東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

神田猿楽町界隈

2013-07-08 23:20:44 | 散歩

P1011208 このところ自転車で遠出することが増えています。実際体によいのかわかりませんが、じっとしているよりが動いたほうがいくらかましなのでは、血行がよくなってくれて痛みによいのでは、、、という裏付けもない発想でそうしているのですが、、、。

 昨日の日曜日、午前中のひと仕事のあと、急に決心して駿河台下にある「山形の冷やしラーメン」を出しているという店へ自転車で出かけてみました。気温34°もあったんですね。でも風を切って自転車で走っている分には幾分楽な感じで、むしろ信号で止まったり、店に入ったりするときのほうがジワーっと滝の汗が吹き出してきます。

 画像のカトリック教会裏側からの眺めなんですが渋いですね。赤羽にも名物のカトリック教会がありますが、赤羽のはゴチック風なのに対して、ここのはロマネスクっぽい?全然勉強していないんでとんちんかんかもしれませんが、、。日曜の昼下がりの神田の裏通りはガラーンとして人気が少なく静かすぎるくらい静かでした。P1011209

 教会のすぐ近く、古めかしい交番?現役ではないようですが、建物はしっかりと残っています。(交番ではなく別の建物でしょうか?)

 急に思い出したのですが、子供の時分交番とか病院の玄関先の門灯の笠は球体のガラス製のが多かったような気がします。病院だとその球体が真っ赤で、何か血を連想させるようなちょっと怖い感じがしたものですが、交番の笠は白だったか赤だったかはっきり思い出せません。画像の建物の照明は別のものになっているようですが、、かつては球体の笠だったのではないか、、?あまり大事なことでもないのにやたら気になっていました。


懐かしい家並み

2013-06-29 17:19:45 | 散歩

P1011203 昔に比べて建て替えが進んだ、、、という景色はところどころ見られますが、ここ川口にはまだまだ昭和を感じさせる素敵な家や店が残っています。

 銅葺きの洋品店に懐かしい感じのパン屋さん。

 まだまだあります。今度坦々麺を食べに行くときもまたカメラを持って出かけようと思います。

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もったいない

2013-06-29 17:06:43 | 散歩

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 川口の街中にある交番です。そばに植えてある枇杷の木には実がたわわで、下にもたくさん落ちています。「もったいない」「何で誰も食べないのかなあ、、?」と思って眺めていた矢先、窓をガラリと開て顔を出したお巡りさんが「(実)を採らないで」と言うのです。わけを聞けば「ひとりに許せば際限なく欲しがる人が来てしまう。」という理屈。

 まあ公務員として、全てに平等に接するという姿勢のようですが、わからないでもありませんが、もったいない。せめて近所の小学校なり幼稚園に声かけして子供に持たせてもよさそうなものを、、、。と思うのは、私であって、公務員として実直な姿勢の現れと思えば仕方ないですね。カラスや小鳥だけは咎められることなく実をついばんでいます。

 しかしまあこのガチンガチンのお堅い姿勢というのは悪いことではないですね。どこかの都立のET博物館T園の管理職をしている学芸員夫婦(T&T、、、、孝夫&玉三郎ではなくて、、とんかつ&てるこ???)が博物館に託された資料を勝手に家に持ち帰って私物化しようとしてしまったいう窃盗的行為を思い出すにつれ、ここのお巡りさんの堅さは生真面目で律儀な公務上の態度として立派とも言えるかもしれません。

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荒川の畔

2013-06-29 16:51:36 | 散歩

P1011202 この一週間は天気が悪い日を除いて、毎日のように自転車で遠出をしていました。

 言い方を変えれば、通常電車やバスを利用して出かける距離も自転車を漕いで用を済ましていました。交通費を倹約する。自転車を漕ぐことで体の血の巡りがよくなるのではないか、、、など効果が実際あるのかどうかわかりませんが、、。

 この風景は国道122号線新荒川大橋から上流を撮ったところです。いつの間にか遊歩道のようになっています。こういうところは大好きです。

 この日は仕事場で午前中ひと仕事済ませてから、お昼は荒川を越えて川口で気になっていた坦々麺のお店に行ってみようと出かけたのでした。緑が爽やかであまり暑くもなくちょっとしたチャリのお出かけ日和でした。その他にも今週は定期的な通院も、八重洲までの用事もすべてチャリで出かけました。

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煉瓦積みの稲荷祠

2013-06-07 22:21:44 | 散歩

P1011137 この画像昨日今日ではなくて、GW中西新井大師まで自転車で出かけた折、帰り道で撮影したものです。

 昔足立区内に勤めで毎日通っていた頃に見つけて以来気になっていたのを思い出して今回も立ち寄ってみたのでした。

 ここは江北橋と鹿浜橋の中間にある堀之内という町内で、荒川土手のすぐ下、上には首都高が走っていますが、ここだけタイムスリップしたかのような牧歌的な雰囲気が残っています。

