベーション etc、、、。「散達」風のコンテンツというのか、、。その中に見開きページで伝統工芸とか美術の括りのコーナーがあって伝統工芸保存会からのメンバー枠でうちの今戸人形も紹介されています。

おそらく輪番で今回はうちへ回していただいたのでしょうか。まだ寒い時分にライターさんが拙宅までみえて、内容確認をされて帰っていかれました。

 「ふるかた いまどにんぎょう」というルビ。(涙)人形をお待ちいただいている方は実際いらっしゃいますが、満員御礼という感じでもないので、文面だけだと大風呂敷っぽくないか、、、?それと今回はじめて受賞歴として日本民藝館展のことをお伝えしたのですが「平成29年度」となっている。(涙)これだと昨年末ということになってしまいます。

 正しくは「平成28年度」です。ライターさんにお伝えしたつもりの内容がNHKの「連想ゲーム」みたいになっちゃいますね。)(涙)(連想ゲーム 通じる人今どのくらいいますかね。加藤芳郎さん、坪内ミキ子さんとか、、、。)

 この冊子市販ではないみたいです。

2018年5月31日 初版第1刷発行

発行:東京商工会議所北支部

企画 編集:東京商工会議所北支部

      北区観光協会

      東京書籍

  


オアシス

2018-06-22 18:50:02 | 街角

 昨日は自転車で通院。往きは滝野川から旧・藍染川沿いに、帰りは台地に上って本郷通り沿いに途中から染井まわりで走ってきました。六義園の染井門(普段は封鎖しています。)から染井霊園まで直線にのびている道は車も少なく落ち着いているのでよく通る道。その道沿い「私の庭♡みんなの庭」と記されている小さな庭があります。

 ここはご近所の有志の人々が協力して管理しているようです。

手押しの井戸があります。

畑もやってますね。

お茶の木。実をつけています。

ちいさな水辺があって近寄ってみると何か泳いでいます。よく見えなかったけどメダカでしょうか。

小さな田圃まであって、、。カエルがいるのかどうか、、。住宅地の中なので、猫さんもたくさんいるだろうし、厳しいか、、?

入口の門が東屋のようになっていて寛ぐことができます。

上で寛いでいる狐さまのお姿に癒されます。

我が地元の北区にも公園や史跡みたいなものはありますが、こんなゆったりとした土に触れるような感じではないですね。管理上難しいのかもしれませんが、こういうスペースが身近にあったら最高ですね。そういえば、雑司ヶ谷の都電の軌道の横にも手作りの田圃があって水車があったりミソハギの花が咲いているような牧歌的なスペースがありました。ここも雑司ヶ谷も豊島区内ということで区のセンスがいいのでしょうか。羨ましいです。


もぢずり

2018-06-20 15:34:45 | 日々

 陸奥のしのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに   河原左大臣

 小学生の頃まで町内に自動車教習所があって、練習コースの間に植え込みがあったり芝生の分離帯があったりで、普段教習中の敷地内には入れないけれど日曜日の休みの日には誰もいないので柵の隙間から腹ばいに場内に入って、普段気になっていた異空間を探検していました。そして必ず気にして探していたのがこの「もぢずり」の花でした。その当時は遊ぶテリトリーもそんなに広くなくて、その範囲内ではこの「もぢずり」の花に出会えるところは教習所の中だけで、近隣には他に咲いているところがありませんでした。当時の自分にとっては宝石にも勝る美しくて珍しい花に映っていました。ピンク色の花にも増して、花がループして並んでいるのが不思議で宝物にしていた小学館の「植物の図鑑」で調べたら「ネジバナ」と記してありました。

 

 我が家の周りに滅多見かけない花でしたが、ずーっと後になってあるところには咲いているのだと気が付きました。三宅坂の国立劇場の皇居に向けての芝と松の植え込みにも季節になると群生していました。それと荒川放水路の鹿浜橋から上流数百メートルの河川敷にもかなり群生していました。郊外とか地方へ初夏に出かける機会というものが子供の頃にはなかったので大自然の中の「もぢずり」を見たことはないのですが、東京の中では芝を植えこんでいるところに芝に混ざって咲いていることが多いように思います。

花の並び方がグラジオラスにも似ているような感じがしますが、大きさといいほのかな淡い色といい、しげしげと見ないと目立たない小さな花です。

古今集に読まれている歌が当然先で、花の名前は先行の歌のイメージから名づけられたのでしょうか。

歌の注釈だと「信夫地方で採れるしのぶ草で編んだものが文字摺」で「その乱れた模様のように私の心を乱れさせたのは私ではなくてあなただ」とか記されていますね。「文字摺」という編み物に似ている花だから「もぢずり」と呼ばれるようになったというんでしょうね。