 屋敷のお稲荷さんなのだろうと思います。東京での煉瓦歴史が今戸焼との関係があるみたいですね。その煉瓦で積んだ祠です。もっと川下には小菅があり、かつて小菅の刑務所の中で煉瓦が焼かれていたとか、亀有あたりにも煉瓦工場があったとか聞いた憶えがあります。

 浅草奥山の十二階(凌雲閣)も煉瓦積だったはず。

 今から20数年前に葛飾お花茶屋にいらした今戸焼白井家の本家善次郎家の白井和夫さんにお邪魔してお話を伺った折に、和夫さんの祖父の善次郎という人が名人であったという話、この方は煉瓦つくりにも携わっていて、浅草の吾妻橋の土台になっている煉瓦を焼いたとか、丹那トンネル建設の際、出向いて指導したとかいう話を聞いたように思います。

 東京駅の煉瓦は埼玉県深谷市のホフマン窯で焼かれたという関係で現在の深谷駅舎は東京駅を小さく縮めたサイズで煉瓦の外観でできています。旧今戸八幡の狛犬の台座に刻まれている「深谷」姓の名前がありますが、もしかしたら、深谷出身なのでそういう姓なのか勝手に空想してみたりするのですがどうなのでしょう。深谷辺りでも火鉢とか蚕用のボウズのようなものも作られていたようです。

 ここ堀之内の川上の鹿浜にも神社の境内に煉瓦に祠があったように思います。こんど確かめに行ってみたいと思います。ちなみにこの祠の内部は画像はありませんが、千住の吉田絵馬屋さんの経木の絵馬が納められていました。これもいかにも地元ローカルな感じでうれしくなってしまいました。(でも鉄砲狐はありませんでした。)

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GWらしく

2013-05-06 00:25:42 | 散歩

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 GWも残すところあと一日ですね。私の場合勤めがありませんから平日と休日のメリハリがなく、巷でGWだとわかっていても仕事場で粘土や絵の具のいじっている事に変わりないのです。でもニュースを観ていて行楽地の様子とか駅や空港の様子など映ると羨ましいな、遠くへ行きたいなという気持ちが混み上がってきます。

でも現実問題としてお金はないし、家を空けるわけにはいかず、十五夜さんもいるしで遠出は無理です。今日思い立って、久しぶりに自転車で荒川の向こう側の西新井方向へ走ってきました。

 足立区には30代の頃つとめていて、一時自転車で通っていたこともあったのですが、最近ほとんど出かける機会がありませんでした。環七を東に向かって進んでいくわけですが、20年近く前の景色で当然変わっているところもあれば、意外と変わっていないところもあって懐かしかったです。

 ここは西新井大師の参道。浅草のように巨大ではありませんが案外人で賑わっています。

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 右はおいしいおせんべい屋さん。うちの母はせんべいが好きなので、久しぶりに買いに行くのが今日の目的のひとつ。いろんなせんべいがありますが、一枚¥105の堅焼きせんべいを10枚買いました。

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 左の店は民芸品や郷土玩具など好きな人には有名なお店。昔は西新井みやげの張子の虎や麦わら細工の「住吉踊りの吊るし物」(関西のほうが本場で大阪住吉大社の住吉踊りとか京都の人気傘とよばれるパターンのもの)や綿でできた狸の吊るし物など売っていたお店です。

 

 私が足立に勤めていた頃はぎりぎり上記のおみやげが姿を消す前で、実際売っていました。

もしや、と思って覗いてみましたが、やっぱりありませんでした。達磨はたくさんありますが、これらはパルプを溶かして遠心分離機で成形しただるまばかりになっています。ちょっと寂しいです。

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 大師さまのご本堂です。GWらしくたくさん露店が出ていました。

P1011130_2 境内の「さざえ堂」昔は中をさざえの貝殻のように螺旋に登ってお参りできたそうです。(会津若松の白虎隊のお墓のそばのさざえ堂が有名ですが、都内にもこうしてあるんですね。現在は中には入れません。

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 右は同じく境内に鎮座する「いぼ取り地蔵さま」塩をいただいてお願いするといぼがとれるそうなのですが、自分のこめかみにあるいぼのことすっかり忘れていました。

このあと、西新井から本木、興野、扇、江北、堀之内と迷路状の小さな道を探検しながら家へ戻ったのですが、久しぶりの長い自転車漕ぎで結構疲れました。年です。でも何となくバカンスっぽい気分になれた数時間でした。