福島の駅の北に「信夫山」という山があります。それと我が家は吉田姓ですが亡き父の実家の姓が山と同じ名前なので歌に関係して妙に気になる花ですし、みつけると宝石のように感じる花です。

 


窯出し

2018-06-16 10:47:54 | 日々

炉内が100℃以下になるまで蓋を開けるなと言われていまして、昨夜から何度も炉内の温度を気にしていましたが、先ほどやっと75℃の表示を確認して蓋を開け、一番上の棚板から素焼きを取り出していきます。

 堤焼式の狐。珠を咥えているのといないのとで組になります。焼きあがった数を数えてみて目標数にまだ足りない。

 焼きを待つ乾燥中の狐や猫。今回の素焼き中に窯の蓋をしてから窯の周りに余熱に触れさせて乾燥を促していました。堤焼式の狐はこの数を足してもまだ足りない。

昨夜、蓋を開けるまで同時進行で型抜きしていた狐たち。これを足してもまだ足りない。早く数だけでも達成したいです。それと依頼のご神職さまから面描きの変更のご希望が出て、これまでの昔の堤焼式の鯨眼ではなくて一筆目で鼻も描いて欲しいということになったので(犬のようになってしまうのではという不安感)、全体的な配色も最早堤焼の古型式を倣っても意味がなくなり、耳や台座の配色をいっそどうしたらよいのか先方に確認する必要が出てきました。そのためにも彩色が開始できるだけの定数の素焼きを済ませておく必要があります。自分の工夫とか自分の志向でする彩色ではないですし、昔の今戸焼の土人形の再現ではないので、判断するのも難しいです。あんまり今風なパステルカラーとかピンク色とか言われるのも困るんですが、、。できれば、昔からあった風な落ち着いた色だったらいいのに、、、。

 気持ちとしては早く神社へのお納めを済ませてやってみたいことがあります。特に手前の籠の中。

 20数年前に型起こししてまだ納得いく仕上がりになっていない鳩笛への再挑戦。すごく楽しみですが、いきなり成功する試しもなく、試行錯誤でいく感じになるんでしょうね。


窯詰め

2018-06-15 11:39:59 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 前回の素焼きから久しぶりという感じで窯詰めしました。今回は丸〆猫(昭和戦前風型・嘉永安政風型・本丸〆猫)や鞠猫と一緒に一番多いのが宮城県内の稲荷神社さまから頼まれている昔の堤人形式の狐です。

堤式の狐は雌雄で口を結んだままのと玉を咥えたものがあり、また、型抜きの割目の都合で耳の間の谷間を切り出したり、口を切って注意して拡げ間に玉を挟んで固定させるという手間があり今戸の鉄砲狐のような速度では進みません。今窯入れしているだけでは数が足らず、素焼き中に同時進行で型抜きしている状況です。

 今回は棚板3枚使っての窯入れで、それだけ量が多いです。(炉内マックスとまではいきませんが、、。)

 稼働開始から炉内が500℃を越えるまでは蓋を半開きにして水分を炉外へ逃がします。そんなわけで500℃になるタイミングで蓋をするために起きていました。

ちょうどAM5:40頃で、そのあと床に就きました。


焼入れ

2018-06-14 11:15:45 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 コンロで焼印を熱しています。

狙いを定めて落ち着いて押しつける。四方に重心をかけるようしてもう一度中心に重心をかけてゆっくりと、、、、、、。

離してみて無事入っています。枡の真上の面は「福」の字。両脇の左右の面には「寶」の字。それと真正面から見た4つの角にも「寶」を入れます。

今戸焼の恵比寿大黒が貼り付けられていた当時の古い枡をお手本に焼き印もできるだけオリジナル通りに焼き痕から採寸して再現して描いた原稿から焼印屋さんに作ってもらったものです。白木のままの枡もきれいですが、焼が入って更にオリジナルのお手本に近づいてきたようなわくわく感。

焼をいれるのははじめてなんで、まだ要領が、、、薄かったり濃すぎたり、、これも回数をこなして慣れですね。

何より一番大切なのは中に納まるべき恵比寿様と大黒様の出来です。今まだ割型の調整中です。

 

 

 

 