上野駅界隈

2011-10-16 22:24:18 | 散歩

P1010305秋だというのにまた暑さが再来でびっくりしています。膠を買いに上野まで行ってきました。

赤羽から高崎線で12・3分くらいな距離ですが、最近外に出かける機会がないので、こんな近くでも久しぶりです。昔上野に勤めていたというのに案外景色が変わったところもあり、ついでに東上野を歩いてきました。

昔、よく歩いていた辺りにお稲荷さんがあったのですがまだ残っているかどうか、、、。

上野駅の浅草口。一頃ここに高層ビルが建つという構想の話がありましたが、どうなったのでしょう?でも駅舎の中を修復して店が入っているということはまだ残すということでしょう。「ああ 上野駅」という歌謡曲がありました。また石川啄木の「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人ごみの中にそを聞きに行く」なんて歌もあり、昔はここから北へ向かう人、志を持って上野に着いた人で溢れていたのでしょう。今でもたくさんの列車が発着してたくさんの人で溢れかえっていますが、列車も速いし、昔ほどの距離感とか郷愁というムードでもなくなっているかもしれません。

P1010308浅草通りに面してまだ残っている銅葺きの家。関東大震災での火災の経験から火の粉を受けないようにと銅で葺かれたと聞いたような気がしますが、、。緑青の色がきれいです。昔もっとたくさん残っていたような気がするのですが、建て替えが進んでいるようで。

すごいのは玄関の雨戸が木製なんです。チョコレートのような色です。

ちょっと表通りから内側に進み、件のお稲荷さんがあった辺りに行ったのですが、あれ?この辺にあったはずが、、、、。ぐるぐる捜しまわったのですが見当たらす、、、。久しく来ていなかったから土地勘が鈍ったのかどうか、、、。

日曜日の東上野は店も閉まっていてガラーンとしていました。昔食べた小さな洋食屋さんはなkなっていました。日本そば屋さんも休み。ついでなので時々買いに行く桐箱屋さんへ行こうと思ったものの、日曜はやっぱり休み。平日にまた来ようと思います。

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珍しい?生垣

2011-07-27 21:34:29 | 散歩

P1011092_2昨日、用があって珍しく家から出かけました。

ここは高円寺の住宅街なのですが、珍しい生垣。

何だと思いますか?木賊(とくさ)なんです。木賊も以前ほどには街中で見かけなくなりましたが、それでも時々目にします。でもこんなに背丈が高く、それも生垣にしているというのははじめて見ました。

折しも暑さが戻ってきているので、ひと際目にも涼しくいい感じだなと思いました。

こういう生垣って地方によってはよくあるものなのでしょうか?


茶坊 「たんたん」さん

2011-02-21 22:01:24 | 散歩

P1010117 今日の午後、ふらりと京王線に乗って、高幡不動まで行ってきました。

境内も少し見物してきたのですが、近くの茶坊「たんたん」さんに久しぶりに寄らせてもらいました。

旦那さんと顔馴染みになってかれこれ長いかもしれません。ここのお店はこけしマニアの人には結構有名なお店ではないでしょうか?

私も十代の頃、こけしにハマっていた時代があったので、こけしは今みてもいいなあという気持ちがあります。

ハマっていた当時のこけしの賑わいは肌で感じているので、お店に並んだこけしの中でも、その昔高嶺の華だったものが、今ではこんなに手ごろに買えるのか!!とびっくりしてしまうものもあります。

知り合いの人にプレゼントしようかな、と思って安いのを数本いだだいてきました。

新幹線に乗って出かける距離のところではありませんが、多摩の山並みを背にして歩くのんびりとした時間でした。


金杉通り界隈

2011-01-21 18:18:27 | 散歩

P1010018 金杉通りは20年前は古い家屋が鈴なりに並んでいましたが、時代の流れのせいか、随分マンションとかが建ちました。

それでも通りを挟んで、根岸側にも下谷側にもまだすてきな佇まいが残っています。

ふぐ料理の「にびき」さんの真裏あたりで、はじめて観る祠が、、、。説明板がありました。祠の裏には井戸が、、。知りませんでした。

この付近マンション建設反対のビラがあちこちにありました。こうしたのんびりとしたところがなくなるのはもったいないですね。

町中に写真に撮りたくなる家並みがあるのですが、父がデイサービスから帰ってくるので早々に帰路につきました。

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鴬谷の跨線橋

2011-01-21 17:30:09 | 散歩

P1010012 かねがね聞いていた下谷の中華そば屋さんへ今日のお昼に行ってきました。

ここ鴬谷は中学生の頃学習塾に週3日だったか4日だったか通っていたので全く知らない土地でもないのですが、住んでいるわけではないのでまだまだ知らないこともいっぱいあります。