枡づくり

2018-06-12 21:12:24 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 これもやりたい、あれもやってみたいという好奇心といったらよいか、、、一昨日は土を掘っていたのが、昨日は泥を撹拌していたり、傍から見て何やってるんだろう?という感じかな?と思ったりもするんですが、、。縁起物の枡を作っています。今でも酉の市などへ行けば、縁起物の枡で恵比寿大黒が入っているのは見かけますが、恵比寿大黒の姿が塩ビ製だったりパルプの遠心分離成形になっているのがほとんどで今戸焼製のものは遠い昔になくなってしまっています。本質的には「幸せを願う」上での縁起かつぎなので、素材が変わってしまったから駄目だ、ということはないんですが、個人的には今戸焼屋さんが恵比寿大黒の需要を担っていた時代の「かたち」を再び再現してみたくて長年考えていました。

 そして考えてばかりいないでまずは実行してみようということです。

 木材を直角に切断するとか45度とかひどく苦手なんです。中学校の頃技術家庭科という実習科目がありましたが、体育と並んで大嫌いでした。図画工作とか美術は大好きなのに技術科は大嫌い。ひとつには夢とか自由な創作ではなかったから。もうひとつは男女別々に授業を受けますね。技術担当の先生の人柄にもよるかもしれませんが、野郎ばかりの殺伐とした印象が陰鬱なイメージで嫌でした。体育にも通じる「前にならえ」「気をつけ」「休め」のような修練みたいな空気が技術室にもあったと思います。そんなわけで美術での木版画とか木彫レリーフとか、丸彫りとかは大好きでじっくり取り組むのですが、材木の加工は大の苦手。

 昔、今戸焼屋さんが恵比寿大黒の需要を担っていた時代は、こうした縁起枡は分業で完成されていたもので、今戸焼屋さんは「木地屋」と呼ばれる型抜きかた素焼きまでを専業にしていた家と落語「今戸の狐(骨の賽)」に出てくるような内職で絵付けをする人、枡を専門に作る人、それらをセッティングさせて完成させる人々の手を経て出来上がったものだと思われます。

 枡といえば、枡を専業に製造する家は全国的に健在なのですが、それらは「実用向け」の枡なので四隅がかみ合うような組木式の頑丈なものですね。そういうものは既製品として入手することは難しくはないと思います。ただ縁起物の枡は作りが甘いもので角の組木のかみ合わせもないし、底板は底を塞ぐためだけに寸足らずな薄板を貼ってあるだけです。そのチープさがいかにも「際物」的で楽しいと思って自分で作っています。木材は全て専門家にカットしてもらいました。

 中にセットする恵比寿大黒は現在型を準備中です。「くだらない」と言われてしまえばそれまでですが、まずは完全にセット仕上がってどうなるか、今はわくわくしています。

 


おねむ

2018-06-09 22:42:17 | おともだち

 今日は午前中出かける約束があったのがキャンセルとなり、午前中は型抜き作業をしていました。遅いお昼はどうしようか、と駅近くの「トロ函」や「かぶら屋」などで食べ呑みして戻ると、例によって十五夜さんのブラッシング。そのうちうとうとして気が付いたら十五夜さんの姿が見えない。あれ?と見回したところベットから垂れ下がった布団や毛布とタンスに掛けてあるハンガーとの隙間におねむ状態でいたので思わずパチリ。

 どちらかというと夜中に作業しているのでその影響で十五夜さんにも眠気が溜まっているんでしょうか。


再び型抜きモード

2018-06-07 01:02:12 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 彩色もまだやっていますが、型抜きのほうも再び始めました。このところ工事現場からもらってきた土の水簸(すいひ)もやっていたので、タッパーに入れた土は当座凌げる量はあります。また沈殿している泥しょうも必要に応じて石膏鉢に寝かせるのも同時進行しています。今は例の宮城県内の稲荷神社さまから頼まれている狐を決まった数抜き出して揃えるのが目標です。と同時にかなり前手掛けていた割型をひっぱり出して再挑戦しようと思っています。確か丸〆猫を手掛けるよりも前に挑戦した鳩笛の型なのですが、当時は研究不足で焼き上がりが思うようにいかず、当時お世話になっていた「竹とんぼの会」の湯島にいらしたHさんに観ていただいた程度であまり外に出していませんでした。今回は焼き物の専門家の人にいろいろ聞いて、再挑戦しようと思いますが、うまくいくかどうか、、、。


川口通い

2018-06-07 00:36:54 | 日々

 「猪牙で行くのは 深川通い」(端唄「深川」)ではなくて「チャリで行くのは川口通い」です。作業していて遅いお昼に何食べよう、おいしいラーメンと少しだけハイボールを、、。という場合、赤羽にもおいしいラーメン屋さんが最近できたんですが、値段的には「ハレの日」向けの出費になってしまいます。「日高屋」「餃子の王将」「大阪王将」など比較的リーズナブルでハイボールもある、という店はあるんですが、ラーメンの味に関しては絶対好みという感じではないので(かつぶしの粉を混ぜたみたいのは残念)、荒川を越えて川口の「坂内ラーメン」へ行きます。

池袋へ行くより川口のほうが近く、何となくのんびりしているのがいいです。

 個人的なラーメンの好みとしては黒い醤油ベースで透き通ったお汁でさっぱりしたのが大好き。その点坂内ラーメンは黒い醤油ではないですがさっぱりしているのが救いです。時々割引券をくれることがあって、チャーシューの増量券というのを使ってみました。ちょっとカロリー高そうですが毎日というわけではないので、、。ハイボールもバカ安ではありませんが300円代なのでラーメンとハイボールという希みは叶います。街並みもかなり変わってきていますが、まだ鋳物が盛んだった頃の立派な普請のお屋敷とか蔵、昭和の木造の家なんかもまだ残っています。昔はいい古本屋もあったのですが、、、。リサイクルショップも結構あって古着の(穿けるサイズの)ズボンなんかをゲットすることもあります。


お納め(雑司ヶ谷・旅猫雑貨店さん)

2018-06-01 23:52:39 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 今日は汗ばむくらいのよい天気で自転車でのお納めには格好の日。雑司ヶ谷の旅猫雑貨店さんへ頼まれていた人形をお納めに行ってきました。

 王子稲荷坂から関東ローム層の高台へ上り、明治通りで池袋、川越街道交差点から左折して雑司ヶ谷へ。都電の踏切を渡って雑司ヶ谷霊園を横切り、坂を下ると雑司ヶ谷の商店街のある谷間です。この辺り、不思議なくらいノスタルジックなものがいっぱいでいい感じ。今日改めて痺れたのは学校の体育館で昭和30年代はじめくらいのものでしょうか、地面から上に向かって末広がりに張り出すような形がすばらしい(といって画像に撮る余裕がなかったので次回。)街角のあちらこちらに猫さんがいて、谷中にひけをとらない猫さんの楽園地帯ではないでしょうか。お店でお納めを済ませて、本当は大好きなラーメン屋さんで食べたかったのですが、休憩時間になっていたので残念。往きと同様霊園経由でのんびりと、、、

 竹久夢二さんのご墓所。

 夏目漱石さんのご墓所。

 大川橋蔵さんのご墓所。

いつもだと「六代目」さん(六代目 尾上菊五郎)のご墓所へよく寄るんですが今日は不思議とみつからなくて残念。

 ふと目に入った紫色の小花。

 名前も知らない花。桔梗の花にも似て、イヌノフグリに似ているようにも見えます。何という花でしょうか。

 雑司ヶ谷は本当いいところ。近々にまたラーメンを食べに来ようと思います。


次の彩色

2018-06-01 02:10:25 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 「銀座たくみ」さんへのお納めが終わったところでできたスペースで次のお納め向けの彩色をしています。とにかく狭いので素焼きしたものをいちどきに拡げて作業できません。昔の今戸焼の土人形の色を意識しているのでおのずと使う色の幅は決まっているのですが、それらの絵具をできるだけ要領よく塗りすすめていくか、、。案外パズルのような感覚です。例えば、朱色はどの人形の口とか鼻孔とかに必ずといってよいほど使ますし、着物とか首輪とか耳とかにも塗ります。できれば朱色用の乳鉢を湯煎にかけて溶かして使うのでその一回の湯煎で全ての人形の朱色を済ませてしまいたいし、それができれば能率もいいです。ただ実際それぞれの人形に置いていく色の順番が異なるので自分の場合、その順番を守らないとバランスがとりにくい、という感じがします。要領が悪いといえばそれまでですが、一回の湯煎で塗る朱色のあと、他の色を湯煎にかけて塗ってからでないと次の朱色が塗れないという感じです。待ち合わせというのか各駅停車の列車を待たせて急行列車を通してから、発車させるような感覚ですね。なので朱色の乳鉢ひとつでも何度も湯煎にかけることになります。

 版画とか描画でもそうですが、基本的には明るく軽い色からだんだん重い色を重ねていくという順番がありますが、拙作の人形だとまず顔を済ませたいので黄色や水色で白目を置いて乾かして墨で瞳を入れてから同じ墨で鼻の頭を置いて、そのあと朱色で鼻孔と口を入れ、薄墨で髭と眉を描いてから耳に朱色を入れる、という感じです。自分でいうのも変ですが結構不器用で要領が悪いですね。