通っていた塾はもうありませんでした。当時この橋を下りていくと、キャバレーのホステスさんやボーイさんがチラシか何か配っていて「坊やも来てね?」なんて声をかけれれてびっくりしていると、ボーイさんが「おい、子供をつかまえて、、。」「なーに、大きくなってからよ?」なんてからかわれたものでした。

塾に通ってくる地元の中学生の人達は、商人の子女が多かったようで、気風のよさは、赤羽とは違った感じでした。後になってはじめて樋口一葉の「たけくらべ」を読んだとき、登場してくる子供たちのやりとりが、当時塾でみた地元の人達に二重写しにみえました。

そういえば塾の同じクラスに「海老名くん」というメガネをかけた子がいたのですが、あれは現在の林屋正蔵さんだったのか、、、?

当時に比べると建物や店などかなり変わっていますが、昔のままのところもあります。


蝋梅

2011-01-10 12:52:03 | 散歩

2007_0101_000000p1011257 寒菊の鉢植えが欲しくなり、隣の川口まで行ってきました。川口の駅前からバスに揺られて20分弱?木曾呂という界隈まで来ると、信じられないくらいのどかな田園風景になります。

この辺りから安行にかけは有名な植木や花の産地で園芸店がぽつぽつあります。

残念ながら時期が遅すぎたのか店には寒菊の鉢植えはありませんでした。その代わりすごく大きな朝採りの大根が売っていたので買いました。

畑には冬枯れた菊も見えましたが、蝋梅の木があちらこちらにあってちょうど見ごろでした。

関東一円で蝋梅の名所といえば長瀞の宝登山が有名ですが、花を観に出かけたことはまだありません。深大寺など大きな植物園へ行けばそれなりに蝋梅もあることでしょう。しかし電車でひとつとなりの駅でこんな近くに咲いているのどかなところがあり、穴場だと思いました。

大きな大根を抱えての帰り道はしんどかったですが、おみやげになりました。

寒菊についてはまだあきらめきれません。この時期の縁日などには必ず売られているものなので日を改めて覗きに行ってみようと思っています。

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羽子板市

2010-12-19 15:46:19 | 散歩

2007_0101_000000p1011127 用事で仲見世へ行ったついでに、境内を急いで観てきました。

押絵の羽子板に限ったことではありませんが、こうした手工芸の手間というのは当然大変なもので、それプラス縁起物というプレミアのつくものですから、そう簡単に手の出る値段ではありませんね。

ただ、こういうものは、使われている布のよさとか顔の面相とか、羽子板の形の中に人物をどのような構図で納めるかというところに名人の技があるわけで、派手であればよいというものでもないかと思います。

浅草橋の江戸時代からの人形問屋である「吉徳」さんには明治の押絵の大名人「大和屋吟光」の手になるすばらしいのが保存されていますが、ああいうのを観たあとだと何だか、、、。

それより突き羽根や繭玉などのキッチュな色彩に眼が奪われました。神仏具を商う露店もあり、昔はこういうところで今戸焼の大黒様も並んでいたんだな、想像を巡らしました。

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浅草の朝

2010-12-19 15:31:59 | 散歩

2007_0101_000000p1011131 今朝、用事があって仲見世まで行ってきました。やっぱり混んでいますね。いつものように観音通りから行きました。

スカーツリーがもうこんなにできているのですね。正直いって、こういう巨大な建物は威圧されるようで苦手です。ふとここは上海なのではと錯覚してしまいそうでした。

それに比べると、大きくても観音様の境内の建物には馴染みがあるようで違和感は感じませんでした。

今日は羽子板市なのですね。どおりで混んでいるはずです。

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上野まで

2010-12-12 00:33:11 | 散歩

2007_0101_000000p1011105 素焼きの人形の下地塗りの途中で膠が足りなくなってしまったので上野まで買いに行きました。

ついでに野暮用で、昔勤めていた下町風俗資料館へ、、。不忍池の蓮もすっかり冬景色になっていました。

館入り口に立っている円柱型の郵便ポストが懐かしいです。その当時、「郵政省にお願いして、展示用に設置したら、、」と言いだしたのは私だったので、、。

やはり館の入り口にある御影石でできた石臼(搗き臼)も久しぶりです。これは赤羽駅西口の再開発の時取り壊しになった古い街並みの中で、旧岩槻街道と映画館の日活文化劇場を結ぶ通りにあった餅屋さんで使われていたものなんです。取り壊しの直前、そのまま放置されていたので、住宅公団の方にお願いしてトラックで貰いに行ったのです。

昔の赤羽の思い出がこうして場所を変えて生き延びてくれているのを確認できるたび、うれしくなります。昔の赤羽西口をご存じの方、お出かけの際には、この石臼も観てくださいね。

